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今後の日本 [思考・志向・試行]

現在の日本では、株高と円安が進行している。
これに対する解釈は何があるのか?

株高は投機という事であり、
円安は円の価値下落という事。

円安ということは、日本の価値が下がったということ。
要するにお買い得な安売り物件になったということだ。

この安売り物件に中身があるのか、ないのか。
まだ崩れるには時間があるとみなした投資家たちは、
日本の資産を買うという行動にでる。

この一部が株購入だろう。

アメリカでは利上げが続く。
借りている人たちは利益を圧迫されることになる。

借りる側は二の足を踏むようになると、
金が余っている人たちは、その余剰分をどこかで運用しようとするだろう。
この金の一部が日本に流れているという事。

日本の株が買われているが、別段、日本人が得をしているというわけでもあるまい。
このバブルは、いずれ日本株のたたき売りが始まった時に崩壊する。

株価が上がる前に株を買い、上がったら売れば良い。
もしくは、どこかで下落を見込んで、株を売っておき、
下落時に買い戻せば良い。

投資家にとってはどちらにふれても問題はない。
要するに差分が取れればそれで良いのだ。

この現象をこれ以上深掘っても意味はない。
ここで結論は、要するに経済に力があるという意味で株価が上がっているのではなく、
余った金で、日本が安く買い叩かれているという事を確かめたことである。


日本はあらゆる面で、今後、身売りが始まるだろう。
株式会社が外資に飲まれて行くことは当然な流れ。
それ以外に、土地やインフラなどにも外資が流れ込んでくる。
日本が経済的に侵略されてしまうのだ。

それをもっともサポートしているのが自民党政治である。
自民党は売国奴政治である。日本の産業を潰してでも、海外の資本家に有利な
法整備や条約を結ぶ傾向がある。なぜなら、それによって政治的体制維持を
図ろうとしているからだ。アメリカに目をつけられると、どうやら政治体制を
維持するのが困難になるらしい。

自民党は外資をひたすらに呼び込もうとしている。
その理屈は酷く、卑屈なもので、要するに外国から金を得られれば良いのだろう程度
の発想である。実際に売り渡すものは、国民生活や健康福祉や、環境など、
本当に価値あるものばかりだ。本来は国が守り、外国を排除するべきものを
なぜか日本では売っぱらおうとしている。

その一端は、土地であろう。例えば日本の土地に中国資本が投下されている。
https://imidas.jp/jijikaitai/c-40-079-12-09-g456

もちろん、まだまだごく一部だ。現実的な問題として浮上してくるのは今後である。

もっと大きな問題は、日本の健康保険だろう。今マイナンバーカード化することで、
様々なトラブルが生じるが、この混乱に乗じて、健康保険を解体するという話にも
なりかねない。もしくは、脆弱化させようとするだろう。その変わりに外資による
保険販売が参入する可能性が大いにある。

日本がアメリカ型の保険に追随するとなると、いよいよ医療が金持ちのための仕組みになる。
貧乏人はまともな医療を受けられない状態になるだろう。国民の健康が売られるのだ。

国がやるべきことは、国民の福祉の増大であろう。
ところが、自民党政治はその逆で、常に、体制側の利得拡大を行う。
供給側にとって有利になることしかしない。

それが故に、日本の国民は毎日のように貧乏になっていく。
過剰な税を取り立てられ、それが福祉には回らず、軍事費になったり、海外にばらまかれたり
する。国内では大企業に仕事が配分され、その一部を政治家がキックバックを受ける。

要するにがめつい彼らのやりたい放題がエスカレートしているというわけだ。

国民のせいぜいの抵抗は、デモやスト、サボタージュなのだが、
日本国民はあまりのも愚かなので、これらを非常識といって白い目でみるのだ。
そして、自らは、政府のいいなりの奴隷になることで延命を図ろうとする。

国は売国奴となって、国民の生活を売り飛ばし、その金を自分の懐に入れつつ、
国自体を衰退させていく。

まるで、自分の体を食べる狂人である。国民という手足を切り取って食らい、
お腹いっぱいになって、それで良いとうそぶいているのである。
手や足がなくなったら、どれほど不便になってしまうのか、そういうことに
気が回らない。

国民生活は、貧困を突き進む。これはもう避けられない。
安倍政権がその道筋を確固たるものにしてしまった。黒田バズーカなどと、
馬鹿の一つ覚えで、ガバガバの金融拡大をしてしまったのだ。

そのツケはこれから払うが、果たして払えるのか?

払わないと駄目だと、借金部門の管理者である財務省が訴える。
だから、増税につぐ増税。

ところが、増税をすれば、必然的に可処分所得が減る。
可処分所得が減れば、市中の経済は滞る。
日本は8割が内需の国だ。その経済が衰退するのである。

当然、金がなければ物を買えない。ものが売れないので、
生産者が減る。生産量が下がる。生産量が下がれば、ものの値段は上がる。

給与が減っているのに、ものの値段は上がる。益々買えなくなる。

これに加えて円安だ。安倍がやった事のツケだ。
原材料費が高騰する。その価格転嫁が起こって、ここでもまた商品の値があがる。
つまりインフレが加速する。

結局、経済全体ではスタグフレーションが生じている。
その一端は重税であること。円安である事。

個々人が努力していないからという話があるが、ウソも八百である。
どんなに能力をあげようとも、どんなに営業努力をしようとも、
みんなに金がないのだから、買うわけがない。買う人が減れば、
あとはその奪い合いでしかない。

一部の金持ち相手の事業か、小さくなった購買力に合わせた薄利多売か、
この2つしか商売の方法がなくなるのである。

この事態に追い込んでいるのは、国の方針である。
重税を一律に課すのではなく、やはり傾斜的に税をとるべきなのだ。
裕福なものから税をとるのは当然である。それは本人が稼いでいるのではなく、
仕組みが稼いでいるのだから。

法人税を増やして、消費税を減らし、みんなの可処分所得を増やすことだ。
資本主義を守りたいならば。

おそらくは、現時点の問題の殆どは、資本主義の歪みから来るといっても過言ではあるまい。

競争が行き届けば、結局、大型な商店しか生き残らない。つまりイオンのような
スーパーに小売店が駆逐されるのだ。一方で工業製品などマスプロダクトの販売は、
ネットを通じてダイレクトに売るのだから、Eコマースの巨人が仕切ることになる。
それがAmazonや楽天であろう。

可能な限りビジネス作業を消費者側に押し付ける事で成り立っている。
メルカリなどはその典型だろう。手数料ビジネスとはそういうものだ。

便利になる一方で、効率化した社会では、多くの人は貧乏になる他ない。
貧乏人は社会的地位を向上させる手段を得られなくなるだろう。
様々な金銭的障害を作り出して、貧乏人の生活向上を阻むのが政治のやり口である。

高度経済成長期を過ごしたおっさんたちが日本を動かしている。
そりゃ、日本が悪くなるのは必然的である。時代が変わったのに、
今もかわらず、ノルマやら勤怠やらを昭和と同じすたいるでやっているのだ。
収益が安定するはずもなく、衰退しているのに体制を崩せないと、
つじつま合わせに奔走している。

上司は利益の上がらない部下を怒鳴る日々だ。
上司は更に役員たちにどやされる。部下は部下で、家にかえって妻を殴ったりする。
子供をなじったりする。

しかめつらで、人生の殆どを過ごす人々。一体何のために生まれてきたのか?

それでも、彼らは資本主義で生き残るのだと、日々、無意味な努力を続ける。
どれほど書類を書いても、どれほど会議を続けても、産業構造がそれを簡単に跳ね返す。
無意味すぎる行為。でも、どの会社でもアリバイを必要としている。
こんなに働いているのですと。

毎日、午前中に穴をほって、午後に埋めるような仕事をして、労働が大変とか
いっているわけだ。仕事が忙しいという人は基本無駄な事をやっている人なのだろうと思う。

そうこうしているうちに、
日々の生活の質はだだ下がりである。日用品を百均でまかない、あらゆる物品をメルカリなど
中古で済ませ、食べ物も加工食品ばかり。生活の質を下げれば健康の質がさがり、
病気になっていく。ここに仕事というストレスが加わる事で、結果、おかしくなってしまう。

若者は家庭を持てず、子供は生まれず、いよいよ人手不足が露呈し始めた。
少子高齢社会が限界までいけば、社会は崩れ去るのみだろう。
それなのに、自民党政治はそれで良いと傍観しているのだ。


結局、このまま行けばどうなるか。
日本人は減る。減ると労働力不足で、あらゆる産業が衰退へと向かう。
日本は先進国を終え、衰退国になるだろう。

国民は一部の金持ちと、多数の貧乏人に階層化される。
結果、ますます少子化が加速する。一部の金持ちたちは、いよいよ外国へ逃亡。

多数になった貧乏人は犯罪に走る。治安はますます悪化していく。
街には若いホームレスがあふれるようになる。都市部では顕著だろう。
刑務所に入れる犯罪者はマシで、刑務所以下の施設が作られることになるだろう。
およそ労働マシーンにさせられるか、兵役を課せられる。

今の自民党政治は憲法を改正し、大日本帝国憲法化した時代遅れの国になる。
めでたく、北朝鮮と肩を並べるということだ。

街は画一化していき、URの建物が増えるだろう。
戸建てなど、過去の遺産になる。あと50年もすれば朽ち果てるのだ。

国民のIQは下がり、従順な群れになる。何も考えないほうが楽だからだ。
一方で、統治者も同じように頭が悪くなるので、AIが代わりに統治するようになる。
神のおぼしめしで、実は社会はうまく回るようになる。

むろん、このような方向性の外から、新しい人たちが出てくる。
ギフテッドと呼ばれるような人たち。彼らは、学校にいかない事によって、
政府の洗脳から逃れる。社会の外側から、日本社会に新しい物事を始めるだろう。

現状のおっさんたち、つまり、自民党政治を内面化している世代が弱まり、
谷間世代の氷河期世代が、権限をもつならば、あたらしいギフテッドたちと
うまくやることで、新しい産業がうまれる。そこに投資するまともな外資が
出てくれば、日本という国ではなく、人類という意識に基盤をおいた社会生活が
生じてくるはずだ。

はっきり行ってしまえば、ネーションステートはもはや意味がないのだ。
日本が~とか言っている時点で、いろいろ終わりなのだ。

我々はすでに人類を生き始めているのだから。

もちろん、抵抗は続く。現状勢力は、このような動きを強く牽制するだろう。
残念ながら、新しい動きは数の力で、日本国内では封殺される。

やむなく、能力のある若者たちは諸外国へ出ていくことになる。
もっともありそうなのは、気候が似ているオーストラリアやニュージーランド辺りだ。
間違っても、アメリカや南米、ヨーロッパはよした方がいい。

英語主体の生活がいよいよスタートする。
日本文化とは、おそらく過去の遺物になるだろう。
もちろん、機械翻訳が格段に向上しているので、年寄が発言する場合の言語障壁は減る。
だが、老人の知恵を借りようという若者は日本ではごく少数になるだろう。
何しろ、日本を壊した老人たちである。聞くだけ野暮だろう。

若者たちは世界の若者たちと連動して動く。
それによって、人類という意識に基づいた政治や経済が動き始めるのだ。
私はそんなに遠い未来ではないと思う。100年しないうちにそうなるのではないか?

