この国で進行していること [思考・志向・試行]

やはり腹立たしいの書いておく。

故安倍氏は、海外に金をバラ撒いた。
総額で60兆にも及ぶそうだ。細かい中身は下記を参照。
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/848

要するに、彼をとりまく関連企業に金をバラ撒いたのである。

その一方でこういう。
「子育て支援の3000億円が足りないから消費税を10%に引き上げるべきだ」
「増税して財政再建を世界に印象付けないと日本国債が売られて暴落する」

”海外に数十兆円もばらまける者が、まるで別の顔をして「カネがない」「カネがない」と
国民の財布の中身を覗き見ばかりしている盗人猛猛しさである。”(上記URLより)

まさに上記サイトが指摘するように、カネがないわけじゃないのだ。
バラ撒いているからカネがない。そしてカネがないからと、年金を減らし、
消費税を上げた。今はカネを増やしたことと日本経済の弱体化により円安が進行、
物価高が、我々の生活困難に拍車をかけている。

3世議員というアホのぼんぼんが、カネをバラ撒いた。
その見返りはなんだ? 一部は日本企業が仕事を受注するという公共事業ということだろう。
では庶民にとってはなんだ? ただの増税である。もしくは福祉の削除である。


はっきりいって安倍を含め政府は頭がおかしい。これは十分に丁寧な言い方だ。

彼らがやっているのは、日本の殆どの人間を奴隷のような労働者待遇に引き下げ、
それでいて、搾り取った金で権力をふるい、自分たちと取り巻きにとって都合が良い
予算執行とその権力構造の保持を行うというだけのことである。


今回の<国葬>を外交だとかぬかす輩がいるが、彼らが来るのは、
日本がバラ撒いたカネがあるからだろう。何も進んで来たいわけではない。
そんなこともわからないで外交だと抜かしているのだとしたら、それこそおこちゃまの議論である。

元総理が死ねば建前上、それなりの葬儀をする。それだけのことだ。
国葬にこだわるのは、政治利用でしかあるまい。外交といっている人間は死者利用せよと
いっているにすぎない。その考えも詰まるところ恐ろしいところだ。


この末路は、日本の衰退であり、今後最低50年、場合によって100年という単位での
衰退であろう。やっていることが真逆だからだ。

もし国という単位で社会を良くしようと思うなら、力をかけるのは、教育や医療、福祉である。
国とは人なのだ。人の生活向上させる事以外は二の次さんの次である。人が育てば、国は豊かに
なる。必然である。

ところが現実はどうだ?

もっとも蔑ろなのが、人へ金をかけるということではないか。
今の権力をもつものたちは、若者がいくらでもいるかのように扱う。
お前の代わりなどいくらでもいるのだから、この待遇で働けと洗脳する。むろん嘘だ。

ハッキリ言おう。もう代わりはいない。そういうタイミングになった。
転換点を過ぎたと私は見る。企業はこれから、人材を探すハメになるだろう。
その傾向はもう5年ほども前から現れている。ビズリーチのCMなどを見かけ始めたの
その端緒である。要するに、複雑化するシステムとそのシステムを扱える人材はそうはいない。
そうはいない人材を、今までと同じ20年も変わらぬ体系で、雇い働いてくれとは、
都合が良すぎるのである。

そして、単純労働をさせようにも、それをはいといって引き受けるほどの無知蒙昧な人間も
いなくなったのだ。みんな嫌う仕事には大いに理由があるのだ。
仕方がないので国は、外国人をある意味だまして連れてきている。
日本は、世界第4位の移民国である。
https://gendai.media/articles/-/56296


国のビジョンは明確だ。
・労働者からは搾り取る。(福祉を減らす、年金も減らす)
・外国人労働者は増やす。
・税金は可能な限り企業体・公官庁で使う。(体制を維持のためにつかう)

要するに、弱者を含め庶民から金を「吸い上げて」、その金を自分たちの懐へ流し込む。
既存体制を維持のためにつかうのだ。

全く残念なのは、彼らの体制というのがもう未来がないことだ。彼らの体制を維持するための
コストは大変高くつく。

現在の経団連系企業のメインは工業だ。工業ということはモノを作る事である。
生産して売る。ならば買い手が必要だろう。ではどこに??

日本では、需要の6~8割は内需であると言われている。
ところが、国は庶民から税金を多く取っているので、可処分所得が減り、
内需があっても、購買力がない状態が続いている。

簡単にいっちゃえば、みんなほしいものはあるけど、金が足りないってことだ。
その原因の一旦は税制にある。消費税であり、ものにかかる税金である。
消費税ってのは、ものを買うと罰金がかかるよといってるようなものだからだ。
消費抑制に働くは当然なのである。

景気はあんまり? 当たり前だ、消費するなと国のお達しなのだから。

それでも体制側は困らない。まずは法人税の引き下げ。減税されているのだ。
それから吸い上げた税金で仕事を受ける事だ。国の事業は競争が少ないので、
過剰な金が手に入る。その一部は、黒い金となって、政治家と官僚の手に流れる。

こんな風にして維持しているのだ。競争社会が聞いて呆れる。
我々が知りうる組織ほど、まともに競争などしていないのだから。

モノが一般に売れないから、輸出すればよいというかもしれないが、
それはコストがかさむ。コストを考えると現地で作ったほうが良いということになる。
ということで、産業は空洞化する。現地法人を作り、そこで事業展開することになるのだ。
国内は雇用もなくなれば、仕事もなくなる。

