バーフバリとキリスト教 [思考・志向・試行]

大澤先生の講演を聞いた。その本題は「悲劇と喜劇」であった。

ここではこの講義内容を踏まえた上で、
悲劇としての「バーフバリ」を取り上げたい。

下記、ネタバレを含むので注意されたい。

バーフバリとは、今話題のボリウッド映画である。
「伝説誕生」「王の凱旋」の前後2作となっている。
内容は、親子3代にわたる伝説話という形式で、主には親である
バーフバリの悲劇伝説とバーフバリの子が行う王権回復のカタルシスの話だ。

おそらく多くの人は、「流石ボリウッド!!」という感じで
勧善懲悪の伝説物語として面白おかしく観たはずである。
全編にわたって、格闘が多いので、アクションに少々食傷するかもしれない。
だが、その部分を含めても、内容は劇的に演出され、色々と物理現象を
捻じ曲げた表現が満載な実に爽快なインド映画となっている。

CGを多用した過剰表現など、それはそれ、物語の中身は実に王道である。
その王道さをキリストの生誕の物語との類似として眺めたい。

悲劇である物語には、3つの要素が必要である。
これを述べたのはかのアリストテレスである。

1.苦難(不条理な出来事)
2.逆転(ポジティブからネガティブ)
3.認知(運命を知る)

これらを含むことで悲劇は構成される。そして悲劇であるほどに、
物語を聞いた我々には不可解な勇気がもたらされる。この誘発される勇気こそ
悲劇の効能であり、人々を魅了するものだ。

きっとバーフバリを観た人々は不可思議と勇気を得たはずである。
不条理な仕打ちに、徳と正義で立ち向かう主人公バーフバリ。その姿に
強く心動かされるはずだ。なぜなら、それが神話の構成であり、人の本姓に
訴えるからである。それは主人公が人間離れした能力を持つという事ではない。
その能力をどう使うかという点において、人の心をつかむのだ。

バーフバリはまさに、上記の3つの要素をがっちりと取り入れている。
そして、オイディプス王の悲劇とは異なり、王の復活というカタルシスで
終えるという形式によって、集客を狙った”あざとい”構成となっている。
(これは「君の名は」と同じチューニングである。)

バーフバリの苦難とは、母同然のシヴァガミ国母によって殺されるという
点で頂点に達する。そして異母兄弟の計略であることが明らかになる。
異母兄弟にとって、バーフの存在はまさに目の上のたんこぶであった。その
兄弟に向けられた憎しみによる計略が見事に、バーフバリを討ち果たす。
この悲劇が、悲劇であるのは、バーフバリの行動は母の教えから来るもので
あり、その教えに忠実であるがゆえに引き起こされる事だ。翻って、その
徳のある行動によって、バーフバリは王としての器として人々に慕われるのだ。

民衆とは、実は正義を体現するシンボルを求めている。それがめったに現れない
幻想であるのだが、それこそ、神話だからこそ、存在し得る存在としての英雄
を王としたいという心情があり、人はそのような人に傅きたいのである。
戦士カッパッタはそれをまさに体現した人である。

徳がゆえに味方に殺されてしまったバーフバリ。その回復を息子である
バーフバリが復讐を果たすというのが後半の見せ場である。個人的には、
最後の数分はかなりの蛇足だった気がするが、それこそがこの映画のヒットの
所以である。どこにも存在しない正義を体現する出来事だからだ。

逆転は、まさにバーフバリという祝福された王子が王になると定まった時から
スタートする。異母兄弟からの妬みによる計略に国母は巻き込まれてゆく。
まさに、ポジティブからネガティブへと物語は進んでゆく。クライマックスは、
何の謂れもないバーフバリがまさに国母の意思によって殺される事で完結する。

認知とは、二つの視点の交差点の事だ。神による運命と、それを知らずに行動する
主人公。子バーフバリは、自己を知らずに母を救い出す。そして、それを事後的に
知らされるのだ。自分が王家の血筋のものであること、その存在により母が救われる
と予感されていた事をまさに体現する。認知を経たバーフバリは復讐へと向かうのだ。

つまり、この物語はアリストテレスが定義した3つの条件を見事に
包含するのである。そして、その悲劇性こそが観た人々に健全な勇気を与える。
不思議であるが、徳のある主人公がいわれなき迫害を受けるという図式こそ、
人々は精神的な力を得る物語なのだ。だからこそ、バーフバリは健全な開放を
もたらす。それを現代の技術とインド映画のもつ演出で見せるのだ。ヒット
しないわけがない。

キリスト教の物語も、同様の型を持つ。まさに悲劇である。そして、その悲劇は
キリストの愛をまさに最大化した。悲劇がもたらす勇気はここにもある。

人がもつ不思議な心の理論。神経科学的なせこい心の理論ではない。
ここでいう心の理論とは、人は不合理に直面した時に、人に宿る不思議な力の
事である。人という動物には、悲劇を受容する装置が埋め込まれている。
このようなストーリーは、遺伝子や神経細胞の活動などで説明するものではない。
むしろ、人の精神のロジックとして語るべきなのだ。

悲劇の効能をぜひ堪能していただきたい。「バーフバリ」を観てない方は
映画館に急いで頂きたいのである。百聞は一見に如かずである。
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