心理分析ー現代の問題 [思考・志向・試行]

今、権限をもつものたちの多くは、50代から70代までだろう。
とりわけ日本の政治家たちの平均年齢は異常に高く61歳程度である。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA25D8L0V20C21A6000000/

産業界ではちょっと違うのだが、それはトレンドというものがある。

日本は戦後に高度経済成長を遂げた体系がそのまま残っているので、
どうしても終身雇用型で、役員や経営陣になる人間は年寄りが増える。

当然ながら、彼らが理解している世界は過去のもの。
そして、現在はかなりの速度で世界が変遷してきている。
ゆえに、多くの経営者たちは取り残されてしまった。

その彼らが親方日本を頼り、60歳前後というロートルが日本の舵取りをするがため、
実に頓珍漢な事をし続けているというのが現状である。
政治の古臭いベタベタした陰湿な関係性は、まさに時間を経て腐った関係性に寄るのだろう。


さて、現状の戦前回帰的な流れはどういうことか?
これを年齢と心理の面から考察したい。

現代はまるで先の大戦と無関係かのような顔をしているが、
それは真っ赤な嘘で、この国に住む全員が戦争というものから
精神的な影響を受けている。

その直接的な影響下にあるのが、実は先の60歳前後なのである。

例えば、虐待家庭の子供は、自身も虐待行為に及びがちということが知られている。
自分が受けた事柄をそのまま子供や他者にしてしまうのだ。
なぜなら、それが当然と考えるからである。自分の親の行為は簡単に内面化する。
そういう学習をするのが人間という動物なのである。

では、60才前後の人々、とりわけおっさんたちがどういう親から教育されたのか。
それは、およそ現在85前後の母親たちだろう。

先の大戦からおよそ80年。当時の教育は、教育勅語であった。
天皇バンザイの世界である。その教育をバッチリと受けた最後の世代が、
そう、85才以上の母親たちである。ちょうど8才くらいになる。

小学校低学年ではその影響は少ないだろうが、8才にもなれば、
教育勅語を内面化するには十分であっただろう。

その彼らがGHQにより教科書に墨を塗ったのが、1946年以降である。
残念ながら、人間そんなに変われない。この年代の人間たちのマインドは、
戦争という思想に侵されている。

そんな彼女らがおとなになり、子供を育てる。
当然ながら、そこでは自分のやられたことをやったはずだ。
つまり、教育勅語的教育をだ。

その子どもたちとは誰か? そう、岸田を始めとする60才前後に人間たちなのだ。
彼らは戦後教育を受けた。だが、幼少期に誰から教わっただろうか?
当然ながら母親である。そして、その母親が牛耳る家庭で育った。
上辺だけは西洋風だが、内実は大和魂であったはずだ。
本音と建前が分離していて、母親たちは本音を教え込んだのである。

それは「お国のために兵士となれ」という思想である。
それはとりわけ男の子には強い圧力になったはずである。

戦後は戦争に負けたというコンプレックスがあり、
その解消のために経済戦争を戦ったのである。
そして、気がつけば時価総額でNo1にまでなったのである。

まさに、戦後の成長は心理的な作用として実現した。
そしてその基盤には、兵隊として育てられた人間たちがいたのである。

だが、時代は流れた。
かつてのように、兵隊として長時間労働をすれば経済的恩恵を受けられた時代は
終わった。なぜなら、情報産業の台頭である。人海戦力はお隣中国やタイ・ベトナムなどに
とって変わられた。日本が目指すべきものは、知的産業であったがそれは土台無理であった。
なぜなら、兵隊としてしか育てられなかったためである。

こうして時流からあぶれた日本は、一部の知恵あるものたちによって
輸入された西洋的手法をごまかしながら採用し、それをツギハギして
兵隊産業を支えてきたのである。それがバブル後の日本である。

さてもうおわかりであろう。
日本経済は失敗した。その失敗を立て直そうとするとき、何にすがるのか。
それはもっとも強く作用した心理的な事、つまり母親の意志である。

マザコンな日本の親父たちは、日本の危機において母親の意志を優先し始めた。
それは、まさに教育勅語的世界観である。60才前後のおっさんたちは、
およそ無意識的にこれを内面化している。もしくはそれを明示的に学んだのあろう、
子供心にしっくり来るものとして。

子供の心は侵されやすいものなのだ。

この世代が時流を無視して、子供を教育していれば、その子どもたちつまり、
30才前後の連中らが、同じく教育勅語的精神に親和性をもつのも無理はないのである。
虐待が連鎖するように、思想もまた連鎖するのだから。

戦争に負けた母親世代の恨みを、子供らが晴らそうとしている。
もしくはそのような精神的構造の人間たちは、劣等感にしか生きられないのだろう。
可哀想な連中であるが、はっきりいってバカで間抜けである。

いくらでもそうではない人々を学ぶ機会はあったし、西洋的人権に触れる機会も
あったはずだ。ところが価値観を変えることなく、自分たちのもつ、兵隊思想に
身を委ねているのである。

