自由な行動とその対価ー恋愛継続の困難さー [恋愛]

恋人をつくるということは、制約を作ることでもある。
あなたを見ていますということは、他の人をみませんという事でもある。

だが、それを拒絶するとどうなるのか?

まず大きな問題点として、通常はカップルは相手のみを優先する。
なるべく一緒にいようとする。そういう風に脳は訴えかけてくる。それが恋だ。

恋をしたことがない人は、この感じが分からないのだと思う。
あの強烈な感情からいえば、そもそも他の人をみようと気すら起きない。
ヒトというサルはそういう風にできている。それは、一種の繁殖戦略であり、
そういう事をできなかった人たちは、子供づくりに失敗していなくなったわけだ。

さて、恋をするとできるだけ一緒にいようとする気持ちが生じる。
これはとても自然なことだ。この理由を冷めた生物学で解説すると、

1.パートナーの浮気防止
2.パートナー相互のリソース確保

である。

恋をした相手が同様に恋してくれることは稀だ。時にそういうこともあるかもしれないが、
きっと、難しいのだろう。そういう時、一緒にいることを求めるのは生物学的に意味がある。
一つは、女性が他の男の子を宿さないかをチェックすること。女性からみれば、男が他の女に
手を出していないかをチェックすることだ。この手間を省くには一緒にいる方がいい。よって、
恋をするとそばに居ようとする行動が生まれる。

人は他者に自己投影する。恋するものも例外ではない。自分の気持ちを投影すると、
相手もまた恋愛状態を想定してしまう。だが、大抵はどちらかに偏りがあるために、
相手は自分が思うようには行動しないのだ。

よくあるすれ違いの話として、束縛がある。その理由は上記である。恋するものは、
相手に対して疑心暗鬼になったりするわけだ。もしかすると、今、他の誰かと会っている
のではないか?と。それは生物学的に許せない行為である。

ここに不思議な規範が出てくる。それは「相手を束縛すべきではない」という規範だ。
生物学的な要請と矛盾している概念である。生物としては相手を自分の目の届くところに
おいておくのが正しい。繁殖戦略として正しい。だから、束縛があるのは当たり前である。
ところが、昨今の社会では、それをかっこ悪いとか、非先進的な考えだとし、ダサいと
一刀両断する。そして、それを許容しない人を糾弾さえするのである。この不思議な規範が
あるがゆえに崩壊するカップルがいる。

例えば、彼氏と彼女がどこどこで何かするという予定を立てたとする。
ところが、その日の都合で彼氏が友達との付き合いを優先する事になったとしよう。
そこで彼女は本来であれば「私を優先するのが普通でしょ!」となじるはずだが、
それをかっこ悪いとか、みっともないと我慢すると「いいよ、いってきな」となる。
面倒な女だと思われたくないという自意識と、それくらい許容しないという面子が
あるのだろう。

ところが、ぽっかり空いた時間がある。ヒトはそういう時間を無意識に埋めようとする。
誰かといるはずだった時間を埋める行為は、しばしばトラブルを招くことになる。

彼女は空いた時間を友達で埋めることにした。ほかの男である。そうして、飯を
食べに行ったり、飲みに行ったりして空いた時間を埋めたのだ。

のちに、彼氏がこれを聞いて憤慨する。なんで他の男と出かけるのかと。
当然である。生物として全く正しい。だが、その空いた時間を作り出したのは、
自分である。そこにふがいなさがある。矛盾である。そして、こちらも当初は、
それをかっこ悪いとかんがえ、面子を保つために許容しようとする。

これに加えて、彼女が多少「自律的な人」であった場合は拍車がかかる。
まあ、一人でもいいかと、勝手に行動するのだ。彼氏に声をかければ来てくれる。
しかし、その突き合わせているという事がいささか気が重い。だから、自分だけで
行動してしまうのだ。

これが何度か続くと、男は思う。こいつ、もう俺の事どうでもいいのかな?と。
実に勝手なものだが、男とはそういうものだ。自分から原因をつくってることに
加え、彼女の性格がそうさせる。結果として、彼氏は彼女の愛情を試そうとする。

自分に会おうとしないのは、なんでなのか。自問自答した結果、あほなことに
彼女への当てつけを考えるのだ。彼女が他の男とでかけるなら、俺もやろうと。
そして、どう思うのか聞いてみたいと。いわゆる嫌がらせである。もしくは、
別れ話をしてみる。彼女が嫌がるかどうかをみたいのだ。その行為をみることで、
ようやく男は安心しようとする。自分の価値を確かめようとする。

