今後の日本 [思考・志向・試行]

現在の日本では、株高と円安が進行している。
これに対する解釈は何があるのか?

株高は投機という事であり、
円安は円の価値下落という事。

円安ということは、日本の価値が下がったということ。
要するにお買い得な安売り物件になったということだ。

この安売り物件に中身があるのか、ないのか。
まだ崩れるには時間があるとみなした投資家たちは、
日本の資産を買うという行動にでる。

この一部が株購入だろう。

アメリカでは利上げが続く。
借りている人たちは利益を圧迫されることになる。

借りる側は二の足を踏むようになると、
金が余っている人たちは、その余剰分をどこかで運用しようとするだろう。
この金の一部が日本に流れているという事。

日本の株が買われているが、別段、日本人が得をしているというわけでもあるまい。
このバブルは、いずれ日本株のたたき売りが始まった時に崩壊する。

株価が上がる前に株を買い、上がったら売れば良い。
もしくは、どこかで下落を見込んで、株を売っておき、
下落時に買い戻せば良い。

投資家にとってはどちらにふれても問題はない。
要するに差分が取れればそれで良いのだ。

この現象をこれ以上深掘っても意味はない。
ここで結論は、要するに経済に力があるという意味で株価が上がっているのではなく、
余った金で、日本が安く買い叩かれているという事を確かめたことである。


日本はあらゆる面で、今後、身売りが始まるだろう。
株式会社が外資に飲まれて行くことは当然な流れ。
それ以外に、土地やインフラなどにも外資が流れ込んでくる。
日本が経済的に侵略されてしまうのだ。

それをもっともサポートしているのが自民党政治である。
自民党は売国奴政治である。日本の産業を潰してでも、海外の資本家に有利な
法整備や条約を結ぶ傾向がある。なぜなら、それによって政治的体制維持を
図ろうとしているからだ。アメリカに目をつけられると、どうやら政治体制を
維持するのが困難になるらしい。

自民党は外資をひたすらに呼び込もうとしている。
その理屈は酷く、卑屈なもので、要するに外国から金を得られれば良いのだろう程度
の発想である。実際に売り渡すものは、国民生活や健康福祉や、環境など、
本当に価値あるものばかりだ。本来は国が守り、外国を排除するべきものを
なぜか日本では売っぱらおうとしている。

その一端は、土地であろう。例えば日本の土地に中国資本が投下されている。
https://imidas.jp/jijikaitai/c-40-079-12-09-g456

もちろん、まだまだごく一部だ。現実的な問題として浮上してくるのは今後である。

もっと大きな問題は、日本の健康保険だろう。今マイナンバーカード化することで、
様々なトラブルが生じるが、この混乱に乗じて、健康保険を解体するという話にも
なりかねない。もしくは、脆弱化させようとするだろう。その変わりに外資による
保険販売が参入する可能性が大いにある。

日本がアメリカ型の保険に追随するとなると、いよいよ医療が金持ちのための仕組みになる。
貧乏人はまともな医療を受けられない状態になるだろう。国民の健康が売られるのだ。

国がやるべきことは、国民の福祉の増大であろう。
ところが、自民党政治はその逆で、常に、体制側の利得拡大を行う。
供給側にとって有利になることしかしない。

それが故に、日本の国民は毎日のように貧乏になっていく。
過剰な税を取り立てられ、それが福祉には回らず、軍事費になったり、海外にばらまかれたり
する。国内では大企業に仕事が配分され、その一部を政治家がキックバックを受ける。

要するにがめつい彼らのやりたい放題がエスカレートしているというわけだ。

国民のせいぜいの抵抗は、デモやスト、サボタージュなのだが、
日本国民はあまりのも愚かなので、これらを非常識といって白い目でみるのだ。
そして、自らは、政府のいいなりの奴隷になることで延命を図ろうとする。

国は売国奴となって、国民の生活を売り飛ばし、その金を自分の懐に入れつつ、
国自体を衰退させていく。

まるで、自分の体を食べる狂人である。国民という手足を切り取って食らい、
お腹いっぱいになって、それで良いとうそぶいているのである。
手や足がなくなったら、どれほど不便になってしまうのか、そういうことに
気が回らない。

国民生活は、貧困を突き進む。これはもう避けられない。
安倍政権がその道筋を確固たるものにしてしまった。黒田バズーカなどと、
馬鹿の一つ覚えで、ガバガバの金融拡大をしてしまったのだ。

そのツケはこれから払うが、果たして払えるのか?

