合コンの妙ー世の不思議ー [恋愛]

合コンに行く。そして程よい子を見つけて付き合ったりする。
きっとそんなことを皆、夢想しているのだろう。

だが実際にそんなことが起こるのは非常にまれだ。
なぜなら、ある種の拘束条件が強いのが合コンだからだ。
それについて考察を試みようと思う。

まず、合コンと聞いて何を思うだろうか?
付き合いに飢えた男女が出会いの場を求めてあらぬ画策を抱く場であろうか。
それとも、異性をなんとか口説いてものにするというゲームだろうか。
人によって思惑は違えども、下心というものを否定する事は難しい。

異性にどうにか近づこうと画策する意図をもたずして合コンに出る理由が
あるとすれば、友情に基づく数合わせか、たまたま暇であったかくらいだろう。
そうして少なくとも、相対するときには、相手に少なからず、何らかの意図が
浮かび上がるだろう。それこそがここで問題とする意識である。これを
合コン感情とでも呼んでおこう。

さて、ここからどんな人が参加しているのかを考えてみる。
ただの飲み会ならいざ知らず、基本的に合コンは彼氏や彼女、もしくはセフレ、二股相手、
そういうものを求めてやってくる。そういう相手を探すということは、まず一義的に言える
のは、その人は普通にしていると相手が見つからない人たちということになる。

理由1:出会いがない。実際に回りに恋愛対象者がいない場合。恋愛対象者はいるが、
   気に入る要素がないなど。

理由2:相手にされてない。恋愛対象者がいるのだが、その人たちに相手にされない要素を
   持っている場合。

実はこのような理由にはもっと深いわけがある。フェミニストに総スカンを食いそう
であるが、ここでざっくりと2つのパラメータ性格と容姿を導入する。

         性格
      良い    悪い
容姿 良い Aグループ Bグループ
   悪い Cグループ Dグループ

結論から言えば、もっぱら合コンにくるのは、BグループかCグループがメインで
AグループやDグループではないということ。

まずはAグループを考えてみよう。性格が良くて容姿が良い子は、大抵すでに彼氏や
旦那がいる。当たり前である。身近な人たちが彼女たちを放っておくはずがないからだ。
とっくの昔に身近な人にアプローチされて一緒になっている決まっている。


Dグループは残念だけども、合コン自体に呼ばれない。人を惹きつける魅力に
かけるために、そういう場への参加が困難である。ごく少数派であろうが、
このグループが合コンをするのはちょっとつらい。

Cグループは、性格が良い。だから友達から信頼されていて、合コンという場に
呼んでもらえる。けれども、どこかで比較対象として誘われている間が否めない。
身近に良い人がいたとしても、なかなか相手にされないため、パートナーを求める
自体となる。そこで合コンへと繰り出すことになる。

Bグループ、ここは容姿はよいのだが、性格に癖がある場合。
彼女らは容姿のよさによって人をひきつける。だが、関係性が持続しない。
その理由は性格。相手を気遣うことなどにおいて問題があるために、
せっかく彼氏や旦那が出来ても、関係性を保つのが難しいのだ。
俗に言う恋多き女はこの範疇であろう。性格の悪さのために、別れを繰り返してしまう。
だが、その外見的魅力によって次の相手が見つかりやすいのだ。

出会いがないAグループもいるであろうが、不思議と勝手に相手がみつかるのが
Aグループである。まあクラスに数人はいるマドンナ的な人である。
性格がよいので、男を見るときも、容姿だけには囚われない。男の優しさや逞しさ
などによって選別し良さに着目するので、彼氏候補の幅は広めになる。そして男は
彼女の容姿と性格の良さに惹かれる。

もう少し考察してみよう。
合コンにおける出会いがうまくいくとすれば、それはCグループの人が程よく
受け入れられた場合だろう。それ以外にあり得るだろうか?

