無理は禁物ー失敗ー [その他]

他人の失敗は、他人の助けになる。そう信じて、へこんだ気持ちをなんとか立て直して
記事を書くことにした。

何に、へこんでいるかといえば、交通事故だ。車と車の物損事故を起こしてしまった。
相手が赤信号でとまった所に、赤信号に気がつかずそのままつっこんだので、
こちらが悪い事故となった。

というのも、事故は夕方3時50分ごろで、日中はアクティブに活動したので、疲れていた。
加えて、昨日は猛暑ということもあり、そこそこ寝不足だったのだが、朝早く起きて行動
していた。

結果として、とても疲れと眠気があるなか車を運転していたのだ。
途中で、あ、気が抜ける瞬間があるなと2度ほど気がついたのだが、ナビをみていて、
あと8分で目的地とある。それなら目的地で休みをしっかりとればいいな、あとちょっと
がんばろうと思った。まさに、その直後である。

流れにのって運転していたのだけれど、前の車が赤で止まったことに気がつかず、
少しゆっくりにしたものの、そのままどんと、突っ込んでしまったのだ。幸い、
そんなに早い速度ではなかったのと、相手の車が大きかったので、損傷はこちらの方が
やや強かった。とはいえ、基本の部品は無事で運転できる。

脇に車をとめ、前の車のドライバーと話し合った。彼らは怪我等は特にないと言ってくれた
ので、だいぶ安心したのだが、とりあえず、すぐに警察をよぶ。それから保険会社に連絡。
どちらも事故後、スムーズに対応してくれた。警察も20分後には検証しにきてくれた。



不幸中の幸いは、相手が無事であったこと、自分が無事であったこと、
車も相手の車は大丈夫だったし、自分の車も自走できる状態にあったこと。

というわけで、車の破損と、相手の車の弁済だけが、残った形だ。つまり金の問題である。
保険料の値上がりが、つらい。加えて車の破損をどうするか。まあ、どうにかしてゆくほか
ないんだろう。月割りとかにして、弁済を考えるほかない。

この教訓は、ただ一つ。無理は禁物である。
身体は疲れたので休めと訴えていた。それをあと少し!という形で、無理をさせた。
それが結果的に招いた事故だった。その弁済でのトータル損失は20~30万程度になるはずだ。
無理を身体にさせたこと、それが30万もの代償とみるか、30万程度で済んだとみるべきか。
ともあれ、大きな勉強となった。

今までも車の運転では、無理をしなかった。眠いとか疲れた場合は、早めの休憩をしていたのだ。
ところが、今回は同乗者がいて、目的地があったため、それを達成しようと無理をした。
もちろん、そんなことは同乗者は要求してなかったろう。休めばいいと思っただろう。
ナビの8分を見たとき、もう少しで達成だと思ってしまったんだ。疲れがあったのに、
身体の訴えを素直には聞かなかったのだ。

身体の重要性を説いてきたのに、まるで実践が出来てなかった。いや実践してきた。
だが、今日という日の例外さに気がついてなかった。まるで事故を起こすかのような
条件がそろっていた。

まずは暑さによる寝不足。そして今日の早起き。午前中の疲れ。当然、午後、それも、
16時前という鬼門の時間帯。結局、その時の身体反応に忠実にするならば、コンビ二に
寄って、ちょっと休むなどをすればよかったのだ。残り8分でも、きにせず休めばよかった。
そこから少し行った場所でやってしまった。本当に目的地まではあと少しで、おそらく
事故現場から1キロもなかったろう。そのわずかな無理が事故を招いた。

結局、事故後は気分が沈んで、食事をしてもあまり美味しいとは思えず、
相手にも申し訳なく思った。気の緩みというよりは、身体の疲れを無視したこと。
これが事故の最大の要因だった。

皆さんも多かれ、少なかれ事故につながるようなドキっとする場合があるだろう。
その時、思い出して欲しい。あなたの身体反応を無視しないでと。ああ、気が乗らないな
とか、ああ、疲れてるな眠たいなとか、そういう時は、車の運転とかやってはいけない。
車とは1トンを超える凶器である。それを不十分な形で操作するのは人の所業ではないのだ。
それ以外でも、仕事で大きなエネルギーを使う場合にはとりわけ注意が必要だ。

