立場を変えて考えてみる。

よく言われる事だが、自分が置かれている状況を変換してみるという事だ。
そうしてみると、見えなかったことが見えてくる。

例えば、上司がなぜこういう振る舞いをするのか。
つまり、何を一体望んでいるのか? それは上司の立場になればはっきりするだろう。
そして、それは実際にならなくても、想像することは可能である。

想像し難いならば、伝記や小説などを読むことで補完することが出来る。
最終的には、どの程度の想像力があるかで、相手の事が理解できるかが決まる。

一方で、ままあるのは、天然や非合理的な振る舞いに対する解釈が
拒絶されるケースである。つまり、自分の中に無い価値基準で他者が行動している場合には、
こちらは相手の心理的状況を把握することはかなり困難になる。

お硬い仕事についている役人が、オレオレ詐欺の首謀者の気持ちをどれくらい理解できるのか。
またその逆もしかりである。人は同じというけれど、扱われ方や状況が違えば、どう考えるかは
相当にブレるはずである。

結果として、相手が理解できない場合には、対応は限られてくる。
実直なケースでは、相手に直接聞くという方法だ。
聞いてもわからない場合もあろうが、誠実な態度であろう。

あとは拒絶するか、無視するか。その辺りではないか。

多くの拒絶は、相手が理解不能と思うところからスタートするのではないか。
そんなふうに思う。相手を理解できるほどの知性や柔軟さがないという事かもしれないし、
相手があまりにも極端という可能性もある。どちらにしても、行動原理が不可解な相手は
不気味でしかない。

諸外国の人々を必要以上に恐れる人達がいる。
こういう人たちは、臆病者である。そして、自己中心的である。
自分であれば、攻撃すると思っているがゆえに、他国からの攻撃を予測する。
そして、それが故に他国批判を行うのだ。

残念ながら、人間はそういう臆病者の子孫である。
他者を信頼できないばかりに、他国や他者を虐げてきたのである。
それは正義の名のもとに行われてきたのだ。

自分の慣れ親しんだものとは違うものに対して、
すべからく拒否反応を示すのは、それは恐れであるためだ。
とりわけ中高年の男性は、それがあまりにひどい。

自己の幻影を守るために、その立場や考えを批判されると猛反発をする。
ただの自己保身であるが、その小さなプライドこそが、戦争をもたらす。

どの時代にも言えることは、社会は流動的であり、時々刻々と変化することだ。
すると、必ず既存組織のあり方は変化を要求される。それは、当初前提とされた
条件も含まれる。たとえば、終身雇用であったり、右肩あがりの給与だったり、
年金の方式であったり、いろいろとだ。

だが、この変化に適応するには組織は小さくなければならない。
大きな組織、数万人、いや国という単位ともなれば、変化はなかなか起こせない。

人口ボーナス期が終わった今、今までと同じように儲かるわけがない。
消費者が減ったのだ。それを維持するためには、輸出するしかない。
一方で、コスト削減をする。コスト減のためには、安い労働力を欲し、
安くてリターンの大きい投資を追い求める。

それは、結局、貧乏人を増やし、ますます消費が停滞する。
消費が停滞すれば、税は下がる。消費税も所得税も法人税も。
政府は歳入がさがっても、各所の予算を減らそうとはしない。
なぜなら、中高年の既得権益だからだ。そしてむしろ拡大さえ志向する。
予算拡張を様々な方法で画策するのである。それは往々にして無駄遣いになる。

けれども、既得権益者はそれを当然として、税を無駄遣いし続ける。
なぜなら、金を沢山地元に落とす議員や、利権でうまく金を落としてくれる官僚を
民間会社が喜ぶからである。金こそが権力なのだから。

消費が減ったがゆえに、会社は政府にたかるのだ。さまざまな補助金や政府の仕事を
求めて政治献金をする。政治家とのコネクションを作り出す。腐敗が進むのだ。
そうして、企業に都合のよい法整備が進んでいく。商人にとって有利なものになる。

一方で、多くの庶民はあおり受ける。コスト削減とは、労働者を安く買い叩く事だ。
会社には派遣社員が溢れ、生産性が下がる。生産性が下がっている部分をITが補填する
なら、まだましだが、そこまで手が回らないので、人海戦術を使うことになる。
正社員の超過労働問題に及ぶ。

上がりもしない給与体系の中で、家庭をもつものたちは耐え忍ぶ。住宅ローンや
子どもたちの学費などが大きく覆いかぶさる。だから、超過労働でも抜けられない。
辞められない。やめて仕事が得られるわけじゃないとなれば、いっそ死んでローン返済
を考える人だって現れるかも知れない。一体なんのために働くのか。

こういう風潮に強くさらされている業界は、心が荒むだろう。
それはもともとそれほど儲からない第一次産業には存在しない悩みである。
毎日給与が決まっているような会社に生きる人々こそ、心が荒む。

こういった心の荒みを、直接会社組織の改革などに活かせれば良いのだが、
そこに手をだすものはいない。なぜなら、決定的に損をするからだ。
出世という意味でも、自分の立場という意味でも。ならば、耐えれば良いと
我慢を決め込むのだ。そうこうしているうちに会社が無くなったりするのだが。

仕方がないので、ガス抜きのニュースが流布される。それは、他国批判であったり、
野党批判であったり、または耳障りの良いエンタメだったりするのだ。レジャーや
酒やタバコ。とにかく消費する事で、気持ち良い気分になり、一時的に気を紛らす。

だからこそ、不満解消がなされるはずの場面で、思い通りにならないと文句を言う
人々がいる。モンスター化するのは、結局そういう人々なのだ。そのうちの一部は
こういう不満・不平の拠り所になり、人気を博すことになる。いわゆるB層に受ける
のである。ちょっと前までの安倍政権であり、今の大阪維新であろう。気分をスカッと
させるというだけのコンテンツに中高年の男どもは夢中なのである。

