コロナ考ー社会におけるコロナとは? [思考・志向・試行]

リクエストにお応えして、コロナウィルスの問題について考えてみたい。

まずは、ウィルスの説明が必要だろう。多くの人はウィルスがなんなのかまるで知らない。
細かい事は他にゆずるとして、ウィルスの概要を述べば、ウィルスとはmRNAやDNAをもつ
自己複製が出来ないため宿主を必要とする非生物である。定義的には「生物」ではない。

概要など
http://amr.ncgm.go.jp/general/1-1-2.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウイルス

学術的に
http://jsv.umin.jp/microbiology/main_011.htm

コロナウィルス
https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/9303-coronavirus.html
https://wired.jp/2020/03/08/what-is-a-coronavirus/


ウィルスの最大の特徴は、ただの生体に寄生し、数を増やして他へ伝染るというだけの
存在ということだ。生き物とも言い難いような不思議な存在といえる。
このウィルスの何が問題なのか。それは数を増やす時に、宿主を殺してしまう
事があるという事だ。

ウィルスは生体に取り込まれて、宿主の細胞にある材料を使って、複製を増やし、
また細胞から出ていく。

自然とはとても不思議なもので、ウィルスは宿主に寄生すると、宿主にいろいろなことを
やらせる。例えば咳だ。肺などに影響与えるウィルスが多いのは、その結果として咳が出る
からだと言える。咳をすると、肺からウィルスが飛散し他の宿主に寄生できるからだ。
ウィルスが増殖する事で、それを排除しようとする宿主の生体保護作用が、むしろウィルスの
拡散につながるわけだ。自然とはかくもうまく出来ている。

ウィルス、特にコロナウィルスのような一本鎖mRNAで構成されているものは、変化も
早い。複製するうちにミスが生まれ、それによって弱体化するものもあれば、むしろ強力に
なる個体も出てくる。だが、これもまた自然とはうまく出来ていて、あまりに強力なウィルスは
実はすぐに絶滅する。なぜか。それは宿主がすぐに死んでしまうと数を増やせず、拡散も難しい
からだ。よって、あまりに強烈なウィルスは実はそんなに怖くはない。一方で、ほどほどの強さが
あるウィルスというのは厄介である。劇症型は増えるのが早い。だから宿主の症状も変化しやすい。
コロナはそのような方向性のウィルスなのだが、それでも、これだけ広がっているのは、強い
感染力にある。宿主があっという間に死んでしまうなら拡散しにくいのだが、感染力が高い
ために、広がりが収まらないのだ。

現在、新型コロナウィルスは10種類程度、少なくとも3種ほどあると言われている。
数字にぶれがあるのはまだ確定していないからだ。
https://medical.jiji.com/news/30640
ここによれば、中国・アメリカ型と武漢・アジア型と欧州型という三種類だ。

つまりコロナウィルスの特徴としては、
1.致死率が高い(インフルエンザの10倍程度)
2.感染力が強い
3.変化しやすい

ということはどういうことか。まずヒトが物理的に接触すると感染するということ。
そして、程々の強度で劇症化し死に至る人がいる一方で、多くの場合は大丈夫で、その間に
また感染が広がるという特徴がある。

ウィルスの立場からいえば、世界には77億人という数の人類つまり寄生先があって、
その上を猛烈な勢いで移動・拡散しているという感じだ。その終焉とは、すべての人が
かかるか、感染できずにウィルスが隔離されるかである。新型コロナはとにかく感染力が
高いために、閉じ込めるのが困難なのだ。

ウィルスは寄生先から放出されたとき、どのくらい程度、ウィルス能
(正しくはないが平易な言い方なら「生きていられるか」)を保ってられるのか。
どうやら数時間から数日程度らしいが、場合によっては一ヶ月ほども大丈夫という可能性がある。
つまり、感染した人がいた場合、その人がウロウロした後には、少なく見積もっても数時間から
数日程度はウィルスは存在することになる。
https://www.bbc.com/japanese/51939641

ウィルスはどこから侵入するのか。ひとつは口や鼻腔を通ってやってくる。
https://www.wakuchin.net/disease/route.html
もう一つには目からも寄生するという。
https://jxpress.net/coronavirus-infection-way/
粘膜系から伝染るらしい。ということは、セックスもある程度気にするべきことだろう。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-52088084


