Zガンダム [雑学]

Zガンダムを今更ながら観てみた。全50話だ。

Zガンダムは、いちおうガンダムの続きとなっている。
アムロが活躍した1年戦争から、7年後の出来事として進行する。

私の誤解がなければ、物語を観ただけで判断すると、
1年戦争後に、ジオン帝国は崩壊し、連邦軍が地球と宇宙を支配する世界になっていると。
その中で、地球と宇宙の住民の間で認識の齟齬が生まれ、宇宙の民が地球から独立した
自治権を得ようという動きが生まれている。そんな流れだろうか。

元祖のガンダムも実は同じプロットである。
地球を支配する連邦軍に対して、独立を掲げたのがジオン公国なのだ。

スターウォーズで考えると、暗黒帝国が連邦軍で、ジオンがジェダイ率いるレジスタンスという
事になる。この視点でみれば、ガンダムとはダースベーダーの役割を担っている。

ガンダムの世界観の素晴らしい点は、悪と善と組織に対して割り切れないものを
きちんと提示することである。善悪は単純ではないとよくわかった人が作っている。
よって、勧善懲悪に馴染みすぎた子供や、おとなになりきれない大人が見ると、
なにやら分からない物語になってしまう。なぜなら、自分がよく知った世界観で
貫徹されていないからだ。

Zガンダムは、ジオン公国の崩壊後、連邦軍内において勢力を伸ばした「ティターンズ」と
それに与しない「エウーゴ」という組織の争いになっている。

ティターンズは武力を通じた世界支配と、地球の支配者による宇宙の支配という思想を是とする。
よって、宇宙に存在するコロニーに対して武力による脅しにより、自陣に引き入れる事を方針とする。

一方で、エウーゴは、宇宙における自治を志向し、地球の論理を拒絶し独立を求める。また、
ティターンズが企てる武力による脅しへの抵抗を試みる。

この争いの流れ対して、ジオンの残党が密やかに活動を続けている。

こうした地球と宇宙の二項対立と、ジオン残党という第三勢力という図式がZガンダムの背景だ。


よって、初見の人は何がどうなっているのやら、わからないし、おそらく私が小学生だったら、
物語についていくのは無理だったろう。現に大人の私ですら、上記以上の細かいことは、
調べてみないと分からない。(たぶん、上記で合っていると思うが、もしかしたら、誤解も
あるのかもしれない。)

細かい経緯がわからないが、なぜかシャアはジオンから離れ、エウーゴに合流しバジーナ・
クワトロと名乗っている。エウーゴには、他にホワイトベースの面々が絡んでいる。
ブライト艦長は、エウーゴの船アーガマの船長になった。他にも、エウーゴの船長に
ハヤトがいたりする。Zガンダムの主人公、カミーユ・ビダンもまたエウーゴに合流する。

アムロは地球に隔離されている。元祖ガンダムで、彼は「ニュータイプ」として覚醒した。
地球はそれを畏れたのだ。

その一方で、人工的に「ニュータイプ」を創造しようとした。彼らは強化人間と呼ばれている。
ティターンズは強化人間を戦闘に利用し、ニュータイプを要するエウーゴに対抗する。

強化人間は精神的に不安定になるという条件があり、それを洗脳によってバランスする。
それによって記憶の消去や改ざんが行われている。加えて、強化人間はニュータイプと
呼応する。

ニュータイプの能力は、同じニュータイプもしくは強化人間の心的状態を遠隔的に
傍受できる事。それによって、戦闘が有利になったり、事が明示化される前に、
状況を察知することが出来る。

主なニュータイプは、カミーユ、エマ、シャア、ファ、カツ、シロッコ、ハマーン、サラ、アムロ
強化人間は、フォー、ロザミア、キャパ

Zガンダムの文化は、およそ現代的に相容れない。おそらく富野監督の実体験が反省されている
のだろうけれど、現代にないシチュエーションなので、やや理解がおぼつかない。特徴としては、

・よく人が殴られる。ぶたれる。
・体罰を「修正」と呼んで肯定している。しばしばブライトは「修正してやる!!」と叫ぶ。
・敵と味方がやたらと交流し、しゃべる。(これは元祖でも同じ)
・女のあり方というテーマがある。(レコアを中心とした女の描写)

それにしても、カミーユはモテるんだか、メンヘラホイホイもとい、強化人間ホイホイで、
どうも、ニュータイプは互いに惹かれるものがあるらしい。

大戦の流れとしては、エウーゴが案外とうまく立ち回って、
辛くも勝利という事でいいのかしらん?

