安倍政権退陣ーようやく先に進めるー [雑学]

安倍晋三内閣総理大臣が「病気」を理由に辞任する。
ここまで、7年と8ヶ月。なんと長く異常な政権がいた事か。

実に多くのことを「改革」してしまった。
基本的に、良くしたものは存在しない。
むしろ、大抵の政策により日本の状況は悪化ないしは退化した。

安倍政権の政策の本質は「いいなり」という言葉に集約される。
唯一の主張は、憲法改正だけだった。だが、それも殆ど進んではない。

過去の記事に既に書いたので、ここでは繰り返さないが、
安倍晋三という人間はスネ夫に似ている。虎の威をかる狐のようなものだ。
岸や晋太郎という流れからきた政治への参画。おそらくさほど興味などなかったのだろう。
その彼がとったスタイルは、金をばらまいて仕事をした気になるというものであった。

顕著なのは外交である。600兆円とも言われる金をこの8年間でばらまいた。
相手国に言われるがまま、もしくは金さえ配れば相手を懐柔できるとの魂胆であったろう。
おもちゃで友達を買収するスネ夫と全く同じである。そこに理念や共感などまったくない。
なにしろ、安倍自身にそんなものなどないからだ。

こういう人物が便利だなと思ったのは、その周りである。
安倍にすり寄り、巨額の税金を優遇してもらうという手法だ。
モノが売れない時代で、頼れるのは税金だけとなった産業界。
メディアはとりわけ顕著で、政権から流れてくる金で息をつないだわけだ。

図式としてはシンプルで、メリトクラシーによる人材評定が徹底されるほどに、
儲けられる人間と儲けられない人間が増えた。資本主義は時間によって金が増える
社会である。よって、資本を次に機会に投じられる人間の経済性は年々良くなり、
カツカツないしはマイナス収支の人にとってはどんどんと苦しくなる。それは
「平和」という事でもある。

この「平和」の時代には、格差が生じる。運悪く能力や状況に恵まれなかった人は、
生活を安定化させる手段を失う。根無し草状態になった彼らは、末端の仕事を請け負う。
その仕事とは工場の組立工や農業の収穫要員だったりする。どんなに習熟しようとも、
技量を得ることが出来ない。そのため、低賃金を余儀なくされる。そのような彼らが
家族をもち、子供が出来ると、子どもたちの能力開発には大きなブレーキがかかる。

このような格差が蓄積すると、始めから這い上がれない人々が出てくる。
彼らの一部は、現状を打破するために特殊な仕事に足を突っ込んでいく。そこでは、
少なからず対価を得られるからだ。詐欺から、強盗、万引など違法かグレーな
商売に手を染める。もしくは裏の世界の門を叩く。女性なら、売春やキャバクラなどで性を売る。
そのようなものであればまだ許容されるかもしれないが、そこから社会に承認される
状態になるには、かなりの運やガッツが必要だろう。

このような不安定化が一部に限定され、スケープゴートとして機能しているうちは
問題は小さい。だが、社会の3割程度が不安定に晒されると、社会の屋台骨が揺らぐ。

そうして、ほころびは小さな所からスタートする。給与が減る、増えるかわからないと
実感する人々は、買い控えをするようになる。このくらいであれば、企業は多少のコスト
ダウンをはかれば対応出来た。ところが、買い控えの人間がどんどん増えていく。

その要員は、多方面に渡る。
・高齢化が進み消費が減る。質量ともに減ってしまう。
・社会が高齢者を助けるために、税を増やす。結果として、需要を換気するはずの
 若者世代の手取りが減る。
・教育等の高給を得るための仕事につくためのコスト(投資)が年々値上がる。
 結果として、高給取りは一部になる。
・需要喚起するための世代の手取りが減れば、企業はモノが売れないために、コスト
 ダウンをする。そのためにまずは人件費がカットされる。そうしてますます労働者の
 手取りがへる。
・また、労働者として移民をつかう、もしくは工場が海外移転する。
・すると工場労働の雇用すら減ってしまう。
・企業はモノが売れないので、いよいよ行政に泣きつく。正社員を維持するのが難しい
 ので派遣労働を増やすよう要望し、それが達成される。
・労働者は、手取りが増えず、仕事だけが増えていく。人件費抑制なので労働力は増えない。
 一人あたりの仕事量は年々ふえ、労働時間が増大する。
・労働そのものが負担となると、生活時間が削られる。結果として、余暇がへり、
 消費が減る。また、家庭環境は悪化する。
・若者たちは二重・三重に苦を味わっている。社会的圧力として、良い大学に入れと
 いう。だが、その能力を持つものはいつも一定数のみだ。一方で、大学入ったから
 といって、正社員を約束されたわけではない。仮に正社員になったとして、長時間
 労働で薄給という可能性だってある。いや、派遣社員になって不安定な中、それでも
 他の選択肢がなく、仕事に精をだすしかないという事になる。そういう人々が半分
 くらいいる。
・金のある若者はごく一部になり、親世代のように遊び呆けることは不可能となった。
 結果として、若者をターゲットした商売は採算が取れなくなる。