それがゆえに、そんな男たちに幻滅する女性たち。生活に根付いた価値観で生きる
彼女らは日々を楽しむために工夫をこらす。その在り方からいえば、男どもの不機嫌が
とてつもなく嫌なものになる。亭主元気で留守がいいのは、不満・不平の男たちへの
嫌悪なのだ。

こういう嫌悪は、男どもへ反射して、ミソジニーなどが生まれる。そしてさらに反射して
フェミニズムからの糞フェミ化へと進行する。ここに正論を持ち込むとPCとなり、
問題が拡張するのだ。

もともとは、時代が移り変わる事によって生じた「こんなはずじゃない」という中高年の
おっさんたちの不平不満が、社会全体を歪めていく。自分たちが単に騙されていたという
だけなのだが、その自己責任に目をつぶるがゆえ、問題は他罰的になる。

虐待の連鎖が、会社内で生じ、その歪みが家庭におよび、家庭から学校へと飛び火し、
学校内部においていじめが常態化する。社会においても、公然といじめをする人々に
かしずく大人たちがいるわけで、歪みもここまでくればもうお手上げである。

この根幹は結局、金である。金が儲からないという状態が問題なのだ。
しかし、それは本質ではない。金が儲からないだけでは問題は少ない。
金が儲からないと困るのは、そこに利子があるからだ。資本は常に利子を要求するのだ。
それは時間とともに増える。だから大急ぎで金を儲けなければならない。

この資本の仕組みこそが、我々を苦しめている。
もちろん、うまく金儲けの仕組みを組み立てられた人はその限りではない。
だからこそ、多くの人が羨望の眼差しを向けるのだ。

問題はみんなが苦しんでいるときに、どうやって自分は儲けるかと、おのおのが考えて
いるという所にある。自分さえ良ければ良い。そこまで極端な人は少ないだろう。
だが、自分さえうまく稼げないのに、どうして他者を思いやれるというのだろう。

資本の仕組みが元凶だとは何度も書いた。
もっぱら利子がサイテーだとも。

現代日本では、資本の支配下にある。生まれた瞬間からそこに組み込まれる。
そして、資本の支配から少しでも楽になるために、社会的地位を向上させようとする。
それは良い学校に入ることであったり、自己の能力研鑽であったりする。

かつては、金にそこまで振り回されなくても良かったのだが、現代では、
普通に暮らそうとすると、それなりの社会的地位を必要とする。いわゆる正社員である。
今の中高年はまったく事態がわかってないが、現状では正社員とは勝ち組といえる。
それはまた、現代の奴隷でもある。

かつて兼業農家であった人々はすべからくサービス産業に吸収されてしまった。
人員過剰なのだ。だから、いくらでも賃金は安くしていけたのである。

ところが、安くした賃金は社会の下の方から生活を瓦解させていく。
結婚が減り、子供が減った。生活できないがゆえだ。

少子化が進めば、かつて描いた皮算用である年金という仕組みや消費・需要という
経済システムは継続不能になる。すでに継続不能になったのだが、日本はそのやり方を
変えずに30年ほど無為に過ごしてしまった。それもこれも、中高年たちの利己主義だろう。

システムの長になるには、業績過剰である必要がある。得てして組織において業績を
積み上がられる人というのは、他人の業績をいかに取り込めるかにかかっている。
要するに肥大化した自己をもつ人間だけが、システムの長になる。推薦システムでも
ない限りはだ。そうして、長になった人間は、現状システムを変えるわけがないのだ。
なぜなら、自分を肯定してくれる仕組みである。なぜ変える必要があるというのだろう?
むしろ、自分の権限を増大させようと画策するであろう。それを正義を洗脳されるためだ。

こんなふうに万事が万事、物事を悪化させていく。
資本主義とは、黎明期は手放しで喜べる仕組みであるが、一端成長が頭打ちになれば、
利子システムは駆動しなくなる。これが実態である。これをなんとかむりやり続けようと
するがゆえに、様々な問題を生み出していく。

問題の本質はわかりきっている。だが、それをやめる手段はない。
何が起こるのか。それは決壊である。

様々な分野、場面において、社会システムが決壊する。これしか未来はない。
社会考察的にいって、社会システムの決壊以外に道はない。

かつて起こった決壊は、他国というスケープゴートによって渦巻く不満を噴出させた。
結果、空前絶後の最低な結果をもたらした。

私には人類はアホなのだとしか言いようがない。わかりきっているのに止められない。
止められないどころか、更に加速しようとすらしている。経済成長を続けるのだという
古い価値観のまま進み続ける日本。

バブル崩壊後にうんざりした日本国民は嘘で彩られた道を進んだ。
アホノミクスに賛同した。それは様々な統計の脚色である。

国の資産で、株をかい、土地をかい、投資信託を買った。
国債を乱発して、国庫を借金漬けにした。

そうしておいて、なんとか対面を保ち続けた。

どう考えてもどこかで崩壊するだろう。もしかすると我々が目が黒いうちも持つのかも
しれない。だが、あと50年後、100年後までこれが続くとは思えない。

日本がデフォルトして、貨幣が紙くずになってもまったく不思議ではない。

ではどうしたらいいんか。庶民は金に対する依存度を減らす他ない。
金を絶対視しない生活スタイルを開発する他ないのだ。

現状金を稼がないというわけにはいかない。だが、金から、少しでも離れる事で、
生活は楽になる。ストレス解消のためのレジャー、酒タバコ、消費などから開放される。

そして、生活自体を楽しめるようになるはずなのだ。


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