ウォルマートつまりイオン問題 [思考・志向・試行]

ここで話をしたいのは、ウォルマートやイオンの話そのものではない。
ひとつの蛸壺問題という意味で話をしたい。

構造が出来上がると、その構造が自己維持的に動き出すということはよくある。
それが不愉快であっても、一度そうなると不可逆的に特定のアトラクターに落ち込む
事はありうべき事象である。

ウォルマートが儲かった理由は、まさに地域社会を巻き込んだ構造を構築したことである。
どういう理屈か。

・巨大資本のある大企業は安売り出来る。
・労働機会を減らすことで労働を安く買える。

これがベースとなる枠組みだ。

ウォルマートがどこかの地域に進出する。すると、地域の商店街は、たちまち苦戦を強いられる。
同じ商品なら確実に、似たような商品でも同様に、ウォルマートが安く売るために客を
とられてしまうからだ。

それが一定期間続くと、商店街は寂れて店じまいをすることになる。
雇用が削られるのである。では、彼らはどこにいくのか?
そう、ウォルマートにおいて働くしかなくなる。

一方、消費者は安いものを好むので、どうしてもウォルマートで買物をするようになる。
安いものを買うということは、利幅が少ないので、ウォルマートは利益を確保するために、
コストカットを行う。その中に、人員削減と給与抑制がある。

こうしてウォルマートが出店すると地域の商店はつぶれ、彼らはウォルマートで働き、
近所の人々はウォルマートで買い物をするほかなくなるという現象が起こる。

日本のイオンと全く一緒である。というか、イオンは日本版ウォルマートである。


これを引きでみればこうだ。
ウォルマートは地域住民にこうささやく。うちにくれば、安く商品を買えるよと。
労働者にはうちで働くのは安いけど仕方がないよねと。でも安く商品が買えるから
生活は大丈夫だよと。

図式は、ウォルマートは、地域住民という資源をつかって金を儲けているという事だ。
地域の人々から雇用を奪って、安い労働力を確保し、それがゆえに安く商品を提供でき、
消費者は安い商品を買うという欲求がゆえウォルートに買物にでかけていく。つまり、
消費者という労働者は、自ら安く働いて、その金でウォルマートの商品を買うという
立場に立つことになる。

ウォルマートの経営陣は、この上前をはねるというわけだ。
全く合理的である。合理的であるがゆえに、非人道的である。

地域は商店街を失い、人々の集まる場を失ってしまう。人々が集まらなくなれば、
人々の交流がなくなり、人生の意味を失ってしまう。経済とは単に金の問題ではないのだ。

一方で、ウォルマート側からみれば、巨大資本になったがゆえに、地域を搾取するという
権利を得たようなものだ。それは実力であり、非合法ではない。そして合理的であれば
こうなるという結果であり、そこに疑問の余地などない。利益を増大させようとしたら、
このような仕組みになるという収斂がそこにある。

ではなぜ利益増大を志向するのか。それは資本が投下されているからだ。
資本は利子を生む。その利子を返すためには、常に利益の増大を見込まなければならない。
そしてまた、そういう企業にはさらなる資本が投下される。株をみんなが買うのだ。
こうして、資本が巨大化すれば、ますます、末端では安売り攻勢を仕掛けることが出来る。
体力があるがゆえ、一時期赤字でも問題がないのだ。こうしておいて、地域が衰退した頃に
値段をある程度まで上げるのである。長時間かかる爆弾みたいなものである。

この仕組は、イオンという形で日本でも行われている。
雇用を地域から奪い取り、安い労働力で、安い商品を売る事で人々を集めているのだ。

個人はどうにもこの仕組に抵抗する手段を持たない。みんなが安売りになびいて、
ウォルマートやイオンにいけば、結局、自分が違う購買行動をしていても、
流れには逆らえないからだ。


