現状認識の齟齬 [思考・志向・試行]

人々は、日常という事にあまりに無頓着だ。
実は日々の事柄こそが、明日を変える。だから今日あなたがやった小さな事柄こそが、
明日を変化させているという認識が必要なのだが、多くの人はそれは誤差だと考えてしまう。

幸福研究から良く知られている事の一つは、人の認知における慣れである。
給料が今の2倍になったとしよう。みんな嬉しい事だろう。あれやこれや色々買える。
ところが、一年後にどうなったか。買えるものは豪華になったかもしれないが、当時の
喜びはどこへやら。すっかりと新しい給与に慣れてしまって、特に喜びもない。
つまり、人は半年もすれば慣れるのだ。そして日常とは良くも悪くもない状態の事。

会社に行くのがたまらなく嫌な人もいれば、仕事が楽しい人もいる事だろう。
嫌な人はその嫌な状態をどう克服すればいいのかを考えるべきだが、その悪条件事態にも
人は慣れてしまう。そして、すこしずつ残業が増えても、それに慣れてしまう。とりわけ
周りの人間がそれを意に介してないと、自分もそこに気が付けないものだ。

結局、悪条件でも我慢できなくないと続けてしまうのである。
結果として何がおこるのか。身体不調である。こういう時、意識とはおかしなもので、
目を向けたくないものから目を逸らす事が出来るのである。だが、体は正直で、ストレス
への真っ当な反応を示す。大抵は、免疫系が崩れて風邪をひいたりする。これを薬や栄養
ドリンクなどでごまかして日常を過ごし続けると、可笑しな状態が他の場所に影響を与え、
内臓を悪くしたりする。ありがちなのは、ストレスによる食による対応である。人は、
ストレスがかかるとエネルギー摂取を増やす。よって大食いになる。戦闘態勢というわけだ。

加えて、酒を飲む。酒を飲むと嫌な事への注意が逸れるからだ。そうして身体を蝕んでゆく。
多くの人は健康をこうやって損ねてしまう。人の体は十分な栄養と適度な運動があれば、
病気などしない仕組みである。がんが怖いからと、保険に入る。たぶん、それは効果的ではない。
がんが怖いなら、体調管理をするということだ。そもそも動機と行動が矛盾している。
おかしなことだが、多くの人はこれを笑えない。ストレスフルな仕事をしながら、自分に
保険をかけてがんに備える。わざわざ病気になる事をしながら、病気治療のための金を
稼いでどうするのだろう?残念ながら、健康は金では買えないに。

さて、このような現状について打破するには外からの視点が有効だ。下記のブログを
取りあげたい。

https://gamayauber1001.wordpress.com/2016/10/21/21oct2016/

なるほど、まさに日本のマイナス状況を明確に切り取っている。
もちろんこれを読んでも俄かに信じない人も多いし、肯定する人もいる。
そこで問題なのは、誰もこの状況を変えない事だ。結局、労働者は資本家に媚び諂い、
”奴隷頭”としての人生を生きる。実態は先ほども述べたように、個人はそれを奴隷と
思っていないのだが、実際にはそれに近づいている。それを更に拡張しようと非正規雇用
が横行しはじめた。この流れは続くのだろうか。

将来の予測をしてみよう。
人々は動物であり、ヒトである。だから、最終的な限界はヒトであるという事に行きつく。
一日は24時間しかないし、そのうちで働けるのは8時間程度だろう。それ以上は何十年も
繰り返し行動する上で、十分な休息がとれなければ、仕事に差しさわりがある。それは身体的に
も発生し、精神的にも発生する。一部の会社員はすでにこの段階に陥っている。先日の電通
過労死問題、日常的な事になってしまった人身事故などはその象徴だろう。そして無差別
殺傷事件や、ストーカー事件なども、こういった社会のよどみから生まれてくる。十全な生活を
送っている人々はこのような事は引き起こさない。

日本社会がどうにか、このような会社の奴隷によって保たれているとしたら、いよいよ
限界が来るだろう。まずは身体的に崩壊する。慢性的な病的状況におかれて病気にならない方が
異常な事だ。多くの社会構成員が身体的問題を抱えるだろう。その中で、精神的な問題を抱える
ものも増えるだろう。対処として自殺など減らせるが、精神的問題を解決できたわけではない。
精神的問題とは異常であるという意味だけではない。自分に自信が持てないとか、共同体に
入れないとか、孤独であるとか、そういう心的な悩みも含んでいる。

こういったことの限界がいずれ来るだろう。結果として満足に働ける労働者がいなくなれば、
資本家たちは困るだけだ。社会にあふれた人々は治安を悪化させる。そのケアにまた余計な
金がかかる。すると治安維持法のような法律が制定され、凶悪犯を取り締まるような事態に
なるのだろうか。そこにAIを搭載したロボットが送り込まれ、挙動不審な人物を防犯カメラ
で特定し、追跡、見張るような社会になるのかもしれない。こうして、ケアされない労働者は
地下へと潜ってゆく。

また移民問題が発生するだろう。日本人がまともに働けないなら、移民で良いではないかと。
そのような方向に動けば、日本に数百~数千万単位の労働者が発生する。結果として、日本は
アメリカ化することになるだろう。これは形を変えた奴隷制だと気が付くまで。

日本では、この戦後60年間、バブルがはじけるまで戦時中が続いていた。
兵隊はいなくなったが企業という場で兵隊が育成され、訓練された。財閥系を権力として、
その下に大きなピラミッド構造がある。大きな日本株式会社という名の軍隊である。
軍隊であるから、上司の命令は絶対であり、有無を言わさない。そして戦いであるから、
負けてはいけないのだ。時に命をとして戦う事も辞さないのだと。

まさに、こういう形で始まった戦後日本。それが民主主義教育によって徐々に変化してゆく。
人権問題、環境問題など、21世紀では当たり前の概念が導入されたのだ。形の上でだけ。
教育の実態は、軍隊である。皆に同一の服を着せ、一列に並ばせる。これは軍以外の何物
でもない。ここに民主主義というパウダーをサラサラかけたのが日本の教育である。

現代日本人の認識の齟齬とは、ここにある。そもそも全体主義なのだ。
民主主義?多様性?ふざけてはいけない。日本にはそのようなものは無い。正確にはほとんど
無いということだが、無いと言っても差し支えない。例えば、同僚が外人でも問題ないか?
見た目が近い、中国や韓国人ですら、嫌がるくせに、どのくちがグローバル化などというか。
そして日本的常識の無さを「空気が読めない」などと揶揄する。軍国主義と呼ばれてどうして
批判できようか。

戦後日本は、社会復興という分かりやすい命題に基いて、欧米の真似をし続けてきた。
そして、その恩恵を中流社会として形成していった。軍隊方式だろうがなんだろうが、
物を作れば売れるのだから、じゃんじゃん作って、バンバン売ったのである。右肩上がりの
世界がそこにはあった。子供もバンバン作った。ではこれらの結末はどうか。それが現代だ。

何事もやり過ぎは問題を引き起こす。日本バッシングはまさにこのことであり、国内でも
公害(なにが公だ、私企業の不道徳じゃないか)など環境問題、人権問題が膨らんだ。
じわじわと浸透した民主主義の思想。それによってじわじわと社会は変わってきた。
だが、依然として軍隊方式を行ってきた管理職ばかりである。今の70代、60代は
そういう連中で構成されている。変わり様がないのが今の日本だろう。やり過ぎた子作り
のせいで、頭が重くなった日本は、社会保障問題にぶち当たっている。超高齢化はもはや
やり過ごせない問題だ。

満員電車に揺られながら、仕事だといいながら、無駄な書類を書き、もはや無駄になりつつ
ある物を、莫大な宣伝費をかけて、まだ買っていないわずかな人々に買わせようとし、
もしくは、一台ではなく二台三台と買わせる。そうやってなんとか需要を掘り起こしたが、
それは労働者がまともな消費者であった頃の話。今は、労働者は優秀な消費者ではない。
かつての消費者は、いまや貧乏者である。デフレの真っ最中である。

この要因はひとつには、過去のやり過ぎが原因だ。ごく単純に団塊世代が高給取りになった
から、支払いが苦しいという事。利益を上げても、この世代が住宅ローンの返済につかうだけ。
そして余ったものは子供の教育費に消える。そして老後資金だ。歳をくった人々が使う金など
たかが知れているではないか。この世代がため込んだ金は銀行にどっさりとある。だが、銀行
は投資をしない。というより投資出来ない。儲けている業界がないからだ。

こうなると金が回らない。回らないので、会社の利益は薄くなる。薄くなると社員を雇い止め
する他ない。雇用の不安定化が起こる。更に一人あたりの給与を下げる事になる。給与が
さがれば同様に余計なものは買わないだから、金が回らない。

これは当たり前なのだ。一時にやり過ぎたせいで、その影響が20年経っても解消してない
のである。団塊が死に絶える2050年、ここまでに状態はだいぶ良くなる事だろう。

とはいえ、社会は激動しているかもしれない。耐えきれなくなった構造物は弱い場所から
崩れてゆく。社会という構造物であれば、弱者から切り捨てられてゆく。

いい加減、現状認識を改めてはどうかと思う。そろそろ無関心を装っているのは
ムリなのではないか。ならば、社会が良くなる手段を考えるべきなのだ。
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