一方で、彼女はその男の幼稚さに驚く。そして気持ちが冷めていく。「ないわー」と。
頼れそうもない男をみて、彼女は決意を確かにする。私をないがしろして、どこかに
行ってたくせに、いまさら私を試そうというのはおかしくない?と。

こうして、二人は気持ちをたがえてしまう。まことに残念なことだ。

元はといえば、お互いを気遣った結果でもあり、お互いが感情を隠蔽した結果である。
友達より私を優先してほしい。男友達とは遊んでほしくない。そういう当然の感情を
規範によって覆い隠し、懐が深いふりをする。面子を保とうとする。けれど、その隠蔽
した気持ちは決して消えることはない。どこかでくすぶっていて、どこかで吐き出される。

実をいえば、相手を傷つけない、問題を起こしたくないという自分本位の考えが背後にある。
むしろ、二人でいれば必ず相手を傷つけると覚悟しなくちゃいけないのだ。相手に迷惑を
かける事。迷惑をかけることができる相手。それがパートナーである。大前提が間違っている
のだ。恋路とは、いばらでしかない。何かと互いに傷をつけあうことになる。それは恋の
度合が強いほど、強く傷つく。当然である。それが生物の生物たるゆえんだからだ。

だが、昨今の妙な風潮からうまれた規範によって、そのあたりを避けようとする。
これが問題の核心である。その生物的に生まれてしまう感情を避けてはならないのだ。

ではどうしたらよかったのか。
万能な解決はないと断言して、解決策を考えてみよう。

ひとつには、やはり思ったことはちゃんと伝えるべきだという事。
自分より友達を優先した彼氏に、彼女はそういうのは嫌と伝えるべきだ。冷静に。
でなければ、自分を優先する彼氏にならないのは当たり前である。言わなくても、
わかるでしょとか、言わなくても優先するのが当たり前でしょと、何様のつもりか、
思い込んでいる女子は少なくない。言わなきゃわからないことがたくさんあるのだ。

男もまた、気軽に相手の気持ちを踏みにじらないことだ。相手の期待を裏切るほかないなら
その埋め合わせを考えるべきだ。これもまた丁寧に説明するほかない。いやいや言わなくても
男の付き合いってあるじゃんとか、それくらい言わなくてもわかるのがいい女でしょとか、
妄想を抱くのはいい加減にした方がいい。うしろめたさという確かな感情があったじゃないか。
それを棚に上げたのは自分であろう。

次に、言われた側がどうするか。単純にはなるべく嫌がることはしないってことだろう。
時折おかしい人はいて、この相手が嫌がることをして、嫌がるのを見るのがうれしい人という
のがいる。ゆがんだ自己愛の形である。嫌がるさまをみると安心するのだ。この人は、私に
関心があるのだと。そう、親や友達に嫌がらせとか、驚かせる行為によって注目を浴びよう
とするタイプである。ともかくも、相手が嫌がることは避けようとしないのは、ただの自己
中である。折り合いをつけるようにするしかないのだ。

それから、損得で二人の間を測らない事だ。自分の愛情が相手よりも大きいとか小さいとか、
そういうみみっちい事を言わないという事。自分が相手より好意があると「まけてる」とか
「相手にもっと好きになってほしい」とか思ってしまう性根が問題なのだ。それが高じると
相手の自分への小さな不遜に対して大きな不満を抱くことになる。

真の懐の深さを得ることも大事だろう。相手が多少変なことをしても、相手を信じている
事や、相手に対して変な猜疑心を起こさせないようする事。誤解が生まれそうな行為は
慎むという事だ。

結局、二人の間にルールを形成し、それを流動的に運用しながら、またルールを組み替えていく。
そういうダイナミックな運動以外に、うまくやる方法はない。これは夫婦だって同じことだ。

というわけで、およそ決まった解決手段はないが対応はある。
肝心なのは、自分の気持ちにうそをつかない事。隠蔽しないことだ。
それは何も、思いを相手にぶつけろという事ではない。気が付いた自分の気持ちを
丁寧に相手に伝えろということだ。感情の大きさと表現は同一でなくていいのだ。
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