これまでの多くの事故もこういう身体反応の無視、もしくは軽視から来ているんだろう。
今回は金の問題だけで済んだわけだが、時に、身体に障害が残ったり、相手に何かあったら、
それこそ、自分だけの問題では済まない。その意味で今回はラッキーであった。
今後は、身体反応を無視して行動することはするまいと。


付け加えておけば、私はおそらくごく普通のドライバーであり、一般的にみたら、
車を走らせている方のドライバーである。十分に経験がある方だ。そして、普段なら、
無理はせずに休んで走っている。ところが、今回のように同乗者がいたり、時間的制約の
中で行動しているときは、おもわず無理をしてしまうものなのだ。いい所を見せたいとか、
間に合わせたいとか、早く休憩したいとか、本来的にどうでもいいことに気がとられ、
本質的な運転に支障がでているという点を過小評価しすぎたのである。

この安くない損失をただの損失にしないために、警句を残したいというのが今回の
エントリーである。皆さんの知恵にしていただきたい。

人生の様々な場面で、多くの人が、身体反応を無視する事で支障をきたした事故や過失
などは数え切れないだろう。特に心身的に無理をするのは本当に問題だと思う。

もう少し掘り下げるなら、ユングやフロイト的な解釈も可能かもしれない。
自分ひとりなら、無理はしなかっただろう。だが、同乗者がいて、ある程度時間が
制約されている条件だったのが今回。自分の中に、タスクをこなそうという欲が
あったのは間違えない。その理由は同乗者にある。

同乗者に対して、ええかっこしたかった。という心理は間違えなくあった。
そして、その動機は、同乗者と最近、関係が上手くいっていないという状況がある。
つまり、タスクをうまくこなすことで、関係の改良を願っていたのだ。といえる。

もちろん、そんなことで関係性がどうなるわけでもなかろう。だが、そうできたら
いいなと思ってしまったのだ。どこかそういう観念の結果が、身体反応の抑圧に
なっていたのだ。もちろん、今回のことは、些細な例である。

だが、社会にはそれが重要なこともある。
たとえば、重要な会議があるとき、ときに体調を崩すこともあろう。そういう時に、
身体反応を無視し、薬で抑圧して仕事に対処したとする。だが、身体反応は決して、
忘れたわけでも治ったわけでもない。それは一時、抑制して消しただけなのだ。
いずれ、体調を崩しているならば、身体反応が出てくるのである。

精神的な問題は身体に出る。病気はばい菌や食事、急激な環境の変化で起こる。
だが、実際的には、精神的な問題は免疫系に作用し、腸内状態を変化させる。
すると、病気にならずに済んでいたのに、ある意味でストレスによって病気になるわけだ。

その一歩手前で、身体はかならずサインを出す。それは無意識的な作動である。
人は意識と身体は同一であると思いがちだ。だが、実際には身体の上に意識は乗る。
よって、身体の方が情報に富むのである。その身体が何か嫌だなとか、ちょっとおかしいぞ
と感じているならば、それは危険のサインである。それがちょっとセキが多いなという
事だけでなく、なんか不安があるとかいう事も含めて。それらは身体が訴えている
状態なのだ。

結果として、その小さな身体反応をどれだけ逃さずキャッチできるのか。
それが大きな問題なのだ。

自分の事に限らず、たとえば、会社で違和感を感じる処理とか、業務がある場合。
これ法的に問題がないのか?とか、なんか変だなとか、そういうのは、身体が先に
反応するらしい。その時、どれくらいケアできるのか。もしそれを見てみぬ不利を
すると、たとえばスバルの燃費問題のように、問題が膨れ上がってから、発覚する
という事が起こる。

身体反応を見てみぬふりをするのはやめよう。その違和感は、おそらく問題なのだ。
自分の行動なら、無理は禁物である。身体を無視するのはやめよう。過労死とか、
長時間残業などはこういうものからスタートするんだろう。おかしさを指摘できない
会社の雰囲気とかも身体に悪い影響を与える。そういう環境に浴していることは、
けっして小さい害ではない。

ここ数年理解してきたことは、身体反応をつぶさに観察すべきだということ。
多くの人たちは、これを「常識」とか「みんながやっている」とか、そういう理屈で
抑圧する、隠蔽する。だが、それは病気という身体に影響するか、うつとか精神に
影響を及ぼす。

事故から身体反応の重要性を説いた。ぜひ、知恵としてご自身の身体を今一度、観察
して頂きたい。きっと何か得るものがあるだろう。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。