政治リテラシーー若者の場合 [雑学]

若者が政治を考える時、その根拠はどこからくるだろうか。

http://www.garbagenews.net/archives/2153474.html

このサイトのデータによれば、若者は新聞を読まない。一方で、ネットからの情報を
摂取している。ここに大きな断絶がある。

まず大前提として、情報に金を払わないということだ。これが意味するところは大きい。
インターネットの黎明期に、各新聞社はウェブに乗せる記事を渋ったものである。
実際、新聞で読む内容とネットのニュースにはある程度の断絶があり、Webのニュースは
希薄だった事を覚えている。肝心なことは書かれていない、というのが感想だった。

つまり、ネットのニュースは適当だったわけだ。それは現状でどれほど変わったのか。
そこまでニュースサイトを巡るわけでもないし、新聞を読むわけでもない。だが、
そんなに変化があるとは思えない。おそらく相変わらず適当な見出しだけのWebニュースが
垂れ流されているのだろう。


さて、これを背景にした時、若者にとっての政治ニュースはかなり偏向する。
一部のインテリを除けば、大抵の若者はネットニュースを見る。だがそこには大した
記事は乗らない。むしろ、Webニュースメディアは個性的な物が多く、言い切り型や
耳目を集めるタイプのニュースが多い。記事を最後までちゃんと読む若者はいないだろう。

この事から言えるのは、多くの若者は社会の上辺ニュースのみ見聞きするという事だ。
だからこそ、それらニュースサイトのスポンサーになっている意見に同調しやすくなる。

https://www.asahi.com/politics/yoron/

この支持率グラフが正常なのかは不明だが、一応のベンチマークとしよう。
このグラフ、スグレモノで年代別の支持率が目に見えて変化する。明らかに20代は
現内閣の支持者が増えている。おそらくそれは、さらされている情報に比例するのだろう。
ウェブニュースでは、明らかに政権に有利な情報が溢れている。ごく少数の意見もあたかも
多く存在するかのようだ。若者はそれを意識できない。なぜなら、社会人は政治の話を
全くしないからだ。実は、社内の上司達の半数は安倍政権に懐疑的である。ましてや
今、退職しつつある団塊世代は政権に批判的だ。だが、それを若者はしらない。

結果として、非常に歪んだ形で支持が行われている。
私からみれば、安倍政権の政治は、まさに20代の若者にこそ不利になっている。
繰り返す、若者に不利な政策を進めているのだ。もう一度いおうか、と言いたくなるくらい
なのだが、どうも若者はいつの時代も愚からしい。

アベノミクスの失敗と、その弊害について少し列挙してみよう。
・赤字財政の増加
・景気の後退
・給料の減少
・非正規雇用の増加
・年金・医療費負担の増加
・防衛費拡大ー戦争可能性の増大

・行政による不正・捏造
・内閣人事局による権力統合(三権分立の危機)
・友達への税金横流し

・辺野古問題ー民意無視の政治
・バラマキ外交

・医療・福祉支援のカット
・消費税の増税
・教育資金のカット

・メディアへの介入(特にNHK)

一見すると良くなったと思われること。
・失業率の回復
・株価の上昇
・GDPの増加

正直問題だらけだと思う。この政権は。政治はある程度汚くやる事が求められる。
それは分かるが、一介の庶民である私にすら、見えている異常さがこれだけある。
ということは、内実はもっと酷いはずだ。漏れているものなど氷山の一角なのだから。

一見すると良くなったように見える所だけ、若者はニュースで摂取しているのだろう。
愚かしいが、それで何かをわかった気になっているなら、本当にお人好しである。
物事には裏がある。ウェブニュースという金をとらないメディアがどれほどまともな
事をいっているのか疑問にもつ必要がある。時折、変なニュースを見かけると、
産経新聞か読売である事が多い。だが、そんな事を疑うことなく若者はニュースを鵜呑みに
するのだろう。誠に残念である。

