怒りー人間としての異常性

https://bunshun.jp/articles/-/41921

慶応大学の学生が性的暴行をしたというニュースだ。
この容疑者はそれ相応の償いをしてもらいたい。

それにしても、この手のクズに、なぜひっかかるのか?
中学校のときに学ばなかったのか?

人生を生きてくれば、どうしょうもない人たちがいる事は知っているはずだ。
とりわけ、自己承認欲求を渇望する中学時代にはそれが顕著になる。

個人的な体験からいって、上記のような人間も身の周りにいた。
そして、彼らは見るからに意地がネジ曲がっていた。
それはもう歴然としてみて、話せばすぐに分かる程度にである。

生物は、狭い空間に閉じ込められると順位争いを始める。
それは生き物がもつ、戦略の一つである。
中学というのは、まさにその実験場である。

欲望が顕になる中学時代、アタマにあるのは如何にして人気を得るかである。
もう少しいえば、自己承認欲求をどう満たすかである。どうも人間は、
思春期に他者からの肯定的視線を手に入れるように行動するようである。
それは時に、過剰になる。だからこそ、バカな事をしでかすのが思春期である。

自己をまだ確立していない中学生たちは、評価基準を外部に求める。
みんなが何を気にしているのか、何を追い求めているのかに敏感だ。
そして、どうでもよいような価値観が流布する。その価値を方向づけるのは
スクールカーストである。

狭い中学校に閉じ込められた子どもたちは、世間のルールによって、
競争を強いられる。学力という競争だ。この競争に勝てるものは、
さほど問題はないが、競争からあぶれたものたちは、別のものさしを導入する
事で、自分の立ち位置を確保し、なんなら上位に立とうとする。

その時に有効なのは、容姿である。
中学校では制服など、一律の服装を強制される。
ゆえに、容姿の良し悪しは明確化し、それがカーストを助長する。

誰かが、特定の人物を良いと評価すると、それに抗う事は難しく、
一律にその評価に流れていく。そして評価をうけた人物は取り巻きを
置いたりする。そうして、人気順が発生し、それが中学では支配的になる。

容姿でカースト上位に入るものがいる一方で、面白さで上位に入るものもいる。
とにかく、他者に認めてもらえればなんでもいい。
この他者承認を得られる事で、中学生たちは自尊心を助長させる。

逆に言えば、中学生にとっては誰と仲良くなるか、誰と仲良くできるのかが
死活問題となっているとも言える。

カーストの空気は、誰が誰と接触するかまで、不文律ができあがる。
そこに人道性が入り込む余地など無い。この時期に、キャラクターが出来上がる
事を考えれば、中学は罪作りな組織でもある。明るく人気者になれる人がいる
一方で、人格的にひねくれてしまう人がいる。そして、ひねくれた人格は、
相当に長いこと人生に影を落とす。

中学時代に承認を得たものは、このゲームから足を抜けていく。
一方で、中学時代に承認不足だったものは、高校時代に。高校でだめなら、
大学と、とにかく他者からの評価こそが命である。

これこそが、人類という生物種の特徴である。他者から承認されないと
落ち着かないのである。他者からどうやって好かれるのか、それが問題なのだ。

他方では、承認ゲームに参加しない、できないものの中から、離脱者もでる。
離脱した事で、承認ゲーム外を知ることが出来る。だが、若い彼らは、隠蔽した
承認ゲームへの渇望を捨てることは出来ない。手放したのではなく、抑圧した人は
そのツケをおとなになってから払うことになる。

他者からの承認の一番の解決法は、恋愛である。もしくは結婚だ。

結婚している大人たちが、どこか安定感があるのは、
良くも悪くも社会的に容認された承認を最低でも一人得られたからだ。
そして、子供ができれば、子どもたちは盲目的に親として承認してくれる。

よって大人は決して中学生をバカには出来ない。
中学生は、恋愛という手段ではなく、もっと純粋な他者承認を得ることに必死なのだ。
それは大人の感情と同根である。

人間は一人で充足するようには出来ていない。
むろん、これは物理的な意味ではない。そして、
たとえ結婚していても、子供がいても、孤独を抱えている人はいる。

厳密には人は常に絶対的に孤独である。
だが、人間関係はそれを緩和してくれる。その方法を身につけるのが中学や高校である。

さて、件のクズ学生たちはどうだろう?
果たして健全な人間的成長を遂げたのだろうか?

およそカースト上位にいたのであろう。
人の痛みをろくに想像もできない人間によく見かけるのは、
不健全な承認を得た人間の特徴である。容姿と権力、この場合は金か。
そして、不相応な形で承認を得た人間は、問題を引き起こすのだ。
なぜなら、程度を知らぬからであり、自己を過剰に評価するからである。

まともな人間なら、クズのクズっぷりを観た瞬間切って捨てるだろう。
そういう人間と絡まないのがまともな大人である。よってこのようなクズ学生は孤立する。
だが、取り巻きたちは何らかの利を感じていたはずである。特にこの学生には金があった。
つまり遊ぶ金に事欠かなかったわけだ。

学生と取り巻きたちは、人間的な承認よりも、一瞬の快楽と、他者を虐げる事による快感を
貪った。その心根にあるのは、復讐であろう。

クズ学生がどんな屈辱をもったのかは不明だが、
他者を傷つける行為に及んで、快楽を得るのは、復讐である。
もしくは純粋に、他者の痛みを快楽とする異常者であるか。

後者であれば、とっとと精神鑑定にかけるべきであろう。
復讐だとしたら、その自己理解の乏しさに絶望する。自分が何を欠乏しているのか表現
できずに、自分にすり寄ってくる他者をオモチャにすることで、欲求不満を解消したわけだ。
実にクズである。

そして、すり寄っていった彼女たちも軽蔑する。彼らもまた、承認をもとめて
さまようコドモだからだ。精神的に幼いままおとなになったがゆえに質が悪い。



記事にある同級生の証言からいえば、サイコパスなのかと想定されるが、
そんな事はどうでもいい。人間的共感を失った人間は、もはや人ではない。
人として向き合っても徒労である。

本人と、このような人間を作り出した周りの人達の罪だと私は思う。
そして私はこの手のクズがもっとも嫌いである。どこにも酌量の余地はない。
社会的な処罰を下すべきである。そして猛省してもらいものだ。
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D-Blue

https://www.nikkansports.com/general/news/202011210000229.html

https://www.excite.co.jp/news/article/Gendai_686090/

そして、
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4149088.html

本当のクズなのになぜか不起訴処分。
とにかく、女性はこいつらをみたら逃げろと言いたい。
バレているだけで6回なのだから余罪はもっとあるのだろう。

そして司法はなぜここまであからさまな犯罪者に社会的処罰を
行わないのか。

被害者が苦しい状態に立たされてしまう司法は、なんのための
司法なのか。示談なのかもしれないが、社会的な事を含め起訴
すべき事案だろうに。本当に苛立たしい。
by D-Blue (2020-12-13 16:33) 

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