払わないと駄目だと、借金部門の管理者である財務省が訴える。
だから、増税につぐ増税。

ところが、増税をすれば、必然的に可処分所得が減る。
可処分所得が減れば、市中の経済は滞る。
日本は8割が内需の国だ。その経済が衰退するのである。

当然、金がなければ物を買えない。ものが売れないので、
生産者が減る。生産量が下がる。生産量が下がれば、ものの値段は上がる。

給与が減っているのに、ものの値段は上がる。益々買えなくなる。

これに加えて円安だ。安倍がやった事のツケだ。
原材料費が高騰する。その価格転嫁が起こって、ここでもまた商品の値があがる。
つまりインフレが加速する。

結局、経済全体ではスタグフレーションが生じている。
その一端は重税であること。円安である事。

個々人が努力していないからという話があるが、ウソも八百である。
どんなに能力をあげようとも、どんなに営業努力をしようとも、
みんなに金がないのだから、買うわけがない。買う人が減れば、
あとはその奪い合いでしかない。

一部の金持ち相手の事業か、小さくなった購買力に合わせた薄利多売か、
この2つしか商売の方法がなくなるのである。

この事態に追い込んでいるのは、国の方針である。
重税を一律に課すのではなく、やはり傾斜的に税をとるべきなのだ。
裕福なものから税をとるのは当然である。それは本人が稼いでいるのではなく、
仕組みが稼いでいるのだから。

法人税を増やして、消費税を減らし、みんなの可処分所得を増やすことだ。
資本主義を守りたいならば。

おそらくは、現時点の問題の殆どは、資本主義の歪みから来るといっても過言ではあるまい。

競争が行き届けば、結局、大型な商店しか生き残らない。つまりイオンのような
スーパーに小売店が駆逐されるのだ。一方で工業製品などマスプロダクトの販売は、
ネットを通じてダイレクトに売るのだから、Eコマースの巨人が仕切ることになる。
それがAmazonや楽天であろう。

可能な限りビジネス作業を消費者側に押し付ける事で成り立っている。
メルカリなどはその典型だろう。手数料ビジネスとはそういうものだ。

便利になる一方で、効率化した社会では、多くの人は貧乏になる他ない。
貧乏人は社会的地位を向上させる手段を得られなくなるだろう。
様々な金銭的障害を作り出して、貧乏人の生活向上を阻むのが政治のやり口である。

高度経済成長期を過ごしたおっさんたちが日本を動かしている。
そりゃ、日本が悪くなるのは必然的である。時代が変わったのに、
今もかわらず、ノルマやら勤怠やらを昭和と同じすたいるでやっているのだ。
収益が安定するはずもなく、衰退しているのに体制を崩せないと、
つじつま合わせに奔走している。

上司は利益の上がらない部下を怒鳴る日々だ。
上司は更に役員たちにどやされる。部下は部下で、家にかえって妻を殴ったりする。
子供をなじったりする。

しかめつらで、人生の殆どを過ごす人々。一体何のために生まれてきたのか?

それでも、彼らは資本主義で生き残るのだと、日々、無意味な努力を続ける。
どれほど書類を書いても、どれほど会議を続けても、産業構造がそれを簡単に跳ね返す。
無意味すぎる行為。でも、どの会社でもアリバイを必要としている。
こんなに働いているのですと。

毎日、午前中に穴をほって、午後に埋めるような仕事をして、労働が大変とか
いっているわけだ。仕事が忙しいという人は基本無駄な事をやっている人なのだろうと思う。

そうこうしているうちに、
日々の生活の質はだだ下がりである。日用品を百均でまかない、あらゆる物品をメルカリなど
中古で済ませ、食べ物も加工食品ばかり。生活の質を下げれば健康の質がさがり、
病気になっていく。ここに仕事というストレスが加わる事で、結果、おかしくなってしまう。