すると予防策は、
1.感染者と会わない
2.外に出ない(ウィルス感染者が居た場所に行かない)

となる。なんだか絶望的だが、とにかく蔓延しているウィルスから身を避けておくしかない。
それが唯一の予防法だ。

一方で、人には免疫系がある。そうワクチンによる予防だ。
ワクチンとは無毒化したウィルスを体に注射して、抗体を作っておく行為だ。
ワクチンを打っておけば、重篤化しくくなり、かかっても免疫系が排除してくれる。
では、ワクチンはいつ出来るのかと言えば、2021〜22になりそうというとの事。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57982130T10C20A4910M00/
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-04-14/Q8SOC3T1UM1001
急ピッチで進められているが、1年以上はかかるだろう。


現段階でコロナが収束するのは、人から人に伝染るということを封じ込めた時か、
ワクチンが開発されて皆が接種した始めた時という事になる。およそ現実的にみて、
本当の収束には2年程度はかかるだろうとみるべきだ。これより早いかもしれないが、
それなら尚良いというだけの事であろう。


さて、前提はここまでにして、コロナが与える社会的影響についての話を進めたい。

コロナ対策の哲学は2つある。
1.みんなかかってしまえばいい。
2.完全に隔離して抑え込む。

1には、自然にという話とワクチンでという話がある。もし自然にやるとどうなるか。
北大の西浦先生によれば、85万程度が罹患して、そのうちの半数が死ぬだろうと。
https://www.asahi.com/articles/ASN4H3J87N4HULBJ003.html
あまりに非現実的だろう。42万人が死ぬよって、まさかダジャレではないだろうけど。。

(追記:2020年4月17日)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
西浦氏の計算には些かの疑問点があるという話がある。
この点について、伊藤乾氏によれば、筑波の中村氏の計算も参照するようにとの事。
http://www.ims.tsukuba.ac.jp/~nakamura_lab/group-HP/lecture/nakamura_covid.pdf
おおよそ感染率K=0.25とすると、西浦氏の結果と同等になるとの事。

結論的には、7割程度の接触頻度の低下が必要ということ。
単純に外出を7割減らせという単純な意味ではないが、ものすごくざっくりというなら、
一人あたりで言えば、各人が今までに比べて人に会う確率を7割減らせという事になる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最初にイギリスではこの手の議論があって、集団免疫という話を進めようとしていた。
ところが想定以上に致死率が高いために、断念して囲い込みを始めたというわけだ。
結局1はワクチンが出来るまで、我慢する他無い。

では、2はどうなるのか。こっちもこっちでかなり深刻であるが、現時点では最良の手段
である。2とは、要するに外出自粛という事だ。外に出ることを限りなく減らす事。その
副作用は「経済破綻」である。

安倍政権はオリンピックの実施という金儲け主義を貫いていたために、3月になるまで
何もしないでいた。その間に感染者は増え続け、その感染者のうちの一人は志村けんである。
残念だが、囲い込みをすぐに始めていたら、もっと違ったであろうが。感染力が高いコロナの
蔓延を防ぐには人々が外にでることを止めない限り、つまり、先のコロナが死滅する期間の間、
じっとしている事で初めて可能になる。

かつてのウィルスの例からいえば、最長1ヶ月である。おそらくこれが、
現段階での緊急事態の期間を決めているのだろう。

家でじっとしている必要があるとして、じゃあ、生活はどうなるのか? 当然の疑問である。
単に収入が減るだけの問題ではないのだ。その間にも借金は増えていく。ここに社会システム的な
問題が関わってくる。家賃がある人は払えなくなるし、光熱費などの固定費の出費は否応なく
ある。資本主義社会が目指したのは、すべての金で扱うという事。そのつけはこうして発生する。

国は外出自粛させたい。だが、強制自粛させるには金がいる。自民党は金を配る気がまるでないので、
(数日前より、ニ階議員が10万配布を検討しているらしいが。。)、宣言は実行力を持つことが
ない。ともかくも経済活動を制限する事を極力避けたいというのが現体制側の意図だ。

