恋愛至上主義ーその欠陥ー [恋愛]

恋愛をするということが当たり前かのようになっている現代。
ちょっと考えを変えてみよう。

サッカーをするということはだいぶ当たり前になっているが、
それでも、サッカーを趣味としていない人にとっては、
それは単なる行動の1つの選択肢に過ぎないであろう。

別段、サッカーをするために資格が必要なわけでもなく、
やれば面白いのがスポーツであるけれど、それ以上でもそれ以下でもない。
誰かがいないと出来ないということくらいである。

こんな思考実験をしてみる。
「サッカーをしなければ結婚できない。」という命題が真だとする世界を想定しよう。
すると、一部の得意な人は、それこそ多くの結婚機会ないしは出会いに恵まれ、
一部の不得意もしくは苦手な人は、結婚できない事になる。

苦手な人は練習すればうまくなるよと言われてしまうために、
ひとまず、やってはみるが、どうもうまくない。それを努力することで
なんとか人並みに出来るようになることもあるだろう。

とはいえ、得意な人からみれば、不器用この上ないわけである。
この手の事は、得意な人、つまりそのようなことが好きな人は、
経験を積んで益々うまくなるし、不器用な人は避けて通ろうとするため、
益々、不得手に磨きがかかる事になる。

結果、サッカーが得意でないために結婚が出来ないわけだ。

さて、ここで、サッカーを恋愛に置き換えれば良い。
「恋愛をしなければ結婚が出来ない」という命題は現代社会ではかなり真に近い。
かつてほど、政略結婚もなければ、お見合いも減った。むろん、今では結婚斡旋
サービスがあり、そういう形で結婚を真剣に考えている人々もいる。ただ多くの
場合においては、恋愛至上主義による幻想と、そのルート以外が見出しにくい
時代になっている。

では恋愛をすればいいじゃないか?簡単にいうが、よくよく考えて欲しい。
好きになる人はそんなに多くないのではないか?そして、その好きになった人が
自分も好きになってくれる確率はもっと低いだろう。よって恋愛を経てからの
結婚というは、半分以上の人にとってハードルが高い事になる。

さて、そもそも結婚という形態を考えないとしたらどうなるか?
それは、トドの群れと同じようになるかもしれない。
トドはオスがハーレムを形成する。一匹のオスが数十頭のメスを囲ってしまうのだ。
むろん、それが子孫を強くする因子になるわけだが、そうすると多くのオスは
不満を抱えて生きてゆくことになる。

恋愛というものの活動素地が作られるのは、当然思春期である。
多くの人が少なからず、誰かを好きになって、その思いを遂げられずに切ない思いを
した事だろう。そういう喪失体験が人を変えてゆくため、それが悪いわけではないが、
その時の体験が強く残るとその後の人生に影響を与えることになる。

中学、高校生くらいの恋愛事情であれば、紛れもなく「スクールカースト」があった。
男文化としては、大まかにオラオラのヤンキー系か、大人しめの有象無象となる。
(ここではスポーツが出来る等のリア充もヤンキー系列とする)
そして、その末端にオタクの人々がいる。この場合に恋愛に参加するのはヤンキー系である。
女子の可愛い子は大体がヤンキー系と絡むし、そこに人気が集中する事になる。
つまり、男子の大多数は、モテない自分という自己像との葛藤に苦しむことになる。

逆に、男子が好む女性は、同じくノリの良いヤンキー系か、清楚なお嬢様系か、
スポーツが出来る運動系、など方向性がいろいろあるものの、結局のところ、可愛いか
どうか、美人かどうかという造詣がモノを言う事になる。

すると、恋愛という競技には、主にスクールカーストの上位の男女たちと、残りの女性たちが
主に参加し、大多数の男は範疇外に追いやられることになる。トドの群れにまあ似てるわけだ。
この現象はひとえに、若すぎるがゆえの事である。

女性の男を判定する手段は、大きく二点だ。一つは造形、もう一つは能力つまり金だ。
学生時代は金を稼ぐという面に関して、まったく推し量れない状況下にある。少なくとも
学生が金儲けをすることは社会的に推奨されていない。すると、女性の判断材料は男の
身体性に特化してくるわけだ。これが若者をトド化させる要因である。
顔が良いもしくは、スポーツが出来るという事が大きな要因となる。むろん勉強が出来る
という事が金儲けにつながる能力の発露なのだが、幼い女子たちは、そこに気が付かない
のだ。奇特な女子だけが勉強が出来るという事を強く評価する事になる。

この時に、大体数の男、6割から7割の男は、恋愛市場からあぶれる。
これを小学校は置いとくとしても、中高と、6年間みっちりやられたらどうなるか。
6年間もの間(つまりこの時点での人生の3分の1)恋愛市場から、はじかれていたら、
当然ながら考えが歪んでしまう事になる。経験がなければ、方法が未知となるし、
経験がなければ、経験値のいささかある女子にとっては不甲斐ない男として映るだろう。
これが、現在の二次元やアイドル人気への伏線となる。

むろん逆もある。女性たちは女性であるというだけで恋愛市場への参入が許されているが、
それでも、数の違いがある。モテる男たちも、当然可愛い子が良いので、そちらに流れて
しまい、むなしい想いをする女子もたくさんいる。そこで彼らの目がその他大勢の男子へ
向かうかと思いきや、アイドルや二次元に移行するのである。

