受け入れることー男女の差ー [恋愛]

受け入れることはかなり難しいと思った方がいいのかもしれない。

相手から期待されることがある。些細なことであっても相手にはそれが大事な場合もある。
ところが自分にとってはどうでもいい場合もある。するとそこに溝が生まれる。
大したことではない。つまらない話に相槌を打つことであったり、一緒に喜んで
あげることであったり、時には一緒に泣いてあげることだ。

だが、根本的に同意できないこともある。同じことを見ても喜んだりできなかったり、
楽しいと思えない場合もある。それからつまらない話だって、そう長いこと聞いては
いられない。時には「はいはい」と流そうとすることもある。

もちろん、個人的には出来る範囲で相手に合わせようと思っている。
ところが出来ないこともある。どーにもしようがない。
出来ないことをもってして「やっぱりそうなのか」といわれると切ない気持ちになる。
きっと問題は出来ないことではなくて、出来なくてもいいと思ってくれないことにある。

感情まで合わせるのは難しい。こちらが興味のない話になれば、やはり退屈なため、
取り繕ってもどうしても表情や態度に出る。感情を合わせるのは価値観の差なのだと
思うから、致し方ないことが多いと思うのだが、どうも女性は感情を合わせることを
求めているように見える。

男は論理を合わせようとする。考えの根本に据えるものがロジックなので、
ロジックが変更されれば合わせることは不可能ではない。なぜならロジックはその中心核が
後天的に形成されるからだ。よって中心核を揺るがすことでロジックを変更するということ
が、新入社員など新規参入者に対してよく行われる。それが「みそぎ」研修である。

一方で、女性は感情を合わせようとする。男は自分の感情を相手と同じにして共感
しようとはしない。少なくとも個人的には無理までして共感しようと試みない。だから
といって、相手の感情がわからないということではない。単純に相手と同じように
ふるまわないだけである。だが、女性は感情を合わせることが直ちに共感と思っていて、
その感情は肉体で表現しないといけないと思っているらしい。ここに大きな違いがある。

よって、女性が感情による共感を求めているときに、男がロジックによる共感をした
ところで女性が満足することはないのである。女性は男が同様の感情を示すリアクションを
求めているのだ。

「へぇ」「そうなんだ」「すごいね」というリアクションでモテるという石田純一は、
その意味で女性をよくわかっているのである。これを心からできるとすれば、
それは卓越した能力であり、特殊能力だと思う。

自分の気持ちを変化させて相手に共感するというのは、女性の得意とする能力であると
言いたくなるのだがどうなのだろうか。いやせんじ詰めれば、女性はその「演技」が
卓越しているといえるのではないか。

男同士の場合、コミュニケーションにおいて相手の感情が同調することは主たる目的ではない。
むしろ、感情の同調が強い人をみると、困った感がある。誰かが感情的になっても、
それに全員がつられていては組織がおかしくなるからだろう。おそらくそういう感情の同調は
ほどほどになるように変化してきたはずである。狩りや戦争に出かけて、相手を傷つけたら
かわいそうだとあまりに感情的になる男は、やられてしまう可能性が高かったに違いない。

女性同士の場合、コミュニケーションにおいて誰かの心情を慮ることが重要だったはずだ。
それは子育てにも通じる能力であるし、そもそもにおいて、男抜きの共同作業があったからだ。
その際には、誰がどういう心情でいるのかを見積もる能力はうまく立ち回るために必要な
能力であったに違いない。

当然であるが、男だって共感能力の高い人もいる。女性だって共感能力が低い人もいる。
だから男と女と分けることは正確な描写ではないことは注意が必要だ。

女性が要求することに答えない男性は少なくない。どーしても生返事をしてしまうし、
相手に向き合うことを避けることがある。それは相手をないがしろしているというより、
単に興味ない話題であったり、意見が食い違うと感じていることだったりするからだ。

だが、女性はどうも全面的に賛同してほしいという欲求があるように思われる。
これをもって男は女性の幼児性としてしまうことが多いのだが、現代女性はこの
幼児性を客観視できないでいる。そして男に過大な要求をつきつけ続けるのである。

女性に言いたいのは、男と女は違うということであり、違うから面白いということである。
一番違っていいのは、感情だと思っている男は多い。相手と同じ感情を生成することを
相手への理解だと了解しない。むしろ、相手と同じ感情になって理解する男を気持ち悪い
とすら思うものだ。自らの感情を相手と同じ状態することは本質的ではないはずなのだ。

女性が満足する共感のスタイルは、およそ男には共感ではないというのが事の問題である。
感情を同じにする努力を払うことはしないのである。だがそれは女性の怒りをかうのである。

