給料アップ、それが問題だ? [思考・志向・試行]

多くの人は得をしたい。
棚ぼたじゃなくても良い。自分の努力に見合っただけの金がほしいと考えている。
それは偽らざる気持ちだろう。サービス残業などまっぴらごめんであると。

昨今の情勢からいえば、仕事にマーケティングやイノベーションが足りないのは事実である。
大抵の場合は、かつての成功によりかかり、それを先鋭化させることで、儲けを出そうとして
いる。しかし、本当にそれが儲けにつながるというのだろうか?

利益を伸ばすには、売上からコストを引いた差分が大きければ良い。
だから、売上が変わらなくても、コストを下げれば利益が出る。
今の日本の多くの企業はこれをやっている。一方、売上を伸ばす事にはあまりベットしないのだ。

ドラッカーのマネジメントには、
企業がやるべきことは「顧客を生み出すこと」であると書いてある。
つまり、サービスを購買する人間を見つけ出す事が企業の仕事というわけだ。
そして、それが何であるかは、各企業が探さなければならないと。

その際に役立つ概念が、マーケティングとイノベーション。
マーケティングとは、いわゆるマーケティングではない。
ここでいうマーケティングとは、自分たちの行為つまりサービスが、どんな
影響をもたらしているのかを把握し、何を顧客が求めているのかを探ることである。
それは販売とは違う事だ。

イノベーションとは、新しい商品を生み出すという意味ではない。
イノベーションとは、新しい顧客を生み出すという意味である。
手段はなんでも良いのだ。新しい顧客を生み出すには色々なやり方があり得る。
たとえば、今までにない販路を拡張する。日本だけでなく海外へも売り出す。
女性だけではなく、男性にも買ってもらう。年寄りだけでなく、若い人にも売る。
こういう事がイノベーションである。

もちろん、新開発した商品を売るというのもイノベーションになる。なぜなら、
そこには顧客が創出されるからである。技術をつなぎ合わせて新しい商品を作る事は
イノベーションではない。その商品がシーズとしてニーズを生み出すから、イノベーション
となるのだ。

スマホは、新しい商品だからイノベーションだったわけではない。みんなに受け入れられ、
それを利用する人間が購買する、つまり顧客を創出するサービスであったからイノベーション
である。

そういう意味では、企業はどんな部署でもイノベーションが可能である。

ところが、日本の多くの企業は、イノベーションをしない。
むしろ、ただ歯車を増やすという行為に耽ってしまったのだ。

何かトラブルが生じる。それを対策するために、新しいルールを策定する。
報告書を増やしたり監督する仕組みを作り出す。トラブルは減るかもしれないが、
それは、利益となんの関係もない。失敗作の商品が減る事は肝心なことだが、
それは顧客を新しく生み出す事ではない。どんなにこのような事に勤しんでも、
市場を拡張することもなければ、売上が伸びるわけでもない。ただマイナスが減るだけだ。

こんなことを仕事だと思ってやっている人たちがゴロゴロいる。それが企業である。
業務の歯車が増えるごとに、確実性が上がると断じれるなら良いのだが、むしろ、
無駄なコストが発生している。それは、金銭には見えないコストだ。

社員は余計な仕事が増えて、他にやるべきことへの時間が減る。
この極限状態なのが、今の教師問題だったり、ブラック企業だったりする。
本来はイノベーションすべきなのに、仕事っぽい何かで時間と人的コストを浪費しているのだ。
各社員が、努力と根性を発揮すれば、売上が伸びるならやれば良いが、そんな事は稀だろう。

管理が増えると、仕事量が一気に増える。
結果として、コストが増える。しかし、増えたコストをなかったものにしようとする。
それがサービス残業である。人減らしも同じ意味がある。仕事量があるのに、人が増えない
のだから、当然一人あたりのしごとは増えてしまう。それを努力や根性で行っているならば、
どこかで心がオレてしまうだろう。

結局、イノベーションをしない企業は、コストカットのみを目指すため、
社員の幸福度は減少するのである。それは転じて、消費者の質もまた下げていく。

コストカットした事で人々の給与が減れば、消費者がこの世から減ることになる。
企業は利益を確保するために人を減らしたが、結果、需要を減らすことになった。

先に戻ると、イノベーションとは顧客を創出することであった。
各企業がコストカットに勤しんでいるうちに、潜在的な顧客は減少を続けている。
顧客が減れば、イノベーションは難しくなる。商品を作っても売る相手がないのだから。

非正規社員化して給与を抑えるという事は、結局、経済を駄目にする。
ましてや若い人が非正規化すれば、どうなるか。そう、人口が減る。

ただでさえ、先進国になれば子供はコストがかかる。
日本ではここに、結婚が絡んでくる。結婚しないと子供を持つことは難しいのだ。
結婚するにはそれなりの蓄えが必要だと思い込まされているために、
若い人たちは結婚を避け、連動的に子供は生まれなくなる。

経済どころか、人口そのものが減る。

すると日本社会は、高齢社会なので、年金を確保するために保険料の値上げが必要となる。
保険料を値上げすると、可処分所得が減る。これまた、需要が減る事になる。

こうやって、日本政府は、日本を縮小化し、経済を停滞させている。
私から見れば、日本政府は国を滅ぼしたいのかなと思わせられる。
少なくとも、発展する気などサラサラ無いという事がよく分かる。
口で何を言おうとも、実態は、人口減らしであり、労働者減らしであり、
需要減らしである。日本政府がやっているのは、体制側つまり大企業や官製会社の
利益を確保する事だけである。全体の事など考えていないのだ。これが現在の自民党政治である。

金がないから未来の日本から金を借りている。そうして老人たちに配っている。
だが、生まれてくる子たちに、一体なんの罪があるというのか?