さて、もっとこれを拡張してみると、国と個人の関係も全く同じである。
国とは、国民らが、労働した一部をピンはねする。それは暴力に依存した仕組みである。
もちろん、国が国民に対して平等に分配をして必要なサービスをする分には
さほど問題はない。しかし、国がピンはね構造をイジり、分配を恣意的に行うとしたら
どうだろうか。この部分が不明瞭であり、内実を我々は知らされない。およそ、
相当に恣意的な事が行われているのが現状であろう。

ともかくも、社会構造としては、こうなる。

国や企業という体制側が、労働者たちを働かせ、消費させる。この労働と消費の運動の
上前をピンはねして、体制が維持されるという仕組みである。

中身はどうなるか。労働力は安く買い叩かれるようになる。なぜなら、人があぶれる
仕組みだからである。雇用は絶対に100%にはならない。加えて賃金を低く抑えるように
力が働く。なぜなら、資本は多くの利子を支払う場所に投下されるからである。利幅を
増やすには、売る数を増やし、コスト抑制するほかないからだ。

つまり資本主義社会の構造は、ウォルマートと同じなのだ。

そしてさらなる問題は、資本が投下されたところに問題が生じても、例えばバブルだが、
その尻拭いに国が介入することだ。個人であれば借金して事業をして失敗すれば、
個人の責任になる。けれども、巨大資本が失敗すると、その尻拭いを全国民にやらせる
のである。不公平極まりないだろう。儲けは自分のもの、損はみんなのせいという
ジャイアン的思想である。

こうして国に庇護された巨大資本が社会を蝕んだのがアメリカであった。
そして、日本もまた同じ道を進んでいる。アメリカのように日本を作り変え続けてきた
からだ。日本の資産であった郵便貯金や年金を投資させて、その利益を海外の銀行や
投資家がかっさらっていく。私にはこのような仕組みを推進させた日本の官僚とそれを
許可した政治家たちは売国奴であろうと思う。保守というなら、きちんと怒るべきで
あり、自民党を叩くのが当然である。庶民ならそう考えるのが当たり前なのだ。

すると、かんたんに集約出来る。現代の労働者は皆、賃金ドレイである。
ということだ。効率性・合理性のなれはては、金を生みだすマシーンになるという事。
それは、構造的に生じている。

庶民がこれに影響を与えるのは選挙しかない。だが、大抵の庶民はこんなふうには考えない。
目の前の、金につられて、安物を買うし、イオンにいく。結局、構造にはまり込んでいる。
そして、最大の恐ろしさは、それで良いと思っているという事だ。人生そんなものと考える。

違う。人生とはそんなものではないし、もっと自由にしても問題などない。
ところが、人間とはそんなに賢くない。自由にしてよいと言われてまともに
自由を扱える人間はほとんどいない。

仕組みがわかっていて、どうして多くの人が閉塞感に悩まされるのかは明らかだ。
それは金に依存する生活をしているからである。そしてその金は資本となり、
人々の時間を奪っていく。生活時間を奪われた人々はどうなったか。当然、生きにくい。

これを「人生とは苦しいものだ」などとうそぶくのは、思考停止も甚だしい。
苦しくさせているのは自分なのだから。

この余波は確実に生じていて、その一端が、少子化である。
生物は敏感である。状況がふさわしくなければ子孫を残そうとはしない。
いや、残せないと考えるのが人間である。

金持ちたちは、自分の時代は良いと思っているかもしれないが、
長い目でみれば、労働者が減り、搾取する対象がいなくなり、自らも苦しむことになるだろう。

ところが、これを改善する奇策がある。
それが移民である。

移民問題とは結局、現代社会構造が必然的に導く問題なのだ。
そして、その移民問題は経済だけではなく、争いの種にもなる。

しかし資本主義はこれらの問題ですら組み込んでいく。
日本では、研修生というなのドレイを輸入している。
すでに移民問題は発生しているのである。そして、その移民たちを使い捨てている。
それで良いという人間たちがいるからだ。

