2024年03月| 2024年04月 |- ブログトップ

一体何をしている? [思考・志向・試行]

社会で10年も働けば、日本社会がどういう場所かは理解可能だ。

若い頃は、社会の波の中で漂い、ときに溺れ、それでもなんとか顔を出しながら、
もがいた。それはこの社会に適応するという行為でもある。とにかく周りに
小突き回され、ひたすらにやるべき事を課される。それをパスすることはかなり
意志力が必要だ。不登校にでもなる外ないが実に心細い。

逆にやるべきことをこなしていれば、なんとかなる。
もちろん、どうにもならない事も少なくない。
そういう時は、好きなゲームや好きなアイドルに逃避したり、
仲間とつるんで悪さをする。性格や状況に依存して、やり過ごす方法は様々だ。

そのうちにどこかで気がつく。
そうか、金だと。

自分の好きなことをするには金がいる。
できれば自由にできる金は大きい方が良い。
親や社会の要求から逃走するにも、金がいるのだと。

多くの人は、ここで思考停止することになる。

大方は、ここから勉強を頑張り、なんとか高校を卒業して、
どこかの社員として働き始めるのだ。

もしくは、なんとか大学に滑り込み、いやいや勉強をして
これまた、どこかの社員として働き始める。

多少とも金が入る。それを休日に消費する。
そのうちに好いた惚れたと、結婚し子供が出来て、家を買い、通勤の日々が始まる。

ここではたと気がつく。
親や社会から自由になるために金を得ようと思ったのに、
金を得るために、「社会人」として振る舞う必要がある。
それは決して親や社会の要求からの自由などではないということに。

愕然とする。金があれば自由になれる。これは嘘だと。
むしろ、金がなくても良い状態こそが自由なのだ。これが本質である。

しかし、気がつく人は実に少ない。漫然となにかが違うと思いながら、
毎日、労働に勤しむことになる。

金を得ても、別に周りからの要求から自由になるわけではなく、
むしろ金のために奴隷となっていくのである。

じゃあ、どうすればいい? まさにこれが金があらゆる場に浸透した市場社会に
おける大いなる疑問なのだ。

なあなあで働いていてもそこそこ稼げた時代は、問題は少なかった。
ところが、失政が続き、経済が傾き始めると、働くことが割にあわなくなってきた。

いまやかなりの人間が、働くことが割に合わないと感じている。
非正規社員であればかなり強くそう感じているだろう。

正社員はなんとか自分の立場を確保したいし、確保するためなら、
理不尽なことでもするようになる。

それがおかしなことであっても、金が必要となってしまったこの社会において、
自分一人が組織に背いても、仕方がない。むしろ、会社が存続することは、
「正義」ではないのか。

そうして、親になり社会人になった人々は、生まれくる子供たちに、
この世界のルールを教えようとやっきになる。
そう自分が、かの時のように、子どもの自由を奪うのである。
もちろん、それが「子どもの自由」を増やすと信じて、である。

私にはこの事がとても恐ろしい。一体、みんな何をしているのだ?
nice!(0)  コメント(0) 

2024年03月|2024年04月 |- ブログトップ