ネーションステートにこだわるのは、今の老人たちが、「おらが國」にこだわるのと
似ている。それはパトリオティズムとして生き延びる。ナショナリズムはファッショとして
排除されるべきだろう。


一方で、もっと破滅的な結末も想定できる。

日本政府が憲法改正にこぎつけるのは、おそらく開戦間近になったときだ。
世論の反対を押し切って、尖閣諸島で中国とぶつかり合うのだろう。
それも、日本が先制攻撃をしてという事で。

これによって、時の首相、おそらく小泉進次郎あたりだろうか、の支持率は80%などになる。
反対派は弾圧され、裸足のゲンの二の舞いだろう。

中国は防戦のためというだろう。
やむを得ず、台湾を盾にして、日本を攻撃する事になる。
日本攻撃を防ぐためという口実により、中国軍が大陸から台湾に駐屯することになるからだ。

日本は兵役をおこなって、人海戦術をやろうとするが、
もう時代遅れも甚だしい。中国の兵器の大部分は無人である。
サイバー攻撃やドローン攻撃によって、九州辺りの都市は被害を受けるだろう。

こうなれば、日本の狂気はマックスになる。
総力戦上等と言わんばかりになる。

これを恐れる欧米各国は、すぐさまに経済的制裁や資源の制裁を加えるだろう。
圧倒的な不利な戦いのなかで、日本は沖縄を中国に取られて、停戦。
戦いが長引けば、原発を人質に取られて、降伏宣言することになろう。
ドローンが原発上空で待機するという異常事態で日本は簡単に降伏する。

結局、軍備拡大などしても、日本は負けるだけ。
日本は、スイスのような中立国化するくらいしかやりようがないのだ。

およそ、このような戦争ができるのはこの先20年以内程度。
ちょうど、戦中派が死に、戦後の連中が取り仕切る時代。
それ以後になると、今のおっさんたちに煽られた今の20代、30代が、
どれくらい右翼に目覚めているか。戦争を肯定する人間より否定する人間が
増えると思われる。そうすると、開戦はさすがに難しくなるだろう。

というより、開戦の意味がわからないとなるだろう。
中国は敵ではなく、うまくやらねばならない隣人なのだ。
なにしろ、これから50年くらいは中国の時代なのだから。



過去のおっさんたちは、資本主義こそが明るい未来を作ると信じてきた。
今もナイーブに信じていることだろう。だが、資本主義の仕組みと、
おっさんたちが信奉する「日本」なるものは、相容れない。全体主義と
資本主義は噛み合うはずがない。

日本は資本主義で発展したわけではなく、社会主義で発展したのである。
護送船団方式とは、社会主義いや共産主義の手法であろう。
国が産業を主導するなど、資本主義ではありえないのだ。

その日本が、規制改革だの何だので、資本主義を歪めて日本社会に押し込んだ。
それがこの30年である。市中の国民は、競争社会を生きろと宣伝し、
大企業には、国の言うことを聞けと、共産主義の計画経済を押し付けた。

ソ連が崩壊したのは国が主導して経済を切り盛りしようとしたからで、
そんなものうまくいくはずない。が、まさに日本は、国が産業を作り、
それに大企業が乗っかることで、昭和をやり直そうとしている。
もう無理だっつーの。

リニアを作り、オリンピックをやり、万博をやり、お前ら70年代かよと。
頭が悪すぎて、恐ろしいのだが、それが日本の程度という事だ。

一方で、国民は受験という者を通じて、社会階層化をし、
従順な国民という兵隊を作り出そうとしてきた。自らがそれを選んでもいるし、
それをさせられてもいる。日々、大きな事を考えることはやめて、
日々のことだけを生きる人間になっていく。享楽的な生き方しか出来ない。

政治や経済? わっかんなーい。

スマホでゲームをして、メルカリで余分なものを売り、
パチンコで金をすりながら、酒と煙草でストレスをなだめ、
生活に必要な金を工面するために、仕事に縛られている。

「迷惑をかけてはいけない」

多くの人はそれだけが社会性の発揮になる。
価値観を醸成せさることも、人生哲学を磨くこともない。
そんなことをするのはごく一部のもの好きだけである。

「迷惑をかけてないのだから、これくらいいいだろ」

そんなふうにすぐに変化する。
そして、

「みんなもやっているじゃないか」

とちいさなズルをする。

小さい人ばかりな日本。でも、それで良いのである。日本人とはそういう国民なのだ。
私はもう諦めている。今の日本人は仕組みにはまり込んでいて、どうにもならない人たち
である。その人達が、お馬鹿な行為に励んでいるのは、当然であるし、物事がうまく
いかないのは当然である。何しろ、うまくいく方法を常に否定するのだから。

目先の利益を放棄さえすれば、もっと幸福なるし、生活も楽になる。
儲かっている人から多くの税をとって、再分配すれば、もっと生活は豊かになる。

でも、それはしない。どうすれば良いのかわかっていても、やらないから、
状況は変わらない。変わらないどころか、より悪化する方向にすすめていく。
彼らの言い分は自分たちのやり方が悪いのではなく、やり方が徹底していないからだという
倒錯した論理によって、物事を決めているからだ。

多くの人が余計な仕事を背負い込んで、それを真面目にやっている事、それ自体が
うまくいかない方法の代表的行為。でも、それがうまく方法だと信じ込んでいる。
一体なぜ???

結局、自分の頭で考えて行動するという、一番の基本が存在しないからだろう。
日本という社会でのもっとも害のある行動が、まさに自分の頭で考えて行動するだからだ。
もちろん、社会的発展とは自分の頭で考えて行動する事からしか生まれてこない。

そんなことはない?

まさか、あなたがやっている仕事内容、自分で作ったものですか?
殆どは、誰かに言われたからでしょうが。企画をしている?
いや、企画を作らされているの間違えでしょうよ。それもクライアントが喜びそうな
という曖昧な動機で。

経営者は自分で決めている?

株主のために、利益をあげようとしていないか? だとしたら、それは自分で
決めた行為ではない。

果たして、自分で考えて決めた行動が、どれほどあるのか?
無いわけではあるまい。だが、殆どは自分の意志ではないだろう。

自分で決めたわけではなければ、その結果など知ったことではない。
世の中の仕事の多くは、そうやって、知ったことではないばかりで出来ている。

こんな家電つくっても売れないよ。そう思っても、誰もそれを止めたりしない。

こんな仕事して、誰が喜ぶんだろうか?
そう思っても、それを実行する。

マイナンバーカードを学生につかわせないと運営費交付金を減らされてしまう大学。
じゃあ、仕方がないとマイナンバーカードを使わないといけない仕組みを作る。

そんな仕事、誰が喜ぶ? やらせている側ではないか。
学生は誰ひとりとして嬉しくはない。

あなたは利用されている。その結果として、やらせている側が儲かる。
彼らはその立場を保持するために、ますますやらせようとする。
それはそのまま社会的地位を確定的なものにする。


金持ちとそうでない人の違いとは、他者を自己の利益のために、利用できるかどうか。
それだけだ。他者を利用してやろうと思えるかどうかが、金持ちかどうかを決める。
これ以外には、せいぜいくじに当たるか、相続するかくらいである。

金持ちになるために他者を利用するというのは、結局、他者の作り出した利益の一部を
構造的に自分の懐に入れるという事。この仕組みをうまく作れるのが金持ちなのだ。

金持ちの努力とは、他者利用の方法論である。

金持ちで居続けるのは、他者を利用できるかどうかであり、その他者は多い方がいい。
だが、日本は少子化である。人口減になった。金持ちも金を得続けるのは困難になる。
そこで、金持ちたちは、自分たちに有利になるように社会を作り変える。

その働きかけの一つが、政治である。

政治と結びつくことで、資本は拡大を続けるのである。
この力は強力で、今の日本政治はこれだけのために存在しているくらいだ。

利用される側の人間ができる抵抗手段は、せいぜい子供をつくらない事くらいかもしれない。


私には、現状日本の少子化はやや過剰だと思っている。
むろん、本人に経済的ゆとりがないとか諸事情があろう。
だが、無意識的な反抗として、こんな社会に価値はないと思っていて、
その社会への抵抗として、子供をつくらない状態になっているとも思うのだ。

人類が初めて作ったマンション。それは社宅だった。
炭鉱夫たちのための居住区。その間取りの意図は、「労働者の再生産」である。
炭鉱夫が炭鉱夫の子供を作り出す。そのために居住空間が設計されたという逸話がある。

労働者を増やせという資本の意図に気持ち悪さを感じるのは私だけではなかろう。


これから今の日本は崩壊する。それは間違えない。
あとはどうやって崩壊して、どうやって回復するのか。

外国資本に買われてしまえば、それを反故にする強権政治家が出てこない限り、
日本全体が、資本に牛耳られた「労働者」になってしまうだろう。
日本人が働くほどに、その利潤を吸い取られてしまうのだ。

それでいて、内部的には、平凡な幸せがよいと、重税社会を我慢して生きる。
ぼちぼちな人生だったと小さく満足をしながら死んでいく。

家畜の豚は、幸せものだ。これを是とするか否か。それが問題なのだ。
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マイナンバーカードの異常さ [思考・志向・試行]

もはや、政治の嫌がらせは言いようもないほどだ。

なぜ、それをやる? という事ばかりをやる。
それはつまり、庶民にとっては損な事ばかり。

得をするのは、大企業や官僚、政治家たち。彼らの仲間以外は、
搾取の対象となるだけ。

今、マイナンバーカードをつかって、人々を支配しようと目論んでいる。
便利にするという大義など、吹き飛んでいる。
健康保険証など普通に問題なく使えているものをわざわざカード使用にさせる。

今の議論では、母子手帳や運転免許証などもカードに一元化したいらしい。
さらに、大学では成績を載せたり、図書館への入館などの来歴を記録するつもりらしい。

書いていて、ゾッとする他ない。

これから生まれてくる子どもたちは、一生の記録をカードに収める事になる。
それによって、差別をするのではないか? 権力とはそういうものではないか。

そのような国民管理カードを普及させようと強制を始めた。
その方法は、金である。

本来、国会が予算を決め、それを実行するのが行政である政府である。
ところが、実質上、行政が予算執行の権限をもってしまっている現在では、
金をどう動かすかに口を挟むようになったのだ。

これによって、政府は予算を口実に圧力をかけることができる。
いやかけている。

大学へのマイナンバーカードの強制使用は、運営費交付金を人質にしている。
国からの予算を絞る事で、いいなりにさせようというのが目的なのだ。

こういう事を手始めにして、じわじわと介入する。それが権力を拡大する側の
思惑なのだ。

正直いって、生理的な嫌悪感がある。
これはハラスメントと同じである。

日本の政府に対して、私は完全な嫌悪が生じてしまったのだ。

安倍から始まった現在の体制に関わる連中は、すべて嘘つきであり、不誠実な連中である。
そんな連中の行為は唾棄すべきものばかりだ。何一つ評価できない。
ごまかしと、捏造や不正、隠蔽。時に恫喝や殺人などもやる。