争いの種も、結局軍事というビジネスによって駆動されていく。

私には全くわからない。金はそこまで必要なのだろうか?
他者に分けてあげれば、みんなの幸福度をあげることが可能なのに、
それをせずに、独り占めすることで、一体どんな幸福を得ようというのか。

さて、エンドロールである。

ウォルマートはいまや、アマゾンに圧されている。
そう、時代はECである。

ウォルマートがアマゾンに敗れようとしている。小売業の王が、いまや倒される状況になった。

ウォルマートが破壊した地域。そこに襲いかかるアマゾン。アマゾンは、ウォルマートより
多品種を揃える事、そして人件費コストを徹底的に抑えることで、商品を安く売っている。

いちいちウォルマートに買物にでかけなくても、注文すれば家に届くのだ。
こうして、流通の図式が変わってきた。人々が買物にでかけるとは、
生鮮食品など、分野限定なものになってきたという事である。

人々がECでの購買を増やすということもまた、労働者の雇用を奪うことになる。
今度は、ウォルマートが地域に進出しなくても、地域の人々の交流が絶たれていく。
店員さんからものを買うという事がなくなってしまうのだ。

こうして、マスプロダクトの小売商品はアマゾンもしくは楽天が担うことになり、
イオンや西友が、生鮮を仕切ることなる。こういう形で集約が測れられると地域の
商店は復活するはずがない。

ウォルマートが徹底したやり方によって、労働者は賃金を下げていく。
そして、なんとか生きられるだけの立場に置かれることになる。
それをアマゾンはますます助長した。

原理に戻ろう。結局、労働者=消費者の立場からいえばこうだ。
給与が低いので、それに対応して安いものを買うほかない。
安いものはイオンやアマゾン(EC)で売っている。
ならば、そちらで買って節約する他ない。

この反対が、地域の小売店を苦しめる。今までなら、自分のところで定価で買ってもらった
ものが売れないのだ。仕方がないからと値下げできる場所はまだ良い。あまりにも売れないと
店をたたむほかない。

マスプロダクトとはいえ、実際にみられないさわれないはフラストレーションである。
それで何が生まれたかといえば、Youtubeにおけるテスト動画である。あらゆる商品
レビューが意味をもつようになった。それも、できるだけ消費者目線の評価である。

つまりかつてなら、噂とか耳寄り情報として他者から仕入れていた情報が、
Youtubeという形で展開したわけだ。もちろん、Webにおけるレビューも良く見られる
コンテンツである。結局、可処分所得が減った消費者が、それを補うために、
情報を仕入れることに力を注ぐようになったというわけだ。

かつてのように、多少失敗してもいいやというほどの余裕が少ない。

こうなるとどうなるか。結局、定評ある商品ばかりが売れることになる。
それでいて、安いというのが良い。ここにハマったのが、ユニクロや無印良品であろう。
またはファーストファッションブランドであろう。

定番商品を安く買うことが可能なのだ。こうして商品の方もまた安牌が選ばれるようになる。

製品を作る側は、余裕がない社会を相手に生産するしかない。
ある程度本腰をいれたもの以外は、作るだけ無駄になるという事になってきたわけだ。

では、こうしてなんとか安い商品を売っている企業はどうか。
それではやはり、儲けを維持するのは難しい。そうなると、企業は生産時のコスト抑制を
始める。工場や機材などから始めて、はては人件費を削ることになる。最終的にはリストラだ。

こうして、社会は雇用を維持できなくなる。
でも、人手は足りてない。

するとなにか発生するか。そう、仕事量の超過である。社員にかかる負担が多くなるのである。
サービス残業が当たり前になってしまうのだ。それもコストカットのせいである。そして、
新規に人をとるときは派遣社員を利用するということになる。ここに不都合な真実がある。

結局、会社は購買力を失った消費者を相手にすることになり、それは転じて給与の少ない
労働者たちということになる。そして、仕事が増えた正社員や、さらに給与が減った
派遣社員たちは、異なる意味で、苦しんでいる。