若者は家庭を持てず、子供は生まれず、いよいよ人手不足が露呈し始めた。
少子高齢社会が限界までいけば、社会は崩れ去るのみだろう。
それなのに、自民党政治はそれで良いと傍観しているのだ。


結局、このまま行けばどうなるか。
日本人は減る。減ると労働力不足で、あらゆる産業が衰退へと向かう。
日本は先進国を終え、衰退国になるだろう。

国民は一部の金持ちと、多数の貧乏人に階層化される。
結果、ますます少子化が加速する。一部の金持ちたちは、いよいよ外国へ逃亡。

多数になった貧乏人は犯罪に走る。治安はますます悪化していく。
街には若いホームレスがあふれるようになる。都市部では顕著だろう。
刑務所に入れる犯罪者はマシで、刑務所以下の施設が作られることになるだろう。
およそ労働マシーンにさせられるか、兵役を課せられる。

今の自民党政治は憲法を改正し、大日本帝国憲法化した時代遅れの国になる。
めでたく、北朝鮮と肩を並べるということだ。

街は画一化していき、URの建物が増えるだろう。
戸建てなど、過去の遺産になる。あと50年もすれば朽ち果てるのだ。

国民のIQは下がり、従順な群れになる。何も考えないほうが楽だからだ。
一方で、統治者も同じように頭が悪くなるので、AIが代わりに統治するようになる。
神のおぼしめしで、実は社会はうまく回るようになる。

むろん、このような方向性の外から、新しい人たちが出てくる。
ギフテッドと呼ばれるような人たち。彼らは、学校にいかない事によって、
政府の洗脳から逃れる。社会の外側から、日本社会に新しい物事を始めるだろう。

現状のおっさんたち、つまり、自民党政治を内面化している世代が弱まり、
谷間世代の氷河期世代が、権限をもつならば、あたらしいギフテッドたちと
うまくやることで、新しい産業がうまれる。そこに投資するまともな外資が
出てくれば、日本という国ではなく、人類という意識に基盤をおいた社会生活が
生じてくるはずだ。

はっきり行ってしまえば、ネーションステートはもはや意味がないのだ。
日本が~とか言っている時点で、いろいろ終わりなのだ。

我々はすでに人類を生き始めているのだから。

もちろん、抵抗は続く。現状勢力は、このような動きを強く牽制するだろう。
残念ながら、新しい動きは数の力で、日本国内では封殺される。

やむなく、能力のある若者たちは諸外国へ出ていくことになる。
もっともありそうなのは、気候が似ているオーストラリアやニュージーランド辺りだ。
間違っても、アメリカや南米、ヨーロッパはよした方がいい。

英語主体の生活がいよいよスタートする。
日本文化とは、おそらく過去の遺物になるだろう。
もちろん、機械翻訳が格段に向上しているので、年寄が発言する場合の言語障壁は減る。
だが、老人の知恵を借りようという若者は日本ではごく少数になるだろう。
何しろ、日本を壊した老人たちである。聞くだけ野暮だろう。

若者たちは世界の若者たちと連動して動く。
それによって、人類という意識に基づいた政治や経済が動き始めるのだ。
私はそんなに遠い未来ではないと思う。100年しないうちにそうなるのではないか?

ネーションステートにこだわるのは、今の老人たちが、「おらが國」にこだわるのと
似ている。それはパトリオティズムとして生き延びる。ナショナリズムはファッショとして
排除されるべきだろう。


一方で、もっと破滅的な結末も想定できる。

日本政府が憲法改正にこぎつけるのは、おそらく開戦間近になったときだ。
世論の反対を押し切って、尖閣諸島で中国とぶつかり合うのだろう。
それも、日本が先制攻撃をしてという事で。

これによって、時の首相、おそらく小泉進次郎あたりだろうか、の支持率は80%などになる。
反対派は弾圧され、裸足のゲンの二の舞いだろう。

中国は防戦のためというだろう。
やむを得ず、台湾を盾にして、日本を攻撃する事になる。
日本攻撃を防ぐためという口実により、中国軍が大陸から台湾に駐屯することになるからだ。

