この選挙は一体。。 [思考・志向・試行]

衆議院選挙のはずが、えらく静かである。
私としては野党が増加し、与党の動きを牽制する状態が好ましい。
でなければ、庶民はますます息苦しくなるだけだ。

といっても、立場を手に入れた人にとっては、現状維持が好ましいわけだ。
この国の3割位は体制側である。国からのおこぼれで生きている。
そして、この連中こそ票田としてちゃんと機能する。

だから、残りの半分以上は無視された政策が実行され続ける。

政府の予算を無尽蔵に扱い始めたのは自民党である。
予算の不足分を国債で間に合わせることにした。
その後は、どんどんと国債で埋め合わせをした。

加えて消費税を導入した。税制的に厳しいならやむなしとも思えたが、
違った。単に法人税を減らすというだけのことだったのである。
税を取る場所を会社組織から、個人に移したわけだ。

消費することに一種のペナルティを発生させた。
こうして日本の消費は停滞を始めた。

3%が5%になり10%となったいま、今度は19%まであげようという話もある。
そうなったら、おそらく日本は解体するだろう。あとは経済的は暴動がいつ
起こるかというだけになる。むろん、そうなる可能性は限りなく低いが。

そうならないならとしても、ますます少子化が進み、
社会を構成する人間は減る。これが自民党の政策である。

少子高齢化を加速させ、社会を停滞させる。その元凶が自民党の政策である。

いやなに、別段、誰も怒らないだろう。なぜなら、生まれてくる人間は
文句を言えないからだ。そして生きている人間たちは、生まれてくる人間の
人生を食いつぶしているのだから、文句もあるまい。

私はこれを未来搾取と呼ぶ。あからさまな未来の搾取である。

このような社会に生まれた子どもたちは「やられた」と思うのが当然である。
世代間における闘争は当然なのだ。

そして、なんとかこの社会においてうまいことをやろうというのが、
若者の特権である。そりゃ、Youtuberにでもなるだろうさ。
まともに労働して対価を得るというモデルには旧世代の人間たちがひしめいて
席を譲ろうとしないからだ。それでいて若者が加わることを拒否している。

既存の体制、いやこんなカッコをつけるまでもあるまい。
給与体系や年金体系と直接的にいうべきだな。これらの体制を維持するには、
若者を非正規化して、海外から「研修生」を導入して、なんとかコストを低減
する他ない。それによって現状を維持しているのだ。

そうやって現状を維持することが、少子化と高齢化を招く。

ところがいよいよ、この体制も無理となった。
コロナの到来によって、ほころびが隠せなくなった。
アホな経済学者は全く理解してないか、無視するのだが、ことは単純である。

労働者とはつまり消費者である。
その消費者に金を渡さないという体制を築くことで企業たちは延命を図った。
ところがいざ金を保持したら、あまった金をどうすることもできずに仕方がないから
金融や土地に投資をし始めたのだ。

社会全体で、金がある人々は投資先を失い、株を買う。投資信託を買う。土地を買う。
いわゆるバブルである。その結果、株価が上がった。土地の値段があがった。
企業は本業では利益がでないので、ますます運用資金を欲して、内部留保を運用する。
金が金融の間でウロウロするのみだ。足元では労働者がじわじわと生活苦なのにである。

一方、国は何をしているかといえば、国債を出し続けている。国債を日銀が買い取る事で、
金が発生し、その金は民間銀行の準備金に積み上がる。

これまたしょうもない経済学者が多いのか、金を供給すれば、成長したり、産業が発展すると
思っているおバカが多い。国はひたすらに、借金をして金を銀行へ流した結果、
金を借りられる人間だけが、金を運用して利益を拡張するようになった。

銀行は、利益があがるところに積極的に金をだす。金が余っているので、投資先を
探しているのだ。そこで、ベンチャー企業などへ優遇的措置が行われる。
起業するにはよい状態である。一見すると良い話に聞こえるかもしれない。

だが、間違えちゃいけない。投資された金は、大抵は食いつぶされるか、負債となる。
なぜなら、需要となる側、圧倒的多数の労働者側にカネがないので、サービスが停滞
するのである。要するに川上から金をざんざん流しても、途中でひっかかかって、
下まで流れないのである。

低金利なので、起業するのは良い状況だが、端的にいって、需要がない。庶民にカネがない。
だから、これらの起業がうまくいく確率は限りなく低い。

結果どうなるか。どういう起業がうまくいくかといえば、結局、企業の内部留保や国からの
予算にアクセスできる業界がもうかる。国は金融をバブル化した。だから、金融絡みには
金が回る。そこでは利益があがるのだ。

国が金をざぶざぶと銀行に流し、法人税減税で企業には金があまる。銀行は優良企業に
金をかせなくなった。その金の行き場がなくて、株式などの投資にながれる。
だから、株式を扱った人間は、アベノミクスでウハウハになった。うまくやった人は
億を稼いだりしたことだろう。これは国がつくったバブルである。