本当に腐った人間たちのあつまりである。
そんな連中にもう遠慮などしない。
罪を憎んで人を憎まずという事を是認してきたが、奴らにはもうそのような考慮はいらない。
そんな事をいっていたら、奴らはますます助長させるだけなのだから。

駄目なやつは駄目。と自明化する必要がある。
そうしなければ、分からないのだから。

これに迎合する維新や国民民主との連中も異常だ。
はっきり言ってゴロツキが政治をやっているわけだ。

日本の政治が無茶苦茶なのは、ゴロツキを排除するどころか、
ゴロツキじゃなければ、選挙に通らないような、異常さがあるためだ。
私は背後にある暴力が決定的に問題なのだと思う。

結局、愚かな人が権力を持つと、ろくでもない事が起こるのが世の常なのだ。
そして、権力とは必ずそういう事が起こる。

これを変えるには、権力は分散する他ないのだ。
決定権を分散させるほどに、ろくでもない人間が権限をもっても、被害が少なくて済むのだから。

現在の政治は、中央集権化を強めようとしている。
それはまるでロシアや中国、北朝鮮とおんなじである。
つまり、今の与党政治は、まるで共産主義のようになりたいのである。

共産主義を嫌気してネトウヨをやっている人間には理解不能だろうが、
まさに現政権が目指すのは、共産主義圏の政治なのだ。そして、
そこにプーチンや習近平のように君臨したいと考えている連中が
日本の政治にいるということなのだ。

はっきりいって、共産主義とか資本主義とかは名前が変だ。
前者は政治体制であり、後者は経済体制の事。

名指すものは、権力主義か、市民主義かという事だ。

今の政治はとにかく権力主義であり、それは共産圏とまったく同じ方向。
その一端はもう起こっている。たとえば、選挙時に「安倍やめろ!」と叫ぶと、
警察に身体拘束を受ける。これは民主主義国家ではあり得ない事だ。

これは小さな事に見えるかもしれないが、それが全てでもある。

今後は、このブログだって、ある突然、サーバーから消えてなくなるかもしれないのだ。
それを可能にしたいと連中は考えているのである。

そんな馬鹿な? 大げさな?

そうだったら、どれほどか私も安心する。
だが、現実は、そんな馬鹿なや、大げさな事が進行中なのだ。

あと5年もすれば、本当にこのブログは閲覧禁止になる可能性だってあるのだ。
政府批判を口にする事が禁じられる世界は実際にこの世界にあるのだから。

とにかく、現状は過渡期である。
ここで、まだ行われている選挙という行動には大いに責任がある。
選挙がなくなる前に、現状反対を訴えるべきなのだ。

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負の強化が社会を滅ぼす [思考・志向・試行]

負の強化を知っているだろうか。

何かを自分や他者にやらせようという時、方法論が2つある。
正の強化子か、負の強化子だ。

正の強化子とは一般には報酬と呼ばれる。
負の強化子は少々わかりにくい概念である。
一般的な言い方ならば、「嫌がらせをしてやらせる」事を意味する。

嫌がらせなのに、なぜやる事になるのか?
それは程度の差こそあれ、命を人質にされているという事である。

ほとんどの人は、自分の命を惜しむものだ。
その生命を人質にされると、人は行為に及ぶのである。

もしあなたが、銃を突きつけられ今すぐ金をだせと言われたら、やむを得ないと思うだろう。
これをスケールダウンしていくと、負の強化と呼ばれるものになる。

もっとも発生頻度が高いのは、親から子供への負の強化だ。
叱る事で、何かをやらせようとする。
勉強しなさいと言う事で、勉強をやらせようとする。
もう少しだけエスカレートすると、殴る蹴るによってやらせようとする。
いわゆる虐待である。

負の強化はもちろん、大人の世界においてもっとも使わえる。
上司が、部下を叱る。叱責する事で、仕事を進めようとする。
あたりまえじゃないか、と思っているならば、認識を改めた方がいい。
それはちっとも当たり前などではない。

動物たちに同じようにして芸を仕込むとしよう。
やらせるために、ムチをふるったとする。
動物はどうなるか。力ある動物であれば反抗するだろう。
力ない動物であれば、逃げるだろう。そう、芸を仕込むことに100%失敗する。

つまり、暴力でも叱責でも、嫌がらせをして何かをさせるというのは、
生物学的な視点からみれば、ナンセンスの極みであって、何の意味もない行為なのだ。
暴力を加えようという労力はかければかけるほど、加えられた人はやる気を喪失し、
その行為から回避しようとする。これが正常な反応である。

ところがだ。

これを訓練するのが近代国家である。
近代国家の学校教育とは、軍隊を作るためというのがその大目的であった。
言葉を習うのは、命令が行き渡るようにという事。数が数えられるように
するとは、人や武器の数が分かるという事。運動するのは文字通り、戦うため。
これが近代国家からみた、教育である。

この教育の一部が、負の強化を通常なこととなるように洗脳することが含まれる。
むろん、これはもっぱら日本のような全体主義の国における話だが。

親、教師、上司は、子供、生徒、部下を怒鳴り散らし、叱責することで、
目的行動を取らせるように、訓練するのである。
これが日本の社会におけるドグマになっている。

このようなものはコミュニケーションとは言わないが、
これをコミュニケーションと考える人間ばかりがはびこる理由は、
単に国をあげて、負の強化の一般化を行っているからである。

繰り返すがこれは、決して人類に共通する話ではない。ただの文化である。
そして、日本の伝統でもない。ごく最近の富国強兵がスタートした時代からの
現象である。むろん、この負の強化の一般化を行っている国は他にもあろうが。

この概念をねじ込まれた国民は、
負の強化を正しいことと勘違いして人生を生きて死ぬ。
一生、気がつくことはない。だが、その負の強化の一般化は、
不幸しか生み出さない。

負の強化によって生まれてくるのは、全体主義とファシズムである。
物理的・精神的暴力によって、人を管理する社会になる。その証左が日本である。

一見すると、日本社会はうまくやっているように見える。
全くのウソである。大人のほとんどは、負の強化によって精神的に蝕まれていて、
それはほとんど病気と言っても良い。その病気は特定の症状を呈する。

酒、タバコ、ギャンブル、性的快楽、こういった事ならまだしも、
過労死、ワーカホリックも病気であり、結果としての社会的成功もまた症状の一つなのだ。
社会的成功というのは、負の強化のいきつく先であって、殆ど神経症の領域である。

このような事をしなければ、正気が保てないのは、負の強化の犠牲者だからである。

彼らの生活には「べき」「べし」が多い。それは要するに、負の強化内容を内面化している
からだ。大元をたどれば、べきやべしの中身は、親に言われたから、教師に言われたから、
上司に言われたからに過ぎない。そのトップであっても、株主に言われたから、資本家に
言われたからであって、総理大臣になっても、ロートル議員に言われたから、アメリカに
言われたから、という形で自分の行動を制御しているのである。

そして、二言目には「自分がそうしたいわけではないのだけど。」とエクスキューズする。
つまり責任回避なのだ。

世間がこうしろといっている。だから否応なく、自分は子供に、生徒に、部下に、
負の強化をするというストーリーで、自分を納得させる。また、自分もそうされてきた
という過去の軛によって、同じことを繰り返す。

このような大人ばかりが目立つ。そしてその無意味な負の強化に唯唯諾諾と従う
大人たち。波風を立てないようにするという事ばかり気にして生きる。
結局、事大主義なのであって、決して褒められるような態度ではないのだ。

負の強化の結末ははっきりしている。そのような行為をするものに対する
潜在的・顕在的憎悪である。そしてその強制された行為への嫌悪が植え付けられる。
その結果、世界に憎悪を撒き散らす存在になるのだ。


この枠組みに組み込まれる事は、いわゆる日本人化と呼べるだろう。
日本人とは、この負の強化システムに組み込まれた人を指す。

一方で、このような枠組みではない諸外国の人々は、日本人には絶対になれないのである。
むろん、ならない方がいいが。

負の強化によって動く人間を作り上げることは、戦争という場面においては
有利であった。そして経済戦争においてもだ。

ところが、価値を作り出す、生み出すという点においては決定的に失敗をする。
何しろ、負の強化によって作り出された人間がもっとも縁遠いのが創造性だからだ。
なにしろ、全ていやいややっているのであって、そこに創意工夫などの主体的
行為が発生するはずがない。

そして、負の強化により、大嫌いになった仕事と、仕事場の人間を、あたかも
良い仕事、良い場所、良い人間関係と思うように生きている人が如何に多いことか。
欺瞞がすごすぎて、狂人としか言いようがない。狂っている事に気が付かない人ほど
手に負えないものはない。

日本の問題の根幹は、この負の強化である。


日常的に負の強化を聞かぬのは、それは別の言い方をされるからだ。
ハラスメントや、虐待、体罰、暴力、場合によっては「教育」「指導」「叱責」
と言い換えられている。だが、全て負の強化である。

すべての日本人、私も含め、多かれ少なかれ、負の強化を受けてきた。
そして、負の強化をしているのである。その結果、また負の強化をする人間を
量産しているのである。

日本が衰退したのは、この仕組みはもはや時流と合わないという事だ。
負の強化戦略は、もう時代にマッチしていない。

だが、この体制を維持することだけが目的化した大人たち。
その悪あがきが、現代の政治問題にまで及んでいる。

今の与党政権は、この負の強化が弱ってきたことが日本の衰退の要因と考えているのだろう。
だから、これを引き締めれば、日本が発展するとでも思っている。愚昧な人々である。

そもそも非人間的、いや、非動物的な負の強化で、やる気やイノベーションが
起こるわけがない。こんなことを是とする社会に人が増えるわけがない。

負の強化による体制維持はもはや崩壊するのみである。
今を生きる人々はそれを目撃することになろう。

問題は、その目撃によって自分もまた生活を破壊されてしまうかもしれないことだ。
自分は全く悪くないと思った人もいるだろうが、あなたが果たして負の強化を
他者にしなかったのか? しなかったと言い切れる人間は、おそらく日本に
住んでいられないはずである。

あなたもまた加害者である。それは理解するべきなのだ。
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心理分析ー現代の問題 [思考・志向・試行]

今、権限をもつものたちの多くは、50代から70代までだろう。
とりわけ日本の政治家たちの平均年齢は異常に高く61歳程度である。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA25D8L0V20C21A6000000/

産業界ではちょっと違うのだが、それはトレンドというものがある。

日本は戦後に高度経済成長を遂げた体系がそのまま残っているので、
どうしても終身雇用型で、役員や経営陣になる人間は年寄りが増える。

当然ながら、彼らが理解している世界は過去のもの。
そして、現在はかなりの速度で世界が変遷してきている。
ゆえに、多くの経営者たちは取り残されてしまった。

その彼らが親方日本を頼り、60歳前後というロートルが日本の舵取りをするがため、
実に頓珍漢な事をし続けているというのが現状である。
政治の古臭いベタベタした陰湿な関係性は、まさに時間を経て腐った関係性に寄るのだろう。