日本は兵役をおこなって、人海戦術をやろうとするが、
もう時代遅れも甚だしい。中国の兵器の大部分は無人である。
サイバー攻撃やドローン攻撃によって、九州辺りの都市は被害を受けるだろう。

こうなれば、日本の狂気はマックスになる。
総力戦上等と言わんばかりになる。

これを恐れる欧米各国は、すぐさまに経済的制裁や資源の制裁を加えるだろう。
圧倒的な不利な戦いのなかで、日本は沖縄を中国に取られて、停戦。
戦いが長引けば、原発を人質に取られて、降伏宣言することになろう。
ドローンが原発上空で待機するという異常事態で日本は簡単に降伏する。

結局、軍備拡大などしても、日本は負けるだけ。
日本は、スイスのような中立国化するくらいしかやりようがないのだ。

およそ、このような戦争ができるのはこの先20年以内程度。
ちょうど、戦中派が死に、戦後の連中が取り仕切る時代。
それ以後になると、今のおっさんたちに煽られた今の20代、30代が、
どれくらい右翼に目覚めているか。戦争を肯定する人間より否定する人間が
増えると思われる。そうすると、開戦はさすがに難しくなるだろう。

というより、開戦の意味がわからないとなるだろう。
中国は敵ではなく、うまくやらねばならない隣人なのだ。
なにしろ、これから50年くらいは中国の時代なのだから。



過去のおっさんたちは、資本主義こそが明るい未来を作ると信じてきた。
今もナイーブに信じていることだろう。だが、資本主義の仕組みと、
おっさんたちが信奉する「日本」なるものは、相容れない。全体主義と
資本主義は噛み合うはずがない。

日本は資本主義で発展したわけではなく、社会主義で発展したのである。
護送船団方式とは、社会主義いや共産主義の手法であろう。
国が産業を主導するなど、資本主義ではありえないのだ。

その日本が、規制改革だの何だので、資本主義を歪めて日本社会に押し込んだ。
それがこの30年である。市中の国民は、競争社会を生きろと宣伝し、
大企業には、国の言うことを聞けと、共産主義の計画経済を押し付けた。

ソ連が崩壊したのは国が主導して経済を切り盛りしようとしたからで、
そんなものうまくいくはずない。が、まさに日本は、国が産業を作り、
それに大企業が乗っかることで、昭和をやり直そうとしている。
もう無理だっつーの。

リニアを作り、オリンピックをやり、万博をやり、お前ら70年代かよと。
頭が悪すぎて、恐ろしいのだが、それが日本の程度という事だ。

一方で、国民は受験という者を通じて、社会階層化をし、
従順な国民という兵隊を作り出そうとしてきた。自らがそれを選んでもいるし、
それをさせられてもいる。日々、大きな事を考えることはやめて、
日々のことだけを生きる人間になっていく。享楽的な生き方しか出来ない。

政治や経済? わっかんなーい。

スマホでゲームをして、メルカリで余分なものを売り、
パチンコで金をすりながら、酒と煙草でストレスをなだめ、
生活に必要な金を工面するために、仕事に縛られている。

「迷惑をかけてはいけない」

多くの人はそれだけが社会性の発揮になる。
価値観を醸成せさることも、人生哲学を磨くこともない。
そんなことをするのはごく一部のもの好きだけである。

「迷惑をかけてないのだから、これくらいいいだろ」

そんなふうにすぐに変化する。
そして、

「みんなもやっているじゃないか」

とちいさなズルをする。

小さい人ばかりな日本。でも、それで良いのである。日本人とはそういう国民なのだ。
私はもう諦めている。今の日本人は仕組みにはまり込んでいて、どうにもならない人たち
である。その人達が、お馬鹿な行為に励んでいるのは、当然であるし、物事がうまく
いかないのは当然である。何しろ、うまくいく方法を常に否定するのだから。

目先の利益を放棄さえすれば、もっと幸福なるし、生活も楽になる。
儲かっている人から多くの税をとって、再分配すれば、もっと生活は豊かになる。

でも、それはしない。どうすれば良いのかわかっていても、やらないから、
状況は変わらない。変わらないどころか、より悪化する方向にすすめていく。
彼らの言い分は自分たちのやり方が悪いのではなく、やり方が徹底していないからだという
倒錯した論理によって、物事を決めているからだ。

多くの人が余計な仕事を背負い込んで、それを真面目にやっている事、それ自体が
うまくいかない方法の代表的行為。でも、それがうまく方法だと信じ込んでいる。
一体なぜ???

