座り込みの話題 [雑学]

辺野古の基地建設に反対する陣営による「座り込み」が行われている。

基地を作らせまいという行動は市民の抵抗として理解されるべきものだ。
もしあなたの地元に基地を作ると国が宣言し、ある日突然ダンプカーが
押し寄せたらどうだろうか。必要ならば抵抗しようとする事だろう。

さて、その活動が24時間体制かどうかが、問題になっているらしい。
それはひろゆき氏が、現場にいって、座り込みをしてなかったと揶揄した事から
話がもりあがっているようだ。


ひろゆき氏の言ったことは、悪意のある揶揄である。
24時間体制でなければ座り込みでないかどうかなど、はっきりいってどうでも良いことだ。
それをひろゆき氏はわかった上で、なお、24時間座り込んでいないかあととぼけてみせた。
その悪意に対して、同調した人間が、20万ほどもいるらしい。

私はその方が怖い。

子供の屁理屈のように24時間やってないと指摘する事で、
事態を遊んでいる人間に対して、どれほどの人間が、マジで賛同したかである。
そして、事態を遊んでいる事をしった上で、賛同を送った腐った人間がどれほどいたかである。

かねてより、国が行うことに対して反対する人間を非難する人間は一定数いる。
そういう思想があるのはわかるし、その幼稚な発想もわかる。
権威に従わぬ人間に対して、正義漢ぶるというやつである。

そこには何の思慮もない。思慮がないので見かけ上で、物事を判断する人間になる。
まさに、ひろゆきの言うことに賛同するようにだ。

考えが浅い人間たちは、本音ではこう思っている。
国の決めたことに楯突くやつは、あぶない奴なのだと。
そして、そういう連中は排除されるべきなのだと。

完全に思考が停止しているので、権威が正しいと思い込む、まったくチョロい人間たちである。
そして、ひろゆきに転がされていることもに無自覚で、抵抗者を批判することを正義だと思っている
のだろう。


端的にいえば、ひろゆきの言明など無視する事だ。
彼の発言は、ハエやカみたいなもので、まともに扱うだけバカをみる話である。
その一方で、そんなことにこれほどの人間が煽られるとはどういうことか。
私には、知性の劣化が著しいのかと疑うものだ。

一部の若者たちに、こういう人間性を疑う人々がいる。
他者の存在を尊重しない人間たちのことだ。
ちゃんといってしまおう、要するに、下品な連中だ。

下品さはどこからくるか。それは「弱いものいじめ」をするからである。


今回の騒動の発端は、国と沖縄の住民との対立だ。
辺野古に基地を作るという強者と、それに抵抗する弱者がいる。

この時に、弱者が叫ぶのは当然である。私は彼らには叫ぶだけの理由があると思う。
なぜなら、物事の決定権は彼らにはないのだから。にも関わらず、彼らの生活が
脅かされるからだ。

その訴えが、24時間体制であろうがなかろうが、そんなことはどうでも良い。
むしろ、彼らがそれを誇張するのだって当然だろう。そんなことは批難するような
事ではない。問題は、彼らがなぜ座り込みなどをしなければならないのかという事だ。
それは弱者であるかれらが出来るせいぜいの行動なのだ。

であれば、権力を保持すれば良いという人間がいるだろう。
沖縄県民の民意は正確にわかっている。基地建設反対である。
沖縄の代表はそう主張しているのである。

そして国の代表は、沖縄の意見を無視している。
つまり、我々国民が、沖縄の人々の意見を無視しているという事だ。

その事実に目を向けずに、彼らが叫ぶ事に対して、視野狭窄的に
座りこみは24時間でないなら、偽りがあると揚げ足をとるのは、
まことに愚かだろう。

知性がなく、思慮がなく、背景も知らず、何も考えたことがない連中が、
座り込みを迷惑行為とみなす考えに同調した。それだけなのだが、
それが大問題なのだ。

私は弱者の叫びには、耳を傾けるべきだと思う。
知ってから、物事を判断するべきなのだ。

一方で、強者の反発に同調する人間たちを卑下する。
単純に人間が悪いからだ。そういう連中たちが、もっとも恐ろしい事をしでかす。

トランプに煽られて国会議事堂に乱入して人を殺した人々は、
まさに、そういう連中であった。
頭が悪いことは仕方がないが、人が悪いのはその人間の責任だろう。


世界は非対称なのだ。

パウロ・フレイレ曰く「権力側と抑圧される側との闘争に"関わりたくない"と宣言することは、
すなわち権力側に与することを意味する。決して"中立を保つ"のではなく」

権力側と抑圧される側がある。私は常にまず抑圧される側に立つ。
なぜなら、明日は我が身だからだ。抑圧される人間たちの行為が正当であるならば、
行動を正すべきは権力側であろう。

一方で、抑圧される側の問題点を指摘し、権力側の圧力に同調するものを嫌悪する。
長いものに巻かれるのは処世術だが、ことは倫理的問題なのだ。

トラブルにおいて権力側が正しい事が果たして、この世にあっただろうか。
私は大いに疑問だ。

今回のひろゆきの話は、要するに、強者と弱者の対立に、よこから愚かなおっさんが、
口を挟んだという事である。そしてそのおっさんに、同調する心汚れた人たちが
相当数いたという事だ。

もし、「いや、彼らの24時間という主張は事実としておかしいだろ、そうだよなあ」とか
まだいうのであれば、いっぺん死んで人間やり直したほうがいい。

それが事実だとして、なんだというのか。
問題は、自分たちの生活を守ろうとする人間たちが困っている。
その訴えの手段としての「座り込み」なのだ。


本当はこれはもっと、根深い問題につながっているが、
それはまた今度にて。
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