このような世代を超えた思想は、世相を作り出す。
現代が、戦争や紛争の再燃が危惧されているのは偶然ではない。
それは、世代交代なのである。

戦後まもなく、戦争にでかけた本当の兵士たちは、二度とこんなことはやらない
やらせないと心に誓った。その彼らは悲惨な戦争を明に暗に否定し続けた。

一方で、世襲が続く日本政治では、戦ったこともない政治家たちの子孫が
教育勅語的思想を世代を超えて伝えてきたのである。むしろ、負けたことによる
コンプレックスだけを肥大化させて。

高度経済成長は、戦争否定の実行者たちが平和的に戦争に勝つ手段であった。
それは体制側と労働者側の利害が一致するところだったのである。

そして現在、戦争をやらない、やらせないという人々が死にゆく。
まさに戦争経験者が途絶えた現代において、その子どもたちによって
戦争機運が作られているのである。

一体何を学んだのだろう?

私はよくも悪くも、どちらからも影響を受けた。
家では教育勅語的思想、学校では戦後教育。

教師に恵まれたのであろう。私は、学校教育の思想に重きをおいて育った。
一方で、家にはびこる教育勅語的思想に反発した。それは直感的に気持ち悪いも、
恐ろしいもの、そういう感情を私に呼び起こした。

どちらに転んでも不思議ではないが、結局のところ、自分の思想性は
大学を経由して、左派に落ち着いたのである。
その根幹には、右翼思想の暴力性への嫌悪がある。

世間では、どうも共産主義を暴力的と思う人が少なくない。
ソ連や中国の影響だろうし、戦後の左翼による暴力的テロなどに由来する。
だが、右翼だって、戦中には上層部への暴力テロを繰り返している。
同じ程度に暴力的である。

私はこれらは左右の主義の問題ではなく、暴力信仰かどうかという話に過ぎないのだと思う。

物事を強引に、他者を自分の思うように操ろうと思った際に、
強制する手段が暴力なのである。

歴史はそれが如何に効率が悪く、無駄な事であると理解した本当の知恵者たちは、
統制するべきは、人々の心であると確信した。

それゆえに、人々の心を操る方法論が発達したのである。
それは見事に成功し、一部の人間達が労働もせず、他人の労働にタダノリする仕組みを
作り上げたのである。その一端がマネーの仕組みである。

それはともかく、阿呆な人たちは、相変わらず暴力というもっとも愚鈍な方法で
他者を操ろうとしている。それは失敗に終わるとわかっているのにだ。

そしてまた、日本でも心の問題が大きいという事がわかる。
なにしろ、自発的に暴力を振るう仕組みを作り出す程度には心理的な影響はあるのだから。

現代日本の問題は、戦中生まれの最後の世代によって育てられた子どもたちへの
精神的虐待から生じている。それがこの記事のまとめである。

可愛そうだが、この連中は死ぬまで変わらない。
ならば、大事なのは、この連中らのミームを拡散させずに、
次世代を守る事である。でなければ、また同じように考える愚鈍な連中を
生き延びさせてしまうのだから。

私は政治が教育に口出しをする事を実に危惧するのである。
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非暴力・不服従 [思考・志向・試行]

https://www.youtube.com/watch?v=gJFffe61o_s&ab_channel=%E3%83%87%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B9


ジャーナル系のYoutubeである。
佐高信氏のチャンネル。そして、ゲストはクレ カオル氏

ここには、ウクライナ戦争の実態が示されている。
香港人のクレ氏がジャーナリストとしてウクライナでの取材を報告している。
実に生々しい。

これを観て、私は少し考えを新たにしている。
それは、非暴力・不服従についてだ。


クレ氏が証言するように、ウクライナには過去、抵抗しなかった時代がある。
その時に何が起こったのか。自国の文化否定を余儀なくされてきた過去。
それはひとえに抵抗しなかったことによる。

今、現地のウクライナ人たちは戦っている。
それは社会を守るという大義のため。もうちょっといえば、身の回り人間を助けるため。
その気持は十分に分かる。そして、日々多くの若者が軍に参加していくことも。

いざ戦闘が始まるとどういう機運が高まるか手に取るようだ。

抵抗しなければ、侵略国による文化同化が始まる。言葉をうしない所作を失う。
そのような状態に置かれるよりも、命がけの抵抗を試みるという考えは極めて自然だ。

私が思うに、このような事態において、暴力主義になるのは避けがたいのかもしれない。
かつての大戦時にも、一部の知識人たちは核開発をサポートしてきた。それは
暴力による勝利をもたらすからだ。敵が蹂躙するのであれば、抵抗する他ない。


それでも、それでも尚、私には暴力による抵抗には反対である。
なぜなら、その暴力によりおそらく数百年はいがみ合いを続ける結果になるからだ。
それはもう泥沼としか言いようがない。

非暴力・不服従というのは、実は極めて要求度が高い行為である。
一見すると何もしないかのように見える。ぜんぜん違うのだ。
これはデモやストと同じ行為であり、さらに過激とも言える行為である。