つまりスクールカーストにおける恋愛事情に対する「嫉妬」があるのだ。
自分もあんな可愛い子といちゃいちゃしたいという思いや、あんなかっこいい人と
恋愛したいという思いである。それが脳内恋愛を育む土台となってゆくわけだ。
それがため、大勢の群である人々は「妥協」することには興味を失い、偶像へと
想いを馳せる事になるのだ。

さて、一つ朗報なのは、ヤンキー系の男子は大方頭が悪いこと。少なくとも大学に行って
というパターンは多くない。すると、大学ではその他大勢およびオタク系の男が活躍できる
素地が出てくるわけだ。いわゆる大学デビューである。これでうまく変われる男もいる。
だが、そもそも不器用な彼らは方法がわからないため、それなりに経験のある女子への
対処法がわからない。むしろ、彼女らを怖いとすら思うのである。二次元の脳内女子たちを
相手にしてきた彼らにとって、三次元はもっと生々しい。そこにある種の認知的不協和が
起こる。可愛いあの子に近づきたいが、可愛いあの子は「汚れている」という感覚である。

男のナイーブな感情を傷つけないようにアイドルは虚飾されている。つまり、男関係の
隠蔽である。よってかのA〇Bの団体のように、恋愛禁止という文脈が必要不可欠となるのだ。

さて、大学に入り、そこで大学デビューに失敗した男どもにはまだ次のステージがある。
それは就職である。勉強が出来るという能力が、金の生成につながりだすと、
今度は女の目が変わり始める。社会に出た女性たちの多くは、見かけの良さが金を生む
能力と相関しない事を目の当たりにするのだ。そして金儲けの能力には、勉強が出来ると
いうものや、オタクらのように多くの知識があるという事が大きく影響を与えるわけだ。
社会人となった女性たちにとって、仕事が出来るという能力が大きな価値となってくる。

恋愛至上主義では、恋愛後の結婚が想定されていた。ぱっとしない男も仕事が出来れば
女性に認めてもらえる事がわかってくるのだが、何しろ、だいぶ恋愛から遠い。女性から
みれば仕事は出来るし、性格も処し易いのでよろしいのだが、恋愛にならないのだ。
なぜなら、男は恋愛に不器用で在り続けたからである。これが昨今の「草食」の一部である。
なんだか残念。

もっと残念なのは、この能力を金に変換することにうまく乗れなかった人々である。
つまりは非正規社員の男たちだ。おおまかに3割程度いるはずだ。この人たちは卑屈となる。
外見上ぱっとしない上に、自己能力をうまく金儲けにつなげられない。これでは女性たちに
認めてもらうのは難しくなる。そんな自分をうまく肯定できない事が一番の問題である。
これは時代背景と社会問題であって、全部が本人の問題ではないのだが、それでもと
考えてしまう人々である。

こうして、恋愛至上主義は、結婚できない(しない)男どもを生成する一端を担う事になった。
実質上の草食とやさぐれた草食がいるわけだ。

では、どうしたらよいか?
この問題の元凶は、女性の男性への視線だろう。女性は一般に男性への評価を
身体に特化した評価基準から、金銭(能力)への評価基準に変更してゆく。
これがナチュラルな現代女性の思考法だが、もう少し早い段階で、能力への評価を
高めてあげる事で、少し状況が緩和されないだろうか?

学校にいると、勉強が出来るという事が明に正当化されているために、
勉強ができるという価値で男を判断する事に強い躊躇いが生じている。
勉強が出来るを評価基準とすると、「世間」に阿っている印象なのだ。
もちろん、そんなのはただの幻想にすぎないのだが。そして、自分も
勉強しなければならないので、それがある意味では自己否定にも働く。
なかなか自分以外の人を一つの価値基準で褒めるのは困難だろう。

例えば、世相的に勉強が出来ることをもっと価値能力として見なす風潮が合っても良いのでは
なかろうか。現代は、そこを敢えて隠蔽することで、歪んだ形で勉強への意欲が殺がれている。
つまりは悪平等である。出来る子は、出来る能力に合わせて勉強すれば良いのではないか。
これが一般的になれば、女子はこれらの子たちにも目を向けるだろう。それは、恋愛経験を
増やす方向へ向かわせるだろう。

ばかげているのだが、子どもにとって、ましてや女児にとって、周りの評価は大きなウェイト
占めるからである。そして、その女児の評価が男の自己評価に影響を与えているからだ。
たかが恋愛、されど恋愛である。生き物である限り、文化は影響をもたらす。

もっとこれらを推し進めていけば、別に勉強の能力だけをモテの対象にしなくても良いだろう。
いろんな能力、例えば、他者を思いやれる能力でもいい、みんなをまとめる能力でもいい、
いつも機嫌が良いという能力でもいい、多様な対象に対するモテをもっと肯定すれば、
男子たちの性根が捻じ曲がらなくても良くなるはずなのだ。

これはとどのつまり、世相の問題でもある。子供らの価値観は親の価値観の真似である。
つまりは、親の価値観が回り巡って子供らの心的なねじれを生んでいるのだ。
いろんな能力を肯定的に捉えるならば、どうして、恋愛カーストなど生まれる事があり得るか?

生物である限り、性選択は仕方がない。とはいえ、現代を素直に考察するなら、
草食を作り出しているのは、あなた方全員の仕業であることをお忘れなくと言いたかったのである。

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コメント 2

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面白い分析ですね。
なるほどー、と思いながら読ませていただきました。
by お名前(必須) (2015-07-18 16:13) 

D-Blue

コメントありがとうございます!
by D-Blue (2015-07-22 09:16) 

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