失業率の回復は、単純に団塊が抜けて、人手が減っているからだ。一方で、非正規が増えている。
つまり、安い労働力として全体が買い叩かれている。とはいえ、内訳はこうだ。
団塊世代が退職する。すると、その穴埋め的に新人採用が入る。これは健全である。
一方で、退職した団塊世代はまだ金がいる。そこで、就職を図るとどこへいくのか、それは
医療・介護業界なのである。要するに、退職した団塊が増える前から、年寄りが増えていて、
そこに人手がほしい状態が常態化していたのである。若者の一部と、リタイヤ組の団塊世代が
福祉業界に入っていっているということなのだ。では、給与面はどうか?昨今のニュースでも
福祉業界の財政は厳しい事が明らかである。

https://www.mag2.com/p/money/167311

つまり、失業率の回復はアベノミクスの成功ではないのだ。時代の潮流という要因が大きい。
だが、こんな提灯記事が出てしまう。若者はこのような記事を読んで、なんだ安倍政権でいいじゃん
とでも思うのだろう。
https://www.newsweekjapan.jp/noguchi/2017/10/post-14.php

ここまで意見が割れるという事自体が、そもそも疑わしい。判断を保留するか、
自分で調べる他ないのだ。こういうのがウェブ時代の難しい所である。

(本来、大学の教授たちというのは、合理的な考え方をする人たちだ。ならば、
 全員がおおよそでは、同じ方向を向くというのが当然なのだが、真逆を行く事がある。
 ということは、専門家ですら、判断つきかねる話なのだと庶民は認識すべきなのだ。
 それをどちらかに与するのは本来的に危険なのだ。)

株価の上昇は、日銀やGPIFやJ-REITなどによる買支えの効果は拭えない。
年金資金を株に注ぎ込んでいる。多くの上場企業はこれをやってほしいのだ。
株価が上がった所で、内部留保の金で自社株を買う。
こうして税金を減らし、自社経営安定化を図る。それがために現政府をヨイショする。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-07-14/2018071403_01_1.html

一度におよそ700億円を投じる。これを年間になんども繰り返すのがGPIFの株買いだ。
企業によっては、筆頭株主が日銀というおそろしい所もで始めた。どう考えても不健全である。

GDPの増加については、このブログでも何度も取り上げてきた。詳細は明石氏のブログが
良い参考になろう。どう考えても捏造である。厚生労働省の不祥事といってもいい。

https://hbol.jp/186420
http://i-shinsho.shueisha-int.co.jp/kikan/014/
参考:http://blog.monoshirin.com


私は別に安倍政権を叩きたいわけではない。彼らの思想や存在など、どうでもいい。
だが、そのやっている事がデタラメなのだ。デタラメがまかり通る社会はいずれ崩壊する。
その崩壊する日本に私が住んでいるという悲しさがこの記事を書かせているのだ。そして、
怒りが、何度もこの手の話に言及することになる。


最近は、考えが変わってきていて、事実をみせても、訴えても、先のウェブ記事のように
政権擁護の内容がある限り、若者はひっかかり続けるのだと認識した。では、どうやって
本当の事を理解すればいいのだろうかとも思う。

私がただ、リベラルだから、その価値観に立って記事を探しているに過ぎないという事は
大いにある。提灯記事が正しくて、それが事実なのかもしれない。だが、私の直観がそれを
許さない。何かが違うと感じるのだ。それは自然にしていたら、そういう事はありえないという
実感である。それは川が上流から下流へと流れるという事と何も変わらない。もし逆さに流れた
ら、おかしいんじゃないか?と思うだろう。もちろん、そんな事もありえる。大地震やポロロッカ
のような事はあり得るのだが、そんな事は滅多にあるものではない。

そのような自然な感性から、安倍政権の政策を眺めた時、そして自分の生活を鑑みた時、
安倍政権が言っている成果なるものがどう考えても実感できないのである。前提条件として、
人口が減っている時代に、「成長」しているとか、景気が回復しているとか、株価があがるとか
すべからく、有り得そうもない事柄なのだ。有り得そうもない事が起こっているという事実は、
何かおかしな話があるんじゃないかと思うのが自然である。