要するに、嫌がらせ行為である。暴力はその究極だが、非暴力・不服従は
暴力に変えて、嫌がらせを続けるという事である。

多くの人は正論を嫌がるだろう。ならば、正論は武器である。
正論を言い続けることは、お花畑の行為ではない。自覚的な正論とは、
非暴力な戦いである。敵が嫌がるがゆえに正論を使うのである。

同様に、無抵抗な者を殺傷させる事もまた嫌がらせるだろう。
人はそこまで心が強くない。だからこそ、遠隔で戦うのだ。
それを目の前に持っていくことは、嫌がらせになる。

つまり、上記のYoutube映像のように、実際の悲惨な実体を知らしめることは
嫌がらせになる。ジャーナリズムもまた非暴力な戦いなのだ。

軍隊の前に、彼らが築いた死体の映像を持ち出す事。
これだけで彼らは前後不覚になるだろう。とりわけ意思決定をする人々にはだ。

非暴力・不服従とは無抵抗主義ではない。抵抗する非暴力なのである。


いざという時に、戦いに身を投じる人々の気持ちは分かる。
だがそれはやはり非人道的と言わざるを得ない。
本質的に暴力を是とするのは、退廃した人間の発想なのだ。

最後は暴力がものを言う。それは確かだ。
だが、本当にものをいうのは人の意志である。
ガンジーの思想は、死後もなお、受け継がれていく。
それは宗教家もしかり。


別段、聖人になれという話ではないのに、なぜか多くの凡人は、現実的という名の
ゲスな行為を肯定しようとする。それは端から無理なので、心の奥では納得できず、
何重にも理論武装してハリボテ化する。そして居直るのだ。

事実は、もっと愚鈍である。ただ自分の利益を守りたいだけ。
要するにそこに正義や思想など存在しない。そんなものは後付なのである。

気をつけた方がいい。政府はいよいよ、その気らしい。
戦争をやりたい勢力と、混乱した社会に暴力を是とする勢力が現れている。
もう手遅れかもしれない。

現在進行している大きな絵は、国民国家というシステムの衰退だ。
それなのに、国民国家がその巨体を維持するために、人々に多くを押し付けている。
残念だが、時代はそちら戻ることはないのではないかと私は思うが、どうだろうか?

その国民国家が正当化する戦争という暴力。
いよいよ暴力は、AIによる管理などに変わるべきかもしれないのだ。
この世界の誰にも戦争実行命令をだせない仕組みがあるならば、
戦争など生じないのである。

そして軍などなければ、それにこした事はないのだ。
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日本の終わりにて、何を思うか。 [思考・志向・試行]

私はいま、崩壊中の日本を目撃している。
むろん、そんなことは私は望んでいなかった。
だが、それは起こってしまった。もう後には引けない。

最後の轍を踏んだのは、やはり安倍だろう。
2012年の事だ。私はこの時、いやな予感がしていた。
そして、2015年頃に大いに疑問を持つに至る。

それが当時のブログに現れている。
https://d-blue.blog.ss-blog.jp/2015-06-24

https://d-blue.blog.ss-blog.jp/2015-07-06

https://d-blue.blog.ss-blog.jp/2015-08-26

そして、私は一つの結論を下した。2015年の9月である。
簡単に言えば、アベノミクスはクソってことである。(失礼ながら、これがもっとも
敬意を含んだ表現であり、もっと罵詈雑言を浴びせた方がいいとは思う)
https://d-blue.blog.ss-blog.jp/2015-09-04


そして引き続いて生じた安保法制の強行決議。
その際には、戦争について論じている。
https://d-blue.blog.ss-blog.jp/2015-09-18


ここが最後の曲がり角だったのだと思う。
すでに、現在の方向性はわかりきっていたし、やっぱりその方向に進んでしまった。

もし私が自分の推察を利用して儲けようとしたならば、
株を買い、自民党がばらまく企業への金をうまく利用することを考えただろう。
むろん、そんなことして儲けたいなどとは思わない。が、それをまさにやって儲けているのが
電通であり、大手企業であり、経団連の連中である。加えて巷の株ディーラーたちなども
含まれるだろうか。当然ながら今後は、絞る取るものがなくなるわけで、
彼らの命も短くなった。とはいえ、あと20年ほどはもつのかもしれない。

その頃には、消費者が干からびている事だろう。なにしろ、現在の政策は、
需要を減らして、供給を増やすというものなのだ。買い手がいないのが問題なのに、
買い手をへらすことに全力を注ぐ。つまり税金や保険の額をどんどん増やし続ける。
そうして、消費者を減らしておいてから、企業側に供給をさせようとする。
バカバカしくて、もう本当にバカバカしくて、愚かとか、そんなことで形容できない。

それを実行したのが安倍である。もちろん、下地を作ったのは橋本内閣あたりが決めて
だったのだが。

さて、振り返っても仕方がないが、結局、2015年から8年間の間で、何も変わらなかった。
そして今、膨れ上がった国債を日銀が財政ファイナスを日々し続けている。
それは要するに、日本円が紙くずになるという意味である。
現状を続ければ、それは確実に訪れる。それは原理なのだから、揺るがない。