さて、現状の戦前回帰的な流れはどういうことか?
これを年齢と心理の面から考察したい。

現代はまるで先の大戦と無関係かのような顔をしているが、
それは真っ赤な嘘で、この国に住む全員が戦争というものから
精神的な影響を受けている。

その直接的な影響下にあるのが、実は先の60歳前後なのである。

例えば、虐待家庭の子供は、自身も虐待行為に及びがちということが知られている。
自分が受けた事柄をそのまま子供や他者にしてしまうのだ。
なぜなら、それが当然と考えるからである。自分の親の行為は簡単に内面化する。
そういう学習をするのが人間という動物なのである。

では、60才前後の人々、とりわけおっさんたちがどういう親から教育されたのか。
それは、およそ現在85前後の母親たちだろう。

先の大戦からおよそ80年。当時の教育は、教育勅語であった。
天皇バンザイの世界である。その教育をバッチリと受けた最後の世代が、
そう、85才以上の母親たちである。ちょうど8才くらいになる。

小学校低学年ではその影響は少ないだろうが、8才にもなれば、
教育勅語を内面化するには十分であっただろう。

その彼らがGHQにより教科書に墨を塗ったのが、1946年以降である。
残念ながら、人間そんなに変われない。この年代の人間たちのマインドは、
戦争という思想に侵されている。

そんな彼女らがおとなになり、子供を育てる。
当然ながら、そこでは自分のやられたことをやったはずだ。
つまり、教育勅語的教育をだ。

その子どもたちとは誰か? そう、岸田を始めとする60才前後に人間たちなのだ。
彼らは戦後教育を受けた。だが、幼少期に誰から教わっただろうか?
当然ながら母親である。そして、その母親が牛耳る家庭で育った。
上辺だけは西洋風だが、内実は大和魂であったはずだ。
本音と建前が分離していて、母親たちは本音を教え込んだのである。

それは「お国のために兵士となれ」という思想である。
それはとりわけ男の子には強い圧力になったはずである。

戦後は戦争に負けたというコンプレックスがあり、
その解消のために経済戦争を戦ったのである。
そして、気がつけば時価総額でNo1にまでなったのである。

まさに、戦後の成長は心理的な作用として実現した。
そしてその基盤には、兵隊として育てられた人間たちがいたのである。

だが、時代は流れた。
かつてのように、兵隊として長時間労働をすれば経済的恩恵を受けられた時代は
終わった。なぜなら、情報産業の台頭である。人海戦力はお隣中国やタイ・ベトナムなどに
とって変わられた。日本が目指すべきものは、知的産業であったがそれは土台無理であった。
なぜなら、兵隊としてしか育てられなかったためである。

こうして時流からあぶれた日本は、一部の知恵あるものたちによって
輸入された西洋的手法をごまかしながら採用し、それをツギハギして
兵隊産業を支えてきたのである。それがバブル後の日本である。

さてもうおわかりであろう。
日本経済は失敗した。その失敗を立て直そうとするとき、何にすがるのか。
それはもっとも強く作用した心理的な事、つまり母親の意志である。

マザコンな日本の親父たちは、日本の危機において母親の意志を優先し始めた。
それは、まさに教育勅語的世界観である。60才前後のおっさんたちは、
およそ無意識的にこれを内面化している。もしくはそれを明示的に学んだのあろう、
子供心にしっくり来るものとして。

子供の心は侵されやすいものなのだ。

この世代が時流を無視して、子供を教育していれば、その子どもたちつまり、
30才前後の連中らが、同じく教育勅語的精神に親和性をもつのも無理はないのである。
虐待が連鎖するように、思想もまた連鎖するのだから。

戦争に負けた母親世代の恨みを、子供らが晴らそうとしている。
もしくはそのような精神的構造の人間たちは、劣等感にしか生きられないのだろう。
可哀想な連中であるが、はっきりいってバカで間抜けである。

いくらでもそうではない人々を学ぶ機会はあったし、西洋的人権に触れる機会も
あったはずだ。ところが価値観を変えることなく、自分たちのもつ、兵隊思想に
身を委ねているのである。

このような世代を超えた思想は、世相を作り出す。
現代が、戦争や紛争の再燃が危惧されているのは偶然ではない。
それは、世代交代なのである。

戦後まもなく、戦争にでかけた本当の兵士たちは、二度とこんなことはやらない
やらせないと心に誓った。その彼らは悲惨な戦争を明に暗に否定し続けた。

一方で、世襲が続く日本政治では、戦ったこともない政治家たちの子孫が
教育勅語的思想を世代を超えて伝えてきたのである。むしろ、負けたことによる
コンプレックスだけを肥大化させて。

高度経済成長は、戦争否定の実行者たちが平和的に戦争に勝つ手段であった。
それは体制側と労働者側の利害が一致するところだったのである。

そして現在、戦争をやらない、やらせないという人々が死にゆく。
まさに戦争経験者が途絶えた現代において、その子どもたちによって
戦争機運が作られているのである。

一体何を学んだのだろう?

私はよくも悪くも、どちらからも影響を受けた。
家では教育勅語的思想、学校では戦後教育。

教師に恵まれたのであろう。私は、学校教育の思想に重きをおいて育った。
一方で、家にはびこる教育勅語的思想に反発した。それは直感的に気持ち悪いも、
恐ろしいもの、そういう感情を私に呼び起こした。

どちらに転んでも不思議ではないが、結局のところ、自分の思想性は
大学を経由して、左派に落ち着いたのである。
その根幹には、右翼思想の暴力性への嫌悪がある。

世間では、どうも共産主義を暴力的と思う人が少なくない。
ソ連や中国の影響だろうし、戦後の左翼による暴力的テロなどに由来する。
だが、右翼だって、戦中には上層部への暴力テロを繰り返している。
同じ程度に暴力的である。

私はこれらは左右の主義の問題ではなく、暴力信仰かどうかという話に過ぎないのだと思う。

物事を強引に、他者を自分の思うように操ろうと思った際に、
強制する手段が暴力なのである。

歴史はそれが如何に効率が悪く、無駄な事であると理解した本当の知恵者たちは、
統制するべきは、人々の心であると確信した。

それゆえに、人々の心を操る方法論が発達したのである。
それは見事に成功し、一部の人間達が労働もせず、他人の労働にタダノリする仕組みを
作り上げたのである。その一端がマネーの仕組みである。

それはともかく、阿呆な人たちは、相変わらず暴力というもっとも愚鈍な方法で
他者を操ろうとしている。それは失敗に終わるとわかっているのにだ。

そしてまた、日本でも心の問題が大きいという事がわかる。
なにしろ、自発的に暴力を振るう仕組みを作り出す程度には心理的な影響はあるのだから。

現代日本の問題は、戦中生まれの最後の世代によって育てられた子どもたちへの
精神的虐待から生じている。それがこの記事のまとめである。

可愛そうだが、この連中は死ぬまで変わらない。
ならば、大事なのは、この連中らのミームを拡散させずに、
次世代を守る事である。でなければ、また同じように考える愚鈍な連中を
生き延びさせてしまうのだから。

私は政治が教育に口出しをする事を実に危惧するのである。
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非暴力・不服従 [思考・志向・試行]

https://www.youtube.com/watch?v=gJFffe61o_s&ab_channel=%E3%83%87%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B9


ジャーナル系のYoutubeである。
佐高信氏のチャンネル。そして、ゲストはクレ カオル氏

ここには、ウクライナ戦争の実態が示されている。
香港人のクレ氏がジャーナリストとしてウクライナでの取材を報告している。
実に生々しい。

これを観て、私は少し考えを新たにしている。
それは、非暴力・不服従についてだ。


クレ氏が証言するように、ウクライナには過去、抵抗しなかった時代がある。
その時に何が起こったのか。自国の文化否定を余儀なくされてきた過去。
それはひとえに抵抗しなかったことによる。

今、現地のウクライナ人たちは戦っている。
それは社会を守るという大義のため。もうちょっといえば、身の回り人間を助けるため。
その気持は十分に分かる。そして、日々多くの若者が軍に参加していくことも。

いざ戦闘が始まるとどういう機運が高まるか手に取るようだ。

抵抗しなければ、侵略国による文化同化が始まる。言葉をうしない所作を失う。
そのような状態に置かれるよりも、命がけの抵抗を試みるという考えは極めて自然だ。

私が思うに、このような事態において、暴力主義になるのは避けがたいのかもしれない。
かつての大戦時にも、一部の知識人たちは核開発をサポートしてきた。それは
暴力による勝利をもたらすからだ。敵が蹂躙するのであれば、抵抗する他ない。


それでも、それでも尚、私には暴力による抵抗には反対である。
なぜなら、その暴力によりおそらく数百年はいがみ合いを続ける結果になるからだ。
それはもう泥沼としか言いようがない。

非暴力・不服従というのは、実は極めて要求度が高い行為である。
一見すると何もしないかのように見える。ぜんぜん違うのだ。
これはデモやストと同じ行為であり、さらに過激とも言える行為である。

要するに、嫌がらせ行為である。暴力はその究極だが、非暴力・不服従は
暴力に変えて、嫌がらせを続けるという事である。

多くの人は正論を嫌がるだろう。ならば、正論は武器である。
正論を言い続けることは、お花畑の行為ではない。自覚的な正論とは、
非暴力な戦いである。敵が嫌がるがゆえに正論を使うのである。

同様に、無抵抗な者を殺傷させる事もまた嫌がらせるだろう。
人はそこまで心が強くない。だからこそ、遠隔で戦うのだ。
それを目の前に持っていくことは、嫌がらせになる。

つまり、上記のYoutube映像のように、実際の悲惨な実体を知らしめることは
嫌がらせになる。ジャーナリズムもまた非暴力な戦いなのだ。

軍隊の前に、彼らが築いた死体の映像を持ち出す事。
これだけで彼らは前後不覚になるだろう。とりわけ意思決定をする人々にはだ。

非暴力・不服従とは無抵抗主義ではない。抵抗する非暴力なのである。


いざという時に、戦いに身を投じる人々の気持ちは分かる。
だがそれはやはり非人道的と言わざるを得ない。
本質的に暴力を是とするのは、退廃した人間の発想なのだ。

最後は暴力がものを言う。それは確かだ。
だが、本当にものをいうのは人の意志である。
ガンジーの思想は、死後もなお、受け継がれていく。
それは宗教家もしかり。


別段、聖人になれという話ではないのに、なぜか多くの凡人は、現実的という名の
ゲスな行為を肯定しようとする。それは端から無理なので、心の奥では納得できず、
何重にも理論武装してハリボテ化する。そして居直るのだ。

事実は、もっと愚鈍である。ただ自分の利益を守りたいだけ。
要するにそこに正義や思想など存在しない。そんなものは後付なのである。

気をつけた方がいい。政府はいよいよ、その気らしい。
戦争をやりたい勢力と、混乱した社会に暴力を是とする勢力が現れている。
もう手遅れかもしれない。

現在進行している大きな絵は、国民国家というシステムの衰退だ。
それなのに、国民国家がその巨体を維持するために、人々に多くを押し付けている。
残念だが、時代はそちら戻ることはないのではないかと私は思うが、どうだろうか?

