皆困っているー経済 [思考・志向・試行]

経済問題をどうやって解決するのか。


現状に日本の経済ベースは内需が8割、外需が2割だと言われていた。
2020年現在は、もう少しバランスが輸出に偏ったと考えられるが、本質は変わってない。

つまり、日本の経済対策は、どうやって内需をマネジメントするかがメインである。
ところが、アベノミクスはこれを無視して、投資に金を金を回す。供給側に金をばらまく。
一方で、政府は過去の約束を果たすために、国債を発行して年金を支えている。

老人たちは金を溜め込み使わない。すると、恒常的に金は老人たちの懐に貯まる。
溜まった金は銀行へ還流し、それはまた国債購入費用になる。ぐるぐる金が巡って、
国債の額だけが増大していく。なんのための国債なのかと疑問だ。

政府は増税を志向する。結果として、家庭が駆動する需要は減り続けている。
かつてはGDP比4割ほどあったと言われる個人消費が、いまやGDP比2割になった。
つまり、内需の力がどんどん落ちているのである。

我々に求められるのは、この内需のフローである。
経済活動の成長とは、2つのファクターがある。一つはプレイヤーが増える事だ。
つまり、人口が増えるか、取引先がふえるかである。自国民の数を増大させるには、
その子が経済活動をするまでに支出しながら、成人するまでまたねばならない。
それを待っていられないので、企業はその勢力を海外にのばす。海外には消費をする
主体がいるからだ。もう一つのファクターは、フローを増やすこと、つまり取引の回数の
増大である。取引回数が増えれば、それはGDPの増大になる。

誰かが手元に10万を持っているとする。人口10人の村としよう。するとここに100万ある。
これを誰も使わなかったら、経済はストップする。資産があるけれど、金が動かないので、
経済は停滞する。一方でこれらを皆が動かせば、100万以上の経済効果が生まれる。

金は協力を促す債権である。労働の対価が多く得られるということは、金が流れている
という事だ。ところがみんなが出し惜しみをすれば、実質的に金の量は減る。もちろん、
大抵の人は、投資をするので、金が市場から減るということはあまりない。ただ、その
利用先が変わるというだけのことだ。もっぱらそれらの金は、生産に向かずに、抽象的
な媒体を買うことばかりになる。つまり証券などである。

多くの人は意識してないが、貯金とは投資である。銀行への投資なのだ。
その貯金をつかって、銀行は企業に投資し、利息を得ることで儲ける。その一部が
金利となって、預金者に返ってくる。ま、こんなものは今や有名無実であるが。

とにかく、今、経済を動かそうと思ったら、人々にものを買わせればいい。
購買力がある人が買えばいいわけだが、そこに問題がある。


個人を考えてみる。毎月、安定的に金が手に入る人は、金を使う事に抵抗がないだろう。
すると、金をある人に訴求する商品をつくればいい。では、金は誰がもっているのか。
人口動態を考えれば、もっぱら中高年以上の人々が金を持っている。

ところが彼らは金を使わない。なぜなら、将来が心配だからである。
政府が老後に2000万円必要だとのたまった。そんなに金を残していられる人は、
殆どいないのではないか。そもそも、現状でどれほど退職金が得られるのか、
年金が得られるのか。

75もすぎれば、働くのは辛いものだ。どの程度老後の金が必要なのだろうか?
ハッキリ言って、今の老人たちは恵まれていると思う。年金は約束の通りに支払われ、
それは死ぬまで続く。ならば、なぜ彼らは年金を使い切るほどに使わないのか?

一つには、金を溜めておいて葬式代にする。住宅ローンや家賃を支払う。
残りをなんとかやりくりして、生きている。つまり、余裕などないのである。
結果的に、彼らはなるべくコストの少ないもので済まそうとする。

家の価格は今もかつても高い。かなり多くの日本人は、人生を借金の形として、
家を車を買う事を行ってきた。それは戦後からの流れである。これが日本経済を駆動した。
これにともなって、不動産が動き、山は切り開かれて住宅街を生み出した。
車を使えるように道路が整備され、あらゆる道路が舗装された。都市部には地方よりも
良い給与のよい仕事がある。それらを求めると都市部に移動する必要がある。

こうして家を買うために、車を買うために、都市部へと働きに出る。
そのためには、電車やバスなどの交通機関が整備された。そして、その駅の周りに
店が発生した。人がいれば、人にまつわる欲求の解消が必要だからだ。

このような流れこそが、高度成長のコアである。ところが、この流れは終わった。
この流れが停滞を始めた70年代後半から、多くの人が借りた金があまった。それらは
生産に向かわずに、土地に流れた。いわゆるバブルである。土地への金の投資が
生産と異なるのは、土地をどんだけ売買しても、土地自体が増えたり減ったりするわけ
ではないということだ。銀座の土地は常に一定量しかない。この一定量しかないものへの
投資をいわゆるバブルという。

そして、崩壊した。暴落はあっという間である。もともと、生産物への投資ではなかった
のだから、その収縮もあっというまだ。そうして経済が傾くと、金を借りていた人たちは、
返せなくなった。会社も同じだ。不動産で儲けていた会社は金が回らなくなった。そうして、
連鎖的にバブル崩壊は、不動産にとどまらず社会全体に影響をひろげたのだ。

さて、今はどうか。
かつてバブルを演じた人々が初老になった。彼らは家のローンを返し続けている。
その足かせがあるために、大きな買い物はしない。いや、する必要がない。
日常的にもどうか。日々の生活費以上のものを購入することは稀だ。たまに壊れた
家電を、崩れた家を直すという程度の出費だろう。維持費にもっぱら消える。

