不安感の中で [思考・志向・試行]

一体何を求めていたのか。今、不安のただなかにいる。
もちろん、すぐに終わりが来るわけじゃない。だからこそ、大きな決断をした。
これで良かったのか。その不安は昨年も同様だった。結局、その不安感を半年も
引きずりながら生活してしまった。

結局、問題を先送りにし、目の前の仕事に逃避していた。
そしてどこか逃げたくなるような気分でいっぱいだった。現に何度も現実逃避に
出かけた。だが、気分が晴れるものではなかった。むしろ、なぜ自分が求めるものを
真に求めようとしないのか。自分でも分からなかった。

常に自分の在り様を求めて悩み続けた。だから休日でも、気が休まることなく、
考え続けた。周りからみたら、なんて無駄な事と思ったことだろう。どこか収まり
きらない気分が楽しみを奪っていった。友人と会う事も気が重かったのだ。

自分の気分の不安定さは、結局、自分が「自由に求めた」ものを実行していないから
だった。それは金銭的な過多とは無関係な事。でも、どこかしょうもないプライドが
疼いて、捨てられなかった。そして微妙に変化する関係性。人間とは不思議なもので
嫌だと思っていても、少しずつ馴染むものだ。半年以上経って、ようやく居場所の
ようなものが生まれてきた。そうか、人間関係は半年以上はかかるものなんだ。

もちろん、意識した。意識して言動を発してみた。今まで散々偉そうなことを
ここで述べてきた。ならば実行するほかない。自己愛ではなく、自愛を軸にした
健全なコミュニケーション。一人一人に対して可能な限りにおいて丁寧に接した。
きっと、何か伝わっているみたいだ。相手が変わることを期待して、そして自分が
変わることを期待して。

だが、一貫して違和感があった。その違和感がなんなのか。そうそれが遂に
理解できた。今日、発見したのだ。何をもって嫌だと思っているのかを。
それは、「条件付きの承認」の事だ。子供の頃、漠然と感じていたあの感じ。
それを繰り返そうとしていたのだ。いい子でなければいけない。人格の一部のみ
を評価し、そこだけ切り取って全人格性を決めつけてくる。それ以外の部分は
押し込められてしまう。そういうコミュニケーションだ。

親はそういう形で子供に明に暗にいい子でいることを強要する。好きな事を
して良いと言いながら、要求にかなう叶う形以外は認めないという命令。
暗黙裡に送られるメッセージだからこそ、たちが悪いのである。そして、それを
無視するわけにはいかないのである。そうだ、この関係性こそ、今の置かれている
状況をよく表している。

まさか、こんな関係性を仕事において利用されるとは思わなかった。
希望を述べよと言いながら、その反対方向で、彼の願いにかなうものを言う
しかないという矛盾するメッセージ。口と態度の間に乖離が見え隠れする。
それがマイルドであるから、一見するとまともに見える。だが、明示化されない
事は問題を水面下に押し込めてしまう。そして、徐々に腐ってゆくのだ。

自分がそのような関係性によって生きてきた事をうっかりしていた。そして、
そのような関係性にひっかかる心性を持つがゆえに、そういう相手を無意識に
選びとってしまう。そのような相手の命令に逆らえない。つまりハラスメント
関係である。そうか、所属した時から感じていた借りてきた猫のような人々の
雰囲気は、そういう関係性に共依存する人々の群れだったからだ。

だが、知ってしまったのだ。自分はそのようなシステムに生きられない。
なぜなら、悟ったのだから。人の在り様はそういう仕組みでは不健全にしか
機能しない。そんなチームが創造的であるはずがない。

それを身体反応として知っていた。そう、一年前に。なぜあそこまで身体が
拒否したのか。それを無理やり抑え込んだ。違う。これは違うというあの感覚。
きっとマリッジブルーなどと同じだろう。人は一時の事という。そして、
外から見れば、それは羨ましがられる状況であれ、非難される事はない。
だが、それに精神・身体が蝕まれる。

「努めて仕事に励め、そして成果をだせ」そういうもの以外は認めない。
これが命題である。これは結局「努めて勉強に励め、そして合格しろ」と
まるで相似形である。なんだ、そういう風に操られたに過ぎないじゃないか。
もちろん、その結果として対価の給料をもらう。社会的補償をもらう。
そして自分を騙す。まあ、そこそこ貰えてるのだからと。実は、自己嫌悪に
よって支配されているのだが、それは休日に散財で発散である。

きっと、高額な給料をもらえばもらうほど、その状況が上記のようなハラスメント
状態にあったとしても、動けなくなるのだろう。十分な対価を不快な気分と
交換し続ける他ない。だが、そんな人間のどこが魅力的だろうか?
日本の多くの企業には、努力して成果を出すという命題以外の行為を認めない
ハラッサーが沢山いるし、その洗礼を受けた人は、自分が仕掛ける側になって
しまうのだ。

努力不足を責める人間は気を付けた方がいい。いや、そもそも努力不足という
概念自体が成り立たないのだ。そんなものこの世にはない。人は生きるための
十分な能力を持ち、十分な活動を行っているはずなのだ。健全に生きていれば。
そこに努力という圧は必要ない。あらゆる動物たちは努力などしないのだ。
ではなぜ、努力があるのか。それはプライドなのだろう。他者より優れている
と思いたいという。そして、利益を確保する動機でもある。それが現代社会に
おけるルールだからだ。もちろん、努力しても報われるかは分からないし、
努力しなくても益を得る事がある。人生とはそういうものだ。つまり、日常の
充実こそが人生であって、目的の達成のために犠牲にする時間などないのだ。

この仕組みがわかった今、所属し続ける事に困難が生じた。だが、半年で
ようやく居場所が出来てきた。迷いが続いた。もうしばらく大丈夫なのでは
ないかと。逡巡した。ずっと。人はきっかけがないと決断できないものなのだ。
のんべんだらりとした時間の流れの中で、意思決定など出来るはずもない。

「やって後悔する事とやらずに後悔する事」どちらにしても、後悔するならば、
行動すべきではないか。これが今回の答えだ。きっと後悔するだろう。どこかで。
でも、行動したのだ。それだけは間違えない。もしこの決断が間違えなら、それを
後続に伝えなければならない。それによってこの失敗は成功を生み出すのだから。
私はそのような連鎖を信じる事にした。


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コメント 3

たこぽん

いつも拝読しています。

仮想通貨についての思考をぜひ。
by たこぽん (2018-01-27 09:28) 

D-Blue

いつも有難うございます。
遅ればせながら、仮想通貨をネタにしましたので、
読んで頂けたらと思います。
by D-Blue (2018-02-19 00:30) 

お名前(必須)

ありがとうございます。
少なからず影響され、脱東京を図りました。

あとは、脱アホです。
by お名前(必須) (2018-03-01 21:12) 

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