よって、会社員は相変わらず通勤するし、経営者は経営を中断出来ない。金を儲けるしか
生活できないからだ。それは資本主義の宿命であるし、ましてや現体制側の論理である
新自由主義の立場からも、金を配る事は方針が間違えている事になる。

つまり現状の日本では2の外出自粛は実質的に不可能である。そうして、感染者は
日々増えていく。1も2もできない日本では予防は出来ないという事だ。なんたること
と思うだろうがこれが現実である。

現段階で国は7つの都道府県に緊急事態宣言をだし、だされた都や県では実質的な
自粛がスタートした。不思議なことに何の拘束力も持たないこの宣言に対して、日本人は
行動を変化させた。私はこのパターナリズムと、それに従ってしまう日本人のメンタリティが
嫌いだが、こういうときには有効に働く。

これらの支持にいやいやでも従う人々の心には2つの考慮がある。
一つは、感染源になる事への恐怖だ。もう一つは、感染源が来訪するという恐怖だ。
前者は風評被害が簡単に発生する日本ならではの事。
後者は人という生物がもつ本質的な感情、異物を排除せよである。

引退した世代や、家にいる主婦や子どもたちは多少は自粛するだろう。
結果的に、国は労せずにある程度の自粛をさせる事が出来た。むろん、これは無意味だ。

先にも述べたように、コロナウィルスを遮断するには、人と人の接触を減らすこと、つまり
一切外にでちゃだめなのだ。一部の人間だけが自粛したからといって、7割の人が仕事で
ウロウロしている状況では、コロナにとっては何も変わらない。西浦先生の試算では
8割の人が引きこもる必要があるという。それを可能にしようと政治が動いてるのか?
いや全然何もしてないと言える。

結果的に現在の自粛は中途半端過ぎて、効果などなく、ただただ時間が過ぎているだけと
思ったほうがいい。それは今後のデータに如実に現れてくるので、それを注視するべきだろう。

現段階の日本の対応ではだらだらと感染者が出続ける事だろう。42万人が死ぬということは
なくとも数万人〜10万人程度が1年程度かけて死んでも不思議ではない。残念だが、それが
安倍政権、自民党の日本なのだ。決して、外出自粛なんてものでうまくハズはない。

庶民に出来ることは、とにかく外出は減らすこと。出先ではマスクをし、なにかに触った手を
消毒してから家に入ることだ。注意したって、運が悪けりゃかかってしまうのだけど。それは
無理からぬ事である。あとは祈るのみだ。

あ、予言しておけば、おそらく、感染者数がある程度落ち着いた頃に、
「収束宣言」を安倍もしくは次政権がすることだろう。もちろん実態とは違うが。
遅くとも10月くらいにだ。なぜならオリンピックをやりたいからである。2週間の大きな
運動会のために、政府はまた嘘をつくことだろう。それでも、日本国民は許容し続ける。

そうそう、それから、おそらくだがドライブスルー方式の感染検査は行われるだろう。
少なくとも簡易検査が実行されるはずだ。なぜなら、感染した人としてない人がわからない
と行動制限の意味がないからである。感染しているかどうかを一度見てもらわない限り
人々は行動を変えないからだ。

一方で、これにより増加する患者の対応に病院は当然間に合わない。医療的な問題を
含めて解決策がないために、簡易検査はずっと先延ばしになるとも言える。おそらく、
政権は、簡易検査をやり始めるが、とても限定的になることだろう。いつものパターンである。



さて、ここで終わってはコロナ考にならないので、先に進もう。
まずは今後の庶民の生活変化について。

何が起こるのか。最低でも半年はこの自粛ムードが続くだろう。
なるべく外出をしないようにするという事だ。そうして、まずは飲食店などの店が
次々に潰れていく。50万とか100万とか支援があっても焼け石に水である。おそらく、
コロナ倒産は10%の増税と相まって、かなりの規模になるだろう。これが表面化する
までに数ヶ月のズレがあるが、まさに現在進行系で店の経営が揺らいでいる。
だが、政府は何もしないだろうと推測する。するとしても、更に借金をしろという形で
迫ってくるだろう。

