日本の行く末 [思考・志向・試行]

こんなエントリーをしなくてはならないのが本当に残念だ。

このブログもかれこれ10年を超えた。最初期から、自民党による既得権権益政治批判を
繰り返してきた。そしてそれが目指す先は一党独裁のまるで中国やロシアのような国だと。

安倍晋三氏を祭り上げる事で、国から金をもぎ取るという事を
権益者たちがやり続けた。それを維持するために、多くの国債を発行した。
つまり、将来の国民から金を巻き上げ、それを自分の懐にいれたという事だ。

この簡単な図式すら、どうにも理解されず、いや、むしろ理解しているからこそ、
その恩恵に与ろうと、よってたかって国にすり寄る大企業や特殊法人と、そこに
連なる下請けたち。それ以外に方法がないとばかりに、方向転換など出来るはずもなかった。

このような先行き不安というのは、人間にとってもっとも得意とする感覚だ。
先行き不安のある人間たちは当然、それに準じた行動を取る。

既得権益者たちは、犯罪まがいでも、生活のためとか、従業員のためとか、
色々と大義名分を振りかざして、まともとは言えない行為を続けてきた。

一方、庶民は節約するほかないと、節約を続けて自衛してきた。
それはネット社会においてより最適化した。その結果、百均が大流行になり、
少しでもやすいものを得ようと、アマゾンや楽天といったネットショップが
大流行になったのだ。

その結果は、可処分所得の低下である。そりゃそうだ、みんなが買わないのだから、
売上は下がる一方なのだ。その大元の原因は、社会全体が衰退してきているという事実から来る。

これは生態学的にみれば必然である。

とある地域の山の木々を広範囲に切り倒したとしよう。
すると、下草が膨大に生える。その下草を餌とする昆虫が増え、小型動物が増える。
例えば野ウサギだ。ウサギが増えれば、それを捕食する狼やふくろうなどが増える。

要するに資源が増えたら、その資源を消費する存在が現れて、
その資源の枯渇が始まると、その存在は消えていくのである。


上手くバランスすれば、増えすぎた動物たちは減り、元のバランスに戻る。
一方で、とある点にまで到達した場合は、その生態系は崩壊していく。
これが自然の摂理である。

日本という国をみると、老人ばかりが増えた。
それは医学の発達や、栄養状態の改善によるものだ。安くて美味しいものが手に入る
時代になったのだ。そうして、それが行き過ぎて美味しいものを取りすぎて病気に
なっていく。そうでなくても老人は体調不良なのだ。

戦後はピラミッド型の人口動態であったが、第二次ベビーブーム以降において、
人口は減少に転じた。それはとどのつまり、社会的リソースが不足を始めたという事である。

国が豊かになるということと、個々人の生活が豊かになるという事は全く別のことだ。
日本は国は豊かになったが、個人は貧しくなった。それは価値観的なものから、
物理的なものまで様々であるが、とかく、社会主義から新自由主義へと転換した80年代に
現状にむかう道筋は作られたのである。

2008年のリーマンショック、その前の1991年の住専問題からの不良債権問題。
いくつかの経済的な落ち込みを国が負担したのだが、そのツケは大きく、結局、
そのツケを先送りし続けた。その先送りが今や巨大な国債としてのしかかっている。

政府は重税を課すことで、これを解消しようとするのかもしれないが、
それはもはや焼け石に水である。これほど増えた借金につける薬は一つしか無い。
貨幣の切り上げである。もしくはデフォルトである。

我々はもしかすると日本がデフォルトに陥る様をこれから経験する事になる。
これは覚悟が必要なことだ。

とかく、老人たちが抱え込んだ財産は膨大である。日本の富の7割は老人たちが持っている。
もちろん、まんべんなくということではなく、大きな偏りはあるのだが。
彼らは、財産を投資に回し、利子を儲けて暮らしている。その利子は、実は若者や
外国人労働者、多くのパートで働く女性たちの労働力を一部をかき集めたもので構成
されるのだが、そんなことはお構いなしだ。

つまり、高度経済成長期に金を稼いだ老人たちが大量にいて、現状、彼らが金をつかって、
若者や女性、外国人という社畜たちを利用して金を稼いでいる状態という事である。
マクロにみればそういうことになる。

それでいて、老人たちには過去に約束された年金というものがある。
一部の年金受給者は、中小企業の若者の年収より多いというのが現実である。
つまり、働かない老人より、毎日働いている若者のほうが可処分所得が低いのだ。

それでいて、若者は年金保険料と言って、老人たちを支えているのである。
それでも足りないといって、政府は更に徴収額をあげようとしている。
非常に不公平な事をやっているのが現状である。

30年前と現代で、給与水準は変わってない。日本は成長してないからだ。
先進国では唯一といってもよい。なぜなら若者に金を渡さない仕組みを
導入したからである。シンボルとして竹中平蔵を取り上げれば十分だろう。
非正規雇用を一部の業種のみだったものを、さまざま業種に広げたのだ。
当然、可処分所得が減るのがわかっているのにだ。

そして、正社員と非正規社員という身分制度を作り出し、互いに牽制させた。
これは江戸時代の穢多非人政策と全く同じである。人々は、アホなので、
眼の前の違いにばかり気を取られる。その仕組を作り出した悪人に目が向かないのは
どの時代も同じことである。