維持費は、サービスであって、生産は大きくない。よって、市場から需要がなくなる。

では、金を大いにつかっていくはずの若者はどうか。
若者は、社会構造の犠牲者になった。お年寄り達が作り上げてしまった高コスト社会。
何をするにも多額の金がかかる。その金はこの低賃金社会でどうやって手に入るという
のか? そういった中で結婚形態は重みになり、男は結婚を重荷に感じるようになる。
女性は、男に甲斐性を見出すのが難しくなる。ミスマッチが増えていく。その間に、
子供は減り続け、いまや100万人切ってしまった。日本は全人口でみても、減少を
始めた。

若者は年金や保険料をとられ、家賃をとられる。高給取りは大学を出ているが、大学の
学資ローン返済が重たい。高卒の人々の多くは非正規社員になった。立場が不安定な
若者たちは、金を使い切ることなど考えられない。様々な要因で大きな経済活動をする
コアではなくなった。

人口縮小の流れの中で、企業もまた売上を落としていく。売上がおちれば、
従業員を増やすわけにはいかない。新規雇用を減らすほかなく、引退した人の
後釜はとらず、内部で仕事を分散させる。分散させるとはようは長時間労働が増える
という事だ。

男どもは長時間労働の中で、家庭を、生活基盤をないがしろにしている。
いや、そうでなければ、企業が回らないからだ。このような勤務形態に女性はそぐわない。
男女雇用均等化は遅々としてすすまないのだ。

一人の仕事が増えても、会社の売上がのびるわけではない。一生懸命やっても、
報われない形のしごとが増えた。中高年はゴールが見えているが、若者はどう思うか。
これがあと40年続くのか。。そう思ったら、辞職も増えることだろう。プライドや
社会的な立場、例えば養う家族がいるなど、から、辞めるもままならず、かといって、
仕事に喜びも見いだせない。そんな若者がゴロゴロいる。その不満のはけ口が、
スマホに向かう。SNSに向かう。

いささか余裕のある若者は、金のなさを工夫で乗り切ろうとする。思想的に追い求めたりする。
たとえば断捨離だ。もしくは、コストをかけない遊びを考える。若者はそれをやむなしと
している。我々は親のようには暮らせないのだと自覚しているのだ。

親のように暮らせないなら、そんな人生のコースから足を洗って違うことをしようかと思う
若者がじわりと現れている。

さて話を戻そう。需要は老人からも若者からも生まれない。困ったものだ。
日々の糧を得る。そういう意味では、日本人は恵まれている。拡大投資こそが資本主義で
の正しいふるまいだが、それが出来ない人々で溢れている。

人々は現在、消費を減らしまくっている。コロナによって先はさらに不透明になった。
モノが売れなければ、サービスも生産も滞る。


では、どうしたら?
実をいえば、色々な手段はある。本当をいえばあるのだ。

私は何度も、利子の非現実性を唱えてきた。利子とは本質的におとぎ話である。
どこかで息詰まる仕組みを全員が利用する社会は、やはり異常だと思う。しかし、
今のところ、それがベターという事になっている。本当か?

金は負債である。その負債をへらす努力がいる。どうやるか。
2種類の金があってもいい。例えば資産形成や期間の長い資産運用に関わる金と、
日常的な金は種類を変えてもいい。長期債と短期債と同じことだ。

その上で、短期債には、マイナス利子をつけるのはどうだろう。
時間が経つと、額面が減るという仕組みである。かつて地域通貨として考案された。

たとえば、年金にはこのマイナス利子の金を配る。
すると、老人たちは日々金が減ってしまうので、なるべく使おうとするだろう。
もしくは、長期債に変更しようとするだろう。この間にマージンをとり、それを
税として収めてもらう。一方で、短期債は額面が減るのでなるべく早めに買い物を
するはずだ。毎月の年金を例えば、一年後に消失する腐る金にしたとしよう。
月に6万ほどもらったとして、放おっておくとなくなってしまう。ならば、なくなる
前に使おうとする。そうして、必要なもの+アルファを買うようになる。

このアルファが意味を持つ。現状よりも需要を掘り起こせるからだ。
すると企業はじわりと業績を回復する。下支えされた企業は、生産戦略を変える。
結果として、事業が増え、雇用される若者が増えるだろう。雇用が安定的でなくても、
働き口が発生しやすい状況になれば、人々は困らなくなる。

このような額が目減りする金は、キャッシュフローを生み出す。
実際に、それがうまくいくことは分かっている。ただ問題もあって、循環し継続的に
使用されるかどうかである。

もう一方は、BIである。人々に政府が金を配る。それも恒常的に配る。すると、
人々は金をある程度使い始める。次が入っていくる事がわかっていれば、金をつかうし、
空いた時間は好きなことをすればいい。日々の生活がまかなえる程度に金があるなら、
仕事で無理をするかしないかは本人の自由になるのだ。一見するとBIは政府が借金を
重ねてしまうように思われるが、税金として回収されるわけで、常にマイナスというわけ
ではない。この辺りはもっと議論が必要だろう。

実をいえば、年金とはBIである。老人たちに今、国債を発行して金を配っている。
それは若い頃の制度に依拠しているわけだが。


もっと根本的な経済成長はあるのか? 現実的にはそれはもう時代遅れなのだろう。
如何に定常的に生産し消費するのか。それが問われている。

その時に考えるべきは、資本体系の改革である。私は共産主義をもう一度見直すべきだと思う。
今の制度に共産主義の良い部分を取り入れるのだ。共産主義と資本主義をバランス良く配置
することが、結局、社会の発展につながるのだと私は今考えている。
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