フェイクニュースとは? [思考・志向・試行]

笹原和俊氏著作の「フェイクニュースを科学する」を読んだ。

その要諦は一言でいえば「フェイクニュースほど拡散する」ということだ。
どういうことか。人々がどんな事を話題にするのかを考えれば良い。
うちのタマが子猫を産んでさ、とか、あっちのスーパーのほうがアジが安いとか、
そういう話は対して拡散力は持たない。むしろ、非日常的なものや、感情的なものに
人々は振り回される。

だから、芸能人の話も、結婚や映画やドラマの話など以外の、不倫や批判などに
耳目が集まる。要するに人は、感情を喚起されるものを流布しやすいのである。
フェイクニュースが問題になるのは、感情を喚起するものとして、デマや不信がばらまかれる
ところにある。

まず前提として、常日頃持ち合わせている常識の歪みがある。
特定の人は、高度成長期に国の存続や発展という物語にライドし続けてきた。
もっぱら団塊世代だろうが、彼らは仕事というものを国の発展という目的のためと認識し、
そこを拠り所として、日常的な抑圧に耐えてきた。戦争で敗れた人間たちの心理として
暴力として欧米を凌駕するのではなく、経済で追いつこうという視野狭窄状態にいた。

だからこそ、高度経済成長を無目的に肯定し、その後に訪れる停滞期を’問題’として扱う。
元来、人類は昨年度、同じ事が繰り返されればそれで十分であった。しかし近年は経済成長
こそが通常であるという歪んだ世界観に侵されてきた。

さて、そのように歪んだ思想の持ち主たち(といっても、かなりの割合だ)にとって、
中国や韓国を始めとするアジア圏は日本よりも後進であるという蔑視感情がある。
そして、欧米を主たる目標として自分たちのライバルとみなしてきた。この心理的構えは、
敵愾心を煽るのに、ちょうど良い。いまや50〜70代という戦後に育った人間たちが政治を
行っている。彼らはこの戦後行動成長期のエートスを内面化し、そこに自らのアイデンティティを
構築してきた。要するに、国差別主義者たちだ。多かれ少なかれ、戦後世代は差別主義者である
と言って良いだろう。それは時代のエートスであり、そのような風潮を生き延びた人々には
仕方がないとも言える。アジアを蔑視し、欧米を賛美するような下らない思想なのだが。

一方で、靖国の母というような良妻賢母型思想が色濃く残った。生活において女性たちが
どう振る舞うべきかは、社会の基盤を形成する。女性たちは息子を兵士に育てる事を是とした。
しかし時代は暴力ではない。だから、彼女たちは息子を企業戦士にするべく育てる事にした。
出来る事は、息子たちに国関連の企業へ就職させ、国の発展に貢献するという物語を遂行する
事である。財閥や官僚、大企業とは要するに国組織だとみなされてきた。そういう本音は
隠されてきたのだが、結局、大衆はそういう認識にある。団塊世代自体がこれらを浴びて
育ち、それが人生だと思わされてきた。結局、男も女も、国が発展するという大きな物語に
ライドし、事実、その恩恵を受けて育ったのが現在の政治の中核となる集団なのだ。

すると、政治家達や大企業、官僚の幹部たちは根本的に差別主義者である。多くの人が勘違い
しているのは、いつもはPCに沿った良い人間たちであって、ときおり粗相するという風に
思い違いをしている事だ。違う。現状において社会を動かす権力装置にいる人々は、根本が
差別主義者である。その上に、現代的な平等主義やリベラル思想が接ぎ木されているだけ
なのだ。

よって、現代政治は基本、差別的な思想を基盤とする。それは戦後に盛んに取り入れようとした
リベラル思想を排除する。そもそも社会はそんなものじゃなかったからだ。国が一丸となって、
高度成長を遂げたという思想こそが本音だからだ。差別は大前提である。それがここに来て
急速に表に出てきたという事だ。元来、差別主義者たちなのだから、そのような言説こそが
本当だと思っている。そのPCに反するような言明は今までずっと抑制されていたのだが、
それがネット上に漏れ出てきた。それが現代のフェイクニュース騒動の背後である。

フェイクニュースは、差別主義者にとっては肯定し得るものである。差別発言、たとえば女は
子供を生む機械というような事柄は、彼らの本音である。だから質が悪いのだ。そして、その
ような内容は、人々の感情を喚起する。すると、そのニュースに注目が集まり、拡散される。

笹原氏はフェイクニュースをこうまとめる。
1.受けての意見や価値観、思い込み、偏見に合致するニュース
2.受けての道徳的感情を刺激するニュース
3.みんなが評価するニュース

つまり、もともと差別的であり、人格的に劣る人間たちによって、フェイクニュースが
拡散されてゆくという事である。それは現代の政治を担う人々の人格的劣化の問題であり、
彼らの本心の問題なのだ。

女性たちは偏見をもつ母親に、女性の振る舞いを押し付けられ、息子たちは企業戦士にされる。
その男たちが作り出す企業という虚像は、武器から書類に変え、金や情報を用いて敵を駆逐する
という思想性を背後に隠し持つ。そうやって小汚く商売をやってきた人々が、表向きは如何にも
まともですよとポーズをとる。この乖離が甚だしい事が、若者にアパシーを生み出させる。
常に日本社会はダブルスタンダードのメッセージを送り続ける。精神的におかしくなるのは、
必然的であろう。

