ジャニーズ問題とその軽薄さ [思考・志向・試行]

はっきりいって、インボイス制度の大問題に比べたら、ジャニーズなんてどうでもよいだろう。
とはいっても、人類史上稀にみる、性的虐待の大事件。権力をもちいた性犯罪としては
前代未聞だろう。

その事務所の面々が、どうやって責任を取るのか。そういう話である。

むろん、残された人々には直接的な罪はない。
これが問題で、なんとも煮えきらない話になる要因なのだ。

性犯罪は当然、批判されるべきであり、あってはならない。
しかし、その責任を本人ではない人々がどの程度まで負うべきなのかは案外難しい。

とはいえ、その性犯罪者の名前を冠した組織がそのまま存続するということは
ありえまい。

ということで、ジャニーズ事務所が責任を追求されるのは致し方ないことである。
そして、その精算には大いなる犠牲が払われることになる。

一方で、ジャニーズという奇妙な団体にはファンが少なくない。
その彼らを利用したビジネスが昨今のメディアでは横行していた。
テレビやイベントにおいてジャニーズたちの知名度やキャラクターは利用されてきたし、
大企業もCMなどに起用し、その恩恵を受けてきた。

そして一部の人々は、ジャニー喜多川氏の所業を知ってなお、付き合いを続けてきたのである。
それは無作為な加担ではないか。

儲かればそれでよいというのは資本のあり方だろう。そしてそれを内面化している人々にとっては
こんかいの話も、どうでも良いのである。ジャニーズが金になるなら使うし、そうじゃなければ、
切り捨てるというだけの事であろう。

私にはそこに非道さしか感じないのである。もっとも醜悪を放っているのは、
ジャニーズを利用してきた人間たちである。

その彼らが、再出発をするという。
本体は保証会社になり、新しいマネジメント会社を作るという。
保証会社はSmile‐Upなる珍奇な名前になった。性犯罪者の責務を全うする社名には
およそふさわしくない。およそいまだに何が問題なのかわかってないのだ。

わかってないというよりも、未だに無関心というべきかもしれない。
そして、なんなら、本人じゃないのだから、さっさと保証を済まして、
今までとおんなじように儲け話を続けようじゃないかくらいにしか思っていないのだ。

本当に問題解決を望まぬ人々がなんとかごまかそうとする。
その現れが、この度の二度の会見で露呈した。

一度目は、まさかあんなに言われるとは思っていなかったという甘さ。
二度目は、一芝居を打ってみたら、バレて、元も子もなくなった。

はっきり言って、ポンコツである。
危機管理が全くできていない。

一度目の会見後に、大手のスポンサーが一斉にジャニーズおろしを行った。
当然である。海外にもシェアをもつ企業や外資が投入されている企業は、
グローバルな対応を迫られるのだ。いくら国内で水に流そうとも、無理である。

これに焦ったのがジャニーズだろう。
本当にこんなふうになるなんてと思ったのじゃないのだろうか。
そして、加害者なのに被害者ぶり始めたのである。

二度目の会見は明らかに意図的であった。
大手メディアとグルになって、都合よく終わらそうとしたのである。
ところが、不思議なことにNHKが茶番をすっぱ抜いた。

私にはこれが一番不可思議なのだが、NHKにもまだまともさがあるとみるべきか、
それともなにか裏があるのだろうか。あまりにも簡単に茶番がバレたのはどういうことか。

ともかくも、自らを守るために実質上、サクラ行為までしたジャニーズ。
それがバレた以上、もう歯止めがきかずに、落ちてゆくことだろう。

始めからもっと低姿勢に出てもっとも怖い質問に答えていれば、
ここまでの事態にはならずに収拾しただろうに。

結局、身の保身を考えたがゆえに、かえって危険をおかしてしまったジャニーズは
実に軽薄であった。

そして、その彼らとグルになっているメディア記者たちの存在も明らかになった。
結局のところ、性加害問題という大問題をメディア関係者たちはいまだにどうでも良いと
思っているのである。そういう人道性のない人間がメディアを握っているという事実。

井ノ原氏の発言に拍手をおくった記者たちは猛省すべきだろう。
自分たちの頭が異常なのだと知らなければならないのだ。
およそ反省もできないだろうが、それでも、強く言っておく。
自分が、精神的に洗脳状態にあるという事を知れ。
きっと1ミリも理解できないだろうからこそ、拍手などしたのだろうが。

私には彼らの気持ちがよく分かる。
長いものに巻かれてきた人々は、強いものが作り出したルールに唯唯諾諾と従う家畜だ。
都合よく利用されてきたのである。ジャニーズが仕込んだサクラに同調してしまった
記者は、気がついたら丸め込まれたのである。

Arctimesの記者らが前回の会見にてかなり切り込んだ。
そういうものを対して不快に感じる人々がいた。
私はそういう人たちを従属者とみなしている。

自分は決められた中でやっているのに、それにはみ出していると思われる人をみると
やっかむという思考パターンである。別に犯罪をおかしたというならともかく、ただ
目立つ人たちをやっかむ。

その心根は強い嫉妬である。自分が自由にできないという思考セットからくる嫉妬なのだ。
それを見事に煽ったのが前回の会見であった。

そうしておいて今回は、彼らに対して意地悪が行われたのである。
指名NGという事にして、質問をさせないという明確ないじめ行為が行われたのだ。

一部の記者は嫉妬の心を認めないがゆえに、そのいじめに加担にしたのである。
好き放題やりやがってと思っているからこそ、井ノ原氏のコメントに拍手をしたのである。

自分の嫉妬の裏返しとして、指名NGの記者たちに落ち度があるという認識を取っている。
実にみっともないのだが、それを否認するからこその態度なのだ。

私はこういう態度を学生時代なんども目にしてきた。
いじめの構造とはこういうことからスタートするのである。

自分の未熟さを棚に上げて、自分が嫉妬した相手を貶めることを肯定する。
まったく人として幼稚なのだ。だが、実にこういう人間はどこにでもいるし、
少なくもない。

自分は場にふさわしい態度をとっただけ。そう本人は思っているだろう。
あいつらが場の空気を乱したのだからだと。だが、その性根は気に食わないやつは
いじめても良いという態度そのものである。そしてそれがいじめの本質である。
実行している人間を諫めるべきが、実行している人間に乗っかるクズがいるのである。

こんなものに流される人間がいれば、加害者が被害者のフリをするのも容易いだろう。
そして日本の組織とはそんな人でごった返しているのである。実に陰湿なのだ。

言いたいことを言えば良い。聞きたいことを聞けばよいのだ。
人としてまともな事をすれば良い。
それが阻まれているのが現代日本という事なのである。

そうして、我々に届くニュースはそういう連中らの書いたもの、筋書きのものなのだと
理解すべきである。そしてテレビのニュースなどは本当のニュースではなく、都合が
良いことだけを流しているのだという厳然たる事実である。

ジャニーズ問題最大の闇は、大手メディアの対応である。
彼らこそ、ジャニーズをどう扱ってきたのか、本当にジャニーズの実態を知らなかったのか、
きちんと検証する必要がある。

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