日常の苦しさー先の不透明さ [雑学]

現在の日本において、生活の見通しが立っている人は少数派であろう。
そういう幸福な状況下にいる人は、仕事に励んでもらって、人生を豊かにすれば
良いとおもう。一方で、多くの人は生活に悩み、苦労を重ねている。

一変に事態を良くする方法は基本的に存在しない。
そのような物が恰もあるかのように喧伝されるけれども、それは嘘である。
実際にはじわじわとしか物事は進行しないのだ。

多くの人が苦しんでいるのは金である。金を得るためには、通常仕事をしなくてはならない。
そのごく当たり前の話なのだが、大金を手に入れるためには、特殊な事をするしかない。
その特殊な事とは、身の回りの人からは教えてもらえないというのがこの話の主題である。

多くの人にとって、多くの金を得ている人々は、身の回りの外にいる事が殆どである。
サラリーマンであれば、経営陣に会うことは稀であり、社長と話をする事はもっと稀である。
この事は、経営というものを学ぶ機会が限られていて、金を儲けるとはどういうことかを
理解するための機会がない事を意味する。これが何か重要な意味をもつことは明白だろう。

大抵の人は周りから何かを学ぶ。周りの大人のやり方に応じて生きていく。
だから、周りの大人の中に、金を稼ぐ人がいなければ、その方法を学ぶことは
極端に難しくなってしまうのである。自分の行動の大半は、周りの人々によって
規定される。自然と振る舞いが金儲け向けになるという事だ。

普通の一般家庭においては、親がそのモデルとなる。
親がサラリーマンであれば、自然とサラリーマンとしての振る舞いを仕込まれる事になる。
それは行動だけではなく、考えにも影響を与える。

現代の多くの人は、金は仕事をして得るものだと思い込んでいる。
だが、金はそういう風には出来ていない。金はその時代において、求められているものに
流れると相場が決まっていて、たまたま時代が求めている物を提供する場にいるときに、
儲けるというのが正しい見方である。仕事の強弱と金は必ずしもリンクしないのだ。
ブラック企業というものが成り立つのは、金が巡ってこない業界において、
なぜか多くの人が職を求めるという事態が続いている事を表している。

現代は、どこに金が流れているのか?残念ながら、どの方向にもあまり流れていない。
これが俗に言う不況という事だ。だぶついた金を銀行は、どこに貸していいのか分からず、
国債ばかりを買っている。現代は儲かる見込みのある業界が明確ではないということなのだ。

強いていえば、IT業界などコンピューター関連であろうか。だが、それもアップルや
Microsoftに牛耳られており、ソフトウェアでいえば、グーグルにやられている。
我々が頼りにしていた家電メーカーは世界の競争から随分と遅れてしまった。

国は仕方がないので、自動車産業に金を投資している。円安基調にすることや、法人税減税は、
そのようなメーカーをバックアップするための方策である。現代では国が投資すべき絶対的な
産業がないというのが、日本の戦後を牽引してきた護送船団方式の衰退を招いているわけだ。
理由は簡単で、買う人がいないということである。国内需要が少ないのである。

もう少し明確にいえば、かつては何も無かったので、スポンジに水が吸い込むように、
誰しもが家電を買い、車を買ったのだ。だから、そこに金が巡って、景気が良かったのである。
今は、多くの人々にそれらの消費財が行き届きつつあるわけだ。農家の爺さんたちは軽トラック
を走らせ、マイルドヤンキーたちは、ミニバンを走らせ、主婦は軽自動車を走らせている。
このような時代に車がバンバン売れるはずもない。

どんどん売れる訳ではないから、生産は調整される。すると仕事は調整されてしまう。
生産物が減れば、売り上げが減る。だが、かつて設定した給料だけは減らせないから、
人員を減らす事になる。人が減れば、一人当たりの仕事量は増加し、それがために、
人々は疲弊してゆく。この極端な状況がブラック企業である。簡単に言えば、今までと
同レベルの給料を支払うには、一人当たりの仕事量が増加し過ぎているということだ。

