人口動態と景気 [思考・志向・試行]

当然だが、人が増えれば、消費が増える。
増えた消費に対応するには、供給を増やさねばならない。

供給量の増加より、消費の増加の方が大きければ、好景気になる。
モノの値段は徐々にあがっていく。いわゆるインフレだ。

しかし、需要がなくなれば、供給を減らす必要がある。
これまた当然の事だろう。

つまりだ。少子高齢社会においては、需要が減るので
供給を減らさねばならない。という事だ。

ところが、資本主義は拡大再生産という仕組みであるから、
大きくしたものを小さくするのは、困難である。

仕方がないので、余った余剰資本は、儲けが見込める市場に投下される。
それが、当時は土地であったし、金融であった。いや、今も金融に資金が
流れている。つまり大きな会社の多くは金融で儲けをだしている。

その一方で本業は需要が減ったので、儲からなくなっている。
儲からないとはいえ、事業を潰すのは難しいので、
なんとか継続させようとする。その方法はコストダウン一択だ。

正社員をやめて、派遣社員に置き換える。
賃金の上昇を抑制する。
人を減らし、固定費用を下げ、その代わりにIT化などで自動化を図る。

こうやって、コストダウンをする。

結果として、企業は事業にコストを割かなくなる。
それは品質の維持の難しさや、事業を回す技術の伝播に支障をきたすようになる。

一方で、就職先を減らされた今の40代前後は、
家庭をもつことが難しい人びとが出てきてしまった。
それは減ると言われる人口減少を加速させる。

加えて、現役世代は給与の抑制にあい、可処分所得が減る。

人が減った上に、可処分所得が減る、つまり需要の急激な減少が生じているのだ。
事業者たちは、減った需要を奪い合うという競争下にある。

こうした中で、国とのコネクションのある企業は、
国から仕事を取ろうとする。国と結託して仕事を作り出すのだ。

こうして出てきたのが、例えばマイナンバー制度である。
一発イベント、オリンピックや万博である。

一般の仕事が減れば、国の仕事をとろうとするわけだ。
すると、国の政治に批判的になるわけにはいかない。
それは大手メディアも同じである。結果、国の悪政は放置されていく。
また、国と企業の結託も深化していくことになる。

減った需要を国が肩代わりしているのだ。

では、その国が出す金はどこからくるのか。
国は国民から徴税する。そう、需要が減った企業の存続のために、
国を仲介して、国民が金を払っているということなのだ。
その国民がいらぬというマイナンバー制度を、国民の金で作る決めたのだ。

そして、その金は国債という借金である。未来の国民からの借金である。
はっきりいって、子孫にとっては大迷惑である。生まれた瞬間から債務を
抱えているのだ。よりにもよってバカものたちが、愚策をしたせいで、
生まれた瞬間から、重税を課せられる運命にある。

現在、国は足りない金を現役世代から調達するためにあらゆる形で
税を拡張しようとしている。年金支払いを増やし、保険料を増やし、
消費税をあげ、生活の細々した料金に税を乗せる。どうにかして、
過大になりすぎた借金を減らそうとしている。

その金はそもそも、借金するに値するものだったのか??
未来の子どもたちのためにもつながる金の使いになっているのか?

否。

近視眼的に現在の企業の存続のために、国は金を使っているのだ。

そもそもに立ち返ろう。
企業は、内部留保が過剰になった。つまり投資先がみつからないのだ。
そこで、投資先と事業の継続を求めて国と結託した。

だが、考えてみれば、それは労働者への可処分所得を減らしたからであろう。
つまり需要を減らしたがゆえに、供給過剰になり、それを解消するために、
国に仕事を作らせているのである。

企業が金を労働者に与えれば、消費は増えるだろう。
現代は、需要が減ったのではなく、可処分所得が減ったのだから。
BIの導入が議論されているが、そこに行く前に、まずは企業は内部留保を吐き出して、
給与にすべきなのだ。コストダウンは生産部門にのみ適応し、人件費はあげいくほかない。

企業は顧客を自分で減らしている。そういうことなのだ。

そして、ただでさえ顧客を減らしているのに、
それが長く続き過ぎたせいで、人自体が減ってしまった。

人が減れば、需要がなくなる。今までは可処分所得が減っているだけだったが、
今度はまるで違う。需要がなくなるのだ。

どんなに企業がコストダウンしようが、投資先を国に求めようが、
需要自体が消滅すれば、いわゆる事業はどんどん潰れるであろう。
長い目でみれば、あと30年で相当に事業はつぶれることになる。