その国民国家が正当化する戦争という暴力。
いよいよ暴力は、AIによる管理などに変わるべきかもしれないのだ。
この世界の誰にも戦争実行命令をだせない仕組みがあるならば、
戦争など生じないのである。

そして軍などなければ、それにこした事はないのだ。
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日本の終わりにて、何を思うか。 [思考・志向・試行]

私はいま、崩壊中の日本を目撃している。
むろん、そんなことは私は望んでいなかった。
だが、それは起こってしまった。もう後には引けない。

最後の轍を踏んだのは、やはり安倍だろう。
2012年の事だ。私はこの時、いやな予感がしていた。
そして、2015年頃に大いに疑問を持つに至る。

それが当時のブログに現れている。
https://d-blue.blog.ss-blog.jp/2015-06-24

https://d-blue.blog.ss-blog.jp/2015-07-06

https://d-blue.blog.ss-blog.jp/2015-08-26

そして、私は一つの結論を下した。2015年の9月である。
簡単に言えば、アベノミクスはクソってことである。(失礼ながら、これがもっとも
敬意を含んだ表現であり、もっと罵詈雑言を浴びせた方がいいとは思う)
https://d-blue.blog.ss-blog.jp/2015-09-04


そして引き続いて生じた安保法制の強行決議。
その際には、戦争について論じている。
https://d-blue.blog.ss-blog.jp/2015-09-18


ここが最後の曲がり角だったのだと思う。
すでに、現在の方向性はわかりきっていたし、やっぱりその方向に進んでしまった。

もし私が自分の推察を利用して儲けようとしたならば、
株を買い、自民党がばらまく企業への金をうまく利用することを考えただろう。
むろん、そんなことして儲けたいなどとは思わない。が、それをまさにやって儲けているのが
電通であり、大手企業であり、経団連の連中である。加えて巷の株ディーラーたちなども
含まれるだろうか。当然ながら今後は、絞る取るものがなくなるわけで、
彼らの命も短くなった。とはいえ、あと20年ほどはもつのかもしれない。

その頃には、消費者が干からびている事だろう。なにしろ、現在の政策は、
需要を減らして、供給を増やすというものなのだ。買い手がいないのが問題なのに、
買い手をへらすことに全力を注ぐ。つまり税金や保険の額をどんどん増やし続ける。
そうして、消費者を減らしておいてから、企業側に供給をさせようとする。
バカバカしくて、もう本当にバカバカしくて、愚かとか、そんなことで形容できない。

それを実行したのが安倍である。もちろん、下地を作ったのは橋本内閣あたりが決めて
だったのだが。

さて、振り返っても仕方がないが、結局、2015年から8年間の間で、何も変わらなかった。
そして今、膨れ上がった国債を日銀が財政ファイナスを日々し続けている。
それは要するに、日本円が紙くずになるという意味である。
現状を続ければ、それは確実に訪れる。それは原理なのだから、揺るがない。

お金は刷れば、価値が下がるという事実なのだ。MMTの駄目な所ここである。
価値が下がるなら、金が増えても意味がない。

結局、安倍が最後のひと押しをして、日本の資産を海外に横流しし、
彼らの仲間である経済界の連中に仕事作りをして、税金を流している。
こうやって、大企業の延命さえすれば良いとでも思っているのだろうが、
それと並行して、社会の基盤となる大多数の庶民の生活は切り詰められ、
そして消失していっているのである。

彼らはそれを移民で埋め合わせれば良いと思っているらしいが、
果たして、日本がアメリカ人のように振る舞えるだろうか? バカも休み休み言え。

トドのつまり、日本はこのまま崩壊に向かうだけという事である。
これが結論であって、それ以外のルートはない。

あとは、どういう種類の酷さを選ぶかという事だ。

一部の人間どもは、戦争をしたがっている。
それは儲かるからだろうが、とてつもなくグロテスクな人々である。
そもそも、兵器をつくって嬉しがっている人々などろくでもないのだ。

三菱重工を始めとする軍事産業体は、いよいよ大手を振って兵器を作るらしい。
それによって仕事を確保し、企業体を守りたいのだろうが、その結果、国が潰れても
全く構わないというのが彼らの態度だろう。腐れ外道ども。(すみません、心の声が
漏れてしまっています。)

結局、既存の体制下にいる連中が考えるのは、自分たちの生活の保持であり、
そのための仕事である。自分が生きるためなら、他人などどうでも良いという事。
現代の教育は、そういう意思決定をするという人間しか生み出さないわけだ。

むろん、反対の人々もいる。それもそんなに少なくない。
だが、その声はいつもかき消えている。

先の戦争でもそうだった。結局、戦争反対を訴えるものは迫害され、ひどい目にあった。
そしてそれを仕方がないという傍観を決め込んだ人々。いや、反動でもって、
戦争こそが、自らの正義と信じ込むことで、人生に意味を与えた人も少なくない。

今だって、現にそんな人間は腐るほどいる。
いざ、台湾事変でも生じることになれば、そして、日本の愚昧が下手な対応することで、
尖閣諸島における衝突が生じるだろう。そうして、日本を戦争へと誘うのだ。
それを望む人間がいるのだから。私が武器を手にしたら、まずはそのような連中から
ぶちのめしたいという気分になるが、そうもいくまい。

私の知る義務教育時の友人たちを思い浮かべる。
10人中8人は、戦争バンザイと叫びそうである。残念であるが、日本の民度はそんなもの。


一番ありそうな事は、誰かがうっかり、ミサイルを中国でも北朝鮮にでも打ち放す事。
もしくは満州事変と同じく、自作自演で北海道あたりにミサイルでも誤爆させる事。
そんなアホらしい事で、日本人はごく簡単に戦争に再突入するのだろう。

その際には、私はおそらく「アカ」になる他ない。非暴力・非服従を断固として維持する。
それによって生を奪われるなら、本望である。他人に手をかけるアホと一緒にされたくはない。
召集令状が来たら、逃げるのみだ。


さて、経済に戻ろう。これからの日本は、どうなるか。
2023年以降、インフレが進む。人々の暮らしはぐっと悪くなる。
その一方で、税収は増える。なにしろ、それを愚昧な庶民は望んだのだから。
(私を巻き込むなといいたいのだが、それを言っても始まらない。)

アップアップした一部の人は、犯罪を犯す。当然である。
食えないだから、いざとなれば小さく犯罪を犯すだろう。
これを抑止するために、警察の権限拡大が行われ、監視体制が増強されるだろう。
シンガポールのようにあちこちにカメラがつけられるかもしれない。

これではまるでフーコーが言ったパノプティコンのようだ。
あ、パノプティコンとは刑務所であったな。そう、日本社会はそのものが刑務所になるのである。

そんな社会に来たいという人間は稀だ。外国人は思うほど来ない。
仕方がないと日本政府は優遇政策などを行うようになりつつ、政治から遠ざけるので、
そこかしこで外国人による不当差別デモや訴訟などが増えていく事だろう。
これに反発して、ヘイトもまた増加し、過激な政治家のスラップ訴訟が頻発する。
それでいて司法はもう行政の犬となり、何も反発しない組織に成り下がる。

そうこうしている内に、いよいよ歳入が減り始める。もう取り立てる場所がないという
状態になるからだ。そして、人々は対策として、国に関わらない形の通貨を検討する
かもしれない。税金を収めなく良いようにだ。私はこれにブロックチェーンを使うべきだ
と思っているのだが。(価値減損の地域通貨としてのブロックチェーン)。

少子高齢社会が続く間、日本はどんどん尻すぼみになる。
老人が非難され、否応なく働く事になる。そうして消耗する人が増えていく。

街にはいよいよホームレスが溢れ出す。それも、20代30代も当たり前にだ。

その頃には、今の政治家たちはもう寿命というところだろう。
何にも責任もとらず、ただ「こんなふうになるとは思わなかった」などと嘯く。
ふざけるんじゃないっ!

こうなると分かっている人がいて、その批判を知らぬ存ぜぬで推し進めたのはお前らだろうが。

社会が荒れると、一部の人達は動き出す。
それは無惨になった日本社会の希望となるだろう。
20代を中心とした、新しい価値観の人々が社会を動かす事になる。
それは明治維新時の若者たちと相似形だろう。
おそらく今の子供たちの子供あたりだろうか。

はっきりいってしまえば、現状の老人たちと、中高年はもうどうにもならない。
老人たちは逃げ切って死んでしまう一方で、中高年は本当にひどい人と、運が良い人に
真っ二つに分かれるだろう。日本社会にどっぷりと浸かってぼーっとしていた人は、
国に良いように使われて捨てられている。一方で、海外とコネクションをもち、
生活のツテが広い人は、むしろ生活が改善している事だろう。

AIによって、サムライ業はかなり傾く。ホワイトカラーの多くも不要となる。
大卒で新入社員になるという雇用形態は、あと30年で崩れ去るだろう。
その頃には、得意なもので勝負するという時代なのだから。誰もが出来るようなことは
AIが肩代わりするはずで、それにはもう付加価値がつかないのだ。


まあ、未来予測はこの辺にして、差し迫った自体を最後に考えてみたい。

それはまず日本円のことだ。太平洋戦争時には、どうしたか。戦争のために国債を
発行した事により国は崩壊しかかったわけだが、その時国は、預金封鎖と新円の
切り替えを行ったのである。

これと同じことをこの21世紀にやろうとするならば、個人の資産を把握し、
口座をおさえ、いざという時に閉鎖する。次に、タンス預金を使えなくするように
旧札や硬貨は無効というお触れをだす。するとそれらは一旦、預金する他ない。
そうして、資産を取り上げられるのである。

今、日本政府の最悪のシナリオには、預金封鎖による資産没収と新円切替があるはずだ。
デフォルトするくらいならと財務省は、それをやるのではないか。

そのための準備として、個人資産の把握である。それをやるには、
マイナンバーカードを作らせることだ。これをやっておいて、
いずれは口座番号も紐づけることを義務化するのである。
その時の言い訳はつねに「別に悪いことをしているわけじゃないなら、
どうして紐づけに反対するのだ?」である。そして「年金給付等には、
それが必須なのだ。」である。嘘つきめ。

とにかく、やるかやらぬかは脇において、出来る準備をするというのが国だろう。
そして、実際問題出来るのである。マイナンバーカードを義務化することで。

次に戦争だ。いざ中国と紛争ということになったら、アメリカは
アフガニスタンのようにやってくるだろうか? いや来ない。アメリカは
日本は自分でなんとかしろというだろう。そしてむしろ、アメリカはこうささやく。
「勝ちたいなら、我々の武器を買え。買えないならば、金も貸してやる。どうだ?」と。

愚かしい日本の官僚と、世襲議員ばかりの愚昧な政治家たちは、これにすぐさま
飛びついて、膨大な借金を作り出すことだろう。死ぬよりマシだと言わんばかりに。
だが、それは死ぬ方がマシという自体なのである。

未来、すくなくとも100年というような単位での借金返済を義務付けられるのだ。
それは、日本社会全体が刑期に服すようなものではないか。第三国とまるで同じ立場になる。
日本の子どもたちは生まれた瞬間から、外国のドレイとなるのである。
もちろん本人たちはドレイだと思わないし、思うことすら出来ないのだが。

兵隊になりたい人間はいない。だから、国は徴兵制を作り出す。
もしくはマイナンバーカードと同じく、経済的徴兵をするだろう。
要は、義務じゃないよという言い訳の元に、義務を課すのである。

それにしても、日本の体制側の人間って本当にクソだなと思う。
(まだ、やってないって? だが、その状態になったら絶対にやるだろう。)

