貧乏になった日本:結婚や妊娠報道 [その他]

結婚や妊娠はおめでたいので、報道として安牌だと思う。
だから、特に意識しないで報道しているのかもしれない。

だが、どうもこの数年おかしいと思い始めてきた。
というのも、とにかく少しでも名前がしれているなら、
誰彼構わず報道しているような気がするからだ。

それも第1子、第2子だとわざわざ人数を加えてある。
結婚にしても、誰?と思う人も少なくない。少なくとも一般には
知られていない人たちの報道が増えたと思う。


穿った見方をすれば、結婚や妊娠報道を増やせという圧力でもあるのか?と
思いたくなる。もっといえば、国策として人口増加に寄与するとでも思っている
のではないかとすら思う。

これがプロパガンダだとしたら、全くの的外れだろう。
金がないから結婚や子供にまで到達しないという部分が大いにある。
人が増えないのは当然である。資源量に比例して人口は増えるからだ。
それは自然の摂理であって、それ以外ではない。

問題は、日本が貧乏になったということであって、
それは結婚や子どもの問題ではないのだ。そして、その責任の一端は国にある。
国が組織的に中間層を没落させたのだ。それは社会制度上の必然である。

必然な結果に対して、自分たちは悪くないとのたまうのが自民党政治である。

消費税を導入し、消費に「バツ」を与えたが故に景気は悪化した。
派遣法を改悪したために、労働者の賃金は抑制されたがゆえに景気は悪化した。
保険料や年金など、どんどんと値上げをして実質の増税をしたがゆえに景気は悪化した。

ほとんどが失政であろう。少なくとも国民にとっては失政以外の何者でもない。
そうして人々は困窮し始めた。多くの人が感じているのは当然のことなのだ。
生活水準が明らかに下がったと。だから、華美さの象徴であるファッションは廃れ、
嗜好品への欲求も下がった。生活必需品をなんとか買い揃えるのがギリギリに
なってくる。

その一方で、投資家たちは労働者たちを搾取する。搾取構造があるのだ。
金を貸し付けて、そのギャンブルで金を増やす。投資と投機は違うと証券マンはいうだろう。
だが、金を投資する意味は、金を増やすことが大前提にある。そういう意味で、
投資は必ずギャンブル性がある。そうでないなら、財団などで資金提供のみを
するという事で良い。金を増やす前提でないならば、株などを買う理由がどこにあるのかと
問いたいものだ。寄付でいいではないか。

私には会社は株主のものだという考えがかなり違和感がある。
現実として、金を出していれば、所有なのだという考えが相当に異常なのだ。
これは病的な考えである。そして、病的な考えこそが資本主義の根幹にある。

所有を金でおこなうというのが、資本主義のルールである。
建前上、金をだしたものが所有者である。だが、その所有物は、有機的である。
中身は人の集団なのだ。それを所有できるというのがそもそもの勘違いなのだ。

だが、世の中は、そういう勘違いによって動いている。現実問題として、
資金がある人間が投資で金を稼いでいる。そしてそれができる仕組みを生み出した
のが資本主義である。

どこかで金を多くせしめて、投資して更に金を増やす。
このどこに投資するかがギャンブルである。なぜなら世の中に確実なものなどなにもないからだ。

こうして投資家の力が増せば、儲けの一定部分は確実に投資家に集まる。
経営者は株主のいいなりになる。利益を上げるために奔走する。
利益とは 売上からコストを引いたものだ。この粗利益を最大化するには、
2つの原理しかない。

売上を増やすか、コストを下げるかだ。

日本の大企業は官僚主義だ。現状維持のために現状維持をする。
だから、状況が変われば売上が下がる。なぜなら、状況に対応できないからだ。
市場は変化するのに、会社組織は変わらないために売上がどこかから下がるのだ。
また、資本には利子がついている。多少の波風があって、一瞬間の落ち込み時に
経営が危機になることもある。しかし、利子は待ってくれないのだ。債務不履行になって
しまう。それがゆえに、常に売上を伸ばし続けるという運命である。

