この国で進行していること2 [思考・志向・試行]

体制側はその既存体制を維持する事だけを考えている。
ほかは二の次三の次。

そして、そのような体制側に媚びへつらう事大主義がまん延している。
なぜなら、その方が得をするからだ。そして、それで何が悪い?とまで思っている事だろう。

権力をもつものが、権力を増大させる事を自己目的化する。
当然かも知れないが、それはハッキリと自滅行為と言える。


この社会のメインは、会社で構成されている。
会社には資本金が投下されていて、よほどの財がある人以外は、
株式など、他者からの金で事業を推進している。

結果、スポンサーの意向が影響する。スポンサーの意向とは、何はともあれ資本を増やせ。
これだけだ。スポンサーつまり資本家は、そのありあまる金をつかって、
世界にあまたある企業という「馬」にBETする存在である。

そして我々は馬である。

この体制においては、政治体制を担う人間もまた馬である。
どの馬がよいか、資本が見定めているに過ぎない。

世界が金で支配されるなら、その金を儲けてやろうというのはある意味正攻法だ。
そうして、会社を作れば、自ら馬に成り下がるという事である。
金儲けというゲームに乗るというのは、やり方によってはうまく稼げるだろう。
だが、その本質は自分から馬になるという事である。

馬は全力で走らされる。そのように社会が仕組まれている。
その先にゴールのようなものがあるかのように洗脳するのだ。
そのような馬がやっているのは、とどのつまり、資本家へ金を貢ぐことと、
自分の懐を温める事である。人生を使って、他人の労働の代わりをするのである。

むろん、これは一方向からみた、皮肉である。
主観的には、事業を立ち上げ、資本の出資を受けられてて喜び、
仕事を回していく。それは社会の役に立ち、金が儲かり、自分の生活を豊かにできる。

多くの人は深くは考えない。今の目の前の人生をマシにしようと頑張っているにすぎない。
その背後にあるのは常に、大きな金の動きである。そして金によって人生を操られている。

幸福な夢というものがあるとすれば、背後の事など一切知らずに、
眼の前にある仕事に邁進して、生ききる事かもしれない。無知とはある意味で
幸せである。

少し知恵が回る人は、大きな金を稼ぎたければ、大きな金の流れがある事をやるしかないと
気がつく。大きな金を動かすには、大きな金をもつものたちとつるむ他無い。

体制側のおこぼれを狙い、体制側にある金をつかいそれをテコとして、大きく稼ぐ。
それを繰り返す事で、会社規模を大きくし、より利益が増すように行動する。
その裏側には出資者たちへの還元がある。

むろん、時に失敗する。いや、大部分は失敗する。
だがそれは承知の上でやるわけだ。リスク上等な人達である。

そしてリスクをヘッジするにはどうしたらいいかと考えた時、
体制側につながることを望むのである。とりわけ国だ。

国の事業としての仕事であれば、持続的な補助金などで食いつなげる。
国の財源は税金やあらゆる場面での手数料の取り立てだ。確実性が高い。

こうして、企業は大きくなるほどに、リスクヘッジとして国の利用を行うことになる。
そこには官僚たちとの癒着が生じ、政治家との付き合いが発生する。

組織をつくることや事業の認可などは国の権力に依拠するために、
そこにどうしても賄賂が生まれる。天下りなども賄賂の一つだろう。


この国と事業者たちの利益拡大のためにはどうしたらいいか。
そうだ! 法人税を減らせばよい。使える金が増える。
でも、減った分はどうするか。そうだ! 消費税だ。増税だ。

この程度の理屈である。

岸田首相は、原発の再稼働を推進する。なぜか。儲かるからである。体制側が。
自民党を支持する基盤は、こういう事業体と国の癒着があるからだ。
そして、その一部には統一協会のような組織もあるということだ。

日本の国の金の流れは常に不透明である。
どれほど不透明かは、故石井議員の調査を知れば良い。

民主党に政権が変わった時、焦ったのはこの官民癒着体制である。
内需を回す国民からみれば、国の無駄遣いとは、ようするに体制側の金の流れをとめる事。
そしたら、食いっぱぐれる業界も出てくることになる。道路や橋を作らなければ、
ゼネコンは厳しいのだ。

民主党がやろうとしたら、歳出の削減とはつまり、体制側の癒着構造をいじることだった。
そして、それに猛反発したのが、官僚であり、そこにぶら下がる体制側企業である。

政権の粗があれば徹底的に攻撃したのは、要するに嫌がらせである。
同じような不祥事や同じ程度の問題はどの党の政治家も抱えていた。
ただ、自民党は既存体制の維持に励むというだけに過ぎない。

旧統一協会問題も、自民党という体制が変わること困る人々が一定数いるという事から、
自民党が解体したら困る人達がいるというだけのことである。

庶民からみれば、体制側が崩壊した方が良い。はっきりいって、世間は混乱するだろう。
だが、維持が難しい状況に追い込まれているのに、維持する事を無理やりやり続けた事で、
歪が大量に発生してきたのだ。

現状の様々な問題は、要するに、体制維持が限界に来ているという事である。

体制維持のために犠牲になったのは、多くの若者たちである。
未来の金を今使かわれている。国債というのはそういうものである。
そして、若者たちは強い圧力を受け続けている。