それでいて、「軍事大国日本、バンザイ」な人々もまた多く増えるだろう。
それは敗戦という過去を贖えるのではないかという機運でもあろう。
戦争に勝者などいないのに、そんな妄想にふけって、狂っていく大人は数しれない。

日本は経済大国から転げ落ちていく。
それにともない、地方都市から廃墟化が進む。
それはもう目に見えて、空き家だらけになる。
歩いているのは老人と外国人だけ。

収入はインバウンドでなんとか食いつなぎ、
生活状態はまさに戦後まもない頃程度まで落ち込む。
とにかく明るい材料などない。

メディアは相変わらず大本営発表を繰り返すのみ。
そして、そのようなメディアに乗せられて、自分たちは大丈夫とか
平気で洗脳されるような社会になっている。

そんな落ちぶれた未来が、もっとも確実な予測される日本というのが寂しいが、
それが世の流れなら仕方があるまい。

私がつねづね批判してきたが、政治は上記のような方向にしか進まない。
マシな方を選べば良いと私は思うのだが、全然マシではないものばかり選ぶのが
日本の政治リテラシーなのである。


最後に、私はこうなれと言っているわけでもなければ、望んでいるわけでもない。
むしろ、そうならないように8年間、記事を書いてきたし、調べてきた。
だが、そうなるようにしか物事が進まない事を8年観続けてきたのである。
いやもっと長く日本を観てきたのである。

はてさて、これが予言の書にならなければ良いのだが。
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電気と文明 [思考・志向・試行]

多くの人は、ビットコインやEV、AIなどに興味をもっているだろう。
また日々の中で、スマホをつかい、クレジットカードをつかい、人によっては
マイナンバーカードを利用している事だろう。

これらに共通することがある。
それは「電気」である。

あまり意識しないことがだろうが、駆動するシステムは常にエネルギーを要する。
動的な事が要求されるシステムにはそれが不可欠である。
そして、現代ではもっぱら電気による。

電気を生み出すにはどうするか。
それは電磁気学の応用による。簡単に言えばモーターを回すということ。
実に簡単な話で、現時点での発電所というのはすべてモーターを回しているのだ。

このモーターをどうやって回すかという点で様々な手段があるだけで、
すべての電気システムはモーターを回す事が最終的な手段である。

追記:太陽光発電は違いました。これはトランジスタの性質を利用した光による 発電でモーターが不要です。

モーターを回すというのは「仕事」が必要になる。
その仕事をさせるには、なんらかの物理的な性質を利用する。

それは熱であるか、化学反応であるか、はまたま位置エネルギーであるか、
空気の運動であるか、という違いがある。

これらが発電方式の違いを生み出す。だが、どの方法であっても、
必ず最後はモーターを回す。これが原理なのだ。

仕事から電気を取り出すにはどうしても、ロスが生じる。
カルノーサイクルなどで習った人も多いだろう。仕事の変換にはかなりのロスがある。

よって、できるだけロスを減らすべきなのだが、
これがなかなか難しい。

例えば、車はガソリンを燃焼させることで空気の膨張を生み出し、その膨張力を
ピストン運動に変換している。燃焼という化学反応によって生じる空気の運動が
仕事となっているわけだ。

昨今の問題は、この燃焼時にCO2が発生するという事である。
だから、CO2の発生を抑制するためにEV化を目指そうという話になっている。

だが、EVに用いられる電気はどうやって生み出しているのだろうか?
もし、化石燃料を燃やしているならば、そこでもCO2は生み出されているわけで、
しかも、発電した電気をわざわざもう一度充電池という化学反応に置き換えて、
それをさらに化学反応を生じさせてモーターを駆動する。仕事の変換が増えて
ロスが多くなる。

では、EVによってCO2排出が削減されるかは果たして本当なのか?
調べるのがかったるいので、推測するが、現代の車と同等のものを動かす電力を
作り出すということは、ロス分を含めると、余計な電力が必ず必要となる。
それは間違えないことだ。よって、電気をどうやって生み出すかという点が
問題であり、石炭や石油による発電に依存するなら、CO2削減になどなりはしないと言える。

https://looop-denki.com/home/denkinavi/energy/powergeneration/percentageofpowergeneration/
このサイトによれば、
2019年度の日本における発電量の電源別の割合は天然ガス37.1%、石炭31.9%、石油等6.8%、
水力7.8%、水力以外の再生可能エネルギー10.3%となっています。
また、再生可能エネルギーの内訳は太陽光6.7%、バイオ2.6%、風力0.7%、地熱0.3%です。

ということで、石炭と石油でおよそ40%ほどはCO2を排出する発電方式である。
加えて天然ガスは、石油の発電の70%ほどのCO2を排出する。
https://www.hokurikugas.co.jp/company/environment/merit.html
よって37の7割、28%程度とすると、全体で70%程度はCO2を排出する発電方式と言える。

EVには仕事のロスがあるので余計に電力を使う。するとEVを走らせることで
CO2が削減できるといっても、せいぜい10~20%程度なものであろう。
もっといえば、EVを生産するには石油が必要であり、リチウムの採掘という負荷的要素もある。
結局EVがCO2の排出にどれくらい貢献しているかは微々たるものになる可能性が高いのだ。

そしてガソリン車に比べて耐用年数が低く、次から次に乗り換える、もしくは電池交換が
必要となれば、製造によるエネルギー損失と、リチウム資源の枯渇という問題を生み出す
だろう。果たしてEV乗り換えが本当に良いといえるのかは大いに疑問なのだ。

もっとも良いのは、当然であるが「乗らない」ことである。
これが最大のCO2排出削減である。


さて、電気に話を戻そう。
上記示したように、昨今の生活はかなりの面で電気に依存したテクノロジーを利用している。
その一方で、電気の生産には常に枯渇という問題が横たわっている。
すると、我々はかならずエネルギーの制約に直面することになる。

AIやビットコインが存在できるのは、そこに膨大なエネルギーが投じられているからに
過ぎない。超高速な演算を必要とするこれらの技術はエネルギーがなければただの箱
なのだ。そして、近い将来、エネルギーは制約を受ける。

すると、AIやビットコインが永続するとは考えにくい。

日本という地理的なことを言えば、南海トラフ大地震が起こったとしよう。
かなりの広い範囲で停電が続くことになる。

もし、この時に電気による生活に依存していたらどうなるか。
ビットコインは使えなくなり、AIも当然使えない。ペイペイだって、クレジットカードだって
使えないのだ。当然、スマホが使えないし、そもそも携帯の基地局の破壊によって、
電波そのものが使えなくなる。

それが1週間程度ならまだしも、およそ数ヶ月から半年ほど続いたとしたらどうだろうか。

我々に必要なのは、電気ではなく生活のインフラである。
水と熱源、食料。これらが最低限必要なものだ。
AIもビットコインも電力危機に対しては全くの無力となる。
LLMの進化が問われているが、しばしば発生する停電によって、
壊滅的な打撃を受けると私は予測する。

その時、大事なのは結局、古いテクノロジーである。

もちろん、ビットコインのように世界中のPCによって担保されているデータであれば、
局所的な電気問題など問題ではなかろう。だが、個人としてみれば、十分に無力になり
得るのだ。AIもしかりである。いざという時ほど、利用価値がなくなるだろう。

これがわかっている人たちは、発電所を作り出すか、
電気に依存しない生活を検討するか、を模索しているはずだ。

現代は電気の制約が大きいのである。
現代のテクノロジーは電気エネルギーに依存しすぎているのだ。

電気代が現在高騰中だ。私たちは電気を使うとしても、もっと身近に発電する方法を
模索する必要があるかもしれない。必要な電気を身近なエネルギーから変換する。
それは太陽光か風力か、地熱か、とにかく、現代のような大掛かりな送電網など
不要な仕組みを考えておかなければ、カタストロフィが生じた時に生き延びるのは
難しくなるだろう。

かつて恐竜たちは、体を大きくし、その生存率を伸ばした。
ところが、そのせいで巨大隕石衝突による気候変動に耐えることができずに
激減することになった。

我々は電気エネルギーを使うことで、文明を発達させ、生存率を伸ばした。
電気エネルギーが無尽蔵ではないという事実を前に、我々がどうなるかは
明らかである。そのカタストロフィが今日明日、起こることはないが、
50年後、いや200年後、私達には変革が求められるのは自明なのである。

CO2削減のためにEVなどと悠長なことを言っている場合ではないのだ。
AIやビットコインなど、電気に依存した媒体に頼っている場合ではないのだ。

そういうものは、そういうものとして借受けて、ひとまずは利用しつつ、
オルタナティブな方法と、生活様式を模索する事が求められている。

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崩壊は始まった。 [思考・志向・試行]

このブログもはや、10年以上になる。

最初こそ、身近なことや専門に関連する話が多かったが、
いまや、政治批判ばかりだ。

私だって、身近なことをのほほんと書いていられるなら、その方が良い。
だが、そんな悠長なことを言っていられない状態に日々、日本が作り変えられているのだ。

とりわけ安倍政権からはそれが顕著になった。
個人的には彼のやったことは許されざることばかりだ。
というより、アホな人間を担ぎ出して、日本社会を蹂躙した資本家たちに憎悪がある。
はっきりいって安倍晋三などどうでも良い。

現在もなお、その勢力は政治を動かし続けている。
これは陰謀論ではない。その1団体はアメリカの軍部であろう。
日米合同委員会と呼ばれる組織によって、日本の方針が左右される。
明確に日本を操ろうという人間たちがいる。表に名前が出ているのは、
およそ利用されている人々なのだろう。

これは主権を持つ独立国ならば、最大の屈辱だろうが、それを知らない日本人が殆どだろうし、
「まあ、負けたんだし仕方がないよ」という程度じゃなかろうか。


今後の日本で物事がよくなるか。否。
少なくとも、少子高齢化は加速していく。
それに伴って、経済は縮小していく。
それを補うために国借金は拡大していく。
その崩壊を防ごうと増税を続けていく。
その金で大企業を守るため、仕事づくりとしての軍備開発や国土改悪やDX化が進行し、
日本の社会はますます格差が拡大していく。
苦しい人々は自暴自棄になり、取締るために監視が強化されていく。
それがまた仕事化し利権化する。

目先の経済的崩壊を防ごうと、国はいよいよ外国に国債を売る。
目先の利益を求める地方は、外国人に環境を売る。
結果、日本人は西洋社会の奴隷となって労働を搾取されていく。
生活は苦しくなり、ますます少子化に拍車がかかる。

ニホン、オワタ。

はっきりいって、こうならないという道筋が見えない。
むろん、このサイクルは、今後30年から50年程度の事であって、
今日明日の事をいっているわけではない。

だが、この30年、日本だけが経済的停滞をし続けた事は、
方向性がまるで変わっていないことを示しているわけで、
その慣性力や凄まじいものがある。

日本では「変わらないためなら、人殺しでもする。」という社会である。
この人殺しとは、物理的には官僚殺しだったりする。
(嘘だと思うなら、安倍、不審死とでもググれば良い。)