その直観をたどっていくと、やはり同様におかしいという人たちが存在しているのだ。
それを妄言という人々もいるのだろう。景気のいい話で何が悪いのだと。だが、バブル前と
バブル後の流れを脇でみていた自分からいえば、景気が良いという状態が異常さによって
保たれているという可能性にすぐに思い至るのだ。それは自然ではないからである。

そんなに良い話だけが存在する方がおかしい。これは汎ゆる詐欺にいえる。
結婚詐欺、投資詐欺、詐欺行為では良い話しかしない。物事には必ず良し悪しがある。
良い話にひっかかる人は、自分が得したいという強欲に絡め取られている。もしくは
人が良いだけだ。若者は、自分が得できればいいと考えていて、失業率が下がったときけば
それがどんな意味なのかを問わず、自分に有利なら良いと思うのだろう。詐欺にひっかかる
カモのセリフである。「そんなこととは思わなかった。。。」如何にも、20年後の若者が
言いそうなセリフである。いや、五年後かな。


財政負担はもはや引き返せない段階にきた。あとはどうやってマイルドに崩壊するかである。
現在の借金は、太平洋戦争時と同じ程度になってしまった。我々は平和時に戦争している
のである。その金は、全国に津々浦々、誰かの給与として、主にアベ友の懐に収まる。
そうして、給与体系を維持しようとする。もはや、成り立っていないのに、取り繕う事に
腐心しているのだ。その一端が、なんども出てくるデータの捏造や不正である。

消費税10%になれば、嗜好品に打撃がくる。日用品はどんなに節約しても、ないという
わけにはいかないからだ。嗜好品のもっともたるものは服装だろう。ZOZOの未来は危ない。
また、車の未来も危ない。他もあらゆる嗜好品の消費は減る。今までは出来たことが、若者には
できなくなる。車は元より、旅やレジャーなども上の世代ほどにはできやしない。だが、
それを提供する側にはいるのだ。そして、それらサービスは一部を除いて潰れていく。

来年以降、日本は更に厳しさを増すだろう。国は国債を発行するが、購入する団体がないと
いう状態が近づいてきた。足りなければ借金すれば良いという発想はもはや不可能である。
じゃあ、今まで借りたやつはどうするのか?利子のぶんくらいは消費税でまかなえるだろう。
だが、税制は明らかに減る。国は消費税ではない形で金を取りに来るだろう。それは特別税
である。その一端は、たとえば出国税である。同じく、人々の生活に直接関わる部分で金を
巻き上げにくるだろう。

それを効率的にやるためには、決済は電子的に記録したほうがいい。だからこその電子処理
であり、電子マネーであり、その記録簿としてのマイナンバーカードである。人々は大増税
時代を生きることになる。税金が多いと、生活は苦しくなる。生活が苦しいと仕事が苦しい。

逆に考えれば、分かるだろう。サービスを提供する側が、消費者の懐具合を気にするわけだ。
すると、なるべく安くしようとする。しかし、その分、給与は減る。だから、自分が消費する
時は、金を使わないことを考えるようになる。すると、サービスを提供する側が倒れる。
よってサービスは消滅する。定価販売する他ない小売店は、その打撃を最初に受ける。だから
地方の駅前はシャッター街になる。金がない人々は、大型店舗であるイオンに流れるからだ。
体力のある企業は薄利多売でなんとか食いつなぐのだ。だが、それもいずれ給与は頭打ちだ。

結局、現在の安倍政権のやり方は、消費を減らすだけである。サービスは悪化し、ならば
そんなものはいらんと、みんな買わなくなる。ま、今までが無駄なものを買いすぎていた
とも言えるのだが。

出口はあるのか?? 人々は賢い消費者をめざす。同じものならなるべくネットで買う。
イオンなどで少しでも安く買う。これを多くの人がやれば、売上が減るのは当然である。
売上が減れば、労働者としての給与が減る。そしたら、買いたいものがあっても、買えないのだ。