お金は刷れば、価値が下がるという事実なのだ。MMTの駄目な所ここである。
価値が下がるなら、金が増えても意味がない。

結局、安倍が最後のひと押しをして、日本の資産を海外に横流しし、
彼らの仲間である経済界の連中に仕事作りをして、税金を流している。
こうやって、大企業の延命さえすれば良いとでも思っているのだろうが、
それと並行して、社会の基盤となる大多数の庶民の生活は切り詰められ、
そして消失していっているのである。

彼らはそれを移民で埋め合わせれば良いと思っているらしいが、
果たして、日本がアメリカ人のように振る舞えるだろうか? バカも休み休み言え。

トドのつまり、日本はこのまま崩壊に向かうだけという事である。
これが結論であって、それ以外のルートはない。

あとは、どういう種類の酷さを選ぶかという事だ。

一部の人間どもは、戦争をしたがっている。
それは儲かるからだろうが、とてつもなくグロテスクな人々である。
そもそも、兵器をつくって嬉しがっている人々などろくでもないのだ。

三菱重工を始めとする軍事産業体は、いよいよ大手を振って兵器を作るらしい。
それによって仕事を確保し、企業体を守りたいのだろうが、その結果、国が潰れても
全く構わないというのが彼らの態度だろう。腐れ外道ども。(すみません、心の声が
漏れてしまっています。)

結局、既存の体制下にいる連中が考えるのは、自分たちの生活の保持であり、
そのための仕事である。自分が生きるためなら、他人などどうでも良いという事。
現代の教育は、そういう意思決定をするという人間しか生み出さないわけだ。

むろん、反対の人々もいる。それもそんなに少なくない。
だが、その声はいつもかき消えている。

先の戦争でもそうだった。結局、戦争反対を訴えるものは迫害され、ひどい目にあった。
そしてそれを仕方がないという傍観を決め込んだ人々。いや、反動でもって、
戦争こそが、自らの正義と信じ込むことで、人生に意味を与えた人も少なくない。

今だって、現にそんな人間は腐るほどいる。
いざ、台湾事変でも生じることになれば、そして、日本の愚昧が下手な対応することで、
尖閣諸島における衝突が生じるだろう。そうして、日本を戦争へと誘うのだ。
それを望む人間がいるのだから。私が武器を手にしたら、まずはそのような連中から
ぶちのめしたいという気分になるが、そうもいくまい。

私の知る義務教育時の友人たちを思い浮かべる。
10人中8人は、戦争バンザイと叫びそうである。残念であるが、日本の民度はそんなもの。


一番ありそうな事は、誰かがうっかり、ミサイルを中国でも北朝鮮にでも打ち放す事。
もしくは満州事変と同じく、自作自演で北海道あたりにミサイルでも誤爆させる事。
そんなアホらしい事で、日本人はごく簡単に戦争に再突入するのだろう。

その際には、私はおそらく「アカ」になる他ない。非暴力・非服従を断固として維持する。
それによって生を奪われるなら、本望である。他人に手をかけるアホと一緒にされたくはない。
召集令状が来たら、逃げるのみだ。


さて、経済に戻ろう。これからの日本は、どうなるか。
2023年以降、インフレが進む。人々の暮らしはぐっと悪くなる。
その一方で、税収は増える。なにしろ、それを愚昧な庶民は望んだのだから。
(私を巻き込むなといいたいのだが、それを言っても始まらない。)

アップアップした一部の人は、犯罪を犯す。当然である。
食えないだから、いざとなれば小さく犯罪を犯すだろう。
これを抑止するために、警察の権限拡大が行われ、監視体制が増強されるだろう。
シンガポールのようにあちこちにカメラがつけられるかもしれない。

これではまるでフーコーが言ったパノプティコンのようだ。
あ、パノプティコンとは刑務所であったな。そう、日本社会はそのものが刑務所になるのである。

そんな社会に来たいという人間は稀だ。外国人は思うほど来ない。
仕方がないと日本政府は優遇政策などを行うようになりつつ、政治から遠ざけるので、
そこかしこで外国人による不当差別デモや訴訟などが増えていく事だろう。
これに反発して、ヘイトもまた増加し、過激な政治家のスラップ訴訟が頻発する。
それでいて司法はもう行政の犬となり、何も反発しない組織に成り下がる。

そうこうしている内に、いよいよ歳入が減り始める。もう取り立てる場所がないという
状態になるからだ。そして、人々は対策として、国に関わらない形の通貨を検討する
かもしれない。税金を収めなく良いようにだ。私はこれにブロックチェーンを使うべきだ
と思っているのだが。(価値減損の地域通貨としてのブロックチェーン)。

少子高齢社会が続く間、日本はどんどん尻すぼみになる。
老人が非難され、否応なく働く事になる。そうして消耗する人が増えていく。

街にはいよいよホームレスが溢れ出す。それも、20代30代も当たり前にだ。

その頃には、今の政治家たちはもう寿命というところだろう。
何にも責任もとらず、ただ「こんなふうになるとは思わなかった」などと嘯く。
ふざけるんじゃないっ!

