世相と感情 [思考・志向・試行]

世間は、不安に包まれている。
それもそのはず、こうあるべきと進むべき道を誰も示せないからだ。
戦後の勃興期は、ともあれごく単純であった。やることがはっきりしていたからだ。
だが、現代は違う。日本の資本主義は既に行き詰まりを見せている。それは、前回の記事で
示したように、人口の減少と需要の減少で説明できる。これを無理やり成長に見せかけるのが
アベノミクスである。詐欺的であることは明白だが、これに便乗する金融が経済を牛耳っている
ために、それを公然と批判するものは少ない、もしくは意見が消されてしまう。

遅くない時期にアベノミクスショックが起こってもおかしくない。
むしろ、そのリスクがじわじわと増大している。つまり金の価値が下がろうとしている。

さて、そうなると人々の行動はどうなるのか。
将来的不安を喚起された人々の行動はシンプルである。丸まって耐えようとする。
動物は大きな動物、大きな災害が起こった時、丸まって状態が変化するまで待つ。
こうやって生き延びたからだ。同様の事を社会的行動でも示すという訳だ。

不安を解消する手段は、金だ。
こう人々は思い込んだ。もちろん、それでは頂けない事は十分に知っている。
だが、現実は金が必要である。と思い込んでいる。骨の髄までしみこんだこの概念は、
日本人の基本的性格を示す。それを得るために、どうしたらいいのか。これを直線的に
行動にすると、典型的日本人になれる。

働き手としての優秀さを示すための勉強になり、コミュニケーション能力という名の下に
差別を行い、あなたのためならばと頭を下げごまをする。そしてこの考えに乗れない人々を
排外する。常識とは所詮、そんなものであり、信じるに足るほどの信条はない。

バイトという業種を見た時の不快感はどこからくるのか。それは金を目の前にぶら下げて
労働力を搾取する経営者であり、経営形態であり、その背後にある資本主義である。
学生や主婦などを手軽な労働力として利用するという行為である。人々はそれでも良いと
思わされている。本来であれば、商売は共同であるべきだからだ。

仕事がないという響きに込められているのは、「雇ってくれる場所がない」という卑屈さ
である。仕事とは本来、人生そのものである。それを他者に依存するシステムになっている。
そしていざ働いたとしても、その内容は決して自分がやりたいことが出来るわけではない。

ではそうまでして得た金はどういう意味を持つのか。もちろん生活できるという程度の
金は必要だし、それが多くの人の求めている所だろう。だがその足元をすくわれる可能性が
あると上記に述べた。つまり、経済的ショックによって頼りにしているはずの金の価値が
無くなることがありうるからだ。

多くの人達が苦労して、使役された労働の対価として微々たる金を得ているのに、
その金が無価値になる可能性がある。そんなことが起こったら、果たして金を目的とした
人生とは何だったのか?となりはしないか。

人は動物である。人の本来的モチベーションは、金を得ることではない。それは手段である。
繁殖して子孫を増やすことに人の本来性がある。動物だからだ。良し悪しではなく、それが
動物としての定型である。

人は人との関わりの中に生きる。金と共に生きるわけではない。
それなのに、人的資源を最大化するという発想はこの国にはない。金が増えればそれで良しと
考えている。根本が間違えなので、あらゆる政策が間違えを引き起こしている。ここにそれを
指摘したい。金があっても、買うべき対象物がなければ、金など無意味だということだ。

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