労働と資本ー固着性ー [思考・志向・試行]

http://www.mfi.or.jp/w3/home0/kumiya/stock11f.html

資本主義に生きていれば、上記のURLにあるように、
労働力を提供し、対価を得る人々と資本を投下して、利益をあげる人々に分けられる。
ある程度の金を得た人は、そのハイブリッドとして存在するようになる。

この構造は、どうも自己組織化するようで、資本家はさらに利益をあげ、
労働者は常に労働を強いられる仕組みになっている。
一見すると、これはやぶれるように見えるが、強くて見えないバリアが
確実に存在していて、労働者は簡単に資本家にはなれない。

このような社会では、情報の隠ぺいが行われる。
簡単に言えば、資本家は多くの労働者に労働者でいてもらいたいのである。
よって、労働者が資本家を目指すことを是としない。この意味は、
全ての人がサラリーマンを目指すように仕組むということである。

よくよく考えてみれば、競争の激しい受験戦争も最終的には、
資本家を目指すという学びではなく、優秀な労働者を目指すという仕組みである。
このことに気がつけば、生きていくという意味において、学歴が関係がないことが
明らかになり、むしろ学歴は労働者レベルにおける序列を暗に示している。

学閥が存在するような組織に属するのであれば、
学歴が重要となり、労働者におけるパスポートになりえる。
一方で、資本主義社会において目指すべきは、資本家になることである。
よって学歴など無用の長物である。だからそこに割く労力は少ない方がいい。

では学歴のもたらすものはなにか?
それは、コネクションである。地元で暮らしていたのでは多様な人に会う確率は
ぐっと下がる。東京の大学に行けば、全国から集まった学生がたくさんいる。
このような集まりに属することは、少なくとも金銭的損得抜きの友人を作れる。
また、資本家の息子・娘に会うことも出来る。このようなコネクションが学歴の
持つ意味である。

さて、一般に労働者として自己認識した人々は、その組織に適応しようとする。
少なくとも、組織の中の構成員を演じようとする。近年では不景気のせいで、
演技が難しくなってきたということであり、その演技によって精神を病んだりする。
その意味では、派生された心の問題は大きいが、その話はここでは取り上げない。

一介の市民が資本家になるには、サラリーマンをしていてはだめだ。
プロセスとしては、学歴を含むのは、先も上げたようにコネクションの重要性である。
むしろ、大事なのは金銭が稼げる種である。それはアイデアでも技術でも商売方法でも
良い。そのような稼げる手法を手元に用意することである。

次に、元手が必要となる。通常は銀行に借りるなどである。どうにかして始めは
資本家から金を借りる必要性がある。このとき担保になるのが学歴やコネクションである。
もしかすれば、資本家の友人から直に借りることも可能となるからだ。どこかの大企業
出身というのも企業家としての信用から有利に働くだろう。

このようにして調達した資金とアイデアをつかって、商売をスタートする。
つまり、経営者になる。経営者になれば、資本家への道の第一歩を踏み出したことになる。

商売がうまくいけば、店を拡大し、従業員を増やす。なにしろ現代では優秀な
労働力があふれているのだから、彼らをうまく利用することが重要である。
経営者にアイデアが不足していても、彼らへモチベーションを与えることで、
会社は回ってゆく。重要なのは、経営者が従業員に「人生の価値」を問うことであり、
与えることである。これが出来れば、商売はより回ってゆく。

十分に経営者として稼げるようになり、実際に金がたまってきたら、
今度は投資する側に回る。つまり資本家の第一歩となるのだ。
この時も先の学歴コネクションがものを言うのである。

要するに、この世界で成功するという意味は、学歴コネクションを適当に使いながら、
自らを労働者から資本家へと導くというプロセスに他ならない。これが現代における
画一的な意味での成功である。これは現代の富豪であるゲイツ氏やザッカーバーグ氏を
みれば明らかである。彼らは技術という種に資本家仲間を加えて、かきまぜた結果、
大きな利益を得たのである。そこには構造的な手法がある。

逆にいえば、現代の企業体のプロセスから、googleやFacebookなどは生まれない。
iphoneにしても、スティーブジョブスのような独裁者がいたからこそ生まれた。
そこにはアイデアを形にするという哲学があったからであり、それはあくまで、
労働者のマインドではなく、資本家のマインドであればこそ完結できたのである。

現代に生きる我々は今一度考え直さないといけない。
労働者としてほどほどの生活をしたいというのであれば、それも良い。
だが、現代社会での成功とはそういうことではない。あくまで資本家になることである。
それが現代の仕組みが希求する価値なのだ。

労働者と資本家の戦いによって革命がおこり、社会主義がもたらされるとしたマルクス。
現代においては、むしろ労働者として生きる事に価値を見出すような洗脳が施されている。

小賢しい労働者が考えたのは、学歴というコネクションはひとまず努力によって
身に着けられるだろうということであり、それが大学受験、高校受験、中学受験と
下っていくのである。誰も他者をうまく評価できないために、能力の数値化にやっきになる。
数値化できない能力への注力は損であると考え、結果が残るものにリソースが割かれてきた。
これが現代の損得勘定の基盤をなす。つまり、社会におけるポジショニングの問題そのもの
が人々の心の闇を生み出す構造となっているのである。

このためのソリューションには、複数の道程がある。
①現状を維持派となる。換言すれば、資本家を目指すということ。
②社会性を変更する。換言すれば、革命家を目指すという事。
③社会からの離脱を図る。換言すれば、思想家ないしは農家を目指すこと。

もちろん、これ以外に、
④現状にただ流されて慎ましやかに生きてゆく。つまり生けるロボット化すること。
というルートもある。

よくよく考えることだ。
人が出来ることは限りがある。その限りにおいて何が出来るのか、何をしてもよいのか。
何をすることが本来的な価値を持つのか。個々人の在り方は労働力と資本に絡め取られている
のが現状である。そこから、我々は出発する他ない。
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