ゴッドファーザーはイタリアンマフィアであった。その息子の一人は、きちんと大学へ行かされ、
政治家や実業家にさせられている。結局は、ゴッドファーザーになるわけだが。まさに日本社会
の縮図のような話だ。暴力装置としての企業があり、その彼らのファミリーが拡大すると、
如何にもまともな事をしているかのように振る舞う。それは社会の要請なのだが、そのような
仮面をかぶると、実体と表面に大きな断裂がうまれ、それは精神的な分裂を引き起こす。

フェイクニュースが拡散するのは、分裂した精神の叫びであろう。嘘かどうか、事実かどうか
よりも、自分の本音に合致するかどうか。それだけが問題だからだ。そこに理性的な思想や
人間的な優しさや思いやりは存在しない。自分の発言が、人々にどういう影響をもたらすのか
考えられないほど、知性が劣化したのが、フェイクニュースの問題点なのだ。

本音をいって何が悪い。

おそらく、それだけなのだ。フェイクニュースなど、それで説明がつく。差別主義者が
差別発言をしている、ただそれだけの事なのだ。良心や発言によって毀損される人々の感情
とか、社会不安を煽ることなど、頭によぎりもしない。そういう本音だからこそ、同じ本音を
もつ人々によって拡散される。そして仲間がいたのだと安心する。こうして思想がエコーチャンバー
内で反響しあい、その思想の愚かさや、非道さは認識されないままになる。


差別的である事が、行動成長期には適応的な思想であった。あえてこう断言しよう。
それはコンプレックスであり、行動の原動力である。しかし、現代にはそぐわない。
もはや、死んだ思想である。その死んだ思想がなぜ現代に蘇るのか。思想とは恐ろしいものだ。
若い頃の思想性は、もはや変えられないのだろう。そして、抑制の努力も中高年になると
難しくなるようだ。脱抑制的になるのは、オヤジの証だが、そのような思想をもった人間
だらけになるのがこれからの日本である。既にモンスター化は進んでいる。中高年の
マナー違反は目立つ。これは今後ももっと大きな問題を生むだろう。


残念ながら、現象の原因が分かっても対処法は思いつかない。差別主義者に向かって、
お前は、差別主義者だと叫んでも、そんな事で反省するはずがない。本来、人社会では、
そのような差別主義者は軽蔑され、主要な立場から追い出される。しかし、差別主義者
だらけなので、誰もそれを実行することはない。戦後の教育の失敗が現に現れている。
今の、50〜70代には大いに反省してもらわないといけない。まあ、聞く耳など持たないだろうが。

彼らの常識における正義は、国の発展という物語の肯定である。自分がしがないサラリーマンで
あっても、大きな物語の正員であると勘違い出来る事は、不幸なことではない。ましてや、
自分たちの時代によって国が発展したという自負があるならばなおさらであろう。実績がある
などと、勘違いしているのだ。それはただの人口ボーナス期であっただけなのだ。

差別主義によって国が発展した。残念ながらそれが真実なのだ。
そして、差別主義によって国が傾く。どうもそれも真実のようだ。
最大の問題は、彼らはそれを常識であると思い、差別主義であるとは思わないことだ。
どうにもげんなりする。

そして、恐ろしいのは、彼らの思想をあびた若者が育っているという事だ。
差別主義の拡大再生産ではないのか? 昨今の若者の安倍政権支持を見ると、
差別主義が蔓延し始めていると思わざるを得ない。それはどうやら、浅はかな知恵と、
本音を語るという態度に、共感しているかのようだ。

社会的状況が悪い人は、本人の努力不足とのたまう若者は多い。
それは悪平等主義の誤援用であり、能力の平等主義という完璧な間違えの思想をベースにしている。
人は元来、違う。違うのだから社会的役割も違ってくる。そこに能力が努力によって生まれると
いうファッショが入り込むことで、できないのは本人の努力の問題だと認識する。
こうして、若者の高学歴エリートは能力差別主義者になる。

この差別主義は、団塊の連中が持つ、差別主義に接続する。
つまり、アジアが経済的に劣っているのは、彼らの努力が足りないからだと。
原因と結果を入れ替えて物事を浅はかに語る。これが、若者の陥る差別主義である。

そもそも、劣っているかどうかなど、基準がなければ決まらない。国の良し悪しなど、
本来的に決めようがない。出来もしないものを出来るかのごとく考えるのは知性のたりなさ
であり、その誤った思想をベースに差別を助長するのは愚昧である。

歴史をみれば、欧米諸国による過激な暴力が、アジアやアフリカを貶めたのは事実である。
そして先進国の繁栄とは、彼ら第三国の人間たちの血によって集められた資本に端を発している。
客観的にみて、極悪非道なのは欧米である。その欧米中心史観に日本が染まる理由はない。

欧米人の思想的精神疾患は、とどまるところを知らない。特にアメリカは重病だろう。
それなのに、それに追随する日本はアホとしか言えない。日本という国は、精神疾患のマネを
するという異常の上に成り立っている社会である。これで幸せだとか言っているのは、
井の中の蛙大海を知らずだ。まあ、知らずに生きるほうが幸せかもしれない。

生活者は、ほどほどに幸せである。一方で、サラリーマンは一番不幸な生き方かもしれない。
日本のオヤジ達は、自分の不幸を直視できない。だから、日本国の発展という幻想にすがる
のだ。昨今、その幻想を演出する装置に成り下がった政府。新しい東京タワーを立て、
新しい新幹線をひき、新しいオリンピックをやり、新しい万博をやる。幻想を現実化したい
かなしいオヤジ達の悲哀だけが映る。

若者はそんなものに巻き込まれたくない。愚かしい懐古主義と差別主義。どうにかならぬものか。
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