体制側は、優秀な人材を欲しがる。そしてなおも、従順な人材を欲しがる。
安い値段で、馬車馬のように働いてくれる若者がほしいのだ。
その選考基準こそが、採用試験の基準である。

便益のためなら、ウソをつけるかどうか。
優秀だけど従順かどうか。文句をいわない事大主義者かどうか。

どんなに体制側企業の内部の人間が吠えたところで、所詮は馬である。
企業論理に染まるということは、立派な馬になるというだけのこと。

どんなに美辞麗句を並べ、着飾ってみても、自分の人生を他者に委ねた人間の
心の奥底には、虚無が広がり、その虚無を塞ぐために、ますます着飾る必要が
生まれるのである。外側だけは華美になるが、中身はもともと落とし穴に落ちた
ままなのだ。こういう人間はもっぱら受験戦争の勝者である。それがゆえに、
本当の人生に気が付かず、ごまかしながら、そのまま人生を終えるしかない。

若者の人生を体制維持に捧げろ。これが国のメッセージなのである。
そして、再生産しろというのが昨今の風潮なのだ。労働者を海育てよと。
まともにモノを考えるなら、国のその気持ち悪いメッセージには反発する事だろう。

いや、体制維持のために使われる若者たちに余力はない。
結果的に、必然的な少子化をむかえるのだ。そしてこの人が減っているという事実こそが
体制側のもっとも頭の悪い行動の結果である。

体制維持のために国は株を買い、国債を刷りまくって、金利を極端に抑えた。
アホノミクスという政策でいっけんすると、なにか経済が変化したかのようにみえた。
だが、動いたのは株価と土地の価格と金融商品だけであった。

だから、金融絡みの人は国から流れる金で儲けた人が増えた。
そして今も尚、そのやりかたを変えてない。株価があがるとわかっていたら、
そりゃ、株を買って時期がきたら売れば良いだろう。

平均株価が8000円の頃、海外の投資家はこぞって日本企業の株を買った。
そして、国が株を書い続けた。株は値上がりし、少し前に3万円台をつけた。
もう十分だろうとふんだ投資家たちは、売り抜けていく。すると株価が下がる。
仕方がないから国が株を買う。そしてまた売り抜けていく。株価が下がる。
また国が買う。

こうして、株価がさがらないように国は株を買い続ける運命になった。
企業価値が下がれば、円安が進んだいま、日本企業が外資に買われていくだろう。
日本企業は海外の資本の餌食になっている。それは企業だけでなく、土地や水などもだ。


体制維持のためにやったことは、海外資本の利得になった。
年金資金は、株価維持にために消えていく。もし株価が大きく下がれば、
資産はたちまちなくなってしまうだろう。そして、日銀が買った株は紙くずになるかもしれない。

今の体制側の人間たちつまり、50代から60代の延命工作は、若者たちの未来を奪う。
若者たちに、負の遺産を残すのだ。膨大な国債残高と、外資に食い荒らされた経済体制。
だだ下がりするGDPと、大きな人口減少。

日本はすでに斜陽の国である。まずはこれを直視することから始めないいけない。
安倍政権というアホたちが、崩壊を大きくしてしまった。アホノミクスは目先の利益を
作り出したが、長い目でみれば、巨大な負債になる。

日本を亡国した最後の政治家たちが安倍政権の自民党政治と、歴史は語るだろう。
(そんなヤツでも、体制側の人間にとっては延命してありがとうという事なのだろう、
 国葬をやれとうるさいのだ。)


株価が下がったり、土地が下がっりするといよいよ困る。
そこで国は、国民に本当に背負わせる事を考えた。それは個人向け国債であり、
NISAやiDecoである。

多くの国民がこの仕組に乗っかれば、状態は続くだろう。
だが、この仕組が疑われれば、それなりの人が巻き込まれて資産を失うだろう。
これらの仕組みは、日本という経済体制がまだ続くという安全神話にすぎないと見る。

現段階ですでに崩壊している経済体制。その瓦解が目に見えるまで、
さすがに50年もかからないと見ている。早ければ、10年、遅くても、25年で
崩壊すると思う。

問題は、システムが巨大すぎるがゆえに、誰にも手がつけられないという事である。
もし、日銀が円安にしびれを切らしたとしても、金利を上げるわけにはいかない。
それは体制側の維持が不可能になるからだ。

とにかく、この現状で良いニュースは、崩壊することにつきる。
それが良いことか?と思う人もいるかもしれないが、現状維持しかやろうとしない権限を
もつものたちが、大きなダメージを受けない限り、体制が変わることはあり得ないからだ。

そして、体制とは常に瓦解するものなのだ。

崩壊後にどう生き延びるか。10年後もしくは25年後をどう乗り越えるか。
それが若者たちが考えるべき事である。

今、体制側に組み込まれるのは、得だろう。
だが、体制はもう持たないと理解しておく必要があるのだ。

悲惨な生活という事もどこかで受容する覚悟が必要かもしれない。


では、いまから何をするのか。何をしておけばいいのか。それはまた今度という事で。
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