とはいえ、味方もエマ、カツ、(シャア?)や戦艦ラディッシュなど、戦力を大幅ダウン
させてしまった。このあとは一体、、という所で物語は終了。

戦いの多くは、ティターンズによるコロニー攻略作戦(毒ガス)を防ぐとか、
エウーゴが基地を攻められたり、逆にティターンズの基地を襲ったりする事で
生じている。

ガンダムはZになってマークⅡというカローラかよと突っこみたくなる名前でややグレード
アップしているが、初っ端にティターンズからエウーゴが奪い去る事に成功する。

物語の当初にカミーユはティターンズ配下のコロニーにいたので、ティターンズの
立ち位置なのかと思ったら、実はエウーゴの話になっていたという流れ。

カミーユの精神が妙に揺れていて、思春期だからとかではない異常さがある。
とにかく、色々と噛み付いて、殴られるというパターンが沢山出てくる。
意外なのは、殴られても別に平気という事だ。

実は大人たちがカミーユを殴るときは、一応のスジがある。いじめのような感情のはけ口
ではなく、スジを通すために行われるので、受ける側も予期があり、変な意味で健康なのだ。
まあ、殴ったからといって素行が変わるなんて理屈は通じないのだけど。


Zガンダムの見どころは、Zガンダムじゃあない。Zガンダムは敵よりもすごく強いわけ
ではなく、どっこいくらいなのだが、カミーユが能力を発揮すると強いという所で
安定している。よって、致命傷までいかない程度にやられるのだ。

シャアの百式に至っては、目立った活躍はないに等しい。ちょっと性能がいいMSという
だけにみえる。

そういう意味では、MSの魅力はそこまで強くない。

むしろ、Zガンダムでは人々の心理描写が最大のポイントだろう。
とりわけ、女性たちの有り様について執拗に問おている。

レコア中尉という隊員がいる。彼女は、どこに所属するかという主義ではなく、
自分の存在意義が確認できるという事に重きをおいている。

だからこそ、エウーゴから離れ、ティターンズへつく。
いわゆるアニメにおいて、ここまで露骨な裏切りというのは珍しいだろう。

裏切りとそこに関わる心理的な葛藤が無視されることなく、きちんと描かれる。
レコアは裏切り後に、ティターンズのやり方に納得できずに逡巡する。しかし、
自分の居場所はここでしかないと踏ん切りをつけてみたりする。

また、シロッコという男によって、自己存在を担保している。
割合と露骨なまでに女性の有り様の描写なのだ。つまり、女性はイデオローグではなく、
自己存在の意義、女として見られることに拘っているという事だ。

この描写の妥当性は女性にしかわからないだろう。
だが、およそ富野監督は、このような行為におよぶ女性を実物としてみたのだろうと思う。
ただ、女性が男性によりかかりすぎているという批判は大いにあろうと思う。
現在では、ここまで女性たちが男性に心理的依存状態にあるとは思えない。

カミーユは、自分がなぜ戦うかについて、そこまで悩んではいない。
だが、殺すという行為については、つねに致し方なしという点を選んでいる。
それはセリフという点で強調される。

・相手が立ち向かってくる時に、それを排除する他ない。
・敵が味方を攻撃した時

とにかく、積極的に殺すわけではない。とはいえ、やるとなったら案外と非道なのも
またカミーユの特徴である。


Zガンダムを観て、ひとまず思ったことは上記だが、大きな感想としては、
なるほど、善悪問わず、戦いに巻き込まれてしまった人々の葛藤などを
丁寧に描いたのだなと事。

それから、キャラクター的にも、美的なものばかりではない。
ある意味でリアルさがあるのがガンダムの特徴だ。

人の内面をロボットアニメで描こうという、それも宇宙スケールでという、
かなり無茶苦茶な設定で、ありながらなんとか、それらを束ねて、ガンダムという
MSやMAを登場させ、人間物語として成り立たせたのは、かなりの強引な手腕だったと思う。

大人がガンダムを観るのは、当然か。
そのくらいの人間性の表現がここに込められていると思う。
単に、メカがすごいとか、描写がすごいとかではないのだ。

果たして、ガンダムのメッセージとは、人間というものはこういうものだという事なのだ。

機会があればZZも観てみようかな。


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