とりわけ小さな会社は経営が困難になる。
それらの会社は、大企業の資本によって取り込まれていく。

人が急激に減るならば、企業も縮小するほかない。
つまり、儲けをへらす他無いのだ。

だが、資本主義というか利子主義では、そういうわけにはいかない。
必ず今より大きな経済状態を維持しなければ、ならないからだ。

要するに、企業の存続と社会システムに矛盾がある。
こういう仕組みはいずれ破綻する。破綻しないほうがおかしい。
今は、破綻するまでの合間ということである。


国と企業がやっているのは、マッチポンプ的に事業を生み出すことだ。
その流れが、軍事産業である。そして、その使用である。つまり戦争だ。

アメリカはそうやって経済を回してきたのだ。
日本がアメリカを目指すなら、必ずそういうルートに入り込んでいくだろう。

企業の存続のために、人を殺す。これが21世紀なのだ。

バカバカしい。
実にバカバカしいのである。

私には無価値な事柄だ。だが、実に多くの人々、とりわけ長のつく者たちの関心事は、
その無意味で無価値な事を存続するということに心血を注いでるわけだ。
そして、その後釜をつぐために、子どもたちは学校にいき、学歴をつけ、
これらの行為に加担していく。その仕組に組み込まれれば、抜け出すことは容易ならざること。
家庭を作り、そこで労働者を再生産する。要するに、企業存続のためのドレイと化すのだ。

それを素晴らしいという美辞麗句でかため、
自分たちが本当に何をしているのか、全く無知な状態で人生を終えていくのである。
本人たちはそれで素晴らしい人生と思っているのだろうが。

時に、この仕組からこぼれ落ちる人達がいる。そして、そのこぼれ落ちた人たちは
目が覚めるのではなく、絶望という感情に陥ってしまう。私のようにはならない人が
大半だ。

社会の仕組みを憎む。その憎悪は社会の弱いところへと向かう。
老人であったり、子供であったり、女性であったり、社会的マイノリティにだ。

無価値なことに一喜一憂し、その嫉妬から、憎しみから、社会をますます過ごしにくい
ものに変えてしまう。そこにあるのは、悲惨としか言いようがない世界である。
そして、そのような世界はもうあるのだ。アメリカにある。そして日本にも生まれつつある。

生態学的に必然的な流れが、社会システムと矛盾を起こすとき、人は動揺する。
そして、近視眼的な成果を求め、結果として大きな破綻をもたらす。

現在は、その過渡期である。これは必然なのである。
社会の仕組みと、人間のあり方が矛盾があるからだ。

人間のあり方をまず手前にして、社会の仕組みをあとにするべきなのに。


私はなにも、金儲けが悪いとかビジネスが悪いと言っているわけではない。
この時代では、誰しもがなんらかのビジネスに絡むほかない。
しかし、ビジネスの本質は、経世済民である。要するに助け合いである。
それを媒介する手段が金というだけのことだ。

人びとは金に振り回され、金にしか興味がなくなってしまう。
それが現代病でなくしてなんであろう。

金自体が悪いわけでも、ビジネスが悪いわけでもない。

問題なのは、社会のシステムと人のあり方の矛盾である。
資本主義的な社会は、そもそもに矛盾を内包しているのである。

よって、私はこの社会システムは調整が必要なのだと思う。
短絡的な人は、すぐにこう思うだろう、いや社会主義や共産主義は駄目だと。
そういう脊髄反射はやめた方がいい。

現状に問題がある。ならば、現状システムのどこに問題があるのかを認識して、
それを変えていくほかない。それはかつて成功した方法でも、状況が変われば
失敗の手段に成り変わるという事でもある。

現代社会の仕組みは、資本が資本を生む仕組みである。
金が増えるのだ。それは全く不可解である。不可解であるがゆえに、おかしなバランスを
生み出す。格差である。

格差は、結局、人びとの心を蝕む。その蝕んだ心は、争いを生み出すだろう。
争いは、競争という名で、飾られるだろう。
そして、こういうのだ。「仕方がなかったのだ」と。

やはり、バカバカしい。
私には無価値である。どれだけ金を積んでも、買えないモノはたくさんある。
新しいものを生み出すのは金ではなく、人である。

その人を暴力で押しつぶし、資源を確保してみたり、マーケットを独占してみたり、
他者を支配する事は、一体なにを生み出すというのか。

我々はよーく、考えた方がいいのである。
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何も考えてない政策 [雑学]