・他にたくさんあるが、とにかく良い材料は見当たらない。

トータルとして、デフレが起こり、モノが売れない時代になった。それは少子化に
拍車をかけ、老人たちは医療進歩や食糧事情の改善のために寿命が伸びて社会の
負担となった。

一方で、日本はバブル崩壊後の20年を無為に過ごした。大人たちは責任を放棄した。
バブルがあたかも自然現象かのように、そのつけを国が肩代わりした。不良債権問題など、
結局、私企業を国が助けたのだ。これは市場原理的にあり得ない。同じことは、東京電力
にも言える。完全な寡占企業である。フクシマ原発が爆発してメルトダウンしても、
東京電力はなくならなかった。そして、国によって保障が注ぎ込まれたのだ。原発とは
いざとなれば、多大な問題をはらむ存在である。それを理解した上でなお、その技術を
使い続けるのかいなか、考えるべきであろう。

ちなみに原発についていえば、本質的に維持不可能な高コストな発電方式である。
そのコストというのは、発電そのものではない。原発を管理するコストである。
放射性廃棄物は自然分解しない。崩壊するまでに10万年とも言われる時間がかかる。
よって、ゴミ箱がない発電方式であり、そのゴミを管理することを子孫に永続的に
押し付ける事になる。そのコストを加味したら、天文学的な高コストである。
それを解決できないのであれば、今すぐに撤退するのが正しい。だが、原発にロマンを
感じた一部の科学者と、そこに投資した国、電力会社はもう引き返せないといって、
滝壺に突っ込もうとしている。その滝壺に一部が突っ込んだのがフクシマだったのだが、
未だに、存続しようとしている事に、強い欺瞞を感じざるを得ない。

このような社会情勢の中、2011年の選挙で安倍政権が誕生した。
その直前に民主党が、官僚やアメリカのいいなりに成り始めていた。
消費税の導入と法人税の減税、TPPへの加入である。メディアはここぞと一斉に
民主党を叩いた。結果、順当に自民党に票が入ったのである。

政権を奪取した自民党は、まるで民主党であった。消費税を増税し、TPPを批准した。
フクシマの後始末は何もせず、犠牲者にわずかばかりの支援をして、うやむやにした。
その一方で、安倍政権は仲間たちに金を配り続けた。

最大の功罪は、日銀を借金漬けにして、二度と引き返せない状態にしたことだろう。
MMTなんという論が跋扈するほどに、政府は借金を発生させた。その一方で、産業を
買い支えると宣言し、そのとおりに株を買い続けた。また、アメリカの国債を買った。
つまり、株価の釣り上げと、為替の抑制を人為的に行ったのである。その上で、年金の
プールを金融につぎ込んだ。

だが、本質はこうだ。ミレニアムに既に日本社会環境は悪化していた。そして、その
悪化を立て直すのではなく、制度をそのままに破壊され続けるまで、続けると決めたのだ。
誰がというのであれば、自民党がそのような日本にしたし、そのような自民党を日本国民
が支えたのだ。多くの日本人が、痛みを引き受けることを放棄したわけだ。

けれども時間はとまらない。払わなければならない年金は膨大になっていく。
仕方がないので、年金は増額し、介護保険料なる税金も増やした。それでは結局
たりないので、政府は国債を発行して、その金を年金に流している。実をいえば、
国債によって作り出した金は老人たちを支えるために使われているのである。
およそ、300兆円はそのために使われた。