女性に訴えたいのは、そこで怒ったとしても、男は行動を修正しないということだ。
決して、言いたいことがわからないわけではない。女性の訴えが間違っているとも思わないが、
それに従いたいとはまるで考えないのである。なぜならそれが男を形成する性質の一つだからだ。

相手の感情を自分の中に取り込んで再生するということは、男が生きる上では足かせになる
のである。政治的に成功する男は、相手への共感を断ち切ることができる必要性がある。
なぜなら、政治的というのは、得をするために誰かを犠牲にするという意味だからである。
世の中は、そのような政治的な人物でなければ、出世しないようにできているのである。

さて個人的な見解として、女性の方々のお怒りをかうことを承知でいうのであれば、
とどのつまり、女性の話の内容がつまらないのである。少なくとも、男にとって
つまらないということである。いや私にとってつまらないのである。それに素直な
反応を返すと怒りをかうというわけだ。逆に言わせてもらえば、自分が本当に興味が
あることを女性に話すことは滅多にない。なぜなら、つまらないと思われるのが
よくわかるからである。だから相手を選んで話をすることになる。

私をつまらない男と思う人も多いと思う。その一方で、面白いという人もいる。
結局、誰かにとってつまらないことでなければ、誰かにとって面白いと思えない
のかもしれない。女性が男のつまらない話に付き合わないのであれば、男も
女性のつまらない話に付き合わないだけである。それはお互い様である。

つまらない話を聞かされているときに、どう対処するのか?
1、つまらなくてもできるだけ共感してあげるようにする。(演技含む)
2、つまらないと正直に言う。(角がたつから、「よくわからないんだけど?」くらいに)
3、つまらない話は聞かない。(よく男がする方法、問題が大きくなることが多い)
4、うまく誘導して、面白い話へと持っていく。(かなりのテクニック)

結局、相手の話がつまらないことへどう対処するか、
きっとそのあたりに適切な解答がないということであり、
うまく立ちまわるしかないということだ。

それにしても、多くの女性は自分の話が男にとってつまらないのだという自覚を
なぜ持たないんだろうか?それをなぜ男の方のせいにしたがるのだろうか?
このあたりに女性がはやく気が付いてくれればいいと思う。

そんな風にいうのであれば、指摘してくれればと思うかもしれないが、
男からつまらないといわれないのは、それが問題を引き起こすと知っているからであり、
女性から、つまらないといわれないのは、その話が女性向けだからで案外に面白いのだろう。

女性の話がつまらないと思う男性は少なくない。そして指摘しない男も少なくない。
だから、女性が男に何かを話して反応が薄かったら、それは興味がないと思ってほしいのである。

なぜ、女性がそのことに腹を立てるのかは、今までの扱われ方の問題なのだと思う。
幼少時より、大事に育てられた女性は、相手からつまらないから話を聞かないという対応の
されかたはしなかったはずである。それが、特定の男性(私を含む)は、つまらないと
思うのであり、それを態度に出すということなのだ。もちろん相手の感情を考えて、
つまらないとは言いにくい。だから、生返事をすることになる。だが、女性はそれを
ぞんざいな扱いであると判断する。そして、男性を責めるのである。

さらにやっかいなのは、大事に思ってくれているなら、つまらない話も聞いてくれるはず
であると考えていることだ。つまらない話を聞いてくれることが大事に思っているという
証拠としてみる女性が多いということなのである。当たり前のことほど忘れられやすい。
話がつまらないから、興味を示さないという誰でもわかっているルールがなぜかどこかに
言ってしまうのである。それを愛情というもので補えると思っている節がある。それは
本質的に無関係ではないだろうか。

よりやっかいなのは、こうやって書くと、イジケてしまう女性いて、じゃあ、私の
つまんない話は聞かないということなんだねと断定してしまう人がいる。そしてあんた
なんてキライだと吐き捨てる人がいる。男は決して全部を否定したわけではない。内容によって
は興味を持つものもあるし、相手が嫌いだから話を聞かないわけではないのである。
女性のAll or Nothingの考え方はどうにも問題を大きくしているのだが、それに気が付かない
のである。

男を立てるという言葉がある。この意味は、自分がへりくだるという意味ではない。
男をうまく使えというメッセージである。負けて勝という意味である。男は結局、
興味がない話を聞かないというただそれだけのことなのである。だから、男を理解する
女性は話題を変えるか、話すのをやめるのである。その話は女友達に電話して発散する
のである。使えない男に向かって話を続けるのは、お互いにとって不毛ではないだろうか。

一方で、男も努力が必要である。それは表現力である。演技力といってもいいかも
しれない。つまらない話をされたとき、対処法としては、正直になるか、不誠実に
なるかしかない。リアクションをとらないという選択肢は一番の不幸を招くからだ。

最終的なところでは、仕方がないと思ってもらうしかないのだと思うのだが。。
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