マイナンバーカードを義務化する。そういう動きが出てきた。
いや始めからそのつもりだったのだろうさ。

その理由の一つは、国民の資産管理である。
保険証や免許にタグ付けられたカードに、いよいよ口座の義務付けが始まるだろう。

その手前にいる段階である。

政府の思惑は、ひとつには、仕事のばらまきだ。
通常営業では利益がでなくなった業界が、政府に仕事を持ち込んでいる。
マイナンバーカードにかかる利権構造があって、受注した会社は以後、
国から仕事を得ることができる。そういう算段なのだ。

これは国民から金を巻き上げて、仕事として特殊法人経由で大企業に金を配るということだ。
配ると言っても仕事はするわけだが。

政治家はキックバックがあるし、官僚たちは特殊法人の権益増大と天下り先の確保になる。
そして経済界の一部は、マイナンバーカードの仕事を得ることできる。

そのための口実として、便利になるだのなんだのと、御託を並べていいるわけだ。
なんなら、ポイントといって、金をくっつけてまでカードを作らせようとする。

要するに、利益があがるからやる。それだけだ。

ただ、この仕組を作って、持続的な事になるのだろうか?
一元化することを良いと解釈する人間たちである。メリットにばかり目がいっているのだろう。
支配者にとって、人民の情報一覧が出来上がるわけだから、メリットである。

一方で、カードを持たされる側は、要するに家畜番号をつけられるわけだ。
家畜のバーコードと同じである。我々はあれになる。
その結果生じるのは、人ではなく情報として扱われるようになるというデメリットである。

こう書いても、「それくらいなら、自分は気にしない。むしろ便利になった方がいい」と
いう人もいるだろう。これについては2つの怖さを理解していないからだ。

一つは、カードの一元化は、資産管理を強制される事と、行動や言動を奪われる可能性を
秘めている。となりの中国をみればすぐにわかる。人の評価が機械的に行われている。

例えばこうだ。政府から危険人物とみなされれば、ただちにカードに制限が加えられるだろう。
要するにバツだ。犯罪を犯したものは、ランクを下げられ、公共機関などの使用が制限されたり、
拒否されるだろう。極端になれば資産凍結である。それを、思想犯という事でおこなうことも
可能となる。

政府に逆らうものにバツを与えるという権限を与えることになってしまうのだ。

くだらないと思うかもしれないし、自分には関係ないと思うかもしれないが、
それはただの現実逃避である。いつ自分が否応なくトラブルに巻き込まれるかもしれないのだ。
そして、その結果が一生、カードとともに自分についてまわるとしたらどうだろうか。

政府がどれほど重税を取り立てても、それに抗議した途端に、カードがイエローに変わる。
その結果、飛行機に乗れない、新幹線に乗れない。そんな事に使うことだってできるのだ。


2つ目の怖さは、上記に絡んで、人々の精神的な圧迫である。
カードに不利益な記載をさけようとするならば、何もしない事が良く、指示に従う方がいい。
牧場主に逆らわない事がもっとも安全な行動になるだろう。

つまり、実にひねた人間になる。そしてそれが「強制」されるという事である。

もっと恐ろしいのは、政府がこのような方針をとったとき、それに同調する金魚のふんが、
大量に発生することだ。そして、密告が奨励されることになる。

密告されることを恐れる人々は、日々を怯えて行動する他無い。
ハッキリ言って、人生の多くを奪われてしまうだろう。

要するに奴隷化である。目に見えない形での奴隷化が現在も進行している。
そして、その奴隷化によって、利益を得る人間たちがますます利益を得るという事だ。

まったく気持ち悪いではないか。


マイナンバーカードが保険証や免許証に使われる事事態は、大したことではない。
問題は、そのようなカード利用を押し付けるものたちが、非常に不誠実な人々であり、
カルト集団とつながりがあるという事だ。

悪用を考える人間たちでないとどうして言い切れようか。

結局のところ、政府は完全に産業界とカルト宗教に乗っ取られた形なのだ。
そして、国民の金をつかって彼らが、さまざまなことを通じて金を懐にいれているの
を庶民はただただ見過ごしているのである。

ちなみいっておくが、メディアなんか信用してはいけない。独立系のメディア以外は、
基本的に政府や業界団体のプロパガンダを流していると認識する必要がある。
大手メディアは、国に首根っこをつかまれて、身動きがとれないのだから。


では、庶民はどうすれば良いのか。
ひとつには、現状の自民党にはNOをつきつけることだ。
かつての自民党に思いをはせるのは勝手だが、いまの自民党それも行政府はカルト集団と
結託している存在である。危険極まりないではないか。まずはNOをつきつけることだ。

