心理分析ー現代の問題 [思考・志向・試行]

今、権限をもつものたちの多くは、50代から70代までだろう。
とりわけ日本の政治家たちの平均年齢は異常に高く61歳程度である。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA25D8L0V20C21A6000000/

産業界ではちょっと違うのだが、それはトレンドというものがある。

日本は戦後に高度経済成長を遂げた体系がそのまま残っているので、
どうしても終身雇用型で、役員や経営陣になる人間は年寄りが増える。

当然ながら、彼らが理解している世界は過去のもの。
そして、現在はかなりの速度で世界が変遷してきている。
ゆえに、多くの経営者たちは取り残されてしまった。

その彼らが親方日本を頼り、60歳前後というロートルが日本の舵取りをするがため、
実に頓珍漢な事をし続けているというのが現状である。
政治の古臭いベタベタした陰湿な関係性は、まさに時間を経て腐った関係性に寄るのだろう。


さて、現状の戦前回帰的な流れはどういうことか?
これを年齢と心理の面から考察したい。

現代はまるで先の大戦と無関係かのような顔をしているが、
それは真っ赤な嘘で、この国に住む全員が戦争というものから
精神的な影響を受けている。

その直接的な影響下にあるのが、実は先の60歳前後なのである。

例えば、虐待家庭の子供は、自身も虐待行為に及びがちということが知られている。
自分が受けた事柄をそのまま子供や他者にしてしまうのだ。
なぜなら、それが当然と考えるからである。自分の親の行為は簡単に内面化する。
そういう学習をするのが人間という動物なのである。

では、60才前後の人々、とりわけおっさんたちがどういう親から教育されたのか。
それは、およそ現在85前後の母親たちだろう。

先の大戦からおよそ80年。当時の教育は、教育勅語であった。
天皇バンザイの世界である。その教育をバッチリと受けた最後の世代が、
そう、85才以上の母親たちである。ちょうど8才くらいになる。

小学校低学年ではその影響は少ないだろうが、8才にもなれば、
教育勅語を内面化するには十分であっただろう。

その彼らがGHQにより教科書に墨を塗ったのが、1946年以降である。
残念ながら、人間そんなに変われない。この年代の人間たちのマインドは、
戦争という思想に侵されている。

そんな彼女らがおとなになり、子供を育てる。
当然ながら、そこでは自分のやられたことをやったはずだ。
つまり、教育勅語的教育をだ。

その子どもたちとは誰か? そう、岸田を始めとする60才前後に人間たちなのだ。
彼らは戦後教育を受けた。だが、幼少期に誰から教わっただろうか?
当然ながら母親である。そして、その母親が牛耳る家庭で育った。
上辺だけは西洋風だが、内実は大和魂であったはずだ。
本音と建前が分離していて、母親たちは本音を教え込んだのである。

それは「お国のために兵士となれ」という思想である。
それはとりわけ男の子には強い圧力になったはずである。

戦後は戦争に負けたというコンプレックスがあり、
その解消のために経済戦争を戦ったのである。
そして、気がつけば時価総額でNo1にまでなったのである。

まさに、戦後の成長は心理的な作用として実現した。
そしてその基盤には、兵隊として育てられた人間たちがいたのである。

だが、時代は流れた。
かつてのように、兵隊として長時間労働をすれば経済的恩恵を受けられた時代は
終わった。なぜなら、情報産業の台頭である。人海戦力はお隣中国やタイ・ベトナムなどに
とって変わられた。日本が目指すべきものは、知的産業であったがそれは土台無理であった。
なぜなら、兵隊としてしか育てられなかったためである。

こうして時流からあぶれた日本は、一部の知恵あるものたちによって
輸入された西洋的手法をごまかしながら採用し、それをツギハギして
兵隊産業を支えてきたのである。それがバブル後の日本である。

さてもうおわかりであろう。
日本経済は失敗した。その失敗を立て直そうとするとき、何にすがるのか。
それはもっとも強く作用した心理的な事、つまり母親の意志である。

マザコンな日本の親父たちは、日本の危機において母親の意志を優先し始めた。
それは、まさに教育勅語的世界観である。60才前後のおっさんたちは、
およそ無意識的にこれを内面化している。もしくはそれを明示的に学んだのあろう、
子供心にしっくり来るものとして。