これらの事は、日々の小さな所に分散しているがために、致命的な事には
思われないかもしれない。目先のことだけを考えれば、このやり方で体制側は状態を
維持できるだろう。国の金を株式につっこみ、土地購入につっこんで、体制側の利益を
安定化させているのだ。

だから、安倍政権が始まった時に株や土地を買った人間の中には、
えらく儲けた人間がいるに違いない。だが、それはごく一部の人間たちである。

日々を自分の労働に見合った対価を受け取りたいというささやかな主張が
受け入れられる時代ではない。

そうしてしまったのは、非正規化などを受け入れた国民だったのだ。
まさかこんなことになるなんてと。田中角栄以後、変化してしまった自民党政治に
NOと言わなかったせいである。自分の事と無関係として政治を無視した結果なのだった。

とはいえ、まさかと思うだろう。
他人の可処分所得が減ること(非正規化)が、自分の首を締めるなんてと。
結局、一つの国に住む我々は、その統治が全体であるがゆえに、
一部の影響は全体に及ぶのだ。

逆に言えば、多くのトラブルは、全体の中における歪みとして生じてくる。
手当すべきなのは、そのトラブルだけではないのである。
それは、あたかも身体の変調と似ているのである。

人口増という流れの中で生み出された年金システム。
既に、人口減にもかかわらず制度を変えられないがゆえにモデルは破綻した。
破綻したが誰も責任をとらず、やみくもに数字合わせが続いている。
まさしくタイタニックである。

さて、ドラッカーは今の日本を見てなんというのだろうか。

可処分所得が減らされている若者たちの消費に訴えるイノベーションは難しい。
結果、老人たち相手のビジネスを選択することになる。もしくは富裕層向けの
ビジネスだ。だが、これらはパイが少ない。

結局、現代資本主義のいきつく先まで、ぼちぼち近づいたといえるのだろう。
売るべきものは大抵売ってしまった。イノベーションより、コストカットばかりを
試みた日本組織は、大方の日用品を粗悪品でカバーするようになった。そう、
100円ショップである。質が悪くてもなんとかなる。そういうものを思い切り
低価格で、金のないファミリー層に売っている。

もう少し金をかければ、持ちがよく長く使える商品があるのにだ。
これは背に腹はかえられないという事を表している。

現状を打破するには、需要を増やすことだ。需要を喚起するには、
給与が増えるか、減税するかである。とにかく可処分所得を増やさないことには始まらない。
その財源はどうするべきか。

溜め込んでいる資産ストックをフローにすれば良い。これが一つの戦略である。
これを間接的に進めているのが超低金利である。この20年で、貯金が株式や証券などに
流れていった。しかし、人々はモノを買わないのだ。


実をいえば、すでに気がついているからとも言える。
今まで散々、買わされていたものは、そもそも、無駄であったのだと。

人々の価値観はやや変化し、必要なもの以外は、シェアで良いとわかってきた。
これが現代のニーズである。

このシェアに最も最適なのがデジタルである。コピーしても商品の質は変わらない。
そして、インフラ上でやり取り可能である。

GAFAなどといった会社が隆盛を極めているのは、まさにデジタルのおかげである。
商品のカタログやチラシを紙媒体で宣伝したりするのは、相当なコストがかかる。
ところがデジタルであれば、一つ作れば良いのだ。かつてとは考え方が違うのである。

ここに現在は商機がある。シェアすればよい。

一方で、所有すべきものはなにか。
かつてステータスであったものは、今は徐々に意味をもたなくなりつつある。
大きな豪邸や、高級車など、そういう物質的なものの価値が相対的に下がっている。

他方、体験・経験などの価値が上昇しつつある。つまりリアルコミュニケーションである。

デジタル化は人との距離を拡大した。だが、人間はデジタル化を血肉にするほど
まだ生物的な変化は生じていない。人はやはりリアルだからこそ強い感覚を得ることができる。

よって、ライブや観劇などが売れるはずだ。がしかし、今はコロナである。
随分と水を差されてしまった。

とはいえ、確実に盛り返すのがこのリアルコミュニケーションである。
人はそれを求めているのだから。

また異なる価値観もある。カネではないという考え方だ。
カネを無関係にしたやり取り。実はここにこそ、上記の事柄を覆すイノベーションが眠っている。

人間が本当に望むものは、全て金を度外視したものである。
それなのに、金によって破壊される関係性がなんと多いことか。

我々はもう一度、何を求めるべきか考え直したほうがいいのかもしれない。
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