こうなると分かっている人がいて、その批判を知らぬ存ぜぬで推し進めたのはお前らだろうが。

社会が荒れると、一部の人達は動き出す。
それは無惨になった日本社会の希望となるだろう。
20代を中心とした、新しい価値観の人々が社会を動かす事になる。
それは明治維新時の若者たちと相似形だろう。
おそらく今の子供たちの子供あたりだろうか。

はっきりいってしまえば、現状の老人たちと、中高年はもうどうにもならない。
老人たちは逃げ切って死んでしまう一方で、中高年は本当にひどい人と、運が良い人に
真っ二つに分かれるだろう。日本社会にどっぷりと浸かってぼーっとしていた人は、
国に良いように使われて捨てられている。一方で、海外とコネクションをもち、
生活のツテが広い人は、むしろ生活が改善している事だろう。

AIによって、サムライ業はかなり傾く。ホワイトカラーの多くも不要となる。
大卒で新入社員になるという雇用形態は、あと30年で崩れ去るだろう。
その頃には、得意なもので勝負するという時代なのだから。誰もが出来るようなことは
AIが肩代わりするはずで、それにはもう付加価値がつかないのだ。


まあ、未来予測はこの辺にして、差し迫った自体を最後に考えてみたい。

それはまず日本円のことだ。太平洋戦争時には、どうしたか。戦争のために国債を
発行した事により国は崩壊しかかったわけだが、その時国は、預金封鎖と新円の
切り替えを行ったのである。

これと同じことをこの21世紀にやろうとするならば、個人の資産を把握し、
口座をおさえ、いざという時に閉鎖する。次に、タンス預金を使えなくするように
旧札や硬貨は無効というお触れをだす。するとそれらは一旦、預金する他ない。
そうして、資産を取り上げられるのである。

今、日本政府の最悪のシナリオには、預金封鎖による資産没収と新円切替があるはずだ。
デフォルトするくらいならと財務省は、それをやるのではないか。

そのための準備として、個人資産の把握である。それをやるには、
マイナンバーカードを作らせることだ。これをやっておいて、
いずれは口座番号も紐づけることを義務化するのである。
その時の言い訳はつねに「別に悪いことをしているわけじゃないなら、
どうして紐づけに反対するのだ?」である。そして「年金給付等には、
それが必須なのだ。」である。嘘つきめ。

とにかく、やるかやらぬかは脇において、出来る準備をするというのが国だろう。
そして、実際問題出来るのである。マイナンバーカードを義務化することで。

次に戦争だ。いざ中国と紛争ということになったら、アメリカは
アフガニスタンのようにやってくるだろうか? いや来ない。アメリカは
日本は自分でなんとかしろというだろう。そしてむしろ、アメリカはこうささやく。
「勝ちたいなら、我々の武器を買え。買えないならば、金も貸してやる。どうだ?」と。

愚かしい日本の官僚と、世襲議員ばかりの愚昧な政治家たちは、これにすぐさま
飛びついて、膨大な借金を作り出すことだろう。死ぬよりマシだと言わんばかりに。
だが、それは死ぬ方がマシという自体なのである。

未来、すくなくとも100年というような単位での借金返済を義務付けられるのだ。
それは、日本社会全体が刑期に服すようなものではないか。第三国とまるで同じ立場になる。
日本の子どもたちは生まれた瞬間から、外国のドレイとなるのである。
もちろん本人たちはドレイだと思わないし、思うことすら出来ないのだが。

兵隊になりたい人間はいない。だから、国は徴兵制を作り出す。
もしくはマイナンバーカードと同じく、経済的徴兵をするだろう。
要は、義務じゃないよという言い訳の元に、義務を課すのである。

それにしても、日本の体制側の人間って本当にクソだなと思う。
(まだ、やってないって? だが、その状態になったら絶対にやるだろう。)

それでいて、「軍事大国日本、バンザイ」な人々もまた多く増えるだろう。
それは敗戦という過去を贖えるのではないかという機運でもあろう。
戦争に勝者などいないのに、そんな妄想にふけって、狂っていく大人は数しれない。

日本は経済大国から転げ落ちていく。
それにともない、地方都市から廃墟化が進む。
それはもう目に見えて、空き家だらけになる。
歩いているのは老人と外国人だけ。

収入はインバウンドでなんとか食いつなぎ、
生活状態はまさに戦後まもない頃程度まで落ち込む。
とにかく明るい材料などない。

メディアは相変わらず大本営発表を繰り返すのみ。
そして、そのようなメディアに乗せられて、自分たちは大丈夫とか
平気で洗脳されるような社会になっている。

そんな落ちぶれた未来が、もっとも確実な予測される日本というのが寂しいが、
それが世の流れなら仕方があるまい。

私がつねづね批判してきたが、政治は上記のような方向にしか進まない。
マシな方を選べば良いと私は思うのだが、全然マシではないものばかり選ぶのが
日本の政治リテラシーなのである。


