敗戦の日 [雑学]

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6368360

こんなニュースがあがっていた。
まず第一に、政教分離の原則に反する。よって、この行為はおかしいというべきである。
少なくとも、私的な行為であるときちんと銘打つべきであるし、だとすると報道する事
ですらないだろう。誰がどこに行こうが勝手にすればいいのだ。それを報道するという
ことの意味を問いたい。

次に、靖国神社に行くといういう意味だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE
(ちなみに靖国神社のHPに行こうとすると、安全ではないとFireFoxが教えてくれる。)

1869年に建てられている。明治天皇による。
この神社は、簡単に言えば「選抜死者の墓地」である。
246万人の集合墓地だと思えば、解釈としては正しい。

その内訳は、新政府軍のために戦った人々から、先の敗戦までの軍人を祀っている。

さすがにこの人数になると、誰がどういう経緯で祀られているのかの判別は不能になろう。
現在では、とにかく戦死者に数えられる人は「強制的」に祀られる仕組みである。
よって、これに違和感を覚えた人も当然いる。

勝手に祀るんじゃないという反発もある。
Wikiには、こうある。
「合祀に関して、靖国神社広報課では戦前戦後を通して祭神合祀にあたっての
 遺族への連絡はするが事前の合意は取らない、としており、本人・遺族の意向は
 基本的に考慮されずに神社側の判断のみで行われている。」

「このため、遺族が不満を抱き裁判に至っているものもあるが、靖国神社による
 遺族に対する同意なき合祀によって、原告遺族らの法的利益が侵害されたと
 認められる判決は下されていない。」

気がついたら、勝手に神社の神様になっていたという人々が沢山いるという事だ。
靖国神社に参拝するという事は、これらの人々に頭を下げに行くという意味合いがある。
大問題なのは、戦犯と言える人々と、戦争で犠牲になった人々を一緒くたにまつって
いる事だ。そして、もっと問題なのは戦死者の選別が行われている点である。

第二次世界大戦までという線引の意味や、そのこだわりはなんなのか?
やはりそこに、主義や主張を感じるのは致し方ない事であろう。
それは「明治政府や明治維新」という象徴としての靖国神社という事への違和感である。

もし、良心に基づいた先祖への敬意ということであるならば、
どのような形であれ、戦争に従事し亡くなった方全てを追悼すべきではないか?
その意味では靖国神社とは「戦没者差別」の温床でもある。

加えていえば、神社とは墓ではない事だ。
日本の伝統という事でいうならば、墓は寺にすべきである。
靖国寺という事であればまだ、私は許容できる。だが、なぜ神社なのか?
全く不明である。ここにも、「特別性」という選別意識を感じる。


つまり靖国神社の存在自体が、明に暗に、特別視されているという事だ。
そこが様々な思想的な問題を生み出し、政治的な問題を生じさせる要因である。

私は、靖国神社をどう思うかは各人が考えれば良いと思う。その程度の事だ。
政治家が参拝したければ勝手に行けば良いのである。報道などする必要すらない。
特別視することが、最大の問題だからだ。信仰の自由という点において、好きに
するのが良い。

一方で、公的な存在が参拝をするという意味では話が違ってくる。
それを喧伝するような事は間違っているだろう。例えば、日本が読売ジャイアンツを
応援していると、ジャイアンツに寄付をしています。という事であったらどうだろう?
かなり違和感を感じないか? 一方で、個人的に大好きだから、応援すると言われたら
どうだろう。別段なにも感じないだろう。全く同じことである。その意味では、
政治家の参拝もすべからく私的なものとみなし、職務外に行えば良いのである。


こうかくと、およそ私が「非国民」であるというような批判もでてこよう。
それについて言わせてもらえば、なぜ特定の戦死者だけを祀り上げてる神社への
コメントが「非国民」なのかと言わせてもらう。また、同じ理屈でいうならば、
多くの戦乱が日本にはあったわけで、なぜ「明治期」だけを特別視をして、
それに対する心情をもって他者をジャッジできるというのか?

先の大戦において身内をなくされた方々のお気持ちを察することは、
別に靖国神社への賛同でしめす必要など全くないのである。


さて、今日は敗戦の日である。
不幸にも戦争に巻き込まれて亡くなった方々全てに私は追悼の意を表す。
ご冥福をお祈り致します。

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