これら事実を知らない人は多いかもしれない。老人たちは自分たちの頃というものを
簡単に敷衍して、現状に当てはめようとする。今、老人たちが自分たちの孫の話を
聞いたら、絶句するのは間違えない。彼らが今の若者になったら、どう行動するのか、
それを聞きたいものだ。

変な話だが、オレオレ詐欺が収まらない最大の理由はここにある。
老人たちが金をもっているからこそ、振り込め詐欺が可能だという事実である。
若者に対するオレオレ詐欺が実行されにくいのは、そもそも若者にカネがないからだ。

政治はもはやはっきりとカルトによって思想的汚染が進んでしまった。
彼らの現実と、庶民の現実は全く乖離している。
その乖離した現実下で行われる政策はまるでどこの話なのだ?という形で進むのである。

政府の要人たちは、結局、時代遅れの人々であり、それが日本社会の反映である。
なぜなら、日本は高齢社会なのだ。そして超高齢社会になろうとしている。

その高齢社会がこれからデフォルトに陥る。子供や孫にとっては先祖などクソ喰らえという
話である。自分たちの生活の悩みの半分は、先祖のせいであると言っても良い。


こんな日本において、若者たちはどうなるか。当たり前がだ、自衛するに決まっている。
そのためには、目立たずに、競争を避け、無理を押し付けられぬように逃げ回る。
一方では、既得権益に入り込みたいとも考え、現状の老人たちの仕組みの跡継ぎになる。

このようなマインドの連中が、より良い社会を作り出すはずがない。
よって、これからの50年は日本は終わっていく様だけをみることになる。

私が期待するのは、今の子供らの次の世代である。そう、まだ生まれていない世代だ。
彼らにしか私は期待しない。

今の子供達の反動から、まともであることに価値を見出す人々になってほしいと思う。

現代では、まともである事に価値を見出しているのは女性たちだけであろう。
男の大半は狂っているので話にならないのである。正確には狂ってなければ、
この日本という社会に適応できないという意味であるが。

女性たちがもっと社会においてプレゼンスを得る社会になれば、日本は良くなっていく。
だが、現状の自民党のように男によるホモソーシャルな権力構造が維持されていくならば、
日本はデフォルトまっしぐらになるだろう。というか、それ以外に残された道はない。

この後始末をしなくてはならないのが、今の20代、30代である。
中間の40代、50代はソフトランディングを模索し、それを計画するだけで
せいぜいであろう。まさに氷河期世代であり、中間管理職なので、
すでに体制に組み込まれてしまっていて首が回らない。まとなことを志向すると、
クビを切られてしまうがゆえに、何もしない事を是とするのである。

その子どもたちである10代20代が、非主体的なのは当然なのだが。


さしあたって言えることはこうだ。
あまりにも理不尽に可処分所得を減らされている若者たちの一部は、
ギャンブルに走ろうとする。若者は端的に短絡的なので、簡単に詐欺の片棒を担ぐ。
反社会的な勢力に取り込まれていく若者は増えることだろう。

その結果はどうだ。社会における小犯罪の増加である。
今後、日本は治安悪化が当然のように襲いかかってくる。

その理由は、何もしなかった若者たちが、いよいよ生活が持たないためだ。
まともに働く口は減り、さらにまともに働けなくなったためだ。それは能力的にも
環境的にもだ。

一部の優秀な若者は、海外に第二の拠点をもつことになる。
それが保険になるのだ。日本は沈没する船なので、そこにしがみつく理由はない。
若い頃に海外に拠点を移すか、頃合いを見計らって日本に戻るかであろう。

まあ、日本という国、というよりも、21世紀から22世紀は、価値観が変容して、
ネーションステートが時代が遅れということになるのだろうと思うけども。

ともあれ、直近せまっているのは、犯罪である。
治安悪化だ。その背後には、反社会的勢力の存在がある。そしてそれは政治的にも
絡んでくるのだろう。(私は詳細など知らないが、安倍政治が反社会的勢力の存在ぬきに
存続していたわけがないと推察する。)

国は、取締強化という大義名分を作り出す。それはマイナンバーカードの強制や、
行動制約、なんなら人権の骨抜きなどなる。なにしろ、現状の国というよりも、
明治維新後に薩長勢力主体で作り上げた小集団による日本支配というものが目的なので、
庶民の生活などどうでも良いのである。むしろ、庶民は彼らの支配を盤石にする捨て石である。

結果、リアル1984が日本に誕生する事もありえるだろう。
知らない人は、急いでオーウェルの1984を読むべきだろう。
こんなのSF小説だけの話だろうって馬鹿にできる時代ではなくなったのだ。

はっきり言って、気持ち悪い世界が待っている。
そこに突入を許すのか、それとも、それは変だと舵を切り直すのか。

私には、受験エリートが牛耳る官庁の連中がまともとは思えず、
前例主義の彼らが改革などできようはずもないと思う。

結局のところ、一市民がどうこういっても始まらないのだろうが。

私に出来るのは、せいぜい時代の証人として、何が起こっているのかを
孫世代に伝えることなのかもしれない。

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