最後に、私はこうなれと言っているわけでもなければ、望んでいるわけでもない。
むしろ、そうならないように8年間、記事を書いてきたし、調べてきた。
だが、そうなるようにしか物事が進まない事を8年観続けてきたのである。
いやもっと長く日本を観てきたのである。

はてさて、これが予言の書にならなければ良いのだが。
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電気と文明 [思考・志向・試行]

多くの人は、ビットコインやEV、AIなどに興味をもっているだろう。
また日々の中で、スマホをつかい、クレジットカードをつかい、人によっては
マイナンバーカードを利用している事だろう。

これらに共通することがある。
それは「電気」である。

あまり意識しないことがだろうが、駆動するシステムは常にエネルギーを要する。
動的な事が要求されるシステムにはそれが不可欠である。
そして、現代ではもっぱら電気による。

電気を生み出すにはどうするか。
それは電磁気学の応用による。簡単に言えばモーターを回すということ。
実に簡単な話で、現時点での発電所というのはすべてモーターを回しているのだ。

このモーターをどうやって回すかという点で様々な手段があるだけで、
すべての電気システムはモーターを回す事が最終的な手段である。

追記:太陽光発電は違いました。これはトランジスタの性質を利用した光による 発電でモーターが不要です。

モーターを回すというのは「仕事」が必要になる。
その仕事をさせるには、なんらかの物理的な性質を利用する。

それは熱であるか、化学反応であるか、はまたま位置エネルギーであるか、
空気の運動であるか、という違いがある。

これらが発電方式の違いを生み出す。だが、どの方法であっても、
必ず最後はモーターを回す。これが原理なのだ。

仕事から電気を取り出すにはどうしても、ロスが生じる。
カルノーサイクルなどで習った人も多いだろう。仕事の変換にはかなりのロスがある。

よって、できるだけロスを減らすべきなのだが、
これがなかなか難しい。

例えば、車はガソリンを燃焼させることで空気の膨張を生み出し、その膨張力を
ピストン運動に変換している。燃焼という化学反応によって生じる空気の運動が
仕事となっているわけだ。

昨今の問題は、この燃焼時にCO2が発生するという事である。
だから、CO2の発生を抑制するためにEV化を目指そうという話になっている。

だが、EVに用いられる電気はどうやって生み出しているのだろうか?
もし、化石燃料を燃やしているならば、そこでもCO2は生み出されているわけで、
しかも、発電した電気をわざわざもう一度充電池という化学反応に置き換えて、
それをさらに化学反応を生じさせてモーターを駆動する。仕事の変換が増えて
ロスが多くなる。

では、EVによってCO2排出が削減されるかは果たして本当なのか?
調べるのがかったるいので、推測するが、現代の車と同等のものを動かす電力を
作り出すということは、ロス分を含めると、余計な電力が必ず必要となる。
それは間違えないことだ。よって、電気をどうやって生み出すかという点が
問題であり、石炭や石油による発電に依存するなら、CO2削減になどなりはしないと言える。

https://looop-denki.com/home/denkinavi/energy/powergeneration/percentageofpowergeneration/
このサイトによれば、
2019年度の日本における発電量の電源別の割合は天然ガス37.1%、石炭31.9%、石油等6.8%、
水力7.8%、水力以外の再生可能エネルギー10.3%となっています。
また、再生可能エネルギーの内訳は太陽光6.7%、バイオ2.6%、風力0.7%、地熱0.3%です。

ということで、石炭と石油でおよそ40%ほどはCO2を排出する発電方式である。
加えて天然ガスは、石油の発電の70%ほどのCO2を排出する。
https://www.hokurikugas.co.jp/company/environment/merit.html
よって37の7割、28%程度とすると、全体で70%程度はCO2を排出する発電方式と言える。

EVには仕事のロスがあるので余計に電力を使う。するとEVを走らせることで
CO2が削減できるといっても、せいぜい10~20%程度なものであろう。
もっといえば、EVを生産するには石油が必要であり、リチウムの採掘という負荷的要素もある。
結局EVがCO2の排出にどれくらい貢献しているかは微々たるものになる可能性が高いのだ。

そしてガソリン車に比べて耐用年数が低く、次から次に乗り換える、もしくは電池交換が
必要となれば、製造によるエネルギー損失と、リチウム資源の枯渇という問題を生み出す
だろう。果たしてEV乗り換えが本当に良いといえるのかは大いに疑問なのだ。

もっとも良いのは、当然であるが「乗らない」ことである。
これが最大のCO2排出削減である。


さて、電気に話を戻そう。
上記示したように、昨今の生活はかなりの面で電気に依存したテクノロジーを利用している。
その一方で、電気の生産には常に枯渇という問題が横たわっている。
すると、我々はかならずエネルギーの制約に直面することになる。

AIやビットコインが存在できるのは、そこに膨大なエネルギーが投じられているからに
過ぎない。超高速な演算を必要とするこれらの技術はエネルギーがなければただの箱
なのだ。そして、近い将来、エネルギーは制約を受ける。

