解決への希望とは? [思考・志向・試行]

希望を作る。これが生き延びるために重要な事だ。

吉村昭著の「漂流」を知っているだろうか。
江戸時代の船問屋の水主が鳥島に漂流して、そこから12年がかりで
地元に返ってきたという物語である。本は小説であるが、内容は事実で、
実際に起こった事から描かれている。

長平という主役が、いくども精神的・物理的なピンチに遭遇しながらも、
なんとか生き延びたのは、彼が極端に強い人だったからではない。
彼を救ったのは、仏教への信仰と、船造りという希望であった。

窮地に立たされた人間は、どこかで諦めてしまう。
このあきらめこそが、命取りである。

ではなぜ諦めてしまうのか。それは希望を失ってしまうからに他ならない。
可能性と言い換えても良い。可能性を信じられる時、人は生き延びるのである。

もちろん、生き延びれば良いというだけではなかろう。
ときには死は重要な意味をもつことがある。けれど、自分に事に引き寄せて考えれば、
生き延びることが大事ではないか。

この能力は何も人間だけに限らない。
出典は忘れてしまったが、動物実験、ネズミの実験が知られている。
ネズミを水を張ったバケツに入れると、やがて溺れて沈んでいく。
もちろん、最初こそ頑張るが途中で諦めるのである。

それはおよそ15分程度と言われている。

その諦めて危なくなったネズミはすぐさま人に救われる。
するとすごいことが起こる。そのような経験を経たネズミは強い精神力を手に入れるのだ。

次に同じように水に入れられたネズミは、1回目とは違い、粘るのである。
実に、60時間も頑張ったネズミがいる。なぜか?

それは希望があると知っているからである。もしかしたら助かるかもしれないと
思えるから、粘れるのである。希望を知ったネズミはまるで違うネズミにみえる。

これは一つの教訓である。我々は、諦める前にできることを探すべきである。
それが明示化されたのなら、それに集中することである。希望を作ることなのだ。
たとえ、それが僅かな可能性であっても、その希望を胸に行動することは人を
強くする。

これは何も命の問題だけではない。努力でもなんでも同じことだろう。
人は希望を見いだせないものに強いコミットはできないものだ。

たとえば、コロナ。コロナへの対処が決まれば、あとはそれをやればいい。
そして収束することを待つだけである。けれど、いつまでも終わりが見えない時、
人は諦めてしまうだろう。

いまやワクチンの摂取が進んでいる。以前と全く同じ生活にはならないだろうが、
今後は緩和される可能性は高くなってきている。そういう意味では、希望はある。

投げ出したくなるような状況に置かれている人もいるかもしれない。
そういう人は、何か希望を見出してほしい。諦めて変なことを考えるならば、
そこから離脱するという手段もある。人間関係など気にせずにドロップアウトするのだ。
それは弱い事とか、無責任などと思うことはない。そこまで追い込んでいる状況が
悪いだけなのだから。

自分がとてつもなく、不安に襲われた時は、誰かに話してみる。問題は解決されないが、
それは希望を見出す手段である。可能性を見出す可能性が残っているからだ。

何がしかの可能性があれば、人は強くなれる。
それは自己保存だけではない。子供や孫や、周りなどに何かを託せる時、
人は強くなれる。誰かを守ることで、人は強くなれる。

諦めの境地からの第一歩は、可能性を見出すこと。
たとえ小さくても、可能性によって、人は強くなれるのだから。
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