経済格差における壁 [雑学]

昨日書いたものを読み直して、間接的な悪について断罪していた。
その相手は、大企業や官僚たちについて述べていたので、つい口調が強くなっていた。

一方で、非正規でなんとか食いつないでいる人々もいる。
そういう人々にとって、仕事は違う意味で命綱だ。というか命綱にさせられている。

資本主義の基本は、貨幣経済をベースに拡大再生産をすることだ。
そして、資金とは利子によって積み増される。つまり未来を食いつぶすことである。
丁寧に説明する気はもうない。前の記事やどこぞのサイトなりで調べてほしい。

この仕組では、未来の富を手元に引き寄せる事を利用している。そして、それは
一般に借金という名で知られている。カネの方からみれば、それは富の拡大であるが、
労働の責務の発生でもある。ここまでは仮に許容したとしよう。だが、利子はだめだ。
未来のカネを借りて、そこに利子を付けるのは当然かのよう見える。それは社会が
借金をし続けるという前提において始めて成立する。一言でいえば、拡大再生産である。

人々が大きく減るような事が起こると、一度資産はちゃらになる。偏りが減る。
その後、人の数も増大する。経済が安定し生活しやすくなれば、人の数が増えるのは当然だ。
人の数が増えていくフェーズでは、借金は成り立つし、利子も成り立つ。なぜなら、カネの
量は誰かが借金をすることで増えるからだ。カネを借りる側は、人が増えるので購買する人間
の数が増えると予想できるから借りるのだ。投資分を回収できるだろうと。そこには、労働力
を一定の価格で買えるという設定が必要である。

そこで有効なのが年功序列賃金だ。こうしておけば、賃金は安く抑えられる。いずれあがると
いっておけば当初はあげなくていい。そうして労働力をめいっぱい引き出す。そのためには、
早めに一人前にする必要がある。だから何も知らんやつでも、地頭がよく、従順なやつを大量に
必要とした。金の卵というやつだ。

こうして日本人は戦後に、安い賃金で兵隊マインドをもって、目一杯働いた。そこでは、
安い労働力があり、人口が増えるタイミングであり、多くの人は家財道具を求めていた。
マスプロダクトが成立する基盤があった。それを資本主義が支えていたわけだ。借金して、
投資するほうが儲かる。多くの労働者は、田舎の次男坊や三男坊である。それらが
都会へと移動して今の日本社会を形成した。

このマインドにおいては、仕事はするほどに儲かった。素早く大量に生産する事が競争力
であったし、そうやって市場に商品を投下すれば、みんな一心不乱に消費した。先ごろの
中国と同じである。見かけの豊かさに人々は飢えていたからだ。

もともとの大家族が分裂し、家族の数が増えることで、一人あたりの消費財はずっと増えた。
それが供給を支えていた需要の中身だ。土地もみんな買い求めた。先祖伝来の土地に住めない
不幸を、都会ぐらしの幸福と言い換えて、都市郊外に家を買った。その時はまだ成長フェーズ
だったからだ。

だが、みんながそれをやったらどうなるか。資源は有限なのだ。日本の土地は有限だ。
一方で、カネは理論上、無限に増える。だから供給は滞り、需要はうなぎのぼりになる。
結果はインフレである。とりわけ土地はインフレしやすいのだ。なぜならみんなが欲しがる
からである。それは経済が回っていて、カネが増えるほど、人々の手元にカネが増え、家や
土地を欲しがるという構造なのだ。そうして家や土地は高騰する。

じゃあ、そのカネを紡ぎ出せばいいと考え始める。賃金の高いところに就職することが大事だと。
これが就職の競争となり、受験の競争となった。虚しいことだ。考えてみれば、みんなが土地や家
を求めて生きる人間になった結果である。

ともかくもカネを得ようと競争をし、その競争の勝者になりたがった。その結果はどうか。
誰も買えないくらい高騰し、バブルは弾け飛んだ。借金を返せなくなったわけだ。得られるはず
の未来の儲けは、みんなが買えなくなった段階ですでに無くなっていたというわけだ。
これを政府が肩代わりし、その後、その債務の返済をしたはずだがどうなっているのやら。

カネを多く得ようという活動は人々を労働にしばりつけた。多くの残業を生んだ。その結果、
カネは対して得られなくなり、人々は数を増やすのが困難になった。子供を育てるのにかかる
コストも急激に増えた。結局、経済がブレーキなって子どもたちは減った。それはつまり、
将来借金をしてカネを増やす人間を減らしたということだ。

こうして、日本はカネを生み出せなくなった。当然である。人が減れば需要は減る。そのような
フェーズにいつかは到達するものだ。これは当然の帰結である。資本主義は資源が有限であれば、
必ず停滞する。そしてカネの回転が停滞すれば利子は返済不能になり、社会が破綻するのだ。
資本主義とは、人口オーナス期にしか成り立ち得ない仕組みなのだ。

その後、どうなるのか。簡単だ。人の数がへれば、借金は減りカネは減る。カネが減れば、
売上が減る。売上がへれば、需要も減る。供給力はあっても、人々の間にカネがなければ
始まらない。でも、企業がやるのは、コストの削減である。ものが売れないなら、商品の
コストを下げればいい。そのもっともたるや人件費である。仕事の能率をあげ、そのために
人を減らした。そのピークポイントがミレニアムであり、世代としては氷河期世代である。

この世代にカネを賃金として与えなかったために、その下の世代は更に減り、さらなる需要低下
を招いた。そしてそれが延々と20年も続いたのだ。普通であれば、経済は終わっているはず。
資本主義の原理からいえば、拡大再生産ができなければ、破綻する。だが破綻していない。

なぜか?