どちらかといえば政権を維持するために、まじで戦争を始めるという
方が、まともな未来推測かもしれない。わざわざ火のないところに煙と作っているだから。

台湾有事とか北朝鮮とか、お花畑の単純細胞の保守たちは簡単に乗せられてしまう。
日本を守るために軍備拡張だ! 愚かである。
日本を破壊しようという人間こそが、戦争を始めるのだから。
でも、一定数の人間はこれこそを望むのである。
何しろ儲かるのだ。

自分の欲望を満足させるためなら、他者を犠牲にして良い。
なぜなら自分は勝者なのだから。そういうお馬鹿さんが多すぎる。

いざ、日本の崩壊が始まれば、市中にいた社会を支えていた人たちが居なくなり、
社会が傾いていくだけなのだが、勝者と思っている人間には全く見えていない。


この現状が悲惨なのは、権力を持つ事に拘泥する精神的にイカれてしまってる人たちは、
社会を考えられるほどおつむが良くないという事であり、まともな良心的な人達は残念ながら、
何も考えてない人たちに支持されないという事である。

社会的成功という、どうでもよい事を誇る人々が、もてはやされるのは人類の常である。

どうにもはっきりしているのは、問題を解決する人間は、必要とされておらず、
問題を先送りし、隠蔽し、むしろ問題から利益を得ることを画策する人間が
必要とされているという事だ。

上記は、穿った見方だろうか?
そうだったら良いのにと、何度思ったことだろう。
残念ながら、否定する材料がない。

世界の潮流としては、世界は良くなっているという。
だが、日本は良くなっていない。世界が良くなっているという話は現状の問題棚上げの
隠蔽工作に過ぎない。日本が、今のまさに我々の生活が良くなっていないという事実こそ
眼を向けるべきことなのだから。

では、一庶民としてどうしたらいいのか。

私は抵抗こそが正道と思うが、多くの人は違う。
むしろ、どれほど権力に取り入るかが、大事だと思うのだろう。

抵抗して、何が得られるというのか。
そんなことをするより、うまく取り入ったほうが益がある。
それが処世術だ。

これを吹き込まれると、正式な日本人になれるらしい。
そして、人としてのまともな感性を発揮すると、異常者扱いをされてしまう。

経済を回すことを正義と考える事。
これもまた、日本人に必要なテーゼらしい。

そして、政治に無関心でいることと、カルト政治家たちのいう事に従うことを是とすると
つつがなく生きていける。

書いていてうんざりだ。日本人の大半は死んでいるようなものだなと。


労働者という名の奴隷を再生産する行為に励む。
目の前にある仕事に打ち込むほど、このくだらない日本社会を維持する事に貢献してしまう。
仕事に疑問をもって、変えようなどと思っても、実際には何もできないのだ。
この諦観が日本人の多くを蝕む。

その鬱憤を、大谷のホームランに託す。
ビールを飲みながら、居酒屋でくだをまく。
このGWも、ここぞとばかりに消費活動に励む。
企業側もなるべく無駄遣いをさせようと頑張っている。

大きな方向性はこれ以上でも以下でもない。
そして、こんなことをいくら指摘しても、人々には響かない。
そりゃそうだ、骨の髄まで、内面化している事に疑問を持てるのは相当な人だけだから、

難しい顔して、現状の問題を指摘する時間があったら、
自分の快楽を求めて、行動したほうが良い。
自分の周りがうまくいけばそれだけで良い。

そう思うのは当然かも知れない。

国が要求する事に疑問や不満はあろうとも、それに我慢しさえすれば、
生活は成り立つ。ならば、巻かれて何が悪い? 


家畜化した人々に待つのはなんだろうか。いずれは肉にされてしまうが、
それまでは安全に育ててくれる。ときに成長ホルモンなどで太らされたり、
遺伝子改変されて肉を増やされたりするが、それでも、一定の年齢までは
生かしてもらえる。だったら、なんの不満があるというのか。

一見すると、なにも不自由などなく生きているかのようみえる。
だが、そこには何にも自由など無い。うまれた瞬間から、労働者としての人生が待ち受けている。

その人生に無理やり意味を見出そうとする。
もちろん、失敗する。これをまともに食らうと、死んでしまおうということになる。
一方で、押し付けられた人生に取り込まれて、世間の価値観を内面化できれば、
あとはそれに向かって邁進するだけだ。人生の意味は、世間の思うがままだ。

本当の人生を求めるために、命がけなことをやる人達がいる。
彼らは意識的か無意識的か、フィクションとしての人生を知っているわけだ。

どれほど思案しても、どうどう巡りになる。
それは結局、前提がおかしいからなのだ。

私達こそが、今の世界を作っている。
それはほど悪く続いていく。そのほど悪さに慣れきってしまえば、人の尊厳を忘れる。
人としての尊厳を失ったところから、日本人はスタートする他無いのかもしれない。

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銀行の問題 [思考・志向・試行]

現時点で、アメリカの3行が経営破綻をした。
この余波が日本にないわけがない。

アホノミクスによって、日本は年金を投資に回した。いや、株価の価格維持と
富裕層への金のばらまきとした。そして、いまやそのケツをまくらねばならない事態に
なったようだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5cf8dd8faf9770ee11083bdfca2be854351f1dc5

この記事によれば、「たかだか」550億円の融資を破綻銀行にしていたとのこと。
これは日本人がまるまる損をしたという事だ。これだけの金があれば、
子ども食堂など不要な程度には支援できるのにだ。

この責任を誰がとるのか。誰も取らない。それが日本である。
日本という国の一番、小汚いところが、こういう部分である。

残念だが、こんなものは序の口だろう。
アホノミクスは、文字通りアホなので、これからあらゆる金融部門で問題を起こす。
とりわけ大きいのが日銀の身のふりだろう。

一体、これだけの国債をどうやって維持しようというのか。
はっきりいって、めまいがする。

ご老人たちは、自分の人生の内には問題がないと、全く無責任に事を行った。
この煽りをもっとも食うのは、今40代以下の人間たちであり、
まだ生まれてこない未来に日本人である。

これからの日本人は、おそらく100年がかりで、借金を返済するという労務に
つかねばならない。そういう規模の経済的衰退が待っている。

これに耐えかねる人々はおそらく「戦争」という言葉を持ち出すだろう。
橋本内閣いらい、自民党政治が最悪だったのだが、それを棚上げして、
問題を他国になすりつけ、戦争に持ち込み、うやむやにしようという事になるだろう。

少なくともこれが一つのシナリオだ。サイテーだが、実に信憑性がある。

戦争?と首をかしげた人もいるだろうが、そういう人は太平洋戦争前に
何があったのかを調べるべきだろう。

いや、もっといえば、あらゆる戦争が起こる前兆を知るべきだろう。
そこにあるのは、ほとんどすべてが経済的困苦である。

金持ち喧嘩せずとはよく言ったものだ。
いや、金持ちこそが、戦争を引き起こしているのだが。

とかく、アメリカでの銀行破綻からどう余波が出てくるのか。
我々は歴史の証人となる事だろう。

かつての戦争をばかげた行為だと思う人も多いかもしれない。
だが、その馬鹿げた行為に対して、反対していた人は少なくない。
というより、常に国家が行う戦争という行為に対して、反対の声をあげる人達がいる。

だが、そのまともな声は、封殺されてしまうのが常なのだ。
私は知っている。人々は欲の前において、残虐行為をやめないのだと。

歴史から言えば、元凶はつねに国である。
国という考えこそが、大いなる元凶である。

我々は国という単位によって行われる行為を常に不信感をもって接する必要がある。
国への忠誠という概念自体が、そもそも洗脳の結果に過ぎないのだ。

もしあなたが、日本人としての誇りとか、日本人としての性格などと思うことがあるならば、
それは全く洗脳済みという事を意味する。人間はそもそもそんな動物ではない。

人間は、社会という妄想を生きる。その妄想を人為的に与えているのが国家である。
簡単にいえば、あなたが日本人という事柄にとらわれているならば、それは国家に
よる洗脳操作がバッチリと決まっているという事なのだ。愚かしいことよ。

ともあれ、こうやってブログを書いていられる間はまだマシだろう。
万が一にも、自民党カルト集団が目論む、改憲が進めば、このような批判を
載せておくこと自体がアウトになる。これは冗談ではない。

政治などどうでもよいと過ごすあなた。
あなたは、家畜である。国家の畜生になっている。いうなれば、
「国畜」である。これは侮辱ではない。事実である。

もし私と同じように問題意識を持っているならば、
国が行おうという不当な行為に抵抗する他無い。

国という権力に逆らうというと、多くの人は悪いことと考えるかもしれない。

私にとっては、無知蒙昧に国という体制に従うことこそ、悪である。
組織の目的とは、その目的は組織の存続であって、その構成員の幸福ではないからだ。

その部分にきちんとフォーカスして、人生を過ごす必要がある。

我々庶民は、国という制度を利用する事が必要なのだ。
国に利用されてはならない。



未来予測をしておこう。
少なくとも、インフレが継続する。その事は経済をどんどん冷やしていくだろう。
この最大の問題点は、食えなくなる事である。

金がなければ、食い物を調達できない仕組み。これを資本主義は是としてきた。
そして、いまや国民の9割近くが金で食を買う人達なのだ。
こういった中で、物価が高騰すると、いよいよ食を調達できなくなってくる。

その結果どうなるか。以前も指摘したが、軽犯罪が増えるのだ。
一部は、金を得ようと強盗することになる。とりわけ借金を抱えている人間は、
取り返そうとして、ヤバいこともやるだろう。この一端が「オレオレ詐欺」だ。

小さい話としては、老人の万引きの増加。もしくは小さな盗みだろう。
地方なら、農作物が盗まれるなどが起こる事になる。

飢えた人間ほど怖いものはない。それが外側へ向けば、誰かしらが犠牲になる。
それが内側へ向けば、自殺等の行為が増える事だろう。

事態はいざ起こり始めれば、あっというまに拡大する。

政府がやるのは、これを弾圧することだ。
そのために警察が招集され、もっとひどくなれば、自衛隊が使われるだろう。

政府支援を求めるデモがそこかしこで起こっても不思議はない。
それを政府が封殺する。そのために武力が使われる。まったく北朝鮮状態だ。

私には、現状日本の行く末は明らかにこのような悪化した社会だと確信している。
そして、それを防ごうという良心ある人たちこそが、攻撃の対象とされるだろう。
恐ろしい全体主義がここからスタートするのだ。

これは常に人類が繰り返してきたこと。何も目新しいことなど無い。
そして、いざことが起これば、誰にも止められず、最後まで行き着くのである。

ほぼ絶望でしかない。それがこれから起こるという事。それをここに予言しておく。

当然ながら、そんなふうにならない方が良いに決まっている。
当たり前だろう。

だが、そういうふうに社会的状況を作り変えている自民党与党とそれを支える体制側が
これだけ蔓延っている現状から、どう市民的観点から社会を再構築できるというのか。

与党政治家たちのマインドは実にくだらない妄想に取り憑かれている。
私にはカルトにしか見えないが、彼らは自分たちを「被害者」だと認識しているのだ。
そのような人たちに何をいっても、すべて「被害者」として反応する。

自分たちがいかに不誠実なのかを隠蔽するために、自分たちが如何に「攻撃され」
「排斥されている」かをアピールする。それをそのまま報道するメディアと、
それに乗っかる一部の人々。

