金の巡りの問題 [思考・志向・試行]

金は経済の血液だ。かつてそういった人がいる。
実際問題、金は巡らないと意味がない。

その一方で、金は金を呼ぶ。そして吹き溜まるかのように互いを呼び合うのだ。
いまや大富豪たちはますます儲かり、他の人々はますます苦しくなる。

これは実力以上に、やり方である。
やり方が大いに問題なのだ。そして、その仕組みが駆動されたらば、
あとはその慣性に従って動いてしまうのだ。


日本人は真面目で勤勉である。
でもなぜ、今の現状があるのだろう?
20年も賃金は上がらず、一方で、物価はじわじわとあがってきた。
つまり貧乏になっているのである。

それは努力不足だったから? 否。
それはサボっていたから? 否。

金の発生原理を知っていれば、それは単純に社会構造のためと気づく。

金は負債の証書だ。誰かを利用するための券だと思えば良い。
そして誰かとは「借金」を抱えた人である。

こうかくと、何かヘマした人が働かされるかのようだ。
そうではない。現代日本では、生まれた瞬間に借金をして生まれてくる。
それは、実際的に自分の生を保持するためであり、一方、国の維持のためである。
日本人は生きているだけで、じわじわと国から金をむしり取られるのだ。

それがネーションステートの本性であり、誰もが働かざるを得ない制度となるように
心がけてきたせいなのだ。それは自然の摂理ではなく、単なる人為的な制度に過ぎない。
よって、この限りではない国や場所は存在するし、ときが変われば、全く違う世界になる。

だが、残念ながら現代日本に生きている。

金は誰かの借財なので、全員で金儲けしようと思ったら、誰かに借金を背負わせなければならない。
そして、これを国をあげてやっているのである。日銀は銀行に国債を売り、国債を買い取っている。
こうして、国の借金として、生まれくる子どもたちに借金を背負わせているわけだ。大人はずるい
のである。

それだけではない。現状の制度では、あらゆる老人が国にたかっている。老人だけではない。
多くの企業もまた国にたかっている。結局のところ、国にたかる手段をもつ団体だけが生き延びる。
そういう仕組が日本の現状である。

日本は内需80%と言われている。よって、国民が借金をして、その金を巡らせることで
経済が回っていく。では誰が借金をするのだろう? 

かつては、村の若者達であった。戦後の復興は、若者たちがモノを欲し、借金をすることで
回っていたのだ。若者たちは増えた。ベビーブームと呼ばれ、人口が急激に増加した。
すると、経済に参加する人間増える事になる。人口の増減は社会の景気を説明する原理である。

よって、人口増え続けなければ、経済は回らないのである。
もしくは一人あたりの消費が過剰になるかである。だが、1人の人間には一日24時間という制約が
あり、活動するにしても2倍も行動できるわけではない。人口増加が抑制されれば、借金は減り、
消費はへり、経済は停滞していく。

経済が停滞すれば、仕事が減る。仕事が減れば、賃金も下がる。なぜなら、人の方が余るからだ。

これが頂けない。国は慌てて、公共事業を展開する。とにかく金を循環させようと色々な手段を
講じようとする。それが短絡的に現れたのが、リニアであり、都市開発であり、オリンピックで
ある。自民党はそれしか知らないので、金を動かすことだけを念頭に、国にたかってきた人々の
言いなりになってきたのである。

経団連を始めとする企業はいまや、政治を動かす。政治家たちの商売は票がほしいというただ
その一点であり、サル山のボスになりたがるという事だけだ。結果的に、賄賂の金欲しさと、
金をつかった集票により、金と政治は癒着を繰り返す。よって、政治は理念では動かず、
金というバーチャルなもので動いていく。

庶民はどうか。仕事がきつくなる。今までと同じようにしていたのでは売上は下がってしまうからだ。
その理由は人が減ったからである。若い人が減った事で消費が下がったわけだ。結果、売上も下がる。

ところが企業は従業員に給与を約束している。だから、金をなんとか工面するために、
売上が減るならば、コストを下げれば良いとコストを切り下げていく。つまり労働単価を下げた
のである。それは非正規雇用増大と、正社員のサービス残業という形で行われた。

このしわ寄せは若者にいく。若い世代に金が回らなくなったがゆえに、消費自体が減る。
すると企業の売上が下がる。売上が下がると非正規が拡大し、正社員の仕事量が増える。

社会には低賃金の職が溢れ、正社員が減り、正社員の一人辺りの実質給与が下がる。
すると、金を持たぬものは、消費を諦めるようになり、正社員は金を使う時間がなくなる。
労働者は結局のところ、消費者である。その消費者が減れば、売上が下がるの必至である。

国は票田や金づるになる経団連などの企業側の言うことばかりを聞く。金と票があるところが
政治家のたまり場なのだ。そうして、企業体が生き延びる方策ばかりが進められた。

企業体が生き残ることと、労働者が幸福になる事は別である。
むしろ、企業体がなくなっても、労働者が幸福になる道を探るべきなのだが、政治家や
行政はそうは考えないのだ。常に金勘定だけが頭にあるので、直接的に「取引」がある
相手とだけ交渉するのである。

結果、労働者はいちばんおいていかれてしまった。しかし社会の構造上、いちばん景気を
決めるのは労働者たちの賃金である。それが一番ないがしろにされているがために、
日本はちっとも、経済発展していかないのである。