そして、いまや、この流れに国民をのっからせようとNISAや個人向け国債を売りつけている。
何も生産せず、ただ紙切れをやり取りするだけで、資金を膨張させている状態である。

しきりにCMで庶民の金を運用させようとしてくるのは、いよいよ参入する人間が飽和
したからの他ならない。なぜなら、溜め込む人間がいれば、金のフローは停滞する。
すると、金融資産はあっという間に価値が低減するからである。なにせもともと紙切れだ。
価値など全くないが、欲しがる人間がいるがゆえに価値があるかのようにみえるのだ。
仕方がないから、ゲームの参加者を増やそうとする。一種のねずみ講のようなものだ。
あとから入ってくる人間がいる限りにおいては、大丈夫という仕組みなのだから。

これは国という単位でも同じなのだ。
国は、あとから生まれてくる人間が、不可避に「日本株式会社」に入社するということを前提に
話を進めてきた。要するにねずみ講に強制的に加入させられるのだ。そうなると仮定して、
経済政策を回してきた。だが、考えてみればそんなわけはない。かならず人間の数はどこか
で頭をうつし、ましてや消費行動も停滞する。

消費行動の停滞の背景にはネットがある。ネットは需要を減らす仕組みである。
要するに、調べてものを買うという行為や、マスプロダクトはなるべくネットでかう
ということは、安く買うということにつながる。需要が減るのである。

日本は、国民の需要という部分を信用せず、国が金を作り出して配ると決めた。
その金は本来は投資され、生産物が増える予定だった。そうして経済を回すのだと。
だが、これはアホな経済学者の論理である。実際に起こったのは、需要停滞による
利潤低下をコストカットすることでなんとか維持し、内部留保された金や銀行からの
低金利の投資金は、実体経済に回らず、金融業界をぐるぐる回っているだけに過ぎないのだ。

その背後では、ネットで多少とも賢くなった消費者は、無駄な消費をやめつつある。
こうしてマスプロダクトは利益を上げなくなった。ブームもほとんど起こることはない。
各自が必要なものを調べて買うのだから、衝動性を煽っても仕方がない。

そうこうしているうちに、コストカットされた労働者たち、つまり派遣労働者たちが
かなり増えてしまった。彼らは需要を低下させる。加えて、労働者の再生産もしない。
できない。下支えがいなくなっていく。

下がいなくなれば、次は、中間層がその下側に落ちていく。今はその過渡期だろう。
下支えの代わりに中間の下側、真ん中側が崩れておちている。その軋轢は過剰な労働や
サービス残業となって現れる。

こうして、庶民は働くも地獄、働かなくても地獄という状態に追い詰められる。
そもそも、生まれた瞬間に労働者兼ネズミ講の構成メンバーなのだから、
その現実に耐えかねて、自殺するのも無理もないのだ。我々は家畜なのである。

ニヒリズムではない。これは事実である。事実とは時に酷いものだ。


この現状を変えるにはどうしたらいいか。
まずは、分配であろう。労働者の賃金を増やすほかない。可処分所得を増やすしかない。
それには金が余っている場所から税をとるしかない。金融の税金をあげるべきだし、
利益を上げている企業からは法人税をとるべきだろう。

社会的リソースによらずして億万長者などになれるはずはないのだから、彼らから
しかるべき資産を還元してもらおうのは当然だと思う。かんたんにいえば、人間の
能力などせいぜい数倍程度しか違わないのだから、年収が1000倍とか違うのは、
きったないことをしているという事だ。だれかから搾取しなければ、そんなことは
起こらない。もちろん、稼いでいる人間はそれを「うまくやった」というのだろうが。

社会的な仕組みが、格差を生み出している。だから、仕組みにうまく乗った人間は
能力に関わらず儲かるのだ。そんなものは能力でもなんでもない。運である。

また国は金を配るのなら、庶民に平等にくばるべきだろう。つまりベーシックインカムだ。
国の借金はみんなの借金なのだとしたら、銀行に金を配るというのは、権力の偏向
であり、その特権は非難されてしかるべきだろう。なぜ銀行にだけそんな権限があるという
のか。ならば、国債によって配る金は全員が等しく受け取るのが妥当であろう。
この当たり前を誰も主張しないが、まあ、アホな経済学者には無理なのだろう。

もちろん、金が権力であるからこそ、金を誰に配るかが人を操る行為になる。
それが権力というものの本質である。絶対にこんな政策はしないだろう。



上記は、実は根本的な解決ではない。それは現状の仕組みをあまりいじらずに
問題を解決しようという話に過ぎない。おそらく、それは幻想なんだろう。

もっと違う形の解消法を考えていく必要がある。
それこそが、未来を救うのだと思う。

どうしたらいいのか。まずは金に振り回されないという事だ。
そのためにどういう生活をするのか。また、どういう価値観で生きるのかである。

金を目の前にぶら下げられて、誰かを傷つける動機にするような価値観はうんざりだ。
我々は、このようなことばかりをしている。全く問題なのである。

これについては、またそのうちに。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。