ゼネコンにしても、年がら年中、建物や道路などを作ってはいられない。
物理的なものは、空間的に限界があるのだ。仕方がないので、日本ではおよそ使わないだろう
道路を作り続けているし、せっかくある建物を頻繁に壊す。長く使うことを考えない素材で
つくっては、壊すのだ。

無駄といわれるダムをつくり、現在のような異常気象がくれば、ダム決壊を恐れて
放流し、下流で越水や崩壊を引き起こす。一体なんのためのダムかといえば、ゼネコンの
人間たちの仕事のためである。そのゼネコンも下請けが何段階もあり、中抜きの連続だ。
本当に作業しているのは、先の外国人労働者かもしれない。

要するに工業主体の産業維持体制維持のために、日本は動いているのだ。
それ以上でも以下でもない。それだけ聞くと「そうか」くらいにしか思わないのかもしれない。
だが、それこそが庶民の生活を逼迫させているのだ。

企業の法人税を減らせば、歳入がへる。だから消費税をあげるのだ。
消費税を上げたら、可処分所得が減って、日常品の購入が滞るなんてことは、
体制側企業の連中からみれば、些細なことに思うのだろう。

全く馬鹿な連中である。そして無教養にもほどがある。
無知蒙昧なのだ。背広をきたおっさんたちの殆は馬鹿なんだろう。
残念ながらそういう事実はちゃんと知った方がいい。

我々は生物であり、日々を生きるものだ。
日々、生活そのものがどれほど充実しているか。それだけが「幸福」と関係している。

愛すべき人と仲間がいて、明日の心配なく暮らせること。
我々の幸福はここにしかない。

ましてや社会的ステータスは、マイナスを補うだけであって、プラス作用など無い。
あると思っているなら、あなたは確実に不幸である。(多くの人が完全に見誤っていることの一つだ。)


とにかく、日本政府は、体制維持。これしか考えていない。
体制を変革してしまうようなイノベーション(IT技術とかAIとか)など、
そんなものを求めてはいない。

そして体制維持をしようとして、無理を押し通し続けてきた人のシンボルが安倍だった。
安倍シンパは、要するに体制側の人間という踏み絵である。
庶民が安倍シンパなら、それは愚昧な人間という踏み絵になってしまうのだが。

たとえばゼネコンに務めていて、公共事業に携わっていると。リニアモーターカー事業の
ために駆り出されたと。その仕事が来るのは、自民党政治のおかげだろう。票をそちらに
入れる庶民がいても不思議はない。そして、そういう人間を増やすことで自民党は地盤強化
を図ってきたとも言える。

だが、マクロにみれば、産業と雇用されている人間がいるから、そこに仕事がなければ
ならないという全くの「共産主義」もしくは「社会主義」政策の実行になっている。
日本という国の中身の一部は、資本主義ではなく、計画経済をやっているのだ。

日本政府が体制を維持しようとすると計画経済行為が進展する。
国が次々に仕事を作り出して、事業者に金を流していくという方法だ。

戦後の何もない時なら、ともかくも、もはや、ものに溢れた現代において、そんなものが
必要だろうかと思わざるをえない。

そして、計画経済のもっとも重大な欠陥は、かならず赤字体質になるということだ。
それはひいては国が傾くということである。

そして、現在日本は傾いている。(が、傾いていないかのようにみせる不正が行われている。)

これもまた、日本政府が体制を維持するという事に力点があるからだ。



日本の若者の死亡原因に自殺がある。数少なくない若者が自殺していく。
その原因は、この国が人を幸せにしようとするという価値観がゼロだからである。
そして、この国の体制維持が目的に運営されているからなのだ。

子どもたちを小さなうちからセレクションにかけて、業績をつみあげさせること。
それをアリバイとして、体制側に入れてもらう仕組み。これが受験だ。

本来的には、受験は一発勝負。ところが、業績評価にせよという人間たちが現れた。
おそらく能力の低い連中か、運に任せるのがいやな人達なのだろう。
(受験の良いところは、一発勝負という点と、運という点にある。必ずしも最高を
 選ばなくても良いのだ。そして、世界とはそういうものである。)

こういう世界観を耐え抜いた体制側の人間たちがやることは、なにか。
それは、「自分たちは勝ち抜いたのだから、思い通りにやる権利がある。
自分たちは相応の対価を得る権利がある。」という行動である。

今まで我慢をしてきたのだから、見返りをよこせという考えなのだ。
それをカネと権力で出来ると思っているのだ。

体制側に居続ける事は実に虚しい作業である。むろん、役得もあろう。
だが、そこに開放感などない。大抵は憂さ晴らしなのだ。

一方で、この世界観に属しながら、負けた人々。
そのうちの一部は、不良化していく。ある意味健全だ。

問題はコストが大きかった人達だ。この世界観では負けたら終わりという感が強い。
ところが、絶対に負けるのが人間である。だからこそ誰かが勝つのだから。

結果、負けた側が不用意に過去を振り返ると、体制側を目指した事自体が無価値化する。
合わせて自分の人生も無価値化してしまうのだ。だからこそ自殺につながってしまう。

また、体制側になれず競争社会をくぐり抜けてきた猛者もいる。
が、猛者も負けることがある。特にカネは影響が大きい。
時に、カネで首が回らなくなって自殺ということもあろう。