こうして、人々の生活圏にある店が3割〜半分ほどなくなる頃には、仕事がある人と
ない人で大きな差が開いてくる。非正規的な仕事がますます増え(たとえばウーバーイーツ
のような宅配業のバイト)、社会は不安定化が進む。不安定化が進むと、人々は鬱屈した
気分が増進するだろう。その一部は犯罪へと走る。また、苛立つ人々が増え、ハラスメントなど
の問題行動が増進されるだろう。遅かれ早かれ「コロナ疲れ」というのが問題になる。

日本人はこういった時に、自罰的思考をとりやすいので、自殺者も増えるだろう。
なんなら、間接的自殺としてコロナにかかりに行くという人も現れるではないか。

こういうムードが続くことで人々の不満がどんどんと膨れ上がる。その結果として、
嫌中などがスケープゴートとして利用されていく事になる。コロナに対する政府批判なども、
攻撃の対象になるだろう。庶民は分断化されていく。加えて情報統制はますます強化され、
中国のような共産主義的な一党独裁政治に突き進むことすらあり得る。自民党という名前が
中身を表さなくなるだろう。

不満は大きなものだけでなく身近なものにも向かう。たとえば、コロナにかかった家族への
差別。それが強化されれば、外出している人へのヘイトが始まるだろう。外出が悪だという
風潮が生まれてくれば、うっかりと外に出るのも難しくなるかもしれない。


外にでなくなると、人々は不健康になる。それは身体は精神の健全性とつながっているからだ。
あからさまな運動不足が続けば、体調を崩す人が増えてくる。社会全体が不健康になるだろう。

こういう時に、なにかが起こる。1929年の世界恐慌時には戦争が起こった。
我々の中に醸成された不満感、不全感を晴らすために、破壊衝動が駆動するのである。
100年前と同じことを始めてしまうのかどうか、それはこれからの人々の気持ちにかかっている。
むろん、戦争への準備をしている人間たちがいることは忘れてはならない。


ピンチはチャンスともいう。このような事態でも新しい動きはあるものだ。
一つには、在宅ワークというものの推進である。仕事という概念が大きく変わる可能性がある。
かつての大量生産・大量消費型の社会、それを支える資本主義という大枠。そして、新自由主義に
よるグローバル化。こういうものに乗っかった社会ほど、コロナウィルスに好物な社会はない。

人の流動が義務付けられいる社会である。かつて以上の勢いでウィルスは広まるだろう。
グローバル化とはウィルスに対する脆弱性でもある。そのシステムが叩きのめされる可能性がある。

人々はもう少しローカルを重視するようになり、仕事もどうしてもという場合を除けば、
テクノロジーで対応するだろう。すでに在宅ワークは可能であるし、これからはそれがメイン
にすえられる事になる。余計な作業は減り、必要なことが効率化されていく。一方で、それらの
機器をスムーズに使えるか使えないかで、人々は切り分けられていく。

教育現場も大きく変わるだろう。大学に通学するという事は特殊な事情となるはずだ。
そして、情報を摂取するという意味ではオンライン授業に切り替わっていくだろう。
そのようなアーカイブが出来上がれば、別に受験制度そのものが危うくなってくる。
学生を受験で絞るのは、希望者全員が授業を受けられないという事だったわけだが、
いまややろうと思えば、希望者みんなが東大の授業を受けることが出来る。ならば、どこまで
受験が必要なだろうか。単位を取るという事のハードルが上がるだろうが、その一方で、
受験というものがもつ、差別化からは遠ざかっていく事だろう。少なくとも、ある程度は
境界が崩れるのは間違えない。

大学授業を受ける資格を得るという形に受験の意味が変わるのかもしれない。
社会がそれを許容するならば、就職もまた学歴という事ではなく何が出来るのかという
能力主義に近づくのかもしれない。その証拠としての授業受講記録の提出などが行われる
ようになるかもしれない。


2045年のシンギュラリティを待たずとも、社会はコロナによって大きく変動する。
一つには、生活のあり方。もう一つは仕事のあり方。

なんだかウィルス自体の話が長くなったので、
今後のことについては、またの機会にて詳述したいと思う。

ともかくも、皆さん、くれぐれもご自愛して頂きたい。ワクチン完成まで2年弱。
苦しまなくて済むならば、苦しまないように。
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