人口問題ー僕らが考えるべき事 [思考・志向・試行]

http://www.chikyumura.org/environmental/earth_problem/population_explosion.html

昨今では、よく少子高齢化が問題だとされる。
そして、若者が結婚しないことから、結婚さえ促進すれば問題への対処だと考えている行政がいる。
果たしてそれが問題なのか?

人口問題の本質は、少子高齢化ではない。むしろ、戦争と資本主義がもたらした爆発的人口
増加が問題だった。つまり、端的にいえば団塊世代・団塊ジュニア世代多すぎ問題であり、
「人口過剰問題」なのである。これが実態である。

数ばかり増えた団塊世代。戦後の時期に闇雲に子どもを生み続けたのは、すでに80以上となった
ご老人たちである。彼らは何も考えもなく子どもを4,5人と産んだ。それが当たり前かのように。
それはある意味で、世間の風潮であり、保険でもあった。かつての子どもは良く死んだからである。

急速な医療の発展と資本主義構造によって、子どもたちはかつて無いほど、
生き延びた。加えて、社会は「成長」を続けた。作れば作るほど売れた。それは生産手段よりも
労働賃金が低かったからであり、資本は積極的に投資した。それでことはうまく回ったのだった。
だが、これは一つの大きな流れの一部に過ぎない。当たり前だが、賃金が生産手段を追い抜けば、
儲けが無くなる。右肩上がりの経済など一時の夢に過ぎない。

そこで社会はどうしたか。単純には賃金を抑えることにした。「これから就職する者は、
賃金を増やさないのでそのつもりで」ということだ。加えて、生産手段も安くしようと海外へ
移動した。こうして若者たちは、はしごを外されたのである。大人たちは実に汚いだろう。
社会を信用できない子どもが増えたのは必然的作用である。

この動きを「グローバル化」と呼ぶ。要するに安い生産手段を求めて途上国へ投資して開発し、
現地の人々の労働を搾取して、世界各国に売りつけるという事である。経済の格差を利用した
体のいい悪事である。それに先進国全てが乗っかった。その走りをスペインやオランダがやった
に過ぎない。それが18世紀である。イギリス、そしてアメリカはその流れを汲んだのだ。
先進国では、グローバル化は途上国も豊かにするという大義を振りかざして、今も「民主化」を
進めている。それも暴力込みでだ。その目的は要するに、経済である。

なぜ経済が問題か。それは人口問題である。要するに食うためには農業生産を拡大する他無い。
それがいつの間にか、金を増産するという話にすり替わってしまった。だが、本質は常に、
人口問題にある。人が減れば、生産すべき農産物加えて工業製品も少なくて済む。だが、少ない
生産物では価格は下げられず、価格が下がらなければ手に入れられる人々が相対的に減る。
すると人口は減り、更に経済は縮小する。低価格、つまり多くの人口を維持するには、安く
生産する他無いのである。

そのための犠牲が途上国である。途上国にある人や鉱物、資源を先進国のために利用する。
その結果、先進国の人口は維持できる。一方で、搾取されている国においても、私有財産が
認められていれば富は蓄積してゆく。その結果として途上国でも人口増加が始まった。だが、
それによって食えるわけではない。なぜなら、彼らには搾取すべき後・後進国が存在しない。
一時的に増えた富によって急速に増えてしまった人口は、当然飢えるだろう。飢餓が存在する
地域は結局、システムとして人を増やしすぎてしまったのだ。それは人を増やすインセンティブを
先進国が与えた事による。決して、彼らだけの問題ではない。だからといって、我々には、
彼らを救うために今の生活の程度を下げるだけの動機は薄い。

要するに、世界の動きはごく単純な補助線で思考出来る。
それが人口問題である。そしてそれを食わせるための経済とは何か?と問えば、それで本質が
見える。それ以外は些細な問題である。歴史は常にこればかりを書いているのに、誰もそれを
名指ししないので、ここで私が云う。「僕らが考えるべきことは、人口問題である」と。
殺戮の歴史とは、つまりどう人々を食わせるか問題に付随する随伴現象のことなのだ。

経済?金?環境?すべて動物として我々がどう生きるのかそれが問題なのだ。

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