そして多くの人は、よくも悪くもないという立場にある。
仕事がまったく楽しくないという異常な世界に身を置きながら、
テレビで、不幸な話を見たり聞いたり、お馬鹿なコメディアンを眺めては溜飲を下げる。
もしくは大谷の活躍をみて、自分ごとのように喜ぶ。そうして日々をやり過ごす。
一体、そのどこに人生があるというのか? まあ、他人の事ではあるので、ご自由に。


日本の体制維持には、そのしわ寄せが生じる。
その軋轢がもっともキツイところから、人はいなくなる。
少子化が叫ばれて久しいが、当然の帰結である。

経済がうまくないという指標の一つだ。GDPなんかよりほっぽど当てになる。
生物的に見れば、子供の数が増えていくというのは環境がリッチである証拠だからだ。

翻って、日本ではどんどん子供が減っている。これは急加速する。
もうわかっていることだ。これは予言ではなくて、そうなるという決定事項である。
人口動態というのは予測不能な指標ばかりの世の中で、かなり正確な数値が出る統計の一つだ。

その意味は明確である。この国は暮らしにくい。ただそれだけだ。

そして、それを作り出していのは、政府と経済団体が体制維持だけを目的化した巨大組織
に成り果てたからである。その末路は、どうなるのか。それはまた今度という事で。
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人は弱い。

かつて、参議院議員に中村敦夫氏がいた。

彼は、国の政治のあり方について多くの疑義を訴えた。
「最高裁は違憲状態である。」
「統一教会と自民党の議員の関わり」
「裁判官は行政に出向し癒着している」
「官僚たちは自ら天下り先になる特殊法人など作り出している」
「国の税金を高値で公共事業にばらまいている」
「厚生省は年金を事業に融資して赤字経営で溶かしている」
「官僚と財界には癒着がある」
などなどだ。

本質的には、どれもこれも構造的に起こりうる汚職や不正だろう。
それもこれも中央に金が集まるという仕組みが問題だ。
だからこそ、地方主権、民主権の政治体制を中村氏は説く。

権力が集まれば、そこに様々な癒着が生じる。
そして、権力の継続を求める強い力が働く。
こうして、徐々に権力は腐敗し、瓦解する。


結局、権力とは、自然ではない形に状況を歪めるという際に力を発揮する。
つまり、権力が発揮されたという事は、何か自然ではないことを引き起こしたという事なのだ。
そして、それは崩壊の始まりになる。なぜなら、その行為は物事を歪めたからだ。
物事は歪められると、もとに戻ろうとする。実際的に戻らなくても、ねじれたものは、
その応力によって、形を必ず変えるものなのだ。


なぜ行政がこのようになるかといえば、それは歪めたい事柄があるせいだ。
目的のために、権力を駆使するのである。しばしばそれは白を黒という事になる。
その無理は、どこかで破裂するのだ。

今回の殺傷事件は、歪んた社会が引き起こしたものだ。その遠縁は、
紛れもなく政治的な問題であった。文鮮明という人物を日本に入れたことだろう。

アメリカで脱税で捕まった文鮮明は、本来日本に入国することは難しかった。
逮捕歴のある人物は、入管法5条によって拒否することになっているからだ。

ところが、これを12条による例外として入国を認めている。
その理由の1つが、刑確定後7年経っているということ。
もう一つが、国会議員と意見交換をするためというものだ。1992年のことである。

「北東アジアの平和を考える国会議員の会」というものを
5名の国会議員と一人の元議員がでっち上げて、文鮮明を日本に特例で入国させたのだ。
この議員たちは、統一協会より秘書を派遣してもらったり、献金を多くもらっていた。
つまり、統一協会と関係のあった議員たちが、犯罪歴のある人物をわざわざ招き入れた
という事なのだ。

この時、法務省への圧力をかけた人物として、金丸信元代議士の名があがっている。

つまり、今になって統一協会と癒着があるわけではないのだ。
1970年代からすでに統一協会と政治家には癒着があったという事なのだ。

統一協会の関連団体「勝共連合」にからみ、1990年の衆議院選挙では、
「勝共議員」が105名出ていることがわかっている。

もうとうの昔から、統一協会と主に自民党の議員たちはズブズブであったという事である。

安倍政権になって、いよいよ、表立って関係をあらわにしただけというのが
今回の事件の背後だったわけだ。

霊感商法などの犯罪性などわかった上で、政治家たちは彼らを利用し、そして
彼らに利用されてきたという事である。

これが単に選挙活動だけならばいざしらず、文鮮明は北朝鮮とも関係がある。
その団体である統一協会が政府与党の議員たちと関係がある。
これでは、政府の情報が北朝鮮に漏れ出ても不思議ではない。その可能性があるわけだ。
ところが、公安は統一協会を安倍政権発足後にマークから外してしまった。

つまり、確信犯なのだ。

ちなみに、自民党の高村議員は弁護士だが、以前は、統一協会の主任弁護士をやっていた。
そういう経歴の人物が大臣などを努めていたわけで、果たして日本のセキュリティは
どうなっているのかと疑わしい。

むしろ、自民党は統一協会を通じて北朝鮮と通じているのではないか。
選挙前や政権に都合が悪いことが起こるとミサイルが飛ぶ。これもあながち
ただの噂とは言い切れないのではないか。そんなふうにすら思わされる。

