休まるコンテンツの重要性 [思考・志向・試行]

このブログは残念ながら、いやし効果はない。
むしろ、心がトゲトゲしそうな話題が多い。

そういう意味で、どうして今回こんな事を考えたかと言えば、
転換がテーマだからだ。

意味ある諦観をまずは心にすえなければならない。
それは前回の記事でのべた。どんなに文句をいっても、
実態的に変えるのは、変えるポジションについている人間だけであり、
そのポジションを貪欲に奪いにいった人間なのだ。

そういう人間に、人道的な配慮を願っても、始まらない。
政治に興味をもち、政治家という立場を選び取ろうという事
自体が、普通の良い人から逸脱した存在ということである。

前から思っていたのだけど、町内会などでの役員は、結局、持ち回りなのだから、
政治家も、裁判員制度みたいに、くじ引きでも決めれば良い。
それでも、官僚たちがちゃんとしていれば、日本は回るし、
むしろ、普通に良い人が政治を考える方が、現状を良くする動力になるだろうと思う。

ともあれ、現実は人間性に何かしらの突出性があるがゆえに政治家になる人が多い。
そういう人たちに我々は、まともなことを期待するのはおそらく間違えなのだ。
それにまともな人が選挙にでても、当選しにくいのである。

そういう意味で、行政などにまともさを期待するのは間違えなのかもしれない。
これが一種の諦観である。

もちろん、批判は継続する。けれど、もっと大事なのは眉間にシワを寄せても、
個人としての幸福は増大しないという事だ。

個人としての幸福の増大には、喜びが必要である。
さまざまな喜びがあるけれど、最上のものは他者への良い影響である。
そういう意味で、このブログが良い影響を与えると期待したい。
そのために批判だけでなく、良きことも発信する必要があろう。

マズローは、良い人間とは何か、そして良い社会とはなにかを考えた心理学者である。
欲求段階説が有名なのでそちらに気を取られてしまうが、本質はそこにはない。
むしろ、本質は、どうしたら社会において良き人間となれるかである。

そこで彼はこういった。自己実現欲求を満たすべきであると。
正確には、自己実現を目指す行為に価値があるのだと言ったのだ。

良い人間とはなにか。どうすれば良い人間になるのか。
それには、一般に良いと考えられる人間をモデルにすればよい。
そうマズローは考えた。足が速いとはどういうことかを研究する時に、
平均的な走力の持ち主より、アスリートを研究するだろう。それと
同じく、社会的に素晴らしい人間がいれば、彼らを率先して調べる方がいい。
なるほど、シンプルである。

そこから、彼は自己実現という概念を抽出した。
よく五段階の欲求をマーケティングなどで利用されるが、あれは嘘みたいなものなので
気に止める必要はない。5段階は順番に到達されるというよりも、5つの発達速度が
別のものがあると考える方が自然であり、実態に即している。これはマズローも同意
している考え方である。

さて、マズローが主張したことを、私の言葉で言い換えたい。
マズローは自己実現をめざせといったわけだが、これでは、特定の目標があるように
聞こえてしまう。そういう事ではないのだ。これは一種の態度である。

自己実現とは、考え方と行動のスタイルの問題である。なので、
物事を理解すれば、今の一瞬間にも、あなたは自己実現の状態になれる。
問題は、それを持続的にすすめるだけの信念を持てるのかどうか、そういう事が問題なのだ。

私が解釈する自己実現とは、価値の事である。価値において他者と協力関係を結ぶこと。
これが自己実現である。価値というのは本質的に相対的である。一方で、人類的にみて、
絶対的なものがある。矛盾があるが、我々はこの矛盾を抱えたまま価値を論ずるほかない。

様々な意見があるなかから、我々は価値観を選び取る。
それは受動的であってはならない。なぜなら、その価値観によって我々は行動するからである。

価値観を選び取り、実行する。それを社会で体現する。これが自己実現である。
よって、大事なのは、能動的に価値観を作り出すことである。そして、その価値観で
行動する事である。

これは主義ということとは違う。主義とは一種の宗教である。そして類型化できる何か
である。価値観は、個人の体験をベースにした意味ある考えである。形而上的なルールや
理想的な世界の事ではない。ましてや、誰かに教わるものでもない。

よって、必然的に自分で選び取るほかない。自分で選ぶのはかんたんではない。
だから、時間がかかるものだ。それゆえに、若くして自己実現するものはいない。
なぜなら若者とは、社会的な価値を内面化している存在だからである。

そこから、メタな視点で自分を社会内部から切り離してみる事。再度、社会内部へ
自分を適応させていくこと。こういう作業を通じて、価値観が見えてくる。

そして、その価値観に従う事が大事である。
結局、自分の有り様は自分で決めるほかないのだ。

人は社会抜きに生きられない。これが第一の命題である。
それゆえに、価値観は、おのずと他者との協力を前提とすることになる。
その時、どういう態度をとるのか。これが大問題である。

現代社会に内面を乗っ取られた人は、自己中心的であり、貪欲である。
そういうのが当たり前と思っている。その価値観にみんなが従っていると思っている。
しかし、現実は違うのだ。社会がそのように要請するからといって、そのように
ならなくても良い。

そして、他者との協力を、争い以外の形で、表出することが、もっとも良い人間にとって
大事なのである。それは現代社会において、時に反抗的にみえるだろうし、不適応に
みえるだろう。しかし、それは当たり前で、そうでない人間たちはどうかしているのである。
そして、そのような人々は決して自己実現など出来ないのである。

他者と協力関係を結ぶという価値観を探し当てられなければ、
人生は殆ど失敗である。しかし、昨今、大失敗な人生がゴロゴロ溢れている。
それが普通にすら見える。残念ながら、私は彼らを説得するつもりもなければ、
相手にするつもりもない。本質は分かってる人にしか通じないのである。

自己が得られる価値観のうち、およそ大事なのは、価値をもって協力関係を結ぶこと。
その有り様は様々かもしれないが、これを能動的に行う以外に、良い人間にはなれない。
それだけははっきりとしている。
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