結局、自分の頭で考えて行動するという、一番の基本が存在しないからだろう。
日本という社会でのもっとも害のある行動が、まさに自分の頭で考えて行動するだからだ。
もちろん、社会的発展とは自分の頭で考えて行動する事からしか生まれてこない。

そんなことはない?

まさか、あなたがやっている仕事内容、自分で作ったものですか?
殆どは、誰かに言われたからでしょうが。企画をしている?
いや、企画を作らされているの間違えでしょうよ。それもクライアントが喜びそうな
という曖昧な動機で。

経営者は自分で決めている?

株主のために、利益をあげようとしていないか? だとしたら、それは自分で
決めた行為ではない。

果たして、自分で考えて決めた行動が、どれほどあるのか?
無いわけではあるまい。だが、殆どは自分の意志ではないだろう。

自分で決めたわけではなければ、その結果など知ったことではない。
世の中の仕事の多くは、そうやって、知ったことではないばかりで出来ている。

こんな家電つくっても売れないよ。そう思っても、誰もそれを止めたりしない。

こんな仕事して、誰が喜ぶんだろうか?
そう思っても、それを実行する。

マイナンバーカードを学生につかわせないと運営費交付金を減らされてしまう大学。
じゃあ、仕方がないとマイナンバーカードを使わないといけない仕組みを作る。

そんな仕事、誰が喜ぶ? やらせている側ではないか。
学生は誰ひとりとして嬉しくはない。

あなたは利用されている。その結果として、やらせている側が儲かる。
彼らはその立場を保持するために、ますますやらせようとする。
それはそのまま社会的地位を確定的なものにする。


金持ちとそうでない人の違いとは、他者を自己の利益のために、利用できるかどうか。
それだけだ。他者を利用してやろうと思えるかどうかが、金持ちかどうかを決める。
これ以外には、せいぜいくじに当たるか、相続するかくらいである。

金持ちになるために他者を利用するというのは、結局、他者の作り出した利益の一部を
構造的に自分の懐に入れるという事。この仕組みをうまく作れるのが金持ちなのだ。

金持ちの努力とは、他者利用の方法論である。

金持ちで居続けるのは、他者を利用できるかどうかであり、その他者は多い方がいい。
だが、日本は少子化である。人口減になった。金持ちも金を得続けるのは困難になる。
そこで、金持ちたちは、自分たちに有利になるように社会を作り変える。

その働きかけの一つが、政治である。

政治と結びつくことで、資本は拡大を続けるのである。
この力は強力で、今の日本政治はこれだけのために存在しているくらいだ。

利用される側の人間ができる抵抗手段は、せいぜい子供をつくらない事くらいかもしれない。


私には、現状日本の少子化はやや過剰だと思っている。
むろん、本人に経済的ゆとりがないとか諸事情があろう。
だが、無意識的な反抗として、こんな社会に価値はないと思っていて、
その社会への抵抗として、子供をつくらない状態になっているとも思うのだ。

人類が初めて作ったマンション。それは社宅だった。
炭鉱夫たちのための居住区。その間取りの意図は、「労働者の再生産」である。
炭鉱夫が炭鉱夫の子供を作り出す。そのために居住空間が設計されたという逸話がある。

労働者を増やせという資本の意図に気持ち悪さを感じるのは私だけではなかろう。


これから今の日本は崩壊する。それは間違えない。
あとはどうやって崩壊して、どうやって回復するのか。

外国資本に買われてしまえば、それを反故にする強権政治家が出てこない限り、
日本全体が、資本に牛耳られた「労働者」になってしまうだろう。
日本人が働くほどに、その利潤を吸い取られてしまうのだ。