結局、政治の世界では、統一協会との癒着は当然という事でまかり通っていたのだ。
それが今更、表に出てきただけという認識なのである。

だからこそ、それを常識と思っている大臣や閣僚は、うっかりと、
統一協会からの協力をさも当たり前のように語り、それが何が問題なのかと思うわけなのだ。

こういった政治家たちの自分たちだけが良ければ、それでよいという利己的な考えが、
統一協会をのさばらせ、結果として不幸な状態に陥った国民が出てしまったのである。
そのうちの一人が、山上容疑者ということになる。


一方で、山上容疑者の行為は、否定されるべきである。
どんな悪党でも、私刑は許されない。それが日本のルールだ。
とはいえ、そもそもルールを捻じ曲げて、統一協会を放任した政治家連中の罪も重い。

山上容疑者の心理上に、自分を知らしめたいという概念があったことは間違えないだろう。
置かれている境遇は決して本人の問題だけではない。その彼が、もっとも効果的と思った
行為が今回の殺傷事件である。

私には、これもまた構造的な問題なのだ。

社会に居場所を失った人間は、人知れずこの世を去るか、それとも、自分の存在を知らしめ
ようとする。それが暴力行為であっても。なぜなら、それによって彼らは人々の記憶に
留められることになるのだから。

私は犯罪者とは結局、社会が作りだすものだと思われる。社会が受け入れを拒否した人間が
いきつく先のひとつは、非合法な行動であろう。そうすることで、ようやく自分の場を確保
できる人々がいるのだ。

山上容疑者は日本でもっとも有名な人間を殺すことで、何かを得ようとしたのだと思う。
そして実際にそれを得たのだと思う。そこにはきっと対象に対する大した感情などないはずだ。
だからこそ、躊躇なく実行できたのである。

人を貶める事に躊躇ない人間を育ててしまう。それが今の日本の現状なのだ。
一方では、政治家が自分たちの利益のために、犯罪行為を行っている組織と手を組む。
もう一方では、自分の主義の表現として、人を殺傷する。

どちらも、同じ穴の狢である。

それは人の弱さなのだ。

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T協会とJ党 [思考・志向・試行]

あまりに酷いので、批判したい。

報道を見る限りにおいて、統一協会と自民党は単なる表面上の付き合いというわけではない。
100人以上との関係や、内閣のうち7人も関係しているなど、個人的な付き合いというわけでも
ない。

そのメインは故安倍氏の関係者たちだろう。

彼らは、統一協会からの「労働的支援」(選挙活動や政策秘書)を受け、
(判明している個人的な政治献金もいくつかある、下村氏など)、また組織票をまとめてもらう、
一方で、祝電や挨拶、イベントへの参加など、議員バッジをつけている者たちが
統一協会への権威付けとなってきた。

政治家から協会への寄付もいかがなものかとは思うが、それは個人的なことであろう。

これらの大問題は、霊感商法という違法行為をしている宗教団体に対して、
見て見ぬふりをするという事であり、むしろ国会議員たちが擁護する関係にあることだ。

通常、犯罪行為を行う組織は「反社会的組織」として公安にマークされる。
それを「政治の圧力」(有田弁護士談)によって、対象外とし、
更には、統一協会という名前を伏せることで、問題ある団体であることを偽装に
政府が加担した。これが下村氏がやった名称変更の承認である。

(本人は、法的に処理しただけと述べているが、本当のところは疑問。元官僚の前川氏は、
申請受理を拒否したと証言しているので、事務次官か大臣のどちらかが申請を受け付けた
ことになる。)

要するに、関係者の政治家たちは、反社会的組織を擁護し、その見返りに労働力提供と
票の取りまとめという利益を得ていたわけだ。明らかに社会の福利に反する行為である。

その結果、信者たちの被害の隠蔽や、新しい被害者発生が続くことになったろう。
その責任は重たいと言わざるをえない。


それなのに、相変わらず内閣は、統一協会との関係を絶とうとはしていない。
むしろ、今の批判をやり過ごそうとすらしている。何も変える気がないし、変えようともしない。

背後に何があるというのだろうか。彼らがいうようにただ、名前貸し的に関わっていたのなら、
すぐさま、関係性を切ることが出来るだろう。その影響など些細なものだ。
だが、そう言わないということは、事情が違うのだ。

つまり、報道でも暗に示されているように、ズブズブの関係といった方が良いのだろう。
とりわけ、自民党議員がそこに絡め取られている。
自民党に票を入れた人達は、知らぬ間に統一協会の黙認に加担したというわけだ。

無論、自民だけではない。野党にもいる。維新の会もしかり、国民民主もしかりだ。
立民にもいる。
https://henko-movie.com/touitukyoukai-jimin/
https://mainichi.jp/graphs/20220727/hpj/00m/010/001000g/1
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20220804-OYT1T50396/

右派というか、憲法改正論者たち、ないしは、懐古主義者たちの集まりに見える。
つまり、かつての高度経済成長期の社会的風潮を取り戻せという連中である。
左派的な考えをすべて否定したいという人々といえるだろう。

彼らはもっぱら、社会を悪くしたのは左派的な考えや風潮だと思っている。
それは共産党や社会主義などとつながっている。このイデオロギー的バックグラウンドが
統一協会との協同につながっているのだろう。反共産主義という点においてこの連中は
つながっているように見える。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20220809-OYT1T50057/