これをなんとか維持するには、イノベーションを起こすか、販路を拡大するかしない。
しかし、状況は変わるので、必然的にこれらは頭打ちになる。株式会社はここからが
勝負である。

現状を維持するために会社を大きくする事になる。人員を増やして取引を増やしたり、
店舗を増やして売上の拡張を図る。営業マンが尻を叩かれるのはそういうことだ。

さて、売上はどこかで頭を打つ、ないしは逓減してくると、もう一方が強く働く。
つまり、コストカットである。

コストをカットするために、まずは増えすぎた人を減らす。つまりリストラだ。
もしくは、給与をあげない体制にする。つまり派遣を増やす事だ。
正社員の数を減らして、派遣をふやせば、コストをカットできるのだ。

製造コストも下げたい。工員を減らして、ロボット化する。
事務処理も効率化をするためにIT化をする。
こうやって、自動化を推し進めていく。

要するに人を増やさず、売上を伸ばせば良いのだ。昨今の成功した企業は全てそう
している。頭脳明晰な人を高給でやとう。彼らをつかって、オートメーション化システムを
構築する。これがネットを通じて行われたのがGoogleやFacebookやAmazonであろう。

イノベーションを強力に推し進めてブランド力を確保したのがアップルである。
販路を自ら設けて、差別化をはかり、独自の規格で攻めた。かつてのソニーに似ている。

どうして、GAFAと呼ばれるものが成り立ったのかと言えば、
売上を伸ばすことと、コストカットを行ったからだ。その肝は「自動化」である。
人がやれば、コストがかかる。それを電気代に置き換えたのである。自動化のためには
賢くなければならない。頭脳にコストを支払ったのである。そして、一度自動化された
仕組みは、いくらでも使い回せる仕組みである。アルゴリズムは改良しながら使えるのだ。

こうして、既存の体制は自動化の体制にあっという間に追いつかれ、追い抜かれた。

日本では相変わらず人間がやっている。だからコストがかかる。
そのコストを抑制するためには、派遣社員にするほかなかったのだ。
なんなら、季節労働者や、海外からの派遣性という名の半奴隷である。

日本は経営者が全く状況を変えられず、気がついたら、GAFAたちが作り上げた
仕組みの下に入っていた。モノを作りだすという下請けである。GAFAたちが
作った陳列棚に、ものを提供するのが日本の多くの製造業である。

生産性がきいて呆れる。人間がやっていることは当然頭打ちがあるのだ。
彼らが自動化して電気にやらせていることを人間がやれば、生産性は低いし、
コストはかかるのである。

この生産性をうまくつかう事で、小規模の経営も可能となってきた。技術が
コモディティ化していく。あとはどういうものを作り出すべきかというコンセプト
が大事になってきたのだ。消費者が何を望んでいるのか。それを明確にとらえて、
適切な価格で売りだす。そういう事が大事になってきたのである。

大量生産して、ブームを作って、売りさばくというマスプロダクトはもう通用しない。

ともあれ、日本は何を血迷ったか、消費税を導入し、法人税を下げた。
これによって、企業は努力をしなくても良くなってしまった。
そして、現状維持さえできれば良いという人間ばかりを作り出した。
というより、現状維持しかさせてもらえない仕組みで動いてきた。

だから、企業には内部留保がふえ、消費者は可処分所得が減った。
経団連は、給与をあげることをせず、投資に回したのだ。

投資に回した金は金融に流れた。なぜなら、どこも大きな消費がないからだ。
アメリカに大きく流れていたサブプライムローンという河に投資した人も少なくない。
そして、金余りはますます、金融バブルをおしあげていく。バブルは崩壊する定めなのに。

