狂ってる社会にー不適合ー [雑学]

人は変わる。そりゃそうだ。
少なくとも、地球規模の物理作用からみれば、人なんてあっという間に変化する。

ダーウィンの世界には、斉一説という概念があった。
土地がじわじわと変化するという話。今となっては当たり前だが、当時は
神が世界を作ったというのが常識。そこで自然が勝手に形を変えるなんて、
とんでもない概念だった。

ところが、それから200年であっという間に概念は変更された。
その程度に人は変わる。


ちょっと前にコーチングの人に会った。
彼らは、すぐに人を変えたがる。あたかもあなたは駄目だという事を
懇切丁寧に、美辞麗句を交えて話す人々だ。その方向性は、現代社会への適応だろう。

彼らの思想にものすごい抵抗を感じていて、私はとんでもなく頑固なんだと
思っていた。だが、そうではないと気がついた。

私は彼らのいうようには変わる気はないという事だけだったのだ。

人は変わる。私も変わる。だが、鋳型に押し込められていた事に気がついて
そこから抜け出たというのに、また押し込めてこようとする。全くわからんことだ。

どうも、私がいいたいことをまるで理解できない人がいるらしい。
社会とは、共同幻想だろうに。その幻想に生きるのはあなた方の勝手だから、
私は傍観する他無い。ただ、私をそれに巻き込むなと言いたい。

とはいえ、それは無理な話で、仕方がないから、私はそれに一部付き合う。

それにしても、現代日本は異常だと思う。世界的に異常かと思ったら、
世界に出ると案外普通で驚く。それくらいに日本は異常が極端化している。
その程度に考えられないとしたら、あなたはもう日本に染まり切っている。

未だに、社会的概念こそがすべてという人間たちがゴロゴロいる。
いい加減、目を覚ませといいたいのだが、これもまた余計なこと。
彼らにとっての事実、彼らにとっての価値は、理解できるが、私にはもう不要なのだ。

自分の中にしばしば、既存概念を感じる。刷り込まれた価値観も未だに感じる。
それから目を避けてきた。そして、そうじゃないんだと気がついた。もっと、
がっぷり四つに刷り込まれた概念に集中すべきなのだ。そして、解体する事。

もっとも、まともになるにはそういう作業が必要となる。
脱洗脳みたいなものだ。
仕方があるまい。子供は否応なく、大人たちに刷り込まれてしまうものだ。


私には、変なトラウマがある。生存恐怖ともいえる。
捨てられるという恐怖。ある種の虐待的体験だ。大人が安易に口にする、
「良い子にしなさい」という脅しが、心に巣食っている。私はアダルトチルドレンかもしれない。

良い子でいたいのではない。良い子でないと、生を奪われるという脅しに屈したのだ。
それが、私の身体にある。こう書くと極端なのだが、そのような心情が心に沈殿している。

それがために、大人つまり命令を下す人間に対して構えてきた。
奴らは常に自分のためだけに、私に命令をしようと手ぐすねを引いているのだ。
そして、その根本は、そうしなければ、お前の生を奪うぞという脅しなのだ。

その意味で私は大人が嫌いである。彼らの文言の9割方は、命令であるからだ。
その命令に従うことを、社会では「成長」と呼ぶ。ふざけるな。私はそう思う。

上司がなぜ、部下に命令できるのか。それは部下の命の存続を左右するからだろう。
いや、左右するかのように社会概念化されているからだろう。本当は嘘なんだから。

大抵の大人は、他人を自分の人生のコマだと思っている。あ、より正確にかけば、
現代日本、都市に住む大人というべきか。そのような大人たちは、他者のためと
いいながら、他人に命令して生きているだけなのだ。

そのこじれた形で現れるのがハラスメントであろう。大人の論理からいえば、
ハラスメントなど存在しない。命令に従わない人が悪い。なぜなら「成長が足りない」からだ。
よって、都市の人間はハラスメントに対する抗議を疎ましく思う。そして、PCについては
どうでも良いと本音で思っている。何しろ、命令するのが大人で、その立場を確保する
ために彼らは努力してきたのだから。

その手段は金だ。金で人を脅す。これが都市の論理である。
ちゃんと仕事しないと首切るぞ、とまあ、これが大人の論理である。
煎じ詰めれば、大人とはこれしか言わない人たちである。

いつも金で脅しているので、金で脅せない人を見るとびっくりする事になる。
そして、「あいつは頭がおかしい」と言い始める。おかしいのは都市の大人たちなのだが。

昨今、モンスターという客がいる。いやいや、違うから。
昔からずっといただけで、いま急に現れたわけではない。
かつてはハラスメントと言われなかっただけで、十分迷惑していたのだ。
他人を金で脅すことになれきった人間の振る舞いは、端的にモンスターである。
その意味では、都市社会はモンスターしかいない。

あとは程度の問題だ。普通の大人は、小さなモンスター。いわゆる社会的に
成功した大人は、大きなモンスター。そういう話なのだ。他人がモンスターならば、
自分もモンスターにならないと、生きていけない。だから、都市の子どもたちは
心を病む。むろん住む場所というよりは社会概念の問題ではある。

大人は子供たちに、モンスターになれという。でも、子供の素直な感性はそれを拒否する。
すると、生を奪いにくる。行動を制約しにくる。モンスター化しない子供にはレッテルを
貼り、異分子として扱おうとしてくる。

その結果、大人の論理に屈すると私のような人間になり、反発し続けると、社会からあぶれる。
どちらにしてもろくでも無いじゃないか。

大抵の子供は、処世術を学ぶ。心と振る舞いを分離させるのだ。
そうやって、子供は自分の感性をなんとか確保する。だが、こうやって心が死んでいく人々も
少なくない。結果として、大人になるのだ。そして、いざとなれば、他人を金で脅す人間に
なる。そうせざるを得なくなる。それが現代日本の社会という場なのだから。

それに気がついて、外側へ転がり落ちてみると、よく分かる。
そうして、日本社会は、全力でアウトローを阻害してくる。実に不寛容で差別的社会である。

日本すごい番組などみると、ヘドが出そうである。よくもまあ、自分たちの振る舞いに
反省もなく、ろくでも無い人間だというのに、自画自賛できるものだなとつくづく感心する。

結局、現代の都市論理における日本人とは、そういう大人たちで構成されたモンスター
社会なのである。そして、矯正されたモンスターは、気がつくと、それが普通だと思い、
そうでない人間を攻撃するモンスターとなる。

恐ろしいのは、それを「正義」とか「倫理」とか「道徳」とか、言い放つことだ。
全部嘘である。いいか、モンスター化した人間の正義とはなにか。命令を聞け、ってだけだ。
美辞麗句に騙されてはいけない。もっとも騙されてはいけないのは日本政府にだ。国にだ。

先日も不幸があった。木村さんという女性が命を絶った。詳細は知らない。
正義の名の下に、執拗に攻撃した人たちがいるのだろう。それくらい想像に難くない。

自分が怪物になっている事に気が付かない社会で、怪物化した手足を眺める私がいる。
気がついた私は、怪物化した手足で、なんとか子供の感性を保とうともがいている。
心までは奪われまいと。

果たして、うまくいくのか、いっているのか。
狂気の方が普通になっている社会。少なくとも日本の都市は異常である。
繰り返すが、日本の都市は人間という感性からみたら、ほんとうに異常なのだ。
その中における成功とは、異常者になるという意味である。

もう少し、自分の感性に目を向けてみたらどうだろう。
私みたいに外側に出る必要はない。ただ、自分の心と向き合うというだけの事だ。
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