読者にも、同じように考えている中年や、若者がいるかもしれない。
だが、即刻にその考えを改めた方がいい。

現状の日本の問題点は、むしろ、資本主義の弊害である。
資本主義を過剰に推しすすめているがゆえに、社会に多くの問題が生まれているのだ。

そして日本という国はダブルスタンダードを採用している事。これがもっとも重要な
本質だ。

マクロには世界はグローバル化が進み、明らかに資本主義的価値観の過剰になった。
結果として、人々は互いに競争を強いられ、互いに連帯することから遠ざかろうとしている。
なぜなら、同僚たちはいわばライバルなのだ。

一方で、日本のダブルスタンダードが発揮されるのは、ここの点だ。政府と政商たちは、
自分たちは規制の外になるように法律を仕組んでいる。そして規制で業界をがんじがらめ
にしておいて、自分たちの利権を最大化しているのである。いわば関所である。
取引がしたかったら、認可が必要としておけば、認可のために、企業側は官僚にすりよる
ほかない。賄賂や天下りは今も平然と行われている。

政府は自分たちの周りに関しては競争させないように、つまり新規業者の流入を拒み、
特定事業者に肩入れする。こうしておいて、社会的下部、つまり庶民については、
個々人の責任として、競争させているのである。

グローバル化によって、世界と競争を強いられる企業。
日本はこの企業群を保護することで、産業を守ろうという発想なのだ。
なぜなら、政治家たちや官僚たちは、企業と癒着しているからであり、
それで今までうまくやってきたからだ。

ところが、当然ながら、グローバルはまってくれない。世界は変化する。
とりわけ情報産業は、発展が早い。物理的な発展の律速がないからだが、
そのような産業を相手に、かつての重工業産業主体の日本は全く追いつけなくなったのだ。

経団連から国に献金が出ている。政治家たちは明に暗に、彼らの言い分の都合をつける。
その方法の一つが、消費税の増税と、法人税の減税だ。個人からの税を増やし、法人からの
税を減らした。これは公然の事実である。消費税が社会保障費などという戯言を信じている
なら、間抜けにも程がある。(ご老人方においては、もうしわけないが本当に間抜け
かのかもしれない。)

個人の所得を奪って、その分を国が保護する企業群に補填する。これがマクロでみた日本の
経済構造である。一番あおりをくうのは、零細企業に務める労働者たちであり、99%の人たち
があおりを食らっているのである。

そして、99%の人々は常に、無知蒙昧である。このブログでいくら真実を書いても、
全く読む気がないか、理解しないのだろうし、理解したところで、相変わらず自民党に
票を入れるのだ。そして、多くのサラリーマンたちはアホな事に、選挙にいかず、
勝手気ままに自分たちの金を巻き上げる連中をほおって置くという事なのだ。

このような社会をもっと推し進めた国がある。それがアメリカである。

今のアメリカでは、30代くらいの若者が平気で首を切られ、ホームレスになっている。
それは雇用を規制する法律がゆるいせいだ。社会不安が増大している。

日本はまさに、そういう国になりたがっている。日本人はアメリカのような
雇用不安定な国になりたがっているのである。これはむろん、皮肉だ。
日本人の殆どはそうなってほしいなどとは思っていない。が、それを遂行する
人々を選挙で選んでいるのである。

誰がそれを推進しているのか??

それは、官僚たちと自民党を主体とする「保守」という連中たちである。

日本では語義矛盾がある。自民党のように社会変革を推し進めるのは本来革新政党だ。
保守ではない。だが、なぜか保守と言われる。まったく異常な事だ。

いいだろうか。ここにもダブルスタンダードがあるのだ。

自民与党の政策は、複数の団体の寄せ集めのようなものだ。
一つは、反共産主義というイデオロギー。
もう一つは、アメリカ主義。

この日本という国は、背後にアメリカの主義が圧力としてかかる。
戦後にわたりずっとそれが存在し続けた。そして、アメリカは日本をうまく操作する事
だけを考えてきた。日本の政治家たちで良心あるものは、日本の国益のために、アメリカに
反意を示した。すると、あっけなく政権が崩壊するのである。

安倍氏が長期政権を保持できたのは、安倍氏の八方美人のなせる技だ。
アメリカに対して、とにかくしっぽを振り続けた。だから集団的自衛権を可能にする
安保法制を強引に採択した。また、アメリカ軍に代わってアジアの戦力増強のための
軍備を拡張しようと、防衛費の増額を決めた。これらはアメリカの意向であろう。

安倍氏は以前にも書いたが、要は便利は「操り人形」なのだ。

アメリカの意向は他にもあった。日本の産業に外資が投資できるようにすることだ。
特に、日本人がため続けた貯金と年金に目をつけられた。それが小泉内閣から続く
規制緩和と名ばかりの擬態された経済政策である。あれはゆうちょを解体して、
そこに外資が入り込めるようにしたかったのだし、年金はいまや株買いの資金である。

知っているだろうか? 日本の銀行など株主を。外資が6割、7割を占めるという。
つまり、株価があがり配当が出れば、日本は外国に金を渡しているということになるのだ。

アベノクソミクスによって、株価があがってバンザイとかいう日本人は何もわかっちゃいない。
あれは日本を売り飛ばす政策であり、今も尚、それを続けているのである。
およそ日本が国債を発行できる限界値まで行った時、彼らは売り抜けてさらに儲けるのだ。