といっても、地元の支持者たちは、結局考えを変えることはできまい。
ハッキリ言って、政策で判断する人間はいないからだ。そうして、ただの見かけで、
人々は投票する。イメージにすぎないのに。そうやって日本の政治は馬鹿になり続けた。
その結果が、長期安倍政権である。あんなのは不正をやっても追い落とせない民度の
低さの例であって、恥の象徴といってよい。

安倍政権を支持した人間は、無知か、狡猾か、どちらにしても自己反省すべきであろう。
今後、日本が壊れていくが、その最後のひと押しをしたのが安倍である。


庶民として、現在マイナンバーカードを作ってない人は可能な限り作らないことだ。
今の政権時に焦って作ることはない。彼らが横暴に実力行使に出てきて、どうにも
ならなくなったら従うという事だ。

一見無駄にみえるかもしれないが、簡単にはいいなりにならないという態度こそが
彼らがもっとも嫌うものなのだから、そういう戦略をとるべきなのだ。
強者に対する従順さは、最大の敵である。


むろん、私には結果は見えている。庶民は結局、長いものに巻かれていく。
事大主義なのだ。主義や主張にたいする根強いアレルギーが江戸時代からある。
日本人は、そういう風に作られてきたのだ。それを急に変えろとはいかないだろう。

もっと最悪なシナリオは、カードへの過度な依存であり、言動制約であり、
それは、かつてミシェル・フーコーが主張したパノプティコンとなるだろう。

一方で、日常的には実に滑稽なトラブルが続出するだろう。
老人たちはなんのことやらわからずに、あらゆるトラブルを作り出す。
日本は高齢社会であることを政府は忘れているようだ。

まずカードをなくす。暗証番号を忘れる。これによる担当者の仕事が増大するだろう。
番号が秘匿でなくなれば、個人情報が流出する。一度でた情報は二度と消せない。
つまり、我々の個人情報は、オープンにされてしまったようなものになる。
気持ち悪いのは、オープンになっているのに、秘匿されているフリをする事だろう。

政府がいざとなればカード内容を参照できるのだ。
政府は可能な限りカードの内容を増やそうと試みるだろう。
家畜管理に便利な方がいいのだから。



ここで提案がある。デジタル署名を使った個人認証カードをNGOが発行してしまえばどうだ。
AI管理体制で、カードを認証するような仕組みだ。人の手が可能な限り入らない仕組み。
私が思うに、政府の行動が異常なら、我々は我々で行動する他無いのだと思う。

政府の仕組みを形骸化する他に、我々が直接行動できることはない。



国とは個人を助ける良いもの。そういう認識がかつてはあった。
だが、結局、歴史をみれば、国とは内実は、特定の少数集団が、多数集団を支配する仕組みの
一つにすぎないのだ。そして、その方式の根幹は、暴力である。

国の軍は、歴史的事実からいえば、自国民を一番殺している。
この事実をしらない人間が多すぎる。だから、防衛のための軍事費増加に賛同などするのだ。
無知も甚だしい。みんな、自分の金で殺される可能性が高まるのにだ。

国は最後は暴力にでる。

その暴力に抵抗する暴力は、否応なしだ。私は暴力反対だが、国の暴力には断固として抵抗する。

日本という国に生まれてしまった不幸。
だったら、その不幸をぶちのめす他ないのだろう。


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座り込みの話題 [雑学]

辺野古の基地建設に反対する陣営による「座り込み」が行われている。

基地を作らせまいという行動は市民の抵抗として理解されるべきものだ。
もしあなたの地元に基地を作ると国が宣言し、ある日突然ダンプカーが
押し寄せたらどうだろうか。必要ならば抵抗しようとする事だろう。

さて、その活動が24時間体制かどうかが、問題になっているらしい。
それはひろゆき氏が、現場にいって、座り込みをしてなかったと揶揄した事から
話がもりあがっているようだ。


ひろゆき氏の言ったことは、悪意のある揶揄である。
24時間体制でなければ座り込みでないかどうかなど、はっきりいってどうでも良いことだ。
それをひろゆき氏はわかった上で、なお、24時間座り込んでいないかあととぼけてみせた。
その悪意に対して、同調した人間が、20万ほどもいるらしい。

私はその方が怖い。

子供の屁理屈のように24時間やってないと指摘する事で、
事態を遊んでいる人間に対して、どれほどの人間が、マジで賛同したかである。
そして、事態を遊んでいる事をしった上で、賛同を送った腐った人間がどれほどいたかである。