それでいて、内部的には、平凡な幸せがよいと、重税社会を我慢して生きる。
ぼちぼちな人生だったと小さく満足をしながら死んでいく。

家畜の豚は、幸せものだ。これを是とするか否か。それが問題なのだ。
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マイナンバーカードの異常さ [思考・志向・試行]

もはや、政治の嫌がらせは言いようもないほどだ。

なぜ、それをやる? という事ばかりをやる。
それはつまり、庶民にとっては損な事ばかり。

得をするのは、大企業や官僚、政治家たち。彼らの仲間以外は、
搾取の対象となるだけ。

今、マイナンバーカードをつかって、人々を支配しようと目論んでいる。
便利にするという大義など、吹き飛んでいる。
健康保険証など普通に問題なく使えているものをわざわざカード使用にさせる。

今の議論では、母子手帳や運転免許証などもカードに一元化したいらしい。
さらに、大学では成績を載せたり、図書館への入館などの来歴を記録するつもりらしい。

書いていて、ゾッとする他ない。

これから生まれてくる子どもたちは、一生の記録をカードに収める事になる。
それによって、差別をするのではないか? 権力とはそういうものではないか。

そのような国民管理カードを普及させようと強制を始めた。
その方法は、金である。

本来、国会が予算を決め、それを実行するのが行政である政府である。
ところが、実質上、行政が予算執行の権限をもってしまっている現在では、
金をどう動かすかに口を挟むようになったのだ。

これによって、政府は予算を口実に圧力をかけることができる。
いやかけている。

大学へのマイナンバーカードの強制使用は、運営費交付金を人質にしている。
国からの予算を絞る事で、いいなりにさせようというのが目的なのだ。

こういう事を手始めにして、じわじわと介入する。それが権力を拡大する側の
思惑なのだ。

正直いって、生理的な嫌悪感がある。
これはハラスメントと同じである。

日本の政府に対して、私は完全な嫌悪が生じてしまったのだ。

安倍から始まった現在の体制に関わる連中は、すべて嘘つきであり、不誠実な連中である。
そんな連中の行為は唾棄すべきものばかりだ。何一つ評価できない。
ごまかしと、捏造や不正、隠蔽。時に恫喝や殺人などもやる。

本当に腐った人間たちのあつまりである。
そんな連中にもう遠慮などしない。
罪を憎んで人を憎まずという事を是認してきたが、奴らにはもうそのような考慮はいらない。
そんな事をいっていたら、奴らはますます助長させるだけなのだから。

駄目なやつは駄目。と自明化する必要がある。
そうしなければ、分からないのだから。

これに迎合する維新や国民民主との連中も異常だ。
はっきり言ってゴロツキが政治をやっているわけだ。

日本の政治が無茶苦茶なのは、ゴロツキを排除するどころか、
ゴロツキじゃなければ、選挙に通らないような、異常さがあるためだ。
私は背後にある暴力が決定的に問題なのだと思う。

結局、愚かな人が権力を持つと、ろくでもない事が起こるのが世の常なのだ。
そして、権力とは必ずそういう事が起こる。

これを変えるには、権力は分散する他ないのだ。
決定権を分散させるほどに、ろくでもない人間が権限をもっても、被害が少なくて済むのだから。

現在の政治は、中央集権化を強めようとしている。
それはまるでロシアや中国、北朝鮮とおんなじである。
つまり、今の与党政治は、まるで共産主義のようになりたいのである。

共産主義を嫌気してネトウヨをやっている人間には理解不能だろうが、
まさに現政権が目指すのは、共産主義圏の政治なのだ。そして、
そこにプーチンや習近平のように君臨したいと考えている連中が
日本の政治にいるということなのだ。

はっきりいって、共産主義とか資本主義とかは名前が変だ。
前者は政治体制であり、後者は経済体制の事。

名指すものは、権力主義か、市民主義かという事だ。

今の政治はとにかく権力主義であり、それは共産圏とまったく同じ方向。
その一端はもう起こっている。たとえば、選挙時に「安倍やめろ!」と叫ぶと、
警察に身体拘束を受ける。これは民主主義国家ではあり得ない事だ。

これは小さな事に見えるかもしれないが、それが全てでもある。

今後は、このブログだって、ある突然、サーバーから消えてなくなるかもしれないのだ。
それを可能にしたいと連中は考えているのである。

そんな馬鹿な? 大げさな?

