怒りー安倍政権に向けてー [雑学]

どうにも、怒りが沸いてきて仕方がない。
安倍政権に関わる事柄は、すべからく嘘に塗り固められている。
どう客観的にみようが、彼らが憲法を守らず、都合の悪いことは隠し、
その上で、金をちらつかせてそれらが報道されないように圧力をかけ、
やりたい放題である事は、実に許しがたい所業といえる。


これは自分の中の正義が許さないと、瞬時に湧き上がる感情だ。
ところが、多くの権力構造に組み込まれた人間たちは、それを「清濁あわせ呑む」とか
「大人の事情」とか「必要悪」などと多大な言い訳を行って、なかったことにする。

彼らにとっては、自己保存のためならば、何をしても良いというのが、
ルールである。そのために、影響力を持つものに対して、あらゆる形で干渉し、
彼らの邪魔をさせない、もしくは、彼らの味方になるように行動する。

社会に公平な正義など、存在しないといえるだろう。
在るとすれば、各人にとって都合の良い正義だけだ。だが、そんなものは正義ではない。
その意味では、あらゆる正義は成り立たないというテーゼが是認されている。

さて、今回も沖縄の辺野古基地建設反対の住民投票が有効投票に対して70%を越えた。
沖縄の民意として、基地に反対なのだ。そういう結論が出た。では、政府は何かするのか。
しない。何もするはずがない。政府とは常に、そういう存在である。国民のために
何かする組織ではない。国民から金をとりあげ、支配者たちのために使うのが国である。
そのように考えるのが庶民の知恵である。国は基本的に国民にとって悪である。

いや、そうはいっても公共事業や、福祉などがあるというだろう。だが、それは
先人たちの涙ぐましい努力によって、国に認めさせた行為であって、国はそもそも、
そんなことはしなくないのだ。結果として、現に日本では福祉や教育への資金は減らされ、
じわじわと首がしまっている。

これを自己責任という人間がいる。それは嘘だと断言しよう。人生には運不運がある。
たまたま、時代の潮流にのった人々が儲けているが、彼らが儲かったのは社会の成員が
いてこそだ。儲からなかった人々が必ずしも、努力が足りなかったというわけではない。

ならば、社会全体に寄与する必要があるのは誰しもが同じこと。だが、実際には、
自分だけよければよいという成員が増えすぎた。結果、日本は今、瀕死の状態にある。
その一番の原因は、中高年だろう。自分たちの事だけがよければよい。だから、福祉や
教育など、自分に直接関係ない事に税金を使う政策は不人気となる。誰も将来の
事を考えて、良い社会を残そうとか、資源を守ろうなどと思わない状況になってしまった。


こういう時代には、安倍のような首相が役に立つ。特に経団連など巨額の仕事を国から
得る人々は、利用しやすい人間がトップである事が重要なのだ。だから現政権は変わらない。
その立場を安倍らは利用して、彼らの思想を政治に持ち込んでいる。このような動きは、
第二次世界大戦のドイツそのものだ。ヒトラーが始めた政治によって景気を回復したドイツ
は、財界がヒトラーを支援し、ヒトラーはその思想を政治に持ち込んだのである。

結果として、第二次世界大戦はあのような結果になった。それを保護したのは財界の人間たち
である。このような動きは、現代日本そのものであろう。ただし決定的に違うのは、日本では
安倍政権の経済政策はまったくの間違えで、事実、何にも成果が上がっていない。GDPを増えて
いないし、景気も回復していない。株価は年金などの資金をつかって底上げしただけであるし、
失業率の回復は、団塊がいなくなるために起こっている人手不足のせいである。その一方で、
経費削減のための非正規雇用やバイトの割合を増やし、人件費を抑制し続けた。

その結果、景気は回復せず、円安の結果として物価上昇を招いた。スタグフレーションである。
物価が上昇しているのに、景気は後退する。あたりまえであろう。みんな所得が減っている
のに、物価があがれば、買い物をしなくなる。儲けが減れば給料は増やせない。

給料が増やせない業界は、仕方がないので首切りをする。首をきっても状況を維持できない
人たちは、国に頼ることにした。だから、国に面と向かって文句はいえないのだ。なぜなら、
彼らの給料を国が支えているからである。場合によっては法律を用いてさえ、国は法人を
押さえ込む。国民を押さえ込む。