日本では、アホノミクスという政策によって、株価が押し上げられた。
国が株を買うのだから、そりゃ株価があがるに決まっている。

本来余った金は、借金の返済にあてるべきだろうに。国債をバンバン発行して、
金を市中にばらまいたのだ。といっても、銀行にだけ。

銀行は本来、投資につかう。ところが、どこもかしこも焦げ付いている。
仕方がないから、やはり金融に金が回る。
こうして株価は連動的にあがったし、土地の価格もあがった。

本来なら、国民が消費するはずだった金を国や企業や銀行が金融資産として使っている。
そして、これらもいずれ瓦解するに決まっている。

さて話を戻そう。
そういうわけで、本来我々が手にするはずだった。金は、金融に吸い取られていく。
内部留保によって、ソニーは銀行まで作ってしまった。セブンイレブンもしかりだ。
金が、彼らの手に渡るほど、消費は落ち込んでいく。あたりまえだ、可処分所得が
低いのだから、庶民の生活はますます苦しい。

日本は内需で回る国だ。だから、本来庶民の間をカネがぐるぐる回るのがよい。
ところが、金融という体制側の仕組みにばかり金が流れる。法人税と消費税の関係だ。
我々は金を吸い上げられているのだ。その残ったわずかをぐるぐると回している。
吸い取られた金は金融という形で資産増殖していく。これがじわじわと毎日
繰り返されている。そりゃ1%と99%になる。日本もすぐにこうなるだろう。
仕組みが変わらなければそうなるのだ。

さて、こうなると、若者たちの取り分はどうなるのか。
システムに入り込める一部は除き、当然減る。減れば、生活は苦しい。
結果として、結婚や子供は減るのである。

加えて皮肉をいえば、システムに入り込めるような若者たちは結婚や子供をコスパが
悪いと考えるかもしれない。儲けて安定する人々の一定割合は、家族を形成しない
傾向にあるだろう。それは男女ともである。

仕組み上、儲けている彼らは確実に年金を払っている人々である。
他者がコストをかけて育ててくれた子どもたちが、自分たちの老後を支えてくれるのである。
自分の子供という血さえこだわらなければ、コスパが良いといえる状態なのだ。

さらにいえば、本来的には金がない事は結婚や子供の有無とは無関係である。
貧乏でも子供がたくさんいたりする。だが、現代日本では、貧乏な状態を許容しない。
既存のあり方が正義という観念がある。だから、それがかなわないとするならば、
無理をして結婚や子供を考える必要がないとも考えるだろう。これは完全に価値観の
問題である。

親よりも貧乏な状態を許容する他ないのに、それを目指すがゆえに、
苦しみが広がっているのだ。実に悪いことは、親と同等の生活をできるという状態も
まだオアシス的に残されている事だ。正社員として働くという形で、親より少し
悪い程度での生活が見えている。だから、若者はそこに入ろうと必死になる。

そのためには、我慢であると教わっている。そして、失敗は許されないと。
社会的に失敗すると転落し、正社員としてのあり方が奪われると潜在的な恐怖に
怯えている。

親ガチャなる言葉は、この潜在的な恐怖を感じるマジョリティの心情であろう。
一方で、裕福な家庭に育った子どもたちは、失敗を許容されて生きる。どちらが
能力を発揮できるかは明確ではないか。

もしくは、貧乏そのものに生まれついたならば、また能力を発揮できるだろう。
逆説的だが、守るものがない人間は強いのだ。だから、中間的な人々こそ、つまり
マジョリティこそが、時代のアオリを強く受けるのである。


まあ、なんだか色々と放言してしまったが、
潜在的な子どもたちや夫婦を、消しているのが現状の日本なのだ。

様々な要因が絡み合って、現状を形成している。どこかを変えれば直ちに良くなるものではない。
わかっていることは、多くの人が悩んでいる事柄の半分くらいは時代の問題なのだ。
それは本人の問題ではない。だから、それに悩むのではなく、少しでも良い状況を
作り出すように、動いてほしいと願う。それくらいしか一人の人間にはできないのだから。
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