意外とみんな分かってない [雑学]

何が必要な事なのか。
簡単な事で、自分が真に欲する物を得る事、ではないか。



大抵の人は、誰かが欲する物を得ようとする。それが人の心理。

あなたが学生で受験勉強を頑張っているとする。その結果、合格したとして、
本当にそれをあなたは望んだのだろうか? 周りが羨むから、周りから一目置かれるか、
親や先生が喜ぶから、そういう事ではなかったか? 

あなたが就活してなんとか滑り込んだ会社で、我慢し続けるのは、
その会社にいるという事で得られる金だけでなく、周りがちやほやするから、
自尊心を満足する事に気を取られてはいないか?

ちょっと旅行にいく。その時、何しにいくのか。テレビや雑誌でよくみた
あの景色を観たいだけじゃないのか? そこへ行ったと誰かに報告したいだけじゃないか?

少しいい服を買う。その時、その服を本当に望んで買っているだろうか。
ハイブランドを身に着けているという自分に喜んでいるだけじゃないか?
そうみられることに安心したいだけじゃないか?

あらゆる人の行動の中に、他人が入り込んでくる。それは仕方がない事だ。
だからこそ、本当に自分がそれを望むのかは考えたほうがいい。

100人の美女・美男にモテるよりも、大好きなあの人とデートに行くほうが
ずっとずっと嬉しいだろう。

どんなに高価なプレゼントをもらうより、孫から似顔絵をもらう方がずっとずっと
嬉しいだろう。

何を欲しているのか。もちろん、虚栄心を満たしたい人はいる。
空虚な気持ちを、俗物でうめ合わせる事をして、目を逸らすことはできる。
でも、満足しないだろう。そりゃそうだ、自分の本当に欲することをやらないからだ。

自分がしている仕事。満足しているだろうか。明日もまた仕事したいなと思えるだろうか。
もちろん、大変なこともあるだろう。それでも、好きで仕事が出来ているだろうか。
きっと、仕事が好きな人は、まるで興味がない仕事をして大金を稼ぐより幸せだろう。


自分を知ること。賢人たちは必ずそういう。
その意味は、知ることというよりも、自分の状態に嘘偽りない行為をすることだ。

結婚や就職というステータスのために、やりたくもない事をしているなら、
それは自分を裏切っているわけで、幸福とは言い難いだろう。

それでも、現実は大変だという人がいる。確かに現実は甘くない。
少しでもよい条件や、よい関係を望むことは大事だ。だが、それは本当か?

ハンバーグを食べたい人が、高価なステーキを食べて、より満足するだろうか。
確かに世間的な価値は高い。でも、じぶんが食べたかったのはハンバーグじゃないのか。

そうやって自分の行動が、どれほど自分の元々の欲求に沿っているのか、自覚した事は
あるだろうか。

大抵のことは習慣なのだ。そして、習慣を飽くことなく繰り返して人は死んでしまう。
本当に望んだものを欲することもなくだ。

あなたは本当に望むものを望んでもいい。望むのは自由だ。
だが、考えてほしい。それは本当にあなたが望んだものなのか?
大金を得ることや、誰かれにもモテる事は本当にあなたが望むものなのか。

自分ののぞみが、ただのビー玉でも、構いはしない。誰かに馬鹿にされたとしても、
自分が望んだことを欲するのだ。ダイヤじゃなきゃいけないという事などない。

経験として、高価なものを得る機会がない人は、そんなの知らないからやってみなくちゃ
わからないし、やってみたいというだろう。それも一考だ。だが、そんなものあっても
なくても、幸福は変わらない。プライベートジェットを買えないから不幸だと思うのなら、
その心根が不幸だと言えるだろう。

では何が自分にとって必要なのか。
そう、それを知るには結局、自分を知るほか無い。自分が何をするのが満足なのか。
それを掴み、実行出来た人は幸福なのだ。

幸福とは感じるもの。手に入れるものじゃない。
多くの人は案外とこの違いを忘れているのだ。
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