こんなどうしょうもない人々が社会を動かしていて、どうして、まともな社会になろうか。
そして、そんな連中に政治を任せてしまう多くの国民がどうしてまっとうな社会の構成員
になろうものか。

彼らの考えなど変えられない。結末は滅びと分かっているのだが。


今の老人たちが死ぬ頃に、始めて希望が見え始める。
だから、未来を見つめる多くの人たちは、「生きろ」とメッセージを送る。
他にできることがないのだ。

結局のところ、痛い目に合わなければ、行動を変えない。変えられない。
それが人間という動物の性なのである。

痛い目にあってもなお、自分の事でなければ、関係ないとしてしまう程度の知性の
動物なのである。


なに、今日明日に社会が滅ぶわけも、戦争が起こるわけでもない。
だが、残念ながら日本という体制は、そちらに向かって突き進んでいるという事実には変わりない。

あとはどんな形でそれがやってくるか。その時、どんな形でケリをつけるのか。
それが問題なのだ。




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日本の行く末 [思考・志向・試行]

こんなエントリーをしなくてはならないのが本当に残念だ。

このブログもかれこれ10年を超えた。最初期から、自民党による既得権権益政治批判を
繰り返してきた。そしてそれが目指す先は一党独裁のまるで中国やロシアのような国だと。

安倍晋三氏を祭り上げる事で、国から金をもぎ取るという事を
権益者たちがやり続けた。それを維持するために、多くの国債を発行した。
つまり、将来の国民から金を巻き上げ、それを自分の懐にいれたという事だ。

この簡単な図式すら、どうにも理解されず、いや、むしろ理解しているからこそ、
その恩恵に与ろうと、よってたかって国にすり寄る大企業や特殊法人と、そこに
連なる下請けたち。それ以外に方法がないとばかりに、方向転換など出来るはずもなかった。

このような先行き不安というのは、人間にとってもっとも得意とする感覚だ。
先行き不安のある人間たちは当然、それに準じた行動を取る。

既得権益者たちは、犯罪まがいでも、生活のためとか、従業員のためとか、
色々と大義名分を振りかざして、まともとは言えない行為を続けてきた。

一方、庶民は節約するほかないと、節約を続けて自衛してきた。
それはネット社会においてより最適化した。その結果、百均が大流行になり、
少しでもやすいものを得ようと、アマゾンや楽天といったネットショップが
大流行になったのだ。

その結果は、可処分所得の低下である。そりゃそうだ、みんなが買わないのだから、
売上は下がる一方なのだ。その大元の原因は、社会全体が衰退してきているという事実から来る。

これは生態学的にみれば必然である。

とある地域の山の木々を広範囲に切り倒したとしよう。
すると、下草が膨大に生える。その下草を餌とする昆虫が増え、小型動物が増える。
例えば野ウサギだ。ウサギが増えれば、それを捕食する狼やふくろうなどが増える。

要するに資源が増えたら、その資源を消費する存在が現れて、
その資源の枯渇が始まると、その存在は消えていくのである。


上手くバランスすれば、増えすぎた動物たちは減り、元のバランスに戻る。
一方で、とある点にまで到達した場合は、その生態系は崩壊していく。
これが自然の摂理である。

日本という国をみると、老人ばかりが増えた。
それは医学の発達や、栄養状態の改善によるものだ。安くて美味しいものが手に入る
時代になったのだ。そうして、それが行き過ぎて美味しいものを取りすぎて病気に
なっていく。そうでなくても老人は体調不良なのだ。

戦後はピラミッド型の人口動態であったが、第二次ベビーブーム以降において、
人口は減少に転じた。それはとどのつまり、社会的リソースが不足を始めたという事である。

国が豊かになるということと、個々人の生活が豊かになるという事は全く別のことだ。
日本は国は豊かになったが、個人は貧しくなった。それは価値観的なものから、
物理的なものまで様々であるが、とかく、社会主義から新自由主義へと転換した80年代に
現状にむかう道筋は作られたのである。

2008年のリーマンショック、その前の1991年の住専問題からの不良債権問題。
いくつかの経済的な落ち込みを国が負担したのだが、そのツケは大きく、結局、
そのツケを先送りし続けた。その先送りが今や巨大な国債としてのしかかっている。

政府は重税を課すことで、これを解消しようとするのかもしれないが、
それはもはや焼け石に水である。これほど増えた借金につける薬は一つしか無い。
貨幣の切り上げである。もしくはデフォルトである。

我々はもしかすると日本がデフォルトに陥る様をこれから経験する事になる。
これは覚悟が必要なことだ。

とかく、老人たちが抱え込んだ財産は膨大である。日本の富の7割は老人たちが持っている。
もちろん、まんべんなくということではなく、大きな偏りはあるのだが。
彼らは、財産を投資に回し、利子を儲けて暮らしている。その利子は、実は若者や
外国人労働者、多くのパートで働く女性たちの労働力を一部をかき集めたもので構成
されるのだが、そんなことはお構いなしだ。

つまり、高度経済成長期に金を稼いだ老人たちが大量にいて、現状、彼らが金をつかって、
若者や女性、外国人という社畜たちを利用して金を稼いでいる状態という事である。
マクロにみればそういうことになる。

それでいて、老人たちには過去に約束された年金というものがある。
一部の年金受給者は、中小企業の若者の年収より多いというのが現実である。
つまり、働かない老人より、毎日働いている若者のほうが可処分所得が低いのだ。

それでいて、若者は年金保険料と言って、老人たちを支えているのである。
それでも足りないといって、政府は更に徴収額をあげようとしている。
非常に不公平な事をやっているのが現状である。

30年前と現代で、給与水準は変わってない。日本は成長してないからだ。
先進国では唯一といってもよい。なぜなら若者に金を渡さない仕組みを
導入したからである。シンボルとして竹中平蔵を取り上げれば十分だろう。
非正規雇用を一部の業種のみだったものを、さまざま業種に広げたのだ。
当然、可処分所得が減るのがわかっているのにだ。

そして、正社員と非正規社員という身分制度を作り出し、互いに牽制させた。
これは江戸時代の穢多非人政策と全く同じである。人々は、アホなので、
眼の前の違いにばかり気を取られる。その仕組を作り出した悪人に目が向かないのは
どの時代も同じことである。


これら事実を知らない人は多いかもしれない。老人たちは自分たちの頃というものを
簡単に敷衍して、現状に当てはめようとする。今、老人たちが自分たちの孫の話を
聞いたら、絶句するのは間違えない。彼らが今の若者になったら、どう行動するのか、
それを聞きたいものだ。

変な話だが、オレオレ詐欺が収まらない最大の理由はここにある。
老人たちが金をもっているからこそ、振り込め詐欺が可能だという事実である。
若者に対するオレオレ詐欺が実行されにくいのは、そもそも若者にカネがないからだ。

政治はもはやはっきりとカルトによって思想的汚染が進んでしまった。
彼らの現実と、庶民の現実は全く乖離している。
その乖離した現実下で行われる政策はまるでどこの話なのだ?という形で進むのである。

政府の要人たちは、結局、時代遅れの人々であり、それが日本社会の反映である。
なぜなら、日本は高齢社会なのだ。そして超高齢社会になろうとしている。

その高齢社会がこれからデフォルトに陥る。子供や孫にとっては先祖などクソ喰らえという
話である。自分たちの生活の悩みの半分は、先祖のせいであると言っても良い。


こんな日本において、若者たちはどうなるか。当たり前がだ、自衛するに決まっている。
そのためには、目立たずに、競争を避け、無理を押し付けられぬように逃げ回る。
一方では、既得権益に入り込みたいとも考え、現状の老人たちの仕組みの跡継ぎになる。

このようなマインドの連中が、より良い社会を作り出すはずがない。
よって、これからの50年は日本は終わっていく様だけをみることになる。

私が期待するのは、今の子供らの次の世代である。そう、まだ生まれていない世代だ。
彼らにしか私は期待しない。

今の子供達の反動から、まともであることに価値を見出す人々になってほしいと思う。

現代では、まともである事に価値を見出しているのは女性たちだけであろう。
男の大半は狂っているので話にならないのである。正確には狂ってなければ、
この日本という社会に適応できないという意味であるが。

女性たちがもっと社会においてプレゼンスを得る社会になれば、日本は良くなっていく。
だが、現状の自民党のように男によるホモソーシャルな権力構造が維持されていくならば、
日本はデフォルトまっしぐらになるだろう。というか、それ以外に残された道はない。

この後始末をしなくてはならないのが、今の20代、30代である。
中間の40代、50代はソフトランディングを模索し、それを計画するだけで
せいぜいであろう。まさに氷河期世代であり、中間管理職なので、
すでに体制に組み込まれてしまっていて首が回らない。まとなことを志向すると、
クビを切られてしまうがゆえに、何もしない事を是とするのである。

その子どもたちである10代20代が、非主体的なのは当然なのだが。


さしあたって言えることはこうだ。
あまりにも理不尽に可処分所得を減らされている若者たちの一部は、
ギャンブルに走ろうとする。若者は端的に短絡的なので、簡単に詐欺の片棒を担ぐ。
反社会的な勢力に取り込まれていく若者は増えることだろう。

その結果はどうだ。社会における小犯罪の増加である。
今後、日本は治安悪化が当然のように襲いかかってくる。

その理由は、何もしなかった若者たちが、いよいよ生活が持たないためだ。
まともに働く口は減り、さらにまともに働けなくなったためだ。それは能力的にも
環境的にもだ。

一部の優秀な若者は、海外に第二の拠点をもつことになる。
それが保険になるのだ。日本は沈没する船なので、そこにしがみつく理由はない。
若い頃に海外に拠点を移すか、頃合いを見計らって日本に戻るかであろう。

まあ、日本という国、というよりも、21世紀から22世紀は、価値観が変容して、
ネーションステートが時代が遅れということになるのだろうと思うけども。

ともあれ、直近せまっているのは、犯罪である。
治安悪化だ。その背後には、反社会的勢力の存在がある。そしてそれは政治的にも
絡んでくるのだろう。(私は詳細など知らないが、安倍政治が反社会的勢力の存在ぬきに
存続していたわけがないと推察する。)

国は、取締強化という大義名分を作り出す。それはマイナンバーカードの強制や、
行動制約、なんなら人権の骨抜きなどなる。なにしろ、現状の国というよりも、
明治維新後に薩長勢力主体で作り上げた小集団による日本支配というものが目的なので、
庶民の生活などどうでも良いのである。むしろ、庶民は彼らの支配を盤石にする捨て石である。

結果、リアル1984が日本に誕生する事もありえるだろう。
知らない人は、急いでオーウェルの1984を読むべきだろう。
こんなのSF小説だけの話だろうって馬鹿にできる時代ではなくなったのだ。

はっきり言って、気持ち悪い世界が待っている。
そこに突入を許すのか、それとも、それは変だと舵を切り直すのか。

私には、受験エリートが牛耳る官庁の連中がまともとは思えず、
前例主義の彼らが改革などできようはずもないと思う。

結局のところ、一市民がどうこういっても始まらないのだろうが。

私に出来るのは、せいぜい時代の証人として、何が起こっているのかを
孫世代に伝えることなのかもしれない。

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