資本主義の必然:格差社会 [思考・志向・試行]

基本的に株式会社がやらなければならないのは、客に満足を与えることだ。
これのみと言ってもいい。そのために利益が必要であり、儲けが必要である。

ところが、昨今はどうも事情が違う。
儲けることが先にきて、客への満足というのをおろそかにしている。
なぜなら、可処分所得がへり、客がものを買ってくれないので、
代わりにスポンサーに気に入るように行動するようになったからだ。
つまり、株主やVCなどに向けて行動しているのである。

そうなると、必然的に会社がやることは利益をあげることが第一主義になってしまう。
利益が上がれば株があがり、株主が儲かるし、会社が存続するという図式である。
これは経営者もまた、資本の奴隷状態という事でもある。

資本に奴隷にされた経営者は、労働者をさらに奴隷として利用する。
なぜなら、利益とはかんたんに引き算で表されるからである。

利益= 売上ー費用

これだけなのだ。

すると、やるべきは単純で、企業は売上を伸ばしつつ、費用を抑えるという事が
利益を最大化する要件になる。多くの経営者はただこれをやればいいだけだ。
ただし、そんなことをすると、現在のアメリカや日本になってしまうという悲劇がある。

費用とはつまり、みんなの給与である。大多数の人はコストと呼ばれているもので
生活しているのである。ところが、何をまかりまちがったか、労働者は会社のコスト
ダウンに反対しない。なぜなら、それは会社が安定的な経営をするための行動だと
認識しているからだ。だが、それは自分の生活水準を切り下げた事で実現する事である。

大いなる錯誤だと私は思う。会社が儲けるという事は、別に労働者が儲かるとは
限らないという当たり前の事実に目をつぶっているからだ。会社の利益が労働者の
利益につながるかどうかは、その会社の方針次第である。そして、多かれ少なかれ、
会社の利益増大に比して労働者の賃金は増加しないのである。なぜなら、会社は
そんなことを目的にしていないからだ。

先程述べたように、極端にいえば会社は売上を伸ばして、費用を減らすことしか考えない。
よってどんな会社もコアの立場の人間以外は、カヤの外にいる事になり、労働者たちは
コストでしかないという事である。

すると何をするか。かんたんである。人減らしであり、給与カットである。
正社員は仕事が増え、給与が横ばいに推移する。そういう事を余儀なくされるのである。
そして、増えた増益は経営者たちと株主で分配するという仕組みである。

労働者たちは、なんとかこの体制側に入ろうとして、色々と苦労する。
ある人にとっては上司に取り入る事かもしれない。ある人にとっては、
自ら会社をつくって自分たちが体制側になることかもしれない。

ともあれ、経営側にならなければ、労働者の生活は苦しくなる一方なのだ。

労働生産性が云々というが、本質的には人間のやることを減らしコンピュータに
事を当たらせることが至上命題となった今日では、企業が労働者の賃金を増やすことなど
ありえないのである。

そうした結果どうなったか。金が巡ってこない労働者の子どもたちは良い学校へ
入ることが難しくなり、状態が固定化されていく。加えて、労働対価が減っているために、
庶民における金の流動が減る。その結果、小売店は厳しい状況になる。店がつぶれるのだ。

減った給与からなんとかやりくりするために、ひとまずコスト安のものを買い求める。
だから、ますます安いもの生産するようになり、品質が下がっていく。工業製品だけじゃない。
野菜なども大量生産できる品種が求められるようになる。

増益した利益は株主たちに流れ、彼らがその金でまた投資をする。
そうやって、彼らが働くほど、つまり投資というゲームをするほど、労働者は労働力を
貪られていく。

一方で、企業は労働者の対価を減らすべく、機械化とIT化をすすめる。加えてAI化も行う。
要するにコストを電気代だけにしたいのだ。

こうした結果、労働者は数をいよいよ減らし始めた。自然の摂理である。
楽に暮らせない人々が増えれば、必然的に社会は地盤沈下を始めるのである。
日本はもう、引き返せない。断言するにたる証拠はたくさんあるのだ。

すると、我々は地盤沈下し始めた日本社会の中で、どうしたら少しでもまともに生きられる
のかを模索する他無い。金はまだまだ必要な社会である。だが、大量に金がなくとも、
生活できるスタイルの確立や、企業がロボット化していく様を脇目に、なにか違う能力で
稼ぐ必要がある。

昭和時代に帰りたいという50代、60代は多いだろうが、そんなものは幻想である。
コンピュータが普及した今、あのような状況は、戦争でも起こらない限り戻っては来ないのだ。

大部分が労働者となり、年収が200万程度の一方で、何億と稼ぐ経営者や投資家という
図式になっていく。明らかに異常である。この異常な社会を労働者は目の前の暮らしを
支えるという事によって、全力支えている。そういう社会である。

生活を人質にとっている。これは国も共犯である。
結局、企業を儲けさせれば良いというそれだけが念頭にある日本政府は、
労働者のことなど全く気にしていないのだ。

今後、労働者たちの抵抗なき抵抗つまり、徐々に数を減らすという形で、
彼らの目算が成り立たないことが明らかになるだろう。搾取する労働者がいなくなるからだ。

日本政府はおよそ、海外から移民をもっと入れることになる。
そうして、日本はアイデンティティクライシスを向かえる事だろう。
移民は日本人なのか?という議論である。おおよそ年寄りはこれに抵抗する。
だが、50年もすれば、移民の2世、3世が生粋の日本人として日本国内にいつくだろう。
そうして、日本生まれでありながら、別の国にルーツをもつという人々を無視できなくなる。

しかしそれは、まさに日本政府が求めている事であって、移民が悪いわけではないのだ。

未来は誰にもわからないが、直近で言えるのは、金というゲームにおいては、
投資するほかないという事である。それも、裏ゲームに乗るしか無い。
表のゲームは利益が非常に少ないからだ。もしくは、自分でゲームを作り出すほかない。
それが資本主義という仕組みが要求する事なのである。

むろん、これを知った上で、労働者をやるのも駄目ではない。
会社での出世とか、この図式からいえば、五十歩百歩である。
そういう虚しさを承知の上で、仕事に意味を見いだせるならば、それは価値がある事だろう。
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