子供の心は侵されやすいものなのだ。

この世代が時流を無視して、子供を教育していれば、その子どもたちつまり、
30才前後の連中らが、同じく教育勅語的精神に親和性をもつのも無理はないのである。
虐待が連鎖するように、思想もまた連鎖するのだから。

戦争に負けた母親世代の恨みを、子供らが晴らそうとしている。
もしくはそのような精神的構造の人間たちは、劣等感にしか生きられないのだろう。
可哀想な連中であるが、はっきりいってバカで間抜けである。

いくらでもそうではない人々を学ぶ機会はあったし、西洋的人権に触れる機会も
あったはずだ。ところが価値観を変えることなく、自分たちのもつ、兵隊思想に
身を委ねているのである。

このような世代を超えた思想は、世相を作り出す。
現代が、戦争や紛争の再燃が危惧されているのは偶然ではない。
それは、世代交代なのである。

戦後まもなく、戦争にでかけた本当の兵士たちは、二度とこんなことはやらない
やらせないと心に誓った。その彼らは悲惨な戦争を明に暗に否定し続けた。

一方で、世襲が続く日本政治では、戦ったこともない政治家たちの子孫が
教育勅語的思想を世代を超えて伝えてきたのである。むしろ、負けたことによる
コンプレックスだけを肥大化させて。

高度経済成長は、戦争否定の実行者たちが平和的に戦争に勝つ手段であった。
それは体制側と労働者側の利害が一致するところだったのである。

そして現在、戦争をやらない、やらせないという人々が死にゆく。
まさに戦争経験者が途絶えた現代において、その子どもたちによって
戦争機運が作られているのである。

一体何を学んだのだろう?

私はよくも悪くも、どちらからも影響を受けた。
家では教育勅語的思想、学校では戦後教育。

教師に恵まれたのであろう。私は、学校教育の思想に重きをおいて育った。
一方で、家にはびこる教育勅語的思想に反発した。それは直感的に気持ち悪いも、
恐ろしいもの、そういう感情を私に呼び起こした。

どちらに転んでも不思議ではないが、結局のところ、自分の思想性は
大学を経由して、左派に落ち着いたのである。
その根幹には、右翼思想の暴力性への嫌悪がある。

世間では、どうも共産主義を暴力的と思う人が少なくない。
ソ連や中国の影響だろうし、戦後の左翼による暴力的テロなどに由来する。
だが、右翼だって、戦中には上層部への暴力テロを繰り返している。
同じ程度に暴力的である。

私はこれらは左右の主義の問題ではなく、暴力信仰かどうかという話に過ぎないのだと思う。

物事を強引に、他者を自分の思うように操ろうと思った際に、
強制する手段が暴力なのである。

歴史はそれが如何に効率が悪く、無駄な事であると理解した本当の知恵者たちは、
統制するべきは、人々の心であると確信した。

それゆえに、人々の心を操る方法論が発達したのである。
それは見事に成功し、一部の人間達が労働もせず、他人の労働にタダノリする仕組みを
作り上げたのである。その一端がマネーの仕組みである。

それはともかく、阿呆な人たちは、相変わらず暴力というもっとも愚鈍な方法で
他者を操ろうとしている。それは失敗に終わるとわかっているのにだ。

そしてまた、日本でも心の問題が大きいという事がわかる。
なにしろ、自発的に暴力を振るう仕組みを作り出す程度には心理的な影響はあるのだから。

現代日本の問題は、戦中生まれの最後の世代によって育てられた子どもたちへの
精神的虐待から生じている。それがこの記事のまとめである。

可愛そうだが、この連中は死ぬまで変わらない。
ならば、大事なのは、この連中らのミームを拡散させずに、
次世代を守る事である。でなければ、また同じように考える愚鈍な連中を
生き延びさせてしまうのだから。

私は政治が教育に口出しをする事を実に危惧するのである。
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