一方で潜在的な需要は存在する。需要は一方には間違えなくある。だが、その需要を持つ
人々に金がないのだ。だから買えないし、買わない。これは一つの現代病である。

かつては、資本主義はマルクスがいうように、搾取された労働者の革命で滅びるはずであった。
だが、昨今でも、引き続いている。その理由としてかつては労働者は豊かな消費者であったからだ。
労働すれば、それなりに金を得ることが出来る。そして消費財を手に入れられたわけだ。
その仕組みに大衆は満足していたし、それが続くと思っていたわけだ。

ところが、バブル崩壊後は、鳴かず飛ばずの状況である。信用創造によって増やされた資本が
債権の回収という逆向きの収縮を引き起こして、金が回らなくなったことが原因である。
金がないなら、物を買えない。買えないということはつまり明示的な需要が減る。すると、
先ほどのループに陥っていくわけだ。この金融問題が現状を悪くしている一つの要因である。

金があるもの、正確には投資財を持つものは、さらに儲けるため、何処かへと投資する。
そこでのファクターは、その業界が儲けているかどうかである。それはトドのつまり、
みんなが欲しがるか、そして実際に購買が行われるかである。

多くの人は、周りを見て行動する。周りが節約モードの時に、1人散財する奴はいない。
それが社会であり、そういうものなのだ。するとリーズナブルなものに金が流れる。
そう、百均やユニクロや、吉野家などである。価格は質に跳ね返るため、その気分に乗じた
商売もある。それがGAPやH&Mなど、少し質が良くて有名ブランドほど高くないゾーンで
ある。これは、人々の志向とうまく結びついている。比較価値の原理である。

弁当屋には、必ず3つタイプの商品がある。安めの弁当とそこそこと、高級である。
もし二つしか置かないと、多くの人は安めの奴にながれる。ところが、高級があると、
そこそこがお得にみえるのだ。このために、3つの弁当がある。
これがあらゆる場において存在するのである。資本主義はこういう人々の購買行動の
大実験上なのである。

さて話を戻すと、そうやって、安いものを消費する事で、我々は実は自分達の首を
締めてゆく。何故なら、安いものは売り上げを押し下げ、給料を押し下げるからだ。
結局、給料はそういう原理でしか変更されないものなのだ。安く売るのは、一時は
利益をあげるのだが、長期的に見れば、市場を縮小させる事になる。

こうして金は流れを失っていく。ではどうしたら良いのか?
金が仕事から生まれているという概念を疑う事だ。金は血液のようなものであって、
脂肪のようなものではないという事である。仕事をするのは、金のため。無論そうだ。
だが、それは現代人の最もたる思い込みだ。

本来の仕事とは、誰かの為になるからである。それは金銭とは本質的に無関係である。
誰かのためにやった事に対して、感謝のしるしとして、何かを得る。これの一部が金銭である。
仕事をすればわかるが、金銭はあくまでも仕事をする上で現れる一つの随伴物に過ぎない。
実際には、誰かのためになっているという事、それ自体が仕事なのだ。
そして、その誰かのための行為に金を付随させることが経営であり、商売なのである。

多くの人は、金を儲けるには、就職しなくてはならないと思い込んでいる。
それは、仕事が金をもたらすと思い込んでいるからだし、そういう人しか周りにいないからだ。
だが、仕事を作り出し、金銭と結びつけることは可能なのである。それが商売である。
それをするには、周りにそれをした人を探すしかない。もちろん、独学でも良いだろうが、
効率を考えれば、無駄が多いだろう。

社長の周りには、社長仲間が多く、社会を作っている(らしい)。
どうしてそういう事になるのか?それは振る舞いが近い人間が集まるという素朴な生物学的な
要請である。そして、そのような集まりは、商売を発展させるのに向いている。
結局の所、周りの影響は相当に大きいのである。

さて、ごく日常をささやかに暮らしたい人にとっては、安定した仕事でそこそこ給料が
貰えれば、それで良いのだと思う。だが、最初にも述べたように、現代は儲かる業界が
不透明である。どの業界でも万全ということはない。ならば、ともかくも現在の場で、
最善をつくして行動する他ない。そして能動的に金を得たいのであれば、経営側に回ることだ。
従属したい人々は腐る程いる。機会があれば、商売を始めるのは悪くないと思われる。

理不尽な世界であるが、誰もが生きて死ぬだけである。
その意味では安心して暮らせると思うのだが、どうだろうか。


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