この限界をあげるには、国債発行を止めてはならぬと、国債を買わせなくてはならない。
また、株価を維持するには買い手が多い方がいい。だからこそのNISAや個人向け国債なのだ。
要するに、仕組みの継続のために、わずかな利得と引き換えに貯金から株や国債へのつけかえ
を世間には迫っているのである。いざとなれば、損をしてしまいましたで、資本を取り上げる
事ができるからだ。むろん、うまく成長すれば、配当も出るだろう。仕掛ける方にしては、
何も損をしない。乗っかる側はハイリスク・ローリターンである。

この流れに暗躍しているのが、日本の官僚たちである。
とりわけ財務官僚などは、アメリカ帰りのエリートたちだ。

ということは無論、アメリカ型社会を是とする人々である。
アメリカ型経営を推進するならば、経済システムも似せる必要があると思うだろう。
習ったことに忠実に政策を模索するならば、必ずアメリカ型になってしまう。
その一端は、竹中平蔵氏たちのシカゴ学派における新自由主義思想だろう。

雇用を流動化して、競争力を高め、生産性をあげろという。

これは、奴隷にムチをうって、体を痛めつけておいて、労働成果を増やせ。と同じだ。

体ならまだしも、現代は精神にムチうつことになる。ダメージをおった人が
労働成果をふやせると思っているなら、全くのどあほうだろう。
自分で傷つけておいて、パフォーマンスがあると思うのは、異常者だけだ。
ああ、日本には異常者が多かったのだったっけ。

官僚に話をもどすと、もうちょっと賢い視野の広いエリートもいる。
日本政府がやっているやり方のまずさは、よくわかっている。
だから、そこに加担するのもバカバカしくなる。ならばと外資などに転職するのだろう。

現代の日本の本当に優秀な人は官僚から離脱している。残っている人達は、
よほどの人以外は、官僚という立場を利用したいか、官僚でなければ、できない貢献もある
と信じている人か。そんなところだろう。

結果として、劣化した官僚たちが今の日本で政権を支えているのだ。
彼らのイデオロギーは、「現状維持」ならぬ「現状追認」。正確には流され主義である。

アメリカの意向があれば、それに従い、政治家の意向があれば黒塗りにもする。
企業からの意向があれば、良きに計らう。ここに民衆は出て来ない。
むしろ、官僚たちは「馬鹿な民衆に代わって」と思っているのだろう。

日本を良くしようと思っているのかもしれないが、その目指すところがアメリカ型なのだ
としたら、改悪になる可能性が高い。事実、アメリカは経済で失敗している。なぜ
見習う必要があろうか。

成功しているのは北欧系の高福祉社会ではないか。なぜそう出来ない?


ここに自民与党の政治を思い出そう。
彼らは、結局、バラマキ政党だ。

中高年たちが票田である。社会のロートルたちの希望は安定した老後だ。
安定した老後のためにどこに票を入れるか。自民や維新みたいな懐古主義の方が、
<共産主義>に見える共産党、社民党やれいわより、ましではないか? 
そんなふうに感じているのかもしれない。

が、理念からいえば、安定した老後がほしけりゃ、リベラルつまり福祉重視の政党に票を
入れるべきなのだ。一部の老人たちはそう行動しているが、かつて自民党にお世話になった
高度成長期に恩恵をうけたグループは全く駄目だろう。意識を変えることは不可能かもしれない。

また若者たち全般は、安倍氏の政治しかしらない。それで良いと思っている。
何もまだ知らないからだが、現状維持で良いと考えるだろう。

加えて、経済的にあおりを食っている人々。おもに40代前後の青年たち。
彼らの自尊心はズタズタである。本当なら就職し結婚し、子供がいるそんな普通を享受
しているはずなのに。そうはならなかった人達。彼らの精神的渇望は、自己投影によって
図られる。強いものに自己同化するのだ。ネトウヨが跋扈するのは、強く見えるものへの
同化である。メディアに出ている権威にすがるというのはもっとも無知な行為だが、
それがもっとも楽なやり方である。

権威は強く見えなくてはならない。加えて何を行っているのか単純でなければならない。
自己投影するような輩たちがついていける内容が必要である。その結果が、敵と味方に
二分し、スケープゴートを作って、叩くというやり方である。これは人類の伝統である。

2000年前に、キリストが磔にされたのは全く同じ論理である。全く変わらない人々が
今もいるとい事だ。

ともあれ、権威に同化し、弱者(自分ではない)を叩く。これをもって快楽とする人々。
こういう連中らもまた、自民や維新などを支持する。


こういった、人々をとりまとめているのが、自民党であり、衛生政党の維新である。
彼らの主張は短絡的であるがゆえ、短絡的な人々に届く。一方で、野党は説教臭いのだ。
そして、全般に「啓蒙的」である。まるで私のブログのようだw

だから、人気を得ることは難しい。むろん、これがヨーロッパであれば別だ。
文化的な背景が変われば主流は違うだろう。が、現状の日本は、とにかく自分が
心地がよければそれでよいという、他者への共感や、協力という視点がすっぽりと
抜けている人々が表に立っているのだ。

他者を怖がる人々。そういう人達こそが表にいる。他者を信頼できないから、
自分の領分を確保しようとする。そういう人間たちこそが、タカ派になる。
不幸な人達だ。そして、不幸な人達はこういう言動に賛同する。なぜなら、自分の
責任を棚に上げて、誰かを悪者にできるからだ。