実に簡単だ。誰かが借金したのだ。誰が? そう政府である。需要が減ったことの反動として
現状維持をするには、カネを誰かが供給する他ない。そのカネとは政府の借金から来た。
政府が国債を発行し、市中の銀行にばらまき続けたのだ。もしくは国の特殊法人から、
カネが民間に公共事業や入札という形で流れ続けた。

その一方で、人々の給与は減り続けた。売上を理由に企業はコストをカットし続けたからだ。
カットしたコストは、金融資産に回す。企業体自体がすでに消費財の供給では売上が確保
できないからだ。金融資産を手にして、企業は売上を確保しようとしている。その売上の
中身とは、株の売上や投資信託等だ。土地を転がしたりして、儲ける。なにしろ工場をつくって
も、みんなが買ってくれないわけで、当然ながら、そうなる。

庶民が騙されているのは、国の借金は誰かが使っているということだ。それを好き放題できるのは
政治家と官僚たちであり、そのおこぼれを預かるために大企業などは彼らを接待する。そうして
規制というやり方や、キックバックというやり方で仕事をせしめている。国だよりなのだ。

こうして、現状維持をしようとやっきになった企業体は、国のカネを頼りにした。
これが今の安倍政権支持なのだ。安倍がどんなに阿呆でも、どんなにくだらん人間でも、
現状維持をすすめている限りにおいて、彼らは支持するのだ。

要するにこれはシステム的欠陥によるものなのだ。なぜ非正規社員が世にあふれ、パソナのような
ピンはね会社が儲かるのか。それは人の数が増えなくなったこと。これにつきるのだ。
つまり資本主義のシンプルな教義、拡大再生産が滞ったからだ。

こうなった以上、非正規社員たちは、仕事があるだけまし。というだろう。
多少ブラックだろうがなんだろうが、食い扶持が大事であって、仕事に大義などいらん。
そうなるのは当然だ。

同様に、官僚たちだって、安倍がどんなにくだらんやつでも、自分の生活を維持するためには
汚いことだってやるほかない。良心が咎めたら、仕事をやるしかない。やめられる勇気は
非常に尊い。ほとんどの人は出来ない勇気あることだ。悪にしか思えない仕事を生活のためと
割り切ってやる方が、普通だからだ。

非正規社員が、しょうもない仕事でもやめずにやり続けるのは、生きるために必要だからだ。
都会において、かかる費用を稼ぐにはそれなりの苦労がある。そして、その苦労をしている
ところで、国は勝手に始めた国債という借金をたてに、増税を行った。そう、借金のつけを
ほんらい引き受けるべき人間たちが責任逃れをしているからだ。かつて未来の富を使った
人間たちである。今の老人だ。

今の老人たち。彼らは知らずと、国がかってに破綻するはずのものを借金で支えたのだ。
彼らの責任を放棄した。そしてその責任を今の日本全体が受けている。それをなお、拡大
している。

くだらん仕事が生まれるのは、資本主義が国家に操作されたためだ。簡単に言えばそうなる。
悲惨な人生を送っているのは、人口オーナス期に生まれてしまったためだ。
資源は有限なのに、カネは無限になってしまったからだ。結局そういうことなのだ。

国は記号としての労働者を助ける。なぜなら彼らが「資源」だからである。
だが、国は個人としての人は助けない。国に貢献しない存在は本音をいえば迷惑だからだ。
それを安倍政権は見事に顕にした。アホらしいほど見事にだ。だから、弱者を切り捨て、
富者をますます助けるように政策を変更し続ける。

日本国民は現状日本に怒らなければならない。
その一方で、現状の生活をやめねばならない。今の生活を<豊か>だというのならば、
その豊かな生活をやめるべきなのだ。資本主義という仕組みは人口増加時にしか有効じゃない。
資源が無限じゃなければ有効じゃない。これが原理であって私の見解などではない。原理的に
絶対、確実に、資本主義は息詰まるという話なのだ。それは、人口が永遠に増えないし、
資源が永遠に確保できないからである。おとぎばなしでもないんでもない。

非正規社員で歳をとり、明日の仕事がわからない人々がいる。
大局的にみれば、人は減っているために仕事はあるのだ。だが、カネが回らない。
カネが回らないから、ポストをつくって雇うことが出来ないのだ。

カネは老人たちと企業がもっている。彼らがカネを手放すとき、ようやく賃金があがる。
老人はもはや増えすぎた。それが日本なのだ。自らが生産しない人間たち。生物として
破綻しているのだ。生き物として不自然なのである。不労所得の人間も企業も老人も。
そして、そういう人間にカネが集まる仕組みー資本主義ーこそ不自然なのだ。

この状態があと30年も続くはずがない。もう破綻への序章はすぎた。これから
転機を迎えるのだ。早ければ、オリンピック後である。そのときに我々は何をすべきか。
カネは信用してはならない。信用とは人である。そして生産手段である。それ以外を
信じちゃいけないのだ。
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