モテ欲求を満たすために。 [恋愛]

社会が求める能力が人生において変わりゆく事は明白である。
だが、それを理解している若者は限りなく少ない。
そして、それが女性における性選択の要因にもなるとわかっている男は更に少ない。
ここでは女性の恋愛視点の変遷をみていこう。

幼少期はとにかく見た目に左右される。
せいぜい身体能力が加味されるくらいだ。
中学くらいまではこれが主な要因となる。

次に学力だ。高校受験への準備がはじまると、
学業成績の良し悪しが性選択に紛れ込んでくる。
高校生では一つの要素をしめる。
そこでようやく性格とか人柄が注目される。

一方大学ともなると学業よりも「面白さ」や「ノリ」などが重要視され、
人間性の在り方が見られる。友人の多さや誠実さなども加味されてくる。

そして社会人。働き出すと途端に経済的要因が割り込んでくる。
どれくらい稼いでいるか。稼ぐ能力があるのか。これが問題視されるのだ。

つまり、外見に始まった恋愛ポイントは、最後は金で終わるのである。
もちろん、これは順番に起こるわけではない。またどれかがなくなるわけではない。
大人の女性はこれらすべての要素をひっくるめて、相手を選ぶのである。
その重視する要素は、周りの状況などで変化するわけだ。


小学生や中学生は、学校の成績など女性の眼中にはなかった。
ひたすらに外見や、運動が出来るなど、そういう事がモテるか否かを決めていた。
要素としては、ほぼ3つだ。

1.身体的魅力
2.運動能力
3.面白さ

これらが満たされる事がモテる事であった。
残念ながら、学業成績が注目されるのは、中学2年の後半くらいからだ。
また性格的な優しさとか誠実さなどは、ずっと後にならないと興味の対象にならない。
なぜなら付き合うという過程を経ていないからである。

よって、上記の要素をもった人々が恋愛市場において活躍する。
モテるか否かがスクールカーストを形成し、それが上下関係を作り出す。
中学の二年くらいまではこれでやってくるのだが、中学3年になると途端に変化する。
学業が大きなウェイトを占めてくるのだ。

成績が高校選択の大きなウェイトである。しかも得点は目にみえてしまう。
女性の一部は、頭の良さをモテ要素に加えてくるのである。
とはいえ、成績の良さによるカーストが出来上がるほどに、後発要素は強くない。
かつてのモテ要素が大きな幅を利かし続けるのである。

すると、ねじれ現象が出てくる。身体性や面白さでモテを得てきた人達は
急激に社会的な評価が下がるのである。とはいえ、モテてきたという自負がある。
負けを認められないのだ。このクロスする社会的評価基準によって中学は「荒れる」。

身体性と頭の良さを兼ね備えた人も一部には、いる。だが大抵は学業成績と身体性が
反比例する。なぜなら、モテていた人々は学業に興味を持つ動機を失っているからだ。
他者がちやほやするならば、なぜわざわざ学問的な事に興味をもつだろうか。知的好奇心とは
基本的な事柄を理解したところで生まれてくる。その前段階にあるとすれば、興味がないのは
仕方がない事だ。そして、そもそも仲間とダベる事に忙しい。

中学におけるこのクロスした価値観をどう克服するか。図らずも、勉強を全くしなかった
人々は異なる基準で勝負しようとする。それはより身体を使った手段、つまり非行に走る
事で、注目を集めようとする。悪事であっても、それによる注目が重要なのだ。よって、
ファッションは先鋭化し、言動は激しくなる。かつてのモテ要素をとがらせるとそうなる。
さらに道具を得ようとする。バイクや車である。身体性の拡張手段であるこれらの道具は、
彼らにとっての武器なのだ。

現代においてマイルドヤンキーと呼ばれる人々はこの価値観の元に生きている。
かつての身体性を元にした価値観に。彼らの身体は見栄えがする事が多いのは、
こういう事の結果である。この路線で金を得ようとすると、ガテン系などになるのだろう。
夜の仕事なども彼らが担う事が多い。

一方で、身体性をマッチョではなく、飾る方向に発散させるとどうなるか。
それがアパレル系である。ファッションという形で、モテる要素を拡張する。
優れた身体の持ち主である彼らにとってこれがハマっている事は間違えない。
近い方向性では、美容師であろうか。これは男に限らない傾向だろう。
美的なセンスがモテにつながっていた彼らは、それを生かして仕事をするのである。

面白さはどうだろうか。この要素は必ずしも成績とクロスしない。両方を兼ね備える
事は可能である。ただし、面白さを表現する手段として、言語を駆使するか身体を
駆使するかで異なる笑いとなる。身体を駆使した笑いはわかりやすい。だから幅広く受ける。
ただ、細かい事柄を伝えるのは非常に難しい。一方で、言語を駆使した笑いはバックグラウンド
を必要とする。共通知識が必要なのだ。つまり、面白さというモテ要素は、様々な
ファクターがあり、必ずしも学業とクロスするわけではないのだ。それは昨今、高学歴
芸人がいる事とも整合性がある。

男とは単純なもので、かつてのモテ時期をひきずって生きているのである。

では、学業成績が良かった人々はどうなるのか。
高校に入ると、学校成績は一度横並びになる。ここでは成績が一つのモテ要素になる。
加えて、実際に付き合うという事が本格的に始まる。すると女性たちは気が付く。
身体性や面白さだけではない、性格の良さというファクターに。

ここでうまくモテに乗れた男たちは救われただろう。
だが、ここに乗り様もなかった人々もいる。
彼等は建前としての学業に走る、もしくは引きこもる事になる。

大学になると話は一変する。
学力もさることながら、興味の対象も似通った人々が集まる。
ここでようやく恋愛がスタートすると、目出度く大学デビューとなる。

加えて社会人となれば、遂に金である。経済的な事柄が主たるパートナー選びの
ポイントとなってくる。

女性たちは、恋愛という場において、上記の身体性由来の特徴で男性を選んできた
のかもしれないが、結婚という市場において、別次元の尺度が入ってくるわけだ。
もちろん、高校時代に理解した性格というファクターもある。

ものすごく簡単に見れば、男性の行為は女性にモテるためという側面を持つ。
そしてどの要素が突出するかは、かつての成功体験に依存するという訳だ。


現実社会では学歴はものをいう。なぜなら大きな取引の仕事自は長期的目標に向かう
行動形態をとれる人材を欲しているからだ。学歴はその忍耐の証左である。そして、
抽象的な思考を構築するためには、ある程度の思考力が問われるからだ。その結果、
仕事における経済格差が付きやすい。

一般的に、高学歴を得る人材はモテにくい特質を持つ。逆にモテる人材は大きな
ビジネスに絡みにくいのだ。結果として経済力に差がつく事になる。
そしてそれがために女性は男性を選ぶ際に苦労することになる。

おそらく女性にも同様のことがあるだろう。
勉学に励んだ女子は、身体性を磨いてきた女子とは一線を画すことになる。
どちらも兼ね備えた人はまれであり、どちらかのウェートが高いかで関わる人間が決まる。

モテというファクターが、その人間に対する正のフィードバックをかけるのだ。
モテるための行為=その人が選んだ人生となるわけだ。どんなモテを求めるのか、
自分はどういうタイプなのか、考えてみてはどうだろうか?
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