「いい子」の心 [思考・志向・試行]

人は自分の体験でものをいう、また考える。
心理学によれば、それは無意識にまで及ぶらしい。

人は3歳までの事はおおよそ忘れるようになっている。
それは脳のサイズアップと配線の変化によるものだろう。
とはいえ、全く忘れるわけではない。

3つ子の魂百までとは一般には性格について指し、性格的なものは変わらない
ということわざである。だが、心理学上、性格は変わることが知られている。
全く変わらないということはない。

では3つ子〜は、誤りかといえば、そうではなく、おそらく、その頃に
経験した事柄は一生ついてまわるという事なのだ。

アリス・ミラーの「魂の殺人」によれば、ヒトラーは父親に折檻されて育ったという。
そのような強烈な「教育」によって、彼は心を歪めたのだろう。あの惨劇は彼の虚栄心
や権力欲だけではなく、およそ絶望や恐怖によって引き出されたといえる。

加えていえば、社会的「成功者」もまた同様であるという。アリス・ミラーの
「才能ある子のドラマ」によれば、才能ある子であった大人たちに共通の心的状況が
あると解説される。それは親による「生殺与奪権の譲与」である。いわゆる「いい子であれ」
という事が。

一見すると何も悪いことに思われないが、大人が望むようないい子とは、抑制を自らに課した
鬱屈した心の事である。子供は明に暗にそれを嗅ぎ取り、親の望むような行動を是とするように
心がける。子供は自分の希望や願望に蓋をするようになる。

この「いい子」であれ、をやぶったらどうなるか?

親には常に生活を補助するという立場があり、子供はそれに頼るほかない。
つまり、構造的に子供は親に依存するように出来ている。その子供が親ののぞみに歯向かえば、
生存が脅かされることになる。そこまで過激ではないにしても、嫌われることは不利になる。
兄弟喧嘩とはおよそこのリソース争いであることを思い出せばよく分かるだろう。

よって、いい子がたまたま「才能がある」と、時に社会的に成功を収める。
お受験を勝ち抜いて、慶応や東大に入るような子になる。だが、その行動は果たして、
本人の希望だったのか? 自分の人生が「親の所有物」であることに気がついた時に人は
精神的苦難に陥るのである。

才能あるいい子は、学校でも会社でも同様の態度を取り続ける。上司に嫌われないように、
先生に嫌われないように、友達に嫌われないようにと。家庭をもっても、伴侶に嫌われないように
子供に嫌われないように。そうやって、人生を「慎ましやか」に生きようとする。
それがいい子の生存戦略だからだ。

では、このような子が何かパワーをもって行動するだろうか?
時に良いめぐり合わせがあるかもしれない。けれども、つねにビクビクしながら生きるスタイルは
平均台の上を踏み外さないように歩くことに近い。周りの期待に応える事が人生の大目標になり、
失敗は許されなくなる。なぜなら、失敗することは「生殺与奪権」の執行につながるからだ。

こういう心理によって、常に背水の陣を引くような生活となる。
しかし、全ての「いい子」が成功するわけではない。

始めからいい子が出来ない人はとっくにこのゲームから降りるだろう。
一方で、いい子が出来てしまう才能がある子で、中途半端な能力であれば、
どこかで無理が来るだろう。例えば、大学受験の失敗。就職の失敗。恋愛の失敗。
いい子は絶望する。その絶望は、時に無気力を作り出す。アパシーになる。それならまだしも、
うつ病になったり、自殺願望を持ったりする。

結局、いい子は、行動そのものに意義を見出していないがために、
その矛盾が露呈すると非常に脆いのだ。

恐ろしいのは、いい子が本当に才能に恵まれた場合である。
どんなに苦しくても、ここで合格しなくては!とか、ここで失敗できない!とか
猛烈な焦燥感によって、うまくこなしてしまう。そして、それが成功するとホッとする。
これを日々繰り返して行く事で、あたかも人生がうまくいっているかのように見える。

周りからみれば、とても優秀な人として映るだろう。そして凄いと思われるだろう。
だが、本人は地獄にいるようなものだ。火に焼かれないために、全力で努力する。
そうしてからくも逃げ切るということなのだから。

これをやり続ければ、社会的地位も向上する。そうしてどんどん自分の身に付加的なものを
増やしていく。キグルミを重ね着するようなものだ。その反面として、どんどん本当の自分を
見失っていく。本当の自分の願いが分からなくなる。だから社会的な価値に身を委ねる。
そうして「これでいいんだ、いや、結構うまくいってる」と自己暗示をかけ続けるのである。

しかし成功者が時に、絶望を抱える。それはもしかすると自己暗示に気がついたからではないか。
気がついてしまった人は、狼狽する。その一種がいわゆる「中年の危機」と呼ばれるものだ。

一方で、気がついても、気が付かぬふりをすることもある。
そのような時は、真実に触れるような事柄が発生すると、いい子は激怒する。
自分の存在をけなされたと感じるからだ。そして、常に周りからの承認が必要となる。

その承認の代表例がいわゆる肩書である。
肩書を誇るのは、中身がないからだ。何をしているかより、どんな認証を与えられているかに
重きを置くがゆえである。それに拘泥するのは、自分の存在性をその認証が支えているからである。

中高年が、若者をなじる。その中には組織的な必要性がある。だが、その一部は、承認欲求を
満たすためでもある。ハラスメントの多くは、心が空洞化した人が、自己を空洞化した論理の
否定に出会った時に引き起こす。「俺はお前の上司なんだから、尊敬しろ」とか「言うことを
聞け」と思っている。なぜなら、いい子は権限あるものに服従する事なのだから。自分はずっと
そうしてきたのに、なぜお前はそれをやらない?という心情なのである。その不服従にカチン
と来る。それがハラスメントを引き起こす。

権限や権力を使って嫌がらせをするのは、仕返しなのだ。
本来は、直接加害者に返せば良いのだが、親はもういない。
だから、身近な弱者に向かうのである。虐待は連鎖するようにハラスメントも連鎖するわけだ。

ハラスメントを防ぐには、自分の本性に気がつくほかない。
お仕着せの人生ではなく、自分の人生を送っている人間にしか、ハラスメントは脱出出来ない。

「いい子でいなさい」と親から言われて育った人は、
子供には決していわないで欲しいと思う。それは、ハラスメントの萌芽に他ならないのである。
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