そうだったら、どれほどか私も安心する。
だが、現実は、そんな馬鹿なや、大げさな事が進行中なのだ。

あと5年もすれば、本当にこのブログは閲覧禁止になる可能性だってあるのだ。
政府批判を口にする事が禁じられる世界は実際にこの世界にあるのだから。

とにかく、現状は過渡期である。
ここで、まだ行われている選挙という行動には大いに責任がある。
選挙がなくなる前に、現状反対を訴えるべきなのだ。

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負の強化が社会を滅ぼす [思考・志向・試行]

負の強化を知っているだろうか。

何かを自分や他者にやらせようという時、方法論が2つある。
正の強化子か、負の強化子だ。

正の強化子とは一般には報酬と呼ばれる。
負の強化子は少々わかりにくい概念である。
一般的な言い方ならば、「嫌がらせをしてやらせる」事を意味する。

嫌がらせなのに、なぜやる事になるのか?
それは程度の差こそあれ、命を人質にされているという事である。

ほとんどの人は、自分の命を惜しむものだ。
その生命を人質にされると、人は行為に及ぶのである。

もしあなたが、銃を突きつけられ今すぐ金をだせと言われたら、やむを得ないと思うだろう。
これをスケールダウンしていくと、負の強化と呼ばれるものになる。

もっとも発生頻度が高いのは、親から子供への負の強化だ。
叱る事で、何かをやらせようとする。
勉強しなさいと言う事で、勉強をやらせようとする。
もう少しだけエスカレートすると、殴る蹴るによってやらせようとする。
いわゆる虐待である。

負の強化はもちろん、大人の世界においてもっとも使わえる。
上司が、部下を叱る。叱責する事で、仕事を進めようとする。
あたりまえじゃないか、と思っているならば、認識を改めた方がいい。
それはちっとも当たり前などではない。

動物たちに同じようにして芸を仕込むとしよう。
やらせるために、ムチをふるったとする。
動物はどうなるか。力ある動物であれば反抗するだろう。
力ない動物であれば、逃げるだろう。そう、芸を仕込むことに100%失敗する。

つまり、暴力でも叱責でも、嫌がらせをして何かをさせるというのは、
生物学的な視点からみれば、ナンセンスの極みであって、何の意味もない行為なのだ。
暴力を加えようという労力はかければかけるほど、加えられた人はやる気を喪失し、
その行為から回避しようとする。これが正常な反応である。

ところがだ。

これを訓練するのが近代国家である。
近代国家の学校教育とは、軍隊を作るためというのがその大目的であった。
言葉を習うのは、命令が行き渡るようにという事。数が数えられるように
するとは、人や武器の数が分かるという事。運動するのは文字通り、戦うため。
これが近代国家からみた、教育である。

この教育の一部が、負の強化を通常なこととなるように洗脳することが含まれる。
むろん、これはもっぱら日本のような全体主義の国における話だが。

親、教師、上司は、子供、生徒、部下を怒鳴り散らし、叱責することで、
目的行動を取らせるように、訓練するのである。
これが日本の社会におけるドグマになっている。

このようなものはコミュニケーションとは言わないが、
これをコミュニケーションと考える人間ばかりがはびこる理由は、
単に国をあげて、負の強化の一般化を行っているからである。

繰り返すがこれは、決して人類に共通する話ではない。ただの文化である。
そして、日本の伝統でもない。ごく最近の富国強兵がスタートした時代からの
現象である。むろん、この負の強化の一般化を行っている国は他にもあろうが。

この概念をねじ込まれた国民は、
負の強化を正しいことと勘違いして人生を生きて死ぬ。
一生、気がつくことはない。だが、その負の強化の一般化は、
不幸しか生み出さない。

負の強化によって生まれてくるのは、全体主義とファシズムである。
物理的・精神的暴力によって、人を管理する社会になる。その証左が日本である。

一見すると、日本社会はうまくやっているように見える。
全くのウソである。大人のほとんどは、負の強化によって精神的に蝕まれていて、
それはほとんど病気と言っても良い。その病気は特定の症状を呈する。