こうして、国の仕事に依存させて、企業集団を実質上、しばりつけておくのは政治的手法
なのだろう。このことが直ちに問題ではないのだが、問題は、安倍政権の思想的偏向である。
戦争をする国にする事や、中国や朝鮮とあえて対立的にみせている事。憲法改正をするという
事は問題は無いが、その中身の酷さは閉口する。時代遅れもいいところだ。だが、その時代
遅れに価値を見出すのが、中高年の人々である。そして20代の無知な若者だ。

今まではあまり、触れなかったが、言葉にしておかないと危険だと思うのであえて触れる。
それは、厳然と世代格差や世代間思想の違いである。現状で年金をもらっている人間たちは
逃げ切り世代といえる。一方で、40代以下の人々にとっては、年金は税金のようなものだ。
制度上、破綻している。だが、それを続けている。明らかに不正義である。だが、そんな
事は中高年はお構いなしだ。自分たちだけよければそれでいいという自己中心的な人々が
大半をしめている。それが最大の問題なのだ。

では何が悪か。それは、システムの要請を無批判に受け入れることである。国が言うから、
県がいうから、経営者が言うから、上司がいうか、だからやる。およそ大馬鹿者である。
そして、悪人である。じゃあ、あなたは権力構造の上位から指示されたら、人を殺すのか?
おそらく殺すのである。それが、システムの要請に無批判であるという意味なのだ。

自分が殺されるか、相手を殺すかとなったら、大義名分とともに、喜び勇んで人を殺す、
それが大半なのだ。これは歴史的事実であり、おそらくこれからもそうなのだ。

現に、安倍政権の悪事に対して、何も反応できていない。つまり無関心なのだ。
無知は罪である。罪ではないかもしれない。罰なのだ。無知とはそれだけで罰を受ける。
それが、政治的な問題なのだ。知らなかったでは、すまされないほど、非道が行われる。
それも法の下に。それがいかに恐ろしいことか、先の戦争時に知ったはずなのだが、
もう忘れてしまったらしい。そして、自分がよければそれでよいと、安倍政権の尻馬に
のって稼ごうとする。その金がもしかすると、ただの紙切れになるかもしれないというのに。

悪事が悪事として認定されない世界では、正義など無意味である。現状の日本では正義は
無意味と等しい意味しかない。われわれはもっと考えないとまずいのだ。誰かがうまいこと
やってくれるというのは、もはや幻想である。

明日のご飯や、幼い子供の世話、今日の会議や、半年後の取引のことが多くの人にとって
重要である。それに忙殺されて生きている。だが、なぜ忙殺されているのかを問う人間は、
私くらいしかいない。残念ながら、まともな人は数少ない。ここまで書いてもなお、これを
読んだ人々は、現状のおかしさに疑問を持たない。不思議でならないのだ。

おかしいと思うためには、現状の外側に違う価値観があると認識する事だ。
実際に、そういう価値観は存在している。だが、島国日本では、違う価値観は「悪」なのだ。
そして、自分たちがやってきた成功体験にいつまでもしがみつく。沈没船にしがみつく
人々は、その後どうなるのか、どうしてわからないのか。

沈没船がまだ浮く可能性を秘めているうちに、私は何とかしたいとおもってこれを書いている。
もちろん、険しい。安倍政権が終わったときは、ある意味で現日本が終わったときになるだろう。
その後について、語ろう。その後を語れる人々を増やそう。その後について考えよう。

もし、日本円が紙くずになったとして、そこから何が出来るのか。
おそらくそういう思考こそが、これから10年において重要なのだと思う。

多くの人は盲目的に生きている。その盲目さこそが、「悪」だと指摘した。もちろん、
これも伝わらないだろう。その愚かさゆえに、盲目でいられるのだから。だが、自分たちが
如何に醜い姿をしているのか理解しなければ、それをどうにかしようなどとは思わないだろう。

私の予想は、日本は結局、駄目になりきらないと制度は変わらないのだと思う。
現状維持のまま、経済が失墜し、場合によってはデフォルトし、紙くずとなったときから
再スタートが始まる。その時に、我々は何をするべきか。今から考えておこう。
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