快不快の基盤 [思考・志向・試行]

脳には扁桃体と呼ばれるインターフェースがある。
これは大脳や皮質下からの情報を受け入れて、怒りや不安の感情を喚起する部位である。
統合主体なのか、単なる中継基地なのか、現段階でははっきりしないが、明らかなのは、
怒りなど負の感情において重要な機能を持つという事である。類推としては、海馬のすぐ
そばにあることから、不快な情報を記憶できるようにする仕組みのための装置であると
考えられる。

さて、この扁桃体があるから不安や恐れが生まれると思った人はかなりズレていることを
認識してほしい。脳には特定の機能を担う部位があると考える、これを大脳機能局在論という。
この視点からみれば、扁桃体はマイナス感情の出所になると言える。だが、その部位があると
いう事とマイナス感情を体験する事は別である。更に、そもそも負の感情がなぜ生まれるのか
という事に何も答えないのである。

扁桃体から発生した情報は海馬だけではなく視床下部や大脳皮質に向かう。
大脳皮質に送られた情報があって始めて我々は情動体験をする。まずこれだけみても、
扁桃体そのものに情動があるわけではない事がわかる。また、視床下部の前部と後部では
役割が違う。猫の実験では、大脳を取り払うと、ささいな事で怒りの行動が表出された。
視床下部前部を取りさっても、同様であるが、視床下部後部まで取り除くと怒りの行動表出は
収まった。この事の意味は、扁桃体は恐怖情動中枢というよりも情報集約でありインターフェース
としての意味合いが強い事がわかる。

脳だけを眺めても、中枢という概念がピントがずれているわけだが、もっと言えば、
快不快と何かという点においても、勘違いがはびこっている。扁桃体が快不快を判断すると
考えてはいやしないだろうか?

不愉快な事柄が当たり前に思えるので、その不愉快な刺激自体の処理系をもって、快不快の
判断を行っていると扁桃体を眺めてしまう。だが、その本質は生命原理である。生物体は
すべからく「生き延びること」を命題に持つ。それが生き物の道理であるからだ。つまり、
外部刺激自体が快不快を持つわけではないという事である。それが生命を脅かすかどうかが
問題なのだ。

生物には、嫌気性生物というのがある。彼らの一部は酸素に触れると死滅してしまう。
多くの現存する生物はむしろ酸素を消費してエネルギーを抽出する。つまり好気性だ。
この意味は、生物にとって必要なものと不必要なものはアプリオリにあるわけではない
という事である。どんな成分も時に有用になり、時に不要になる。選好があるのだ。
逆にいえば、特定の身体を持つ生物は、特定のモノを好む性質を持つ事になる。

快不快を決めるのはこの原理である。快刺激であるとは、生命原理に反しないもの、もしくは
促進するものである。不快とは生命原理に反するものである。

我々にとって、これは意識が決める作用ではない。遺伝子に組み込まれた作用である。
砂糖は人にとって快である。だから沢山とりたがる。それはエネルギーとして生存を担保する
からだ。現代は過剰にとり過ぎて、肥満や糖尿病になってしまうのだが。同じく脂肪も同様
である。あらゆる快とは生命原理に依拠する。

扁桃体はこの弁別を瞬時に行うのだ。大きな音がすれば、身をかがめる。それは大きな音とは
生存に不利な情報であったからだ。それは捕食者の音であり、自然災害の音である。蛇状のもの
を避けるのも、我々には組み込まれた性質である。

現代のような時代では、そもそも快不快が定まらない人工物で溢れかえっている。
なぜ好みが生まれるのか。まだなぞではあるが、一つには学習である。それもこの手の学習は、
意識下でも進行する。つまり、人生のどこかで学習している可能性が高いのである。それも
無意識に。この意味は、我々は不快刺激(痛い、寒い、熱いなど)と共に受ける刺激を不快と
みなす能力をもつということだ。逆に快刺激(暖かい、涼しいなど)と共にうける刺激を快と
みなす。

親の懐に抱かれ、親が聞く親好みの曲は、無意識に快刺激として幼い脳に刷り込まれるわけだ。
刺激自体が生命に反していなければ、我々はその刺激の快不快判断を総合的な感覚に依拠して
決定する。

さて、これで扁桃体が恐怖の中枢という概念が手落ちであることがわかったであろう。
扁桃体にはそもそも生物における害を判断する機能があった。もっぱら化学的反応である。
水分子中を漂ってくる化学物質が自分の生存に有効かどうか、これを判断する器官が、
扁桃体となった。現に人の扁桃体には嗅覚が直結している。匂いとは原始的で強力である。
食べ物を判断する時だけではなく、物事を判断する時も鼻を利かすのはそういうわけだ。

何を更に嫌悪すべきかを人生を通じて学ぶ。そのための器官が扁桃体と海馬の働きなのだ。
生存率を高めるために存在する。強烈な不快と共に現れた外部刺激を我々は不快と学ぶ。
PTSDとはそのさしたるものだ。

生物をして持つべきは、嫌悪反応+後天的嫌悪反応。これを実現するために扁桃体と海馬は
存在している。我々が生存をあげるために必要な器官なのである。
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