かねてより、国が行うことに対して反対する人間を非難する人間は一定数いる。
そういう思想があるのはわかるし、その幼稚な発想もわかる。
権威に従わぬ人間に対して、正義漢ぶるというやつである。

そこには何の思慮もない。思慮がないので見かけ上で、物事を判断する人間になる。
まさに、ひろゆきの言うことに賛同するようにだ。

考えが浅い人間たちは、本音ではこう思っている。
国の決めたことに楯突くやつは、あぶない奴なのだと。
そして、そういう連中は排除されるべきなのだと。

完全に思考が停止しているので、権威が正しいと思い込む、まったくチョロい人間たちである。
そして、ひろゆきに転がされていることもに無自覚で、抵抗者を批判することを正義だと思っている
のだろう。


端的にいえば、ひろゆきの言明など無視する事だ。
彼の発言は、ハエやカみたいなもので、まともに扱うだけバカをみる話である。
その一方で、そんなことにこれほどの人間が煽られるとはどういうことか。
私には、知性の劣化が著しいのかと疑うものだ。

一部の若者たちに、こういう人間性を疑う人々がいる。
他者の存在を尊重しない人間たちのことだ。
ちゃんといってしまおう、要するに、下品な連中だ。

下品さはどこからくるか。それは「弱いものいじめ」をするからである。


今回の騒動の発端は、国と沖縄の住民との対立だ。
辺野古に基地を作るという強者と、それに抵抗する弱者がいる。

この時に、弱者が叫ぶのは当然である。私は彼らには叫ぶだけの理由があると思う。
なぜなら、物事の決定権は彼らにはないのだから。にも関わらず、彼らの生活が
脅かされるからだ。

その訴えが、24時間体制であろうがなかろうが、そんなことはどうでも良い。
むしろ、彼らがそれを誇張するのだって当然だろう。そんなことは批難するような
事ではない。問題は、彼らがなぜ座り込みなどをしなければならないのかという事だ。
それは弱者であるかれらが出来るせいぜいの行動なのだ。

であれば、権力を保持すれば良いという人間がいるだろう。
沖縄県民の民意は正確にわかっている。基地建設反対である。
沖縄の代表はそう主張しているのである。

そして国の代表は、沖縄の意見を無視している。
つまり、我々国民が、沖縄の人々の意見を無視しているという事だ。

その事実に目を向けずに、彼らが叫ぶ事に対して、視野狭窄的に
座りこみは24時間でないなら、偽りがあると揚げ足をとるのは、
まことに愚かだろう。

知性がなく、思慮がなく、背景も知らず、何も考えたことがない連中が、
座り込みを迷惑行為とみなす考えに同調した。それだけなのだが、
それが大問題なのだ。

私は弱者の叫びには、耳を傾けるべきだと思う。
知ってから、物事を判断するべきなのだ。

一方で、強者の反発に同調する人間たちを卑下する。
単純に人間が悪いからだ。そういう連中たちが、もっとも恐ろしい事をしでかす。

トランプに煽られて国会議事堂に乱入して人を殺した人々は、
まさに、そういう連中であった。
頭が悪いことは仕方がないが、人が悪いのはその人間の責任だろう。


世界は非対称なのだ。

パウロ・フレイレ曰く「権力側と抑圧される側との闘争に"関わりたくない"と宣言することは、
すなわち権力側に与することを意味する。決して"中立を保つ"のではなく」

権力側と抑圧される側がある。私は常にまず抑圧される側に立つ。
なぜなら、明日は我が身だからだ。抑圧される人間たちの行為が正当であるならば、
行動を正すべきは権力側であろう。

一方で、抑圧される側の問題点を指摘し、権力側の圧力に同調するものを嫌悪する。
長いものに巻かれるのは処世術だが、ことは倫理的問題なのだ。

トラブルにおいて権力側が正しい事が果たして、この世にあっただろうか。
私は大いに疑問だ。

今回のひろゆきの話は、要するに、強者と弱者の対立に、よこから愚かなおっさんが、
口を挟んだという事である。そしてそのおっさんに、同調する心汚れた人たちが
相当数いたという事だ。

もし、「いや、彼らの24時間という主張は事実としておかしいだろ、そうだよなあ」とか
まだいうのであれば、いっぺん死んで人間やり直したほうがいい。

それが事実だとして、なんだというのか。
問題は、自分たちの生活を守ろうとする人間たちが困っている。
その訴えの手段としての「座り込み」なのだ。


本当はこれはもっと、根深い問題につながっているが、
それはまた今度にて。
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