この政策は、子供を減らすだろう。少子化対策が聞いて呆れるのは、労働者の生活を
楽にするというのが本筋なのだが、国は労働者の生活こそ犠牲にし、それでいて、金を
補助金という形でばらまくことで、少子化対策などとのたまっているのだ。全く転倒している。

こうして子供が減れば、人口による経済効果はますます下がる。
結局の所、日本の行政は自分で自分の首を締めていると言っても過言ではない。

労働者の中でも、正社員になった人々は幸福だろうか?
仕事量は増えているにも関わらず、給与はほぼ横ばいが続く社会。
こんな状況で一体誰が、頑張るというのか。

仕事で疲弊した人々は、愚痴をこぼす。そのはけ口はネットやSNSに流れる。
または、社会における人間関係に影響する。余裕のない人間たちは、心理的に疲弊していく。

しかし、正社員は仕事にしがみつく。だからサービス残業も仕方がないと受け入れる。
これが最大の問題なのだ。そうやって給与が増えない仕事が増えると、実質賃金は下がる。
それだけではない。本来、その仕事をやるはずだった人間たちの仕事が奪われるのである。

10の仕事を5人でやれば、一人は2で済む。
しかし、仕事の効率アップで、10を2人でやれば、一人あたり5の仕事量になる。
会社は、支払う金額は二人分なので、三人分がうくことになる。

企業からみれば、それは良いことだが、社会的にみればそれは悪なのだ。
一人あたりの仕事が増えたことで社員は疲弊する。本来ありつけたはずの仕事が失われたのだから。
要するに仕事の効率化とは、社会を疲弊させる要因である。もちろん、企業の売上にはなる。

こうして搾取した金はどこへいくのか。それが内部留保である。
現在の企業は過去最高の内部留保ではなかった。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201031/k10012689381000.html

要するに、企業には金があるのに、それを給与にしない上に、
それらの資産をつかって、金融業をする始末である。自社株買いなどに走るのだ。
それは、株をもつ経営陣や株主たちを儲けさせる。経営者たちは株価を上げることで、
自分の懐が潤う。本来は、労働者に回すべき金なのにだ。

この状態は先鋭化される方向にしか動かない。なぜなら、社会制度がそうなっているからだ。
自分たちの個々の置かれている状況は、この全体の流れを維持する方向にしか動かない。

仕事がほしい人がいるとしよう。
正社員を受けるが、落ちる。そんな事を繰り返していれば、やむをえず非正規になるだろう。
生活のためである。こうして非正規になれば、本来的にもらえる仕事や賃金から離れてしまう。
しかし、一方で企業側は、安い労働力が手に入ったと喜んでいる事だろう。

つまり、現状というのは、企業側そして、企業からおこぼれに預かれる人々にとって
良い状態なのである。それは誰か。本質的には資本家である。

資本を持つ人間が儲かるというのが、この現状の仕組なのだ。
株主になれば、企業がやっている労働者搾取の一部を受け取れるのだ。
日々の労働なくして、金を手に入れることが出来る人々。そういう人達が維持できる
ような仕組みになっている。

なぜなら、仕事がほしい人間がいるからである。

なぜ仕事がほしいのか。それは借金があるからだ。
生まれてきたばかりの子に借金はないじゃないか。いや、それは嘘である。
日本に生まれた人間は生活に必要な金を稼がなければならないからだ。

これは別に当たり前ではない。金を稼ぐことは人類にとって、この数百年で生まれた
ごく新しい習慣である。がんらい、人間は身の回りの食べられるものを拾ってきて
命をつないでいた雑食性の動物なのだ。

金を稼ぐという事は、人間という動物の生得的行為ではない。ただの副産物に過ぎない。

すでに蓄積された資本を持つ人間たちにとって、
労働してくれる人間が生まれくる社会は繁栄させておきたい。
そのために何が出来るのか、何をしておくのか。これが彼らの仕事なのだ。

人口が増えれば、おこぼれに預かれる人間が増える。高度経済成長とはそういうものであり、
現在の社会システムは、金を持つ人間たちに有利になるように次々に組み替えられていると
言えよう。そうして仮に人口が増えても、かつてのように庶民がおこぼれに預かれる状況では
なくなってきた。

受験システムとは、体制側に有利な人間になる訓練である。
そして体制側に入るためのきっぷである。だから、あんなに必至なのだ。
体制側に入れば、資本をもつ人間たちの番頭にはなれるのだ。そしてあわよくば、
資本家の仲間入りが可能かもしれない。

人生のチャンスとは、所詮そんなものの事である。

現状を疑い、現状から飛躍して思考すれば、上記のようになる。
では、一体、1個人として何をするのか。

今更、体制側に入って、人生をやり過ごそうとなどとは思わない。
だが、現状日本では体制側にいないと、つらい日々となりがちだ。
それは、決して楽な道ではない。

といっても、日本にいるだけで強要されるのが、金を稼ぐことだ。
生きているだけで、それを強要されてしまう。自分で作りだすわけにはいかないからだ。

こうして、閉じ込められてしまう。

起業でもすればいい。そんな声も聞こえてきそうだ。
しかし、それもまた金の奴隷である。体制側にいるよりいささかマシという程度なのだ。

人生一度きりだが、今生はこの状態に甘んじるほかないのだろうか。

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