要するに老人向け「ベーシックインカム」はとっくに実施されているという事だ。
そして、それは老人向けであって、若者は搾取の対象でしかないのだ。

安倍政権になって、株価があがり、為替が下がり、大企業の一部は儲かった。
企業の内部留保はますます増加した。要するに、金を動かす人々にとって、安倍政権は
好ましい政治であったのだ。一方で、庶民にとっては、労働力を安く買い叩かれ、
なけなしの手取りからものを買う時に10%もの税金を取られる事になった。保険料は
増え、実質的な増税があちこちで行われたのだ。その結果、不景気にあえいでいる。

構造的にみれば、この8年で、大企業と金融業界は儲けた。それはもうかなり儲けた。
そして、それは国の異常な政策たとえばアベノミクスなどによって、実現した。
その結果、社会的歪はますます大きくなり、不当に低い賃金で働かされる労働者が増えた。
社会は分断されたのだ。

こうして、そもそも平和時に格差が広がるものを、社会制度的にさらに格差を
冗長する政策を行った。これがこの20年の自民党政治である。3年っぽっきりの
民主党政治など無視していいだろう。

何度も何度も、ここで繰り返してきたが、若者はこの状態に文句をいうべきだ。
はっきり言おう、若者は搾取対象であると。奴隷よりかはマシだが、奴隷よりも、
自尊心を奪われた。その意味では、奴隷よりも状況は悪い。自分の生活がみっともない
と思うのは、若者自身のせいではない。時代のせいである。今は、それを若者自身の
せいにする仕組みになっている。

安保法制に対する活動としてシールズというものが立ち上がった。私にはあれは
一つの機運になると思った。だが、すぐに鎮火した。一方で世界では、環境問題
についてグレタ氏が立ち上がり、今アメリカではBLMが広がった。日本の若者は、
何も知らないか、長期政権化した安倍に親近感を覚えてしまった。そして、自らを
奴隷化する事に励んでいる。もっと知らないと、搾取されるだけになるぞといいたい。

少し付け加えるなら、勉強・受験という椅子取りゲームに若者は参加させられている。
椅子取りゲームは、絶対に敗者が生まれる仕組みである。その仕組に参加したという
ことは、勝たねばならないという事になる。負けると惨めな人生が待っていると脅される
からだ。むろん、嘘である。大人は簡単に嘘をつくので注意する必要がある。

さて、ここで若者は大人のずるさに気がつく必要がある。そのずるさとは、
椅子取りゲームの椅子の数は、大人の事情ですぐに変えられてしまうという事だ。

ロスト・ジェネレーションとは、いざ椅子取りゲームになった段階で、椅子を
減らされた人々である。そうして、本来励んできた椅子取りゲームが厳しいものになった。
社会から排除されたと感じた一部は、社会に恨みをもったし、それをクリアできなかった
と自分をせめた人は自殺をしてしまった。

このゲームのずるさがある。椅子に座れなかったのは本人が悪いという言い訳が成り立つことだ。
大人たちは、自分たちの椅子を年金という形で確保したくせに、若者には自分たちの椅子が
減ることを恐れて、椅子を用意しなかった。その上で、若者に「お前らは努力が足りない」
とか「甲斐性がない」などとのたまうのである。腐れ外道である。

今もなお、国は借金をして、老人たちの椅子を確保し続けている一方で、若者に対する手当は
殆どない。むしろ、若者には借金をしろとまでいう。どこまでバカにしているのだろう?
まあ、若者は票が少ない。政党を維持する人々は、ターゲットを高齢者に絞るだろう。
これが、民主主義の欠陥である。マジョリティになれなかった人たちが虐げられるのが
議会制民主主義なのだ。

世代論を回避する人々は、この椅子取りゲームの勝者である。各世代に勝者がいるので、
世代論を無意味と破棄する。それは発言力のある学歴がある人々にこそ内面化されている。
よって、この事が問題視されることはない。だが、明らかなる世代格差がある。
世代論を亡きものにする議論であったら、嘘つきと思うべきである。

結局、安倍自民党は、大企業優遇の政策を推し進めた。その恩恵は今の老人たちと、
大企業につとめる人々、官僚および椅子取りゲームに勝利した若者たちである。
あとは、この仕組を維持するために犠牲になった。その上で、犠牲になった人々に
自己嫌悪を植え付けた。「椅子取りゲームに勝てなかったのは、自分が悪いのだ」と。


