映画「それでも夜は明ける」 [その他]

映画「それでも夜は明ける」を観た。

かなり重たい話だ。奴隷制が残るアメリカの話。以下にネタバレを含みます。








奴隷制が残る時代に、ヴァイオリニストであってソロモンは、地方を回っていたが、
一緒に演奏していた白人に裏切られて、身柄を奴隷商に売り飛ばされてしまう。
彼は本来、自由黒人という地位にいた。つまり奴隷ではない黒人である。

この辺りがとても気になったのだけど、ひとまずそれはおいておこう。

川を下って、南部へいく。その農場で働くことになる。最初は木を切り出す仕事、
綿花のつみとり仕事に精を出す。いや、無理やり働かされる。いつも白人が銃をもって
監視しているなか、理不尽な仕打ちを受ける。彼は抵抗する。そして、何度かピンチに
なるが生き延びてゆく。

白人の農場主が、奴隷を使用することが当たり前だった時代。今日では
みられない光景なだけに、日本人としては不可思議な話に聞こえる。

ソロモンは、最終的に小屋を建てるために来ていた白人の信用できるエンジニアが
家族に連絡をしてくれた事で、戻ることが出来た。さらわれてから12年である。
そして、この話は実話をベースにしている。

ソロモンのように帰宅できた例は稀だったらしい。おそらく、相当に幸運だった。
むしろ、奴隷として働かされた黒人たちの殆どは、労働力として生涯を真っ当したのだろう。


映画はこの奴隷の現実をまざまざと見せてくれる。非人道的な仕打ちは観ていて辛くなる。
文字が読めるというだけで、敵視されたり、奴隷らしくしないと身の危険があるのだ。
女性の奴隷は、性の慰みものになったりする。白人たちの極悪非道さに驚く。

そして徐々に、思い始める。奴隷制はなぜ終わったのかと。
こんなにうまく利用出来るならば、そのまま続いてもおかしくはなかった。おそらく、
状況が変わったのだろう。それは労働力の機械化や、奴隷よりもむしろ消費者としての
労働者の方が都合がよいと気がついたのだ。

すると、この話は究極的には、現代社会の話でもある。奴隷として働かされる図は、
経営者に社員として働く労働者だろう。上司のいうことには服従する。それに逆らうと
なんらかのペナルティを食らう。でかい企業なら、出向や転勤、場合によって減給など
だろう。奴隷時代のようにむち打ちはない。けれども、精神的な鞭打ちはある。
それに耐えるのが良い社員であり、良き労働者である。状況はまったく黒人奴隷と何が
違うというのだろう。

経営者は、自分たちで奴隷の生活を囲い込むよりも、奴隷自身を金をつかって操り、
奴隷自身が、更に労働者としての子どもたちを育ててくれる仕組みがあれば、経費は削減される。
彼らが金を持てば、彼らにローンをさせることで、更に金をせしめることが出来る。
結局、奴隷制でなくても、彼らが利益を得られるからこそ、奴隷制は終わったのだろう。

マンションの間取りというのは、フランス炭鉱の炭鉱夫のための家で、そこには、
性欲のための嫁と、労働者の再生産としての子供がすまえる場となっていた。この話が
本当かは疑問があるが、一種の家畜のようなものである。家畜に金を渡して、自分たちで
繁殖し、次々に労働者として育つ。それを経営者・株主側は利用して、金を儲ければよい。
そして、それなら、大義名分が成り立つというものだし、聞こえも良い。そんなふうにすら
思える。

仕事を他者に依存するということは、大きな枠組みでみれば、奴隷制度の変形版に過ぎない。
それを踏まえた上で、奴隷の側はシステム利用を考える他ない。経営側が生み出す枠組みの
中で、評価され認められるという行為は、本質的に奴隷根性となにも変わらない。出世の
ために、ごまをすったり、社内政治をしたりするのは、奴隷がマスターに媚びへつらう事と
どう違うというのだろう?そして現代のマスターは投資家に傅く。

大枠でみれば、自尊心がないがしろにされながら多くの人が生きている。そして、それに
まるで無自覚なのだ。本当にそんな仕事をしたかったのか? 良き仕事についた人は問題ない。
だが、そうでない人たちは、金のために働く。それはむしろ、奴隷たちよりも状況が複雑に
なり、自分が本当は何をしているのか分からなくなっている。

奴隷制ではなく、労働制を取り入れた支配する人々は、金という武器の意味をよく知っている。
そして人間をよく知っている。人は、ムチで打たれるよりも、褒めたり金でつった方が、よく
働くのである。まだ日本では些か理解が足りないために、ブラック企業のように人を遣いつぶす
人達がいる。デフレで代えがいる時代である。ならば、使えるだけつかって駄目になったら
新しい奴隷を買えばいいのだ。ならば、失業率はゼロでは困るわけだ。むしろ、なるべく職は
少ないほうが良い。そしたら、金で労働者をうまく釣れる事になる。

金がないと惨めだとか、働かない者は駄目だとか、そういうプロパガンダを社会に流して
おけばもっとよい。金をつかって豪華なサービスを受ければ、恰も金持ちになったような
気分になれると。金持ち体験コーナーにせっかくの労働対価を惜しみなく投じる。それが
流行であり、欲を喚起させるサービスである。そして、都市近郊に家を買うことが甲斐かの
ように喧伝し、つらい通勤を恰も当たり前かのようだ。だが、そこまでして生きているのは、
本当の人生なのか?

いやはや、いやな映画をみてしまった。いや、とても素晴らしい映画だった。
白人の非道さと、奴隷なる労働者の始祖を観た気がする。ぜひ労働者たる人たちに
観てもらいたい。そして、日々の仕事について反省してもらいたい。

ソロモンは、農園を脱出し家族の元に戻れた。そして奴隷解放活動に参加する。
彼の最後は謎なのだ。それは一体どういうことなのだろう?
https://ja.wikipedia.org/wiki/ソロモン・ノーサップ

12年もの間、耐えたソロモンはすごいが、その背後にどれほどいるのか大きな犠牲の
上に、僕らが生活していることは忘れてはいけない。




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