本音を語ることの難しさ [思考・志向・試行]

本音は時に、人を傷つける。それが意図しないものであってもだ。
なぜだろう?

言葉は受け取り手の心構えで、解釈が真逆になることがある。
「お前、バカだな」という言葉をどう捉えるのか。友人がうっかりものを慰めて言うのか、
憎い相手に憎悪を込めて言葉を発するのか。親が子供に説教しているのか。
同じ言葉でも、まるでちがうものになる。その意味で、言葉は常に多義的だ。

だからこそ、同じことをどう受け取るのか、表現されるのかは、人それぞれで、
その時にその人の心構えが出ることがある。

個人的に困るなと思うのは、相手の心構えがまるで自分と違う時だ。
かつて付き合った人に、そういう人がいた。こっちが思いもつかない形で、自分の言葉を
批判とか非難に受け取るのだ。そんな意味の事を言ったことはないのに、勝手に妄想が膨らんで、
それがマイナスな帰結を作り出す。いまだにあれは不思議な事に思っている。

自尊心が低いからなのか、こっちが意図しない事を思いついて、それをこちらのせいにする。
あの詰り方は一体どうして生まれたのか。今思えば一種の抑圧だったんだろうなと思う。

誰かが強烈に嫉妬していたとして、それをかわすには、自ら自分を貶める事をする。
そういうコミュニケーションだったのかもしれない。例えば、母親が娘の美貌や才能に嫉妬し、
それを真正面から認めず、常にケチをつける。そういうコミュニケーションがあったのかも
しれない。

娘は、母親からの「攻撃」をかわすために、わざと自分を貶める。それがいつしか思考の型と
なって、無意識にやりだす。もしそうだとしたら、とても恐ろしいことだと思う。

母親は自分が認める範囲でしか、娘の幸せを喜ばないという事になる。
娘は無自覚的にうまくいきそうになると、わざと失敗する方を選ぶ。

他者の言動を悪くとる癖がある人は、誰かの嫉妬や誰かの攻撃をかわしていないかに気をつけて
みたほうがいい。無意識的に問題が発生している。

河合隼雄はコンスタレーションという概念でこれを説明している。
家族という集団があり、そこにスターがいれば、必ず影が出てくる。
兄が東大にいけば、弟はグレた奴になる。そういうバランスを無意識的にとる。
それが心理的な作用なのだと。だから、人の性格もまたバランスの結果なのだという。
持って生まれた才能だけではなく、「自分の持ち場」を人はとろうとしてしまう。

そもそも、他者の言動を悪くとるのは、大抵は時間の無駄だ。
なぜなら、もし相手が本気で嫌味や非難をしているのであれば、その中身を精査して、
対応できることは対応すればいいだけだから。そして、それが妥当でないと思うなら、
無視すればいいだけなのだが。。

さて、この記事のタイトルは「本音の難しさ」だった。

どんな人も、本音と建前がある。建前とは結局、スーパーエゴであり、本音とはエゴだ。
普通に考えると本音こそが、その人そのもので、建前は外形の問題であると思うだろう。
だが、人はもっと複雑だ。本音と思っている事そのものが「建前」の事がある。

本気で建前を本音と叫ぶ人がいる。だからこそ、本音とは難しいのだ。

どうしても東大合格!と思っている人がいる。

でも、その人の本音はなんだろう?本当に東大に行くことなのか?
そこに、ある種の虚栄心や、自己愛があるんじゃないのか?
なんらかの劣等感があって、それを克服しようとして、知性化しているだけじゃないのか?

この場合、本当の意味での本音は「愛されたい」のであって、「東大に行きたい」ではないのだ。

これと同じことは他のあらゆる事で生じている。
本当にその服は好きで選んだのか? その行動は本当にしたくしているのか?
今、相手に合わせた意見は、本気そう思っているのか? 

いいんだよ、自分の本当の気持ちを出しても。

大人になるほど、虚栄心や面子が問題となって、本当の気持ちを忘れている。
何の柵もなければ、こんな事はやっていないという人は多いものだ。そういう本音もまた
表現され難いのである。

自分の行動の源泉を今一度問うてみる。なんで自分はそれをやるのか。

私は、それを自分に問う事で、自由になった。少なくとも今までよりも。
そして、息苦しくなった、この日本という世界が。
均質性を追い求める人々の群れ。どこかで自分はそこにはもう加担できないという思いがある。
それを「解脱」といってもいいのかもしれない。

覚めた自分がいて、そうでない人達がいる。
これが今の自分の本音に近い。

じゃあ、覚めた自分が何をするのか。それだ一番の大事だ。
結局の所、この日本では金が無いと始まらない。そういう社会を作ってしまった。
そして日本で暮らす私もまた金というものに拘束されて生きている。

だからこそ金を調べ、その意味を知り、金を得る行為を最小限に絞ろうとしている。
だが現実は厳しい。それもまた事実だ。

自分の、真なる本音がもっとはっきりすれば自ずとやることは決まる。
おおよそ、本音に生きるとは厄介なことだが、それだけの価値がある。
今の私にはそう思えるのだ。
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kusanota

コロナ考待ってます♫
by kusanota (2020-04-13 00:28) 

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