酒、タバコ、ギャンブル、性的快楽、こういった事ならまだしも、
過労死、ワーカホリックも病気であり、結果としての社会的成功もまた症状の一つなのだ。
社会的成功というのは、負の強化のいきつく先であって、殆ど神経症の領域である。

このような事をしなければ、正気が保てないのは、負の強化の犠牲者だからである。

彼らの生活には「べき」「べし」が多い。それは要するに、負の強化内容を内面化している
からだ。大元をたどれば、べきやべしの中身は、親に言われたから、教師に言われたから、
上司に言われたからに過ぎない。そのトップであっても、株主に言われたから、資本家に
言われたからであって、総理大臣になっても、ロートル議員に言われたから、アメリカに
言われたから、という形で自分の行動を制御しているのである。

そして、二言目には「自分がそうしたいわけではないのだけど。」とエクスキューズする。
つまり責任回避なのだ。

世間がこうしろといっている。だから否応なく、自分は子供に、生徒に、部下に、
負の強化をするというストーリーで、自分を納得させる。また、自分もそうされてきた
という過去の軛によって、同じことを繰り返す。

このような大人ばかりが目立つ。そしてその無意味な負の強化に唯唯諾諾と従う
大人たち。波風を立てないようにするという事ばかり気にして生きる。
結局、事大主義なのであって、決して褒められるような態度ではないのだ。

負の強化の結末ははっきりしている。そのような行為をするものに対する
潜在的・顕在的憎悪である。そしてその強制された行為への嫌悪が植え付けられる。
その結果、世界に憎悪を撒き散らす存在になるのだ。


この枠組みに組み込まれる事は、いわゆる日本人化と呼べるだろう。
日本人とは、この負の強化システムに組み込まれた人を指す。

一方で、このような枠組みではない諸外国の人々は、日本人には絶対になれないのである。
むろん、ならない方がいいが。

負の強化によって動く人間を作り上げることは、戦争という場面においては
有利であった。そして経済戦争においてもだ。

ところが、価値を作り出す、生み出すという点においては決定的に失敗をする。
何しろ、負の強化によって作り出された人間がもっとも縁遠いのが創造性だからだ。
なにしろ、全ていやいややっているのであって、そこに創意工夫などの主体的
行為が発生するはずがない。

そして、負の強化により、大嫌いになった仕事と、仕事場の人間を、あたかも
良い仕事、良い場所、良い人間関係と思うように生きている人が如何に多いことか。
欺瞞がすごすぎて、狂人としか言いようがない。狂っている事に気が付かない人ほど
手に負えないものはない。

日本の問題の根幹は、この負の強化である。


日常的に負の強化を聞かぬのは、それは別の言い方をされるからだ。
ハラスメントや、虐待、体罰、暴力、場合によっては「教育」「指導」「叱責」
と言い換えられている。だが、全て負の強化である。

すべての日本人、私も含め、多かれ少なかれ、負の強化を受けてきた。
そして、負の強化をしているのである。その結果、また負の強化をする人間を
量産しているのである。

日本が衰退したのは、この仕組みはもはや時流と合わないという事だ。
負の強化戦略は、もう時代にマッチしていない。

だが、この体制を維持することだけが目的化した大人たち。
その悪あがきが、現代の政治問題にまで及んでいる。

今の与党政権は、この負の強化が弱ってきたことが日本の衰退の要因と考えているのだろう。
だから、これを引き締めれば、日本が発展するとでも思っている。愚昧な人々である。

そもそも非人間的、いや、非動物的な負の強化で、やる気やイノベーションが
起こるわけがない。こんなことを是とする社会に人が増えるわけがない。

負の強化による体制維持はもはや崩壊するのみである。
今を生きる人々はそれを目撃することになろう。

問題は、その目撃によって自分もまた生活を破壊されてしまうかもしれないことだ。
自分は全く悪くないと思った人もいるだろうが、あなたが果たして負の強化を
他者にしなかったのか? しなかったと言い切れる人間は、おそらく日本に
住んでいられないはずである。

あなたもまた加害者である。それは理解するべきなのだ。
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