これが事実である。だから、世間で意見を聞くと、安倍政権の評価は分断されるのだ。
自分の置かれている状況によっては、安倍政権を支持するだろうし、批判される。
一部の人間はいい思いをしただろう。例えば金融だ。金をつかった賭け事に興じた
人々は、確度の高いレースをした。その結果、8000円程度で買った株を2万ほどで
売ることが出来た。資本が大きい人々がどれほど儲けたことだろうか。その儲けた金とは、
国の借金である。国が株式市場に金を突っ込んだ。その金を、取引に参加した人間たちが
掠め取ったというわけだ。結果としてだが。彼らは負ける可能性があったのだから、
その賭けに買った我々の文句を言うなとのたまうだろう。そして、それなら、お前も
参加すればいいのだと。

だが、元々を考えてみると、それは言いがかりだとも気がつく。利殖するだけの余った
資本がある人間は、椅子取りゲームの椅子に座った人間である。それを忘れてはいけない。
そこに座れなかった人間は、利殖に回す金はない。あっても、たかが知れている。
そして、負けるリスクをとることが出来ないのだ。

この辺りもまた大いなる欺瞞だと思う。私には不正義に思える。国がした借金を、
金持ちたちがゲームをして山分けするというイベントがあったわけだ。そのイベントに
参加するには手元に資本がないとだめだった。手元にないのはお前のせいだという
理屈が出てくる。だが、そもそも、国の借金を金持ち同士で分配するということ自体が
不正義そのものだろう。その借金は、むしろ、金のない人々を支えるために使われる
べきではないのか? すでに金を持っている人々になぜ、さらなる金を分配する必要がある?


私はとにかく、こういう一見するとまともに見える、大いなる欺瞞が許せない。
なぜなら、その利得は若者や弱者からの搾取だからだ。国借金のために消費税があがった
のだから、その金は弱者からのものも含む。それを金バラマキイベントに参加するか
しないかで区別するのは、国による完璧な差別行為だと考えるからである。
ならば、全員に等しく配るのが正しいのではないか? 一部だけでうまくやる事で、
社会から搾取する行為はやはり変であろう。


ホリエモンなどが言う。貧乏にあえぐのは、自分の努力が足りないからだろうと。
少し調べれば、もっとマシな職があるのにそれを探さないのは、怠慢だからだろうと。

たしかにそれには一理ある。情報を得るというのも能力だからだ。
だが、国が集めた金は、国民になるべく不公平にならない形で使うべきであろう。
それが無理というなら、国などやめてしまえという事になる。国が税金をとる理屈が
崩壊するからだ。最適な予算分配など存在しない。つねに偏ったものになる。だが、
それでもなお、バランスをとろうと努力すべきであろう。

安倍政権には、このような発想は一切ない。ただ、嘆願され、金や票を融通する人々に
金を配る。それがおよそ日本の政治家の仕事なのだ。公平性などそもそも担保されない
のだ。よって、税金とは体制側の人間に都合で使徒が決定される権力以外の何者でもない。

安倍政権がやったのは、結局、このような社会分断を作り出したという事だ。
正確に言えば、社会の構造上、分断する以外にできることはなかったということだ。
世代間格差を増やし、富めるものと貧するものを分断した。貧するものは情報弱者でも
ある。金儲けイベントに参加することもままならず、経済格差が固定されていく。

そういった中で、少なくない人々が貧困化し、そのカウンターとして一部が富化した。
それをとにかく冗長したのが安倍政権である。

理念もなにもない。ただ周りの言いなりで動いた。だから便利だった。
その便利な操り人形は、存在の自己矛盾の中で、病気を引き寄せた。おそらく身体は
正直だったのだ。からっぽな行動を8年もやらされて、耐えていること自体が不可思議だったのだ。

社会正義ってなんだろうか。
問題は、安倍政権そのものではない。それはあくまで象徴に過ぎない。
その政権が倒れてもなお、人々の生活は変わらず進む。

安倍の貢献は、忖度といった、政治と経済界のズブズブ関係をあからさまにし、
隠蔽を重ねに重ねた結果、裸の王様になるということが、どれほどみっともないかを
顕にした点であろう。私は、愚昧な政権がなくなって、せいせいした。

その一方で、これから出てくる次のリーダーは、どう舵をとるのか、それが
問題であろう。まともな大人を望むのだが、きっともう無理なのだ。

日本は名実ともに沈没する。今回の安倍の辞任とはその号砲である。
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