すると、AIやビットコインが永続するとは考えにくい。

日本という地理的なことを言えば、南海トラフ大地震が起こったとしよう。
かなりの広い範囲で停電が続くことになる。

もし、この時に電気による生活に依存していたらどうなるか。
ビットコインは使えなくなり、AIも当然使えない。ペイペイだって、クレジットカードだって
使えないのだ。当然、スマホが使えないし、そもそも携帯の基地局の破壊によって、
電波そのものが使えなくなる。

それが1週間程度ならまだしも、およそ数ヶ月から半年ほど続いたとしたらどうだろうか。

我々に必要なのは、電気ではなく生活のインフラである。
水と熱源、食料。これらが最低限必要なものだ。
AIもビットコインも電力危機に対しては全くの無力となる。
LLMの進化が問われているが、しばしば発生する停電によって、
壊滅的な打撃を受けると私は予測する。

その時、大事なのは結局、古いテクノロジーである。

もちろん、ビットコインのように世界中のPCによって担保されているデータであれば、
局所的な電気問題など問題ではなかろう。だが、個人としてみれば、十分に無力になり
得るのだ。AIもしかりである。いざという時ほど、利用価値がなくなるだろう。

これがわかっている人たちは、発電所を作り出すか、
電気に依存しない生活を検討するか、を模索しているはずだ。

現代は電気の制約が大きいのである。
現代のテクノロジーは電気エネルギーに依存しすぎているのだ。

電気代が現在高騰中だ。私たちは電気を使うとしても、もっと身近に発電する方法を
模索する必要があるかもしれない。必要な電気を身近なエネルギーから変換する。
それは太陽光か風力か、地熱か、とにかく、現代のような大掛かりな送電網など
不要な仕組みを考えておかなければ、カタストロフィが生じた時に生き延びるのは
難しくなるだろう。

かつて恐竜たちは、体を大きくし、その生存率を伸ばした。
ところが、そのせいで巨大隕石衝突による気候変動に耐えることができずに
激減することになった。

我々は電気エネルギーを使うことで、文明を発達させ、生存率を伸ばした。
電気エネルギーが無尽蔵ではないという事実を前に、我々がどうなるかは
明らかである。そのカタストロフィが今日明日、起こることはないが、
50年後、いや200年後、私達には変革が求められるのは自明なのである。

CO2削減のためにEVなどと悠長なことを言っている場合ではないのだ。
AIやビットコインなど、電気に依存した媒体に頼っている場合ではないのだ。

そういうものは、そういうものとして借受けて、ひとまずは利用しつつ、
オルタナティブな方法と、生活様式を模索する事が求められている。

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崩壊は始まった。 [思考・志向・試行]

このブログもはや、10年以上になる。

最初こそ、身近なことや専門に関連する話が多かったが、
いまや、政治批判ばかりだ。

私だって、身近なことをのほほんと書いていられるなら、その方が良い。
だが、そんな悠長なことを言っていられない状態に日々、日本が作り変えられているのだ。

とりわけ安倍政権からはそれが顕著になった。
個人的には彼のやったことは許されざることばかりだ。
というより、アホな人間を担ぎ出して、日本社会を蹂躙した資本家たちに憎悪がある。
はっきりいって安倍晋三などどうでも良い。

現在もなお、その勢力は政治を動かし続けている。
これは陰謀論ではない。その1団体はアメリカの軍部であろう。
日米合同委員会と呼ばれる組織によって、日本の方針が左右される。
明確に日本を操ろうという人間たちがいる。表に名前が出ているのは、
およそ利用されている人々なのだろう。

これは主権を持つ独立国ならば、最大の屈辱だろうが、それを知らない日本人が殆どだろうし、
「まあ、負けたんだし仕方がないよ」という程度じゃなかろうか。


今後の日本で物事がよくなるか。否。
少なくとも、少子高齢化は加速していく。
それに伴って、経済は縮小していく。
それを補うために国借金は拡大していく。
その崩壊を防ごうと増税を続けていく。
その金で大企業を守るため、仕事づくりとしての軍備開発や国土改悪やDX化が進行し、
日本の社会はますます格差が拡大していく。
苦しい人々は自暴自棄になり、取締るために監視が強化されていく。
それがまた仕事化し利権化する。

目先の経済的崩壊を防ごうと、国はいよいよ外国に国債を売る。
目先の利益を求める地方は、外国人に環境を売る。
結果、日本人は西洋社会の奴隷となって労働を搾取されていく。
生活は苦しくなり、ますます少子化に拍車がかかる。

ニホン、オワタ。

はっきりいって、こうならないという道筋が見えない。
むろん、このサイクルは、今後30年から50年程度の事であって、
今日明日の事をいっているわけではない。

だが、この30年、日本だけが経済的停滞をし続けた事は、
方向性がまるで変わっていないことを示しているわけで、
その慣性力や凄まじいものがある。

日本では「変わらないためなら、人殺しでもする。」という社会である。
この人殺しとは、物理的には官僚殺しだったりする。
(嘘だと思うなら、安倍、不審死とでもググれば良い。)