統一協会のもっとも醜悪なところは、不幸な人にすり寄り、財を没収する点である。
不幸な人に安寧をもたらすはずの宗教を利用して、さらなる不幸を作り出す。これが
統一協会の行為の悪である。

彼らは非常に賢い。私にはそう映る。
自分たちの存在を担保するには、国からの抑圧を回避する必要がある。
そのためには何ができるだろうか? まずは政治家を懐柔させれば良い。
もしくは利害のある企業などとも同盟を結べば良い。

彼らはそれを何十年という単位でやってきて、それによって現状のように政治に深く
食い込んだのだろう。計画的なのだ。

その最終目的は、教義に即した政治や経済体制の確立なのだろうか?
それともキリスト教のように、政治との一体化なのだろうか。

ともあれ、彼らが信念をもって行動する事に比べて、我々はあまりにも貧弱な思想的
バックボーンしかもっていない。それは俗世間でうまくいきるというだけの事。
ガチンコ勝負で勝てるわけがないのだ。

うまく利用されてしまっている政治家たちを批判しても、始まらない。
だが、彼ら人気商売だからこそ、彼らが手を切るというメッセージは大いに影響を持つ。

むろん、すぐには出来なくても良いと私は思う。が、数年かけてでも、
手を切るべきであろう。でなければ、国がカルトに絡め取られるという事なのだから。


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夏のデザート [その他]

最近は、貧乏だ。ひどく貧乏なのだ。
特に贅沢をしたわけでもないのに、懐が涼しいのだ。
世の中、ひどく暑いというのに。。


とにかく貧乏なので贅沢は出来ない。
いつもなら、デニーズ。愛しいデニーズ。
ブログ読者はご存知だろう、私はデニーズファンである!!(どーーーーん)

だが、デニーズはちょっと、だいぶ、結構、お高め設定なのだ。
そう、今となっては高嶺の花。ああ、あんみつパフェ。。。はあ、はあ。

くっ、今は少しでも節約せねばならぬ。
このクソ暑い、失礼、灼熱の地獄の中で、遠くにみえるデニーズはまるで
蜃気楼のように消えてゆく。ああ、私の人生どうすればいいのだ?


そんな折、道端にて、フランス語っぽい文字の店が目に飛び込んできた。
「Châteraisé」とある。

え? 読めないって?

泣く子も黙るシャトレーゼ様だぞ!!


何を隠そう(隠してないけど)、シャトレーゼは、山梨発のお菓子チェーンである。
詳しくはこちら→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%BC


そして、いまや全国区にまたがり、なんなら海外にも進出中だ! ←さっき知った。


諸君、覚えておいてほしいこれだけは。小さな声でいおう、
シャトレーゼ、何を隠そう「安い」のだ!! や~~~~す~~~~~い~~~~!!

こういうと語弊がありそうだが、安いデザートが買える庶民の味方なのだよ、ワトソン君!


最近は、暑さ避けにミストを店先で振りまいている。
なんと、ハイカラな!← 死語

ミストに誘われて、シャトレーゼに一歩、踏み込むと、涼しい。さわやかー。
ふう、大いに涼めるぜ! ←モクテキチガウ


シャトレーゼでの目的といえば、そう「ダブルシュークリーム」である。
https://www2.chateraise.co.jp/products/104238.html?&scrollPosition=500

無論、誰でも知っている。なにしろ、教科書に載っているほどだ。 ← ぜひ載せて♡

シュークリームの王様が、ビアード・パパのサクサクシュークリームだとすると、
このシュークリームは、絶対的王者! マハラジャじゃ! ← なんかちがう


ダブルシュークリーム(108円税込)。

おお、輝ける黄金のシュー。
口に咥えた食感、柔らかさが絶妙だ。

そしてトロけるクリーム。王道のカスタードクリーム、、、、だけじゃない!!!
そう、生クリームも入っておるのじゃ!! マハラジャじゃ! ← なんかちがう

カスタードそして生クリームからの、カスタードと生クリームのダブル攻撃!

もう口の中が、クリームの楽園なのだ。


何よりも、この絶品が108円というリーズナブルさ!
すごい、ゴイスーですよ、シャトレーゼ! いや、シャトレーゼ様!!


あまりの美味しさに腰がぬけたようなぬけなかったような、
ほっぺたが落ちたような落ちなかったような、
いやあ、本当にデザートっていいものですね(水野春朗風)


というわけで、本当は教えたくないけれど、
シャトレーゼのシュークリームは美味しいので、
ぜひ、食べていただきたい。


近所に店舗がなくても、通販可能らしいので、食べたくなってしまった、
そこのあなたもゲッツ!


え? 今度はシャトレーゼの回し者かって??
いえ、回され者です。本日もよく回っております。


追伸:
 アイスもうまいのです。チョコバッキーもオヌヌメです。
 https://www.chateraise.co.jp/campaign/chocobucky
1本60円。でも十分堪能できまっせ。
 コンビニアイスがバカバカしいくらいです。

 これも知らないなんて、月に代わって、お仕置きです!!