本来的には、政策としてはあくまで減税路線にいくしかないのだ。人々の手元に金をもたせる。
特定の論者は、そうすると貯金をして使わないという常套句がある。だが、人々に金が貯まる
仕組みがなければ、使わないではないか。なぜ使わないのか、それは将来が心配だからである。
国の状態が良くないというのはみんな分かっている。だから、金を使わない。将来的に金を
稼げるかわからないからだ。それに加えて、老人たちは働きたくない。だから、カネを使わない。
ないわけではないが、使う場面がないのである。老人たちにくばる金は減らす他ない。だが、
その老人たちが一番票を持っている。という矛盾。

金を一番欲している若者は、金がない。だから様々なことをバーチャルで済まそうとする。
それは工夫なのだが、それによって金は動かない。だから、小売店は若者向けのサービスを
やめてゆく。金が欲しい若者の一部は、ホリエモンなどに憧れる。意識高い系の誕生である。
金があれば、色々出来るじゃないか。そして、起業などをする。そういう流れが一部にある。
一方で、地道に金を手にいれようとする人々で溢れている。そのために若者は大学へ行く。
少しでもましな会社に務めるために。

だが、まともな会社は忙しい。日々に忙殺される。そうやって忙殺された結果として、
生活の不満度があがる。真面目にやっているのに給与はふえず、サービス残業の毎日。
真剣に労働はしてても、終わりがみえない仕事。かつてより仕事量は確実に増えているのに、
売上は減っているからだ。仕事では無駄が溢れ、その無駄を組織が押し付けている。だが、
若者には、それに抵抗するすべがない。抵抗すると、追い出されてしまうからだ。こうして、
老人たちの手足になって、労働を提供する存在となる。

その憂さ晴らしは、きっとネットで行われるのだろう。そして、威勢のいい安倍政権に
雰囲気だけでライドするのだろう。それは恰も野球観戦するかのようだ。愚かなことだが、
この程度の事が毎日、毎日起こっている。その積み重ねが現代である。

何か間違えているんじゃないか? と私の自然がささやく。

一方で、多くの人は、「ま、我慢すればいいか」である。我慢をするとどうなるか。
病気になる。精神的な我慢でも、身体的な我慢でも、大抵の我慢は病気の元である。
病院にいけば、医者が待ち受ける。その医者たちは、国民から巻き上げた国民保険から
多額の金を受け取る。国民保険とはおよそ、税金である。

人々は、労働を社会に提供しその対価である金を得る対価として、時に生活を壊し、
精神的な不満足を抱え、身体的な問題にぶちあたる。病気になれば、病院にいってまた
金を払う。金を生み出すマシーンのようだ。

1984では、まだ主人公に思考があった。だが、現代日本人は何か考えているのか?
マトリクスを馬鹿にした人々は、社会的支配層にその労働を吸い取られている事に
気が付かない馬鹿なのか?

おそらく、日本人として全うに生きるとは、少しもマシではない生活である。
いや、もう少しちゃんというべきだ。都市部においてサービス業に従事する人々は、
まともな生活をしないで一生を終えるのだ。まるで、家畜のようなものである。
牛や豚は肉を提供するが、人は労働を提供する。他者のために。そういう構造になっている。

給料が銀行口座に入る。するとその金を使った投資で儲けた銀行は、株主に配当を配る。
その配当は、要するに投資するだけ資産をもった人間にだ。その人物たちは誰なのか。
我々が普通に暮らすだけで、彼らが儲かる仕組みになっている。それが不労所得の中身である。
それを担保するには資産が必要で、その資産とは大抵誰かの犠牲の上にある。

社会を正当に知ると、悲しみしか出てこない。だが、それでも前を向く思考を考えたい。

若者よ、もっと考えることだ。これからの時代はどう考えても、金じゃないものから
対価を得ることに注力すべきだ。幸福は、常に金からは生まれない。幸福は人との関わり、
自然との関わりから生まれる。それは既に答えなのにだ。真理と言える。あらゆる宗教や
科学は、それを訴え続けている。ならば、なぜ必要以上の金に注力する必要があるのか。

過渡期である今。豊かさとは、人生とは、幸福とはなにか。そういう事に真剣に向き合う
人だけが、幸せを選び取れる。そういう時代になったのだと私は思う。急がばまわれなのだ。
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