どちらかといえば政権を維持するために、まじで戦争を始めるという
方が、まともな未来推測かもしれない。わざわざ火のないところに煙と作っているだから。

台湾有事とか北朝鮮とか、お花畑の単純細胞の保守たちは簡単に乗せられてしまう。
日本を守るために軍備拡張だ! 愚かである。
日本を破壊しようという人間こそが、戦争を始めるのだから。
でも、一定数の人間はこれこそを望むのである。
何しろ儲かるのだ。

自分の欲望を満足させるためなら、他者を犠牲にして良い。
なぜなら自分は勝者なのだから。そういうお馬鹿さんが多すぎる。

いざ、日本の崩壊が始まれば、市中にいた社会を支えていた人たちが居なくなり、
社会が傾いていくだけなのだが、勝者と思っている人間には全く見えていない。


この現状が悲惨なのは、権力を持つ事に拘泥する精神的にイカれてしまってる人たちは、
社会を考えられるほどおつむが良くないという事であり、まともな良心的な人達は残念ながら、
何も考えてない人たちに支持されないという事である。

社会的成功という、どうでもよい事を誇る人々が、もてはやされるのは人類の常である。

どうにもはっきりしているのは、問題を解決する人間は、必要とされておらず、
問題を先送りし、隠蔽し、むしろ問題から利益を得ることを画策する人間が
必要とされているという事だ。

上記は、穿った見方だろうか?
そうだったら良いのにと、何度思ったことだろう。
残念ながら、否定する材料がない。

世界の潮流としては、世界は良くなっているという。
だが、日本は良くなっていない。世界が良くなっているという話は現状の問題棚上げの
隠蔽工作に過ぎない。日本が、今のまさに我々の生活が良くなっていないという事実こそ
眼を向けるべきことなのだから。

では、一庶民としてどうしたらいいのか。

私は抵抗こそが正道と思うが、多くの人は違う。
むしろ、どれほど権力に取り入るかが、大事だと思うのだろう。

抵抗して、何が得られるというのか。
そんなことをするより、うまく取り入ったほうが益がある。
それが処世術だ。

これを吹き込まれると、正式な日本人になれるらしい。
そして、人としてのまともな感性を発揮すると、異常者扱いをされてしまう。

経済を回すことを正義と考える事。
これもまた、日本人に必要なテーゼらしい。

そして、政治に無関心でいることと、カルト政治家たちのいう事に従うことを是とすると
つつがなく生きていける。

書いていてうんざりだ。日本人の大半は死んでいるようなものだなと。


労働者という名の奴隷を再生産する行為に励む。
目の前にある仕事に打ち込むほど、このくだらない日本社会を維持する事に貢献してしまう。
仕事に疑問をもって、変えようなどと思っても、実際には何もできないのだ。
この諦観が日本人の多くを蝕む。

その鬱憤を、大谷のホームランに託す。
ビールを飲みながら、居酒屋でくだをまく。
このGWも、ここぞとばかりに消費活動に励む。
企業側もなるべく無駄遣いをさせようと頑張っている。

大きな方向性はこれ以上でも以下でもない。
そして、こんなことをいくら指摘しても、人々には響かない。
そりゃそうだ、骨の髄まで、内面化している事に疑問を持てるのは相当な人だけだから、

難しい顔して、現状の問題を指摘する時間があったら、
自分の快楽を求めて、行動したほうが良い。
自分の周りがうまくいけばそれだけで良い。

そう思うのは当然かも知れない。

国が要求する事に疑問や不満はあろうとも、それに我慢しさえすれば、
生活は成り立つ。ならば、巻かれて何が悪い? 


家畜化した人々に待つのはなんだろうか。いずれは肉にされてしまうが、
それまでは安全に育ててくれる。ときに成長ホルモンなどで太らされたり、
遺伝子改変されて肉を増やされたりするが、それでも、一定の年齢までは
生かしてもらえる。だったら、なんの不満があるというのか。

一見すると、なにも不自由などなく生きているかのようみえる。
だが、そこには何にも自由など無い。うまれた瞬間から、労働者としての人生が待ち受けている。

その人生に無理やり意味を見出そうとする。
もちろん、失敗する。これをまともに食らうと、死んでしまおうということになる。
一方で、押し付けられた人生に取り込まれて、世間の価値観を内面化できれば、
あとはそれに向かって邁進するだけだ。人生の意味は、世間の思うがままだ。

本当の人生を求めるために、命がけなことをやる人達がいる。
彼らは意識的か無意識的か、フィクションとしての人生を知っているわけだ。

どれほど思案しても、どうどう巡りになる。
それは結局、前提がおかしいからなのだ。

私達こそが、今の世界を作っている。
それはほど悪く続いていく。そのほど悪さに慣れきってしまえば、人の尊厳を忘れる。
人としての尊厳を失ったところから、日本人はスタートする他無いのかもしれない。

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