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なぜ管理をしたがるか? [思考・志向・試行]

それは、責任を逃れたいからだ。
そのもっと背後にあるのは、他者を信用しないという態度である。


他者を信用しない者は、他者を管理しようとする。
管理される側は、管理するものを憎む。恨む。
これは自然な感情である。
だから動物園の動物はしばしば飼育員を殺しにかかるのだ。

よって、部下は上司を憎む・恨むのが普通である。
経営者は投資家を、生徒は先生をだ。

一方で、話はこじれる理由がある。
恨み・憎しみの対象としての上司は、自分の社会的「生殺与奪権」を握っている。
いまや、現代人においてはそれは「殺人」に等しいほどの権限である。

社会的な痛手を被るくらいなら、従った方がいい。これくらいの知恵はヒトにはある。

この認知的不協和の解消は、おかしな方向へ向かう。
それは、「上司を素晴らしい」とみなす方向へとだ。

なぜ、自分がこの人のいうことを聞かねばならないのか。
この合理的な判断は、「聞く必要などない」である。
だが、首根っこを掴まれている人間にとっては、それは出来ない。

すると不協和の解消のため、上司を素晴らしいものに変えれば良い。
上司は素晴らしいから従うと考えれば、辻褄があう。


結果的に、上司は自分より優れていると思い込む事によって、
そもそもの感情に蓋をすることができる。

そのうちにこう思う。自分も上司のようになるのだと。
本来、嫌うべき存在に、自らなろうというのだ。
そのようにして自己を守らねばならないという事がどういうことか。

このような合理化はおよそ無意識的に生じるのだろう。

これは、かつて、親に対して行ったこと事と同じかもしれない。
多くの親は、子供を支配する。支配される子供もまた同じ心的過程を抜けていく。

内側にある恨み・憎しみは、表には現れず、むしろ、その対象に同化することで
事態をやり過ごすことになる。気がついた頃には、自分がその上司になっているわけだ。

このような過程を経ているがゆえに、
万が一にも、部下が自然な感情をあらわにすると激怒する。

激怒の仕方はいろいろだ。グチグチとなじる上司もいれば、怒鳴りつける上司もいるだろう。
もっと陰湿な形でいじめる上司もいるかもしれない。

なぜそこまで上司が怒るのか。それは、自分が抑圧してきた自然な感情を見出すからだ。
それを抑圧する事で、耐えてきたのに、それを他者がやらない事に不満があるのだ。
不満というより、激しい嫉妬というべきかもしれない。自分が出来ないことをする奴を
嫉妬するのはしばしば生じる事だ。

攻撃とは、つねに「守り」である。

この場合は、自分の自然な感情を無視ないしは抑圧してきたという思想を踏みにじられた
という事に対する「守り」が、怒りとなって噴出しているのである。

人はプライドを持っている。プライドを踏みにじられたと感じた人間は恐ろしい行動をとる。
問題は、そのプライドの源泉となる価値観の歪みなのだが、それは文化的に規定される
ことであり、本人の責任とまでは言えない。

とはいえ、許容することは可能である。
自分の世界観が確固としている人ほど、怒りっぽくなる。それは守るべき世界観を意味する。
必要以上に世界観にこだわることは、許容を狭めてしまうだろう。

結局、因果応報なのだ。
人は文化に遅れて登場する。文化にはひどい偏見や暴力が内在している。
そのようなものから自由な人間は誰一人としていない。だが、その偏見や暴力への対処は
変えられるものである。

所詮、人は人ができる事しかできない。空を飛んだり、海に潜ったり、宇宙を移動するのは
無理だ。同じように、文化に浴さずに生存を確保するのは無理なのだ。

とはいえ、価値観は変えられる。不本意かもしれないが、
自分の部下には、自然な感情を許せば良いのだ。

同じく、経営者にも、生徒にも、子供にもだ。

これに耐えられる大人は殆いない。
殆どいないがゆえに、同じような価値観の人々が毎日毎日生成されていく。
人類とはそういう種族である。

物事を理解しても尚、自分の中に巣食う根深い文化には抗えないものだ。

こうして、我々はまた争いを、戦争を、テロリズムを繰り返す。
こうして我々は、専制政治を、ファシズムを、独裁国家を作り出していく。

その根幹は、他者から支配されたという感情の隠蔽に由来する。

かつて戦争がない時期があった。狩猟採集時代には大きな争いはなかった。
人類が争うのは、およそ食料確保の知恵と、その所有とによる。
つまり、資源の奪い合いである。人が多すぎるのだ。

多すぎる人がなんとかやっていくために、国による支配が生まれた。
暴力を背景として、人を従わせる方法だ。

そう、国はまた、他者支配される人間を作り出す。
その人間たちは、支配からの脱却を求めて、争いを始める。

エンドレスである。

およそ、人類という種は、どこかで共に争い滅びる運命かもしれない。
他者支配という文化から、脱却するしか、争いの芽をつむことは出来ない。

だが、他者支配こそが、どうにか多くなりすぎた人類のバランスをとる仕組みなのだ。


毎日が苦しいのは、常に、人生を生きる間ずっっっっっっっと、他者支配下にあるからだ。
少なくとも日本に生まれたものは、他者支配を生きる。

ここから少しでも脱出しようとするならば、金に支配されない程度に経済的余裕をもつか、
ホームレスにでもなって、実質社会から外れてしまうかであろう。

本来自由のはずの人生は、他者支配により、苦しいものになる。


他者支配が苦しいだけか?
実は、そういうわけでもない。人は支配されたいと思う存在でもある。
それは、責任回避である。最初に戻ってきた。

人は自分で何かを決定することを厭うからだが、この話はまたいずれにて。
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