危うい事態をどう捉えるか。 [思考・志向・試行]

安倍議員が撃たれた。予後は不明であったが、死亡が確認された。
ご冥福をお祈りしたい。

この事件を聞いて瞬発的に思ったことを残そうと筆をとる。
私が思ったのは、ついに起こったか、である。
このような事件が起こっても、何も不思議ではない、そう思ったのだ。

政権を担当した7年半の間に安倍議員を筆頭にやり続けた、
日本の既存体制の延命化と格差拡大、大企業などへの優遇、
決して、庶民に対するケアなど何一つやらなかった。

アベノミクスの大失敗。その果てに、過剰なまでの国債発行と
円の暴落。国力の低下を招いた。その責任の一端は、旗振りをした彼らにある。
自民党がやり続けた大企業への優遇政策と、放漫な税金バラマキがその主たる要因である。
その尻拭いのために、庶民は消費税をさらに払わされ、保険料と言う名の税金を
上納させられるのだ。この社会がますますねずみ講化した。その原因は、とかく、
既存体制を維持しようとする連中らの保身であろう。

庶民の生活を破壊し、既存体制を強化するために尽力したのが安倍議員である。
その恩恵をうけた外国、大企業、投資家たち。彼らは全力で自民党を応援したはずである。

一方で、これらを実行するにつれ、拡大した権力によって生じた政治的犯罪容疑はごまんとある。
権力を用いて、政治家だけでなく、官僚および司法にまで手をだし、
メディアを牽制し圧力をかけた。その成果は、「忖度」なる言葉を流行らせたくらいである。

事実の報道を勇気を振り絞って報じたメディアもあった。
およそ法に抵触する事柄が多く含まれる。森友問題、加計問題を始め、
広島の選挙の票買収など、怪しいことだらけである。サクラの会なども同じ事である。
要するに彼を取り巻く世界は胡散臭いものが充満していたのである。

では、容疑者は何をおもって犯行に及んだのか。
報道によれば、宗教との関わりについて述べているらしい。
そして、政治信条などは無関係だと。

これを知って、まるであさってからやってきたことのように感じた。
故安倍議員がやってきたことではなく、彼と宗教団体との関わりを問題にしたのである。
それが犯人にとってどれほど恨むような事柄だったのかは不明だが、
この動機が真ならば、これは彼と安倍氏との関係性の事柄であり、政治は無関係である。
いわゆる自民党政治への反発のようなものはそこには存在しないのだ。

なんということなのだろう。
犯人は単に、個人的怨恨、およそ妄想的な怨恨によって、安倍氏を殺害したことになる。

だとすると、選挙というシーンにおける今回の犯行は、たまたま選挙というイベントで、
安倍氏に物理的に近づくことができるというだけの意味であり、それ以上でも以下でもない。

そこには「言論への弾圧」もなければ「民主主義への挑戦」もない。
ただ、やりやすい時にやったというだけのことなのだ。

私は報道が、二言目には「暴力を許さない」といい「民主主義の妨害」のようなことを
いう事に、強い違和感を覚え始めた。

そのような意味合いは全くない。ないどころか、むしろ、そのような言い方が全く的外れではないか。
個人的な動機でしかない事態をもって、社会的な言明に拡大解釈している専門家や評論家は、
一体どこをみているのか?

つまり、テロでないのだ。この事件は。テロとは事件による社会的影響を考慮する動機がある。
だが、今の所は一人の青年がただ個人的にやってしまったというだけの事に見える。
この青年は社会など主眼にないのだ。

青年の取締が進めば、およそ平凡な意味が現れるのだろう。
そして、一人の殺人者として裁かれるだけであろう。


それよりも、私が危惧するのは、この事態を利用した形で、さらなる言動圧力が強まることや、
監視の目が過激化することである。もしくは、人々の行動が規制されることである。

およそ、人々は恐怖と不安を煽られるだろう。
狙われるわけもない庶民にも関わらず、自分たちを危険とみなす。
なぜならば、精神的に同化してきたからだ。

そして、そのような大衆心理を利用する体制側の人間たち。アクシデントに乗じて、
こういうだろう。

「言論を自由にさせるのはどうか」とか
「安全安心のために、監視を強めよ」とか
「暴力に屈するな」などといい、

さらなる、庶民への圧力つまり、暴力を強めるのではないか。

多くの人は無自覚だろうが、国とは暴力装置である。法を押し付ける権力の究極のところは、
暴力そのものだ。その国側の人間が、「暴力に屈するな」などという時は、ろくでもない事しか
起こらない。それこそが、暴力そのものだからだ。

そして、この状況に乗じてますます、暴力化するのではないかと危惧する。
それは、憲法改正による軍隊明記であり、人権縮小につながりかねない。

今回の事件は、粛々と小さく終わらせるべきである。
長引かせるほどに、人々は、暴力化するのではないか。

私が思うに、安倍氏には生きて、自分のやったことの結果を見届ける義務があったろうと思う。
そのために、まずは自らの犯した罪を刑をもって責任をとるべきであったろう。贈収賄や
票の買収など、現在の法にふれることは、罪に問われるべきだ。それが法治国家である。

こんな形で安倍氏がいなくなることは、良からぬ影響を残すのではないか。
例えば、伝説化・神格化される象徴になったりしやしまいか。

私にはよほどか、大衆心理が怖いのである。
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