そこで登場したのが、女性である。かつてなら、伴侶の給与で生きていけたし、今もなお
第三号という形で夫に依存する人もいる。しかし、若い世代はそこに入れる人は数少ない
ので、若い夫婦は共働きになる。夫が正社員で、妻が派遣というスタイルである。

こうしてなんとか労働を確保することで、生活費を確保していく。
むろん、彼女らや若者の賃金は最低にまで押し下げられている。

少し話が横に逸れるが、共働きが増えれば何が生じるか。そう、子供が犠牲になる。
子供を作れない、子供を複数育てるのが困難という状況が生まれることになる。
そうして、将来の労働者は減っていくのである。代わりは海外からという事で、
文化問題が生じてくるだろう。

どうだろうか。ウォルマートの手法、つまりイオンやアマゾンのやり方は、
われわれ庶民の問題そのものではないか。

資本家が、投資先として儲かるものを選ぶとは、結局誰が犠牲になるのかといえば、
労働者である。労働者こそが彼らの不労所得を生成しているのだ。場合によっては、
命まで削ってである。この状況下で、労働者がまとも働かなくても文句はいえまい。

日本人は、真面目すぎる。というか、実情を把握してなさすぎる。
要するに、お人好しにも、金持ちのドレイになっている事に無自覚すぎるのだ。

日本にはまだ雇用法がある。正社員は雇用が確保されている。その彼らがあまり働かない
というのは当然であろう。やる気がない社員が増えるようなしくみではないか。
自分で何かを工夫しようとしても、それは計画外であり、コストはかけられない。
会社の上司たちは、とにかく目標を達成すればそれで良しとするがゆえに、
まともな事はまっとうに採用されるわけがないのである。

正社員の既得権益化とは、結局、サボれる立場にあるかどうかという点に集約する。
労働者の立場からいえば、サボるの当然である。恩恵を受けないのだから。
インセンティブなどあったものではない。

こうして日本社会全体がやる気を喪失する。中間管理職たちはうだつがあがらず、
経営者は資本家の言いなりである。労働者は働けるだけマシという思想のもと、
大した給与でもないのに、こき使われている。

私が問題にしたいのは、昨今の問題は結局、資本の問題なのだと言いたいのだ。
ほとんどの問題はそこに収斂するのだ。上記の論を上へとたどれば一目瞭然であろう。

その上で、資本家は国を買収し、企業を買収し、他者を操っている。
マルクスではないが、やはり資本家という存在は何らかの規制をかけるべきなのだ。

少なくとも、現状を誰かのせいにせず、制度の問題とするならば、資本に対する利子という
概念がもっとも問題なのは明白である。

不労所得によって、問題は過激になってしまう。

結局、現代の問題は資本主義という体制問題だとわかるはずだ。多くの人の幸福を求める
功利主義だとして、なぜ、それを解消しようと試みないのか、私には全く不明である。

金を持つ人間を追い落とすには、なにかの制度が必要なのは明らかである。
多少とも累進課税をまともに機能させるくらい、どうだっていうのだろう?
私にはその程度の利他心もないのは人間ではないと思う。

そして、そんな連中の甘言に身を委ねる政治家たち。とりわけ自民党政治。
こいつらがことを、進めている実態である。彼らもまた体制側に組み込まれているがゆえに、
庶民などどうでも良いのである。コロナでそれを存分に理解しただろう。

ウィルター・シャイデルによれば、富が再分配されるには動乱が必要だという。
歴史はそういっている。結局、現状に身をまかせれば、ますます格差が広がり、
その軋轢が、生活のあらゆる場面にまで生じたとき、時は既に遅く、あとは、
一揆を起こすか、自滅するかの二択になってしまうだろう。

十分に庶民も豊かな生活ができる富がありながら、それをせずに企業や資本家が金を
せしめるがままにして、一方では餓死で息絶える人間がいるのは、異常事態である。

皆さん、少しはモノを考えてみてはどうだろうか。
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