容姿が良いBグループ。普通に考えれば、身近に彼氏が出来るはずだ。
ではなぜ出来ないか?恋愛候補者がいても、性格に難ありとみられて避けられている
可能性。本人が身近な相手をはなから排除している可能性だ。
恋愛候補者に言い寄られても、理想が高い場合は相手にしないし、そんな態度に出られたら
言い寄る人もいなくなるだろう。結果として、身近に候補者いなくなる。これが
ここでいう性格の悪さという意味である。

そんな彼女らに言い分は、「いい男は大抵相手がいる」である。
むろん、そういう面もある。いい男がいれば周りの女子がほおって置かないだろう。
そして、性格の良い彼は、そのような中からめぼしい子を選ぶであろう。
Bグループの子をわざわざ「いい男」は選ばないのだ。

というわけで、Bグループはめぼしい男を探しに合コンへ行く。運よく見つけても、
性格のために関係維持が難しい。そうして次の合コンへと出かけてゆく、次こそはと。
その意味Bグループはなかなか苦しい。Bグループの容姿の良さに重きを置く男が
現れた時に落ち着けるのかもしれない。

性格の良いCグループ。その性格の良さは、身近な相手にこそ発揮される。それなのに
合コンというアウェイに乗り出すのはなぜか?もっとも単純なのは、周りに男がいない
場所にいるということだろう。残念ながらCグループの彼女らは、Bグループの引き立て
役になりがちだ。そうしてせっかくの性格の良さをアピールするまもなく、敗退してゆく。
だが、時にそういう部分を気にしない男が現れてうまくいくことがある。

そのためには、Cグループの子が合コンで相手を求めるときは、いつもよりやや積極的に
行くしかない。性格の良さを知ってもらうには、そばにいなければならない。その機会を
増やすしかあなたの魅力は伝わらない。だから、男から誘ってもらおうなどと楚々として
いても何も起こらないのである。大丈夫、あなた方は性格がよいのだから、少しくらい
強引にせまるくらいでちょうど良い。性格が災いして、好みの人がいるのに奥手になって
いては始まらないのだ。男から声をかけてもらえるなどと思えるほど容姿でアピール
出来ているかを自問する必要がある。

DグループはせめてCになるように、性格的な問題を減らす必要があろう。
まあ、蓼食う虫も好き好きなのだけれど。

Aグループは、大抵ほおって置いても、彼氏が出来るだろう。言い寄ってくれる男の
良さを認めるだけの性格の良さをもち合わせているためだ。時にAの人が合コンに来る
場合もあるだろうが、大抵は人数あわせである。断れないたちだったりする。


根本的なこととして、下心があると書いた。合コン感情である。
これはどこかで開き直りが必要だろう。自分をある意味で「陳列棚」に並べる行為である。
素直に育てられた人はそこに抵抗感を持つだろう。Aの人やCの人は、その感情のため
そもそも、あまり合コン自体に乗り気ではないだろう。そんなこと杞憂ではないか?
ならば、結婚式で出会いの理由を「知人の紹介」とするのはなぜか。合コンといわないのは
そこにある種の意味合いがあるからではなかろうか。

加えて、互いに「こいつは男(女)を求めてるんだろ?」という暗黙の仮定があるため、
どこか欺瞞がつきまとう。それが目的だから当たり前といえば当たり前なのだが、
その安易さがどこか興ざめを引き起こす。

さらに飲み会であるので、酒が入る。すると冷静な判断が落ちる。
相手を判断する理性も低下するし、一時の気の迷いということもある。

結局のところ、合コンはあんまり出会いの場として優れていないのだ。
Bグループにとっては悪くない選択肢であるが、残りのACDにとってはむしろアウェイで
ある。実際に合コンにでかけてゆくCグループは、合コン後に誰かから連絡がこないかと
そわそわするが、反応がなければがっかりするだろう。そうして、次だ次と積極的に
なるとすれば、それは合コン感情に対する麻痺であろうし、がっかりによって行かなく
事もあるだろう。どちらに転んでも心理的につらい。

それよりも多数を占めるCグループが相手を見つけるには、サークルのようなものが
良いのだろう。性格のよさは何かを一緒にやったときに始めて発揮される。それは
ハイキングのようなものでもいいし、BBQなどでもいい。相手と何度も関わること、
それが結果として、相手の気持ちに変化を与えるのだ